ロレはひたすらじっと王女を見つめて口を開こうとしない。僕の個人的な確信はともかくとして、友好的に話しかけないと警戒されちゃうよ。 なので、僕はにっこりと笑った。たぶん王女にしてみればさっきまで死ぬの生きるのって状態だったはずだ、極力刺激しないようにしたかった。 「状況はわかりますか? ここは安全です。心配しないでもいいですよ。自分の名前は言えますか?」 王女は呆然とした様子で、僕とロレと周囲を順繰りに見回してから呟いた。 「こ……こ、は……?」 女性というには澄みすぎている、高く美しい少女の声。 「ムーンペタです。あなたはハーゴンに畜生落としの呪いをかけられて、心ごと犬に変えられていたんです」 「ハ………」 そのとたん、王女がひゅっと呼吸を止めた。ぶるぶると小刻みに震えながら拳を握り締め固まっていく。 まずい、過度の緊張状態による筋肉の硬直状態だ。僕は体を少しでも温めようと、マントをかぶせるべく王女に駆け寄る。 「触らないで!」 王女が叫んだ。そして自分の体を抱きしめて、荒い呼吸をしながら立ち上がり、僕たちの方を睨む。 「私の呪いを解いてくださったことには礼を言います。ですが今の私にはお渡しできるような報酬がなにもありません。私はこれからハーゴンを討ちに行きます。それが無事終われば、這ってでもムーンブルクに戻ってきてムーンブルクを復興します。それまで待っていてはくださいませんか」 ………ふむ。 彼女のこの反応からすると……マリア王女は相当ひどい目に遭ったんだな。でもハーゴンを――仇を討つということを支えにして崩れそうな心を支えてるっていうところだろうか。 復讐心か、誇りか、失ったものへの愛情か。でもなんにせよ、そんな風に自分の心を奮い立たせようとしたってそんなの長く続かないと思うけどな。 とか考えていると、ロレが突然いきりたって王女を怒鳴りつけた。 「なに言ってんだこの馬鹿女! てめぇ女のくせに一人でハーゴン倒しに行くつもりかよ! 無理に決まってんだろ、少しは考えろボケッ!」 「あなたには関係のないことでしょう。今報酬が欲しいなら大公たちにお願いしてある程度のものはお渡しします。だから私によけいな口出しをするのはやめてください」 「……んだと? ざけんなこのアマ、誰が報酬くれなんつったよ? こちとらてめぇみてぇな腐れ女になんざ、びた一文もらう気ねぇんだよタコッ!」 「……ではそんな腐れ女の呪いなど、解かなければよかったでしょう。頼んでもいないというのに呪いを解いたのはあなたです。それなのにそんな口を聞かれる理由は、ありません」 うわー、なんだかいきなり喧嘩しちゃってるよ。……もしかしたら、この二人、すごく気が合うのかもしれない。なんだか……ちょっと、悔しいな。 でも、今はとりあえず止めなくちゃ。僕は二人の間に割って入った。 「まあまあ、二人とも落ち着いて、ね? かっかした頭で言い合ったってなんにもならないよ?」 「別に怒ってねぇよ!」 「……私は、冷静です」 「うんまあ、それはともかく。マリア王女、僕たちはローレシア王家とサマルトリア王家の者なんですよ」 「え………?」 「こちらがローレシア第一王子、ロレイソム・デュマ・レル・ローレシア。僕がサマルトリア第一王子、サウマリルト・エシュディ・サマルトリアです。以後お見知りおきを」 「………では………?」 「はい、ロト三国の血の盟約≠ノより、世界を救うため旅立った者たちです」 僕としては(王女が僕たちを冒険者かなにかと思ってるみたいだったから)自分たちの素性を明かして少しでも警戒を解いてもらうつもりだった言葉に、王女は一瞬絶句し、そしてきっと僕たちを睨んだ。 「ではロレイソム王子、サウマリルト王子。お二人にムーンブルク王家最後の人間としてお願いします。どうか私を放っておいてください」 「………はぁ!?」 「ムーンブルクの仇はムーンブルクが討ちます。お二人は自国へお帰りください。お二人が独自に大神官ハーゴンを討とうとなさるならそれを止めることはできませんが、どうか私の邪魔はしないで」 「……血の盟約≠無視すると?」 「ええ。たとえそれでロト三国の席から外されようとも」 血の盟約――ロトの血の制約を無視できるってことは……本能を超えるほどの強烈な理性か、意思か、感情かが彼女の中にはあるってことか。 たぶん、ムーンブルクを襲われた時のトラウマじゃないかな? でも、なんでわざわざ助けの手を拒むんだろう。ハーゴンを討つつもりなら、手は多い方がいいと考えるのが普通だと思うんだけど。 「………ざけんなよ、コラ。人を舐めんのもいい加減にしろこの馬鹿女! 血の盟約だのなんだのはどーでもいいけどな、女が一人で魔王相手に喧嘩売るってのをはいそーですかって黙って見送れるわけねぇだろ!?」 「今回の敵は魔王じゃないけど……」 ついついそうツッコミを入れたら蹴られた。うーん、でもロレもやっぱり血の盟約を少なくとも意識的には気にしてないんだな。その向かうところと自分の感情が一致してるからだろうけど。 「大体てめぇまともに頭あんのかよ。んな細っこい腕で剣なんか振り回せるわけねぇだろ。呪文があるって考えてんのかもしれねぇが呪文の効かない魔物だってうじゃうじゃいんだろ!? 魔法力がなくなることだってあんだろ!? そういうこときっちり考えて一人で行くって言ってんのかよ、てめぇは!」 「……っ」 王女は言い返せない様子で、唇を噛む。 「本気で敵倒す気なら周りのもんなんでも使やいいだろ。一人で意地張って勝手なこと言ってんじゃねぇ。はっきり言っててめぇは単に死にたがってるよーにしか見えねぇんだよっ!」 あ、そうか。そういう一面はあるね、たぶん。図星を突かれたせいか、王女は顔から血の気を引かせた。 「…………! …あっなたに、そんなこと言われる筋合いは……」 そこまで言って、急に王女はふらついた(三ヶ月犬をやってたんだ、体力がなくなって当然だろう)。ロレがすかさず支える。 ――僕はなぜか胸のあたりにわだかまるものを無視して、王女に声をかけた。 「ほら! 辛いでしょうに無理するから!」 「……っ、放してっ……」 「やっぱり長い間話すのは体に悪いですよ。少しベッドで休んで、食事も取ったほうがいいです」 「あなたたちに、指図は……」 「――ちっ」 ロレが、王女をひょい、と抱っこした。 ―――あ。 「きゃっ! な、なにするの!」 「具合が悪いなら悪いって言え、このオカメブス!」 「……お、か……」 「サマ、宿屋か? 病院か?」 「病気や衰弱ってわけじゃないから、宿屋でゆっくりしておいしいものを食べた方がいいと思うよ」 なぜか震えそうになる声を必死でしっかりさせながら、冷静に冷静にと自分に言い聞かせながら、僕はロレに答える。 「よし」 「……っ、放して! 放しなさい!」 「うるせぇ、黙って運ばれてろ、ペチャパイ!」 「ぺ……っ、あなたにそんなこと言われる筋合いないわよ!」 「ぴーぴー騒ぐなっつってんだろ鼻ペチャ女!」 言い合いをしながらロレはマリア王女を宿屋へ運ぶ。その逞しい姿は、お姫様を助け出す物語の勇者そのままだった。 あれ。 なんでだろう。なんだか胸が痛い。 王女を抱き上げながら言い合いをしてるロレを見ると、なんだか胸のところがズキってする。 なんだろう、これは。別にロレが妙なことをしてるわけじゃない、むしろロレらしい、無骨だけど男らしくてかっこいいことをしている。 でも、なぜか嬉しくない。ロレカッコいいってうっとりできない。胸がズキズキして呼吸がうまくできなくて、苦しくて苦しくてしょうがない。 ―――それは嫉妬と言うんだよ。 誰かの声が耳に届き、僕は硬直して足を止めた。 ――嫉妬? これが……この、どうしようもなく苦しい感覚が? 僕は、マリア王女に嫉妬してるんだろうか? 僕は首を振って、ロレを追いかけた。 そうだとしても、今はそんなこと考えてる場合じゃない。王女を助けなきゃいけないんだ。 宿の女将さんにマリア王女の面倒を見てもらうよう頼んで、ロレと僕は廊下で話し合った。 「……これからどうする?」 「そうだね……食べ物は宿の人がおかゆを用意してくれてるし、とりあえずの身の回りの世話は女将さんがしてくれそうだし。着替えでも買ってこようか?」 「げ。冗談じゃねぇ、服屋は俺の鬼門の一つなんだよ。てめぇが行ってこい、どうせ俺女の服なんてわかんねぇし」 「僕だって詳しいわけじゃないんだけどなー。……ロレは、これからどうするの?」 「俺は……やるこたねぇから剣の稽古でもするか」 「場所、ちゃんと選んでね。――ロレは、これからどうしようと思ってる?」 「………そうだな」 ロレは、僕の言葉の意味がわかったみたいだった。 「とりあえず、あの女がまともに動けるようになるまではここに足止めだな。全快したらここの領主にでも面会させて、保護してもらやいいだろ」 「そうだね、僕もそう思う。とりあえず元気にならないとなんにもできないし。領主宅で大げさに看病されるよりはこっちの方が居心地いいだろうしね」 僕はそう言ってから、ロレを見上げた。 「なんだよ」 「一緒に連れていこうとは考えてないんだなって思って」 ロレはぶふっと吹き出して、困惑と呆れの中間ぐらいの視線をよこした。 「お前な……なに言ってんだ。あいつは女だぞ?」 「でもロトの血族だよ。ルビスさまの加護が得られるはずだ」 「ロトだろうがなんだろうが関係あるか。今まで魔王討伐に女が加わったなんてためしはねぇだろうが」 「あれ、ロレなんで知ってるの? 歴史の授業はいつも半分眠ってたって言ってなかったっけ」 「このへんは寝る前に話されるお話のたぐいだろうが。ロトとアレフの冒険の顛末ぐらい俺だって知ってる」 「でもさ。初めてなのは別に悪いことじゃないでしょ?」 「お前、本気で言ってんのか? あいつは女なんだぞ、女。体力もねぇし力も弱い。しかも口うるせぇったらありゃしねぇし。長旅なんてできるわけねぇだろ」 「――そうかな?」 僕は首を傾げて微笑んだ。 「なんだよ。違うってのか?」 「違うっていうか……確かに彼女に長旅は辛いだろうなー、とは思うけど」 「それみろ」 「でも、ロレ。女の人だって、仇を討ちたいって、考えることはあるんだよ?」 「―――なんだよ、そりゃ」 「女の人だって男同様に、家族や友達を殺されたら憎いって思うし自分の手で恨みを晴らしたいって思うよ。なにもそういうのは男の専売特許じゃない。辛いことがあっても、目的のために必死に耐えて戦うことができるんだ」 ……なんで僕、こんなにロレに食い下がってるんだろう。マリア王女に一緒に来てほしいって思ってるわけでもないのに、なんだかムキになってる。 だけど、なんだか止まらない。 「……弱い女がんなに必死になったって返り討ちになるのがオチだろうが。負けるのがわかりきってる喧嘩するなんて馬鹿のやることだ」 「あれ? やってみなけりゃわかんないっていうのは誰の言葉だったっけ?」 「う……」 僕はくすりと笑った。少しも面白くはなかったけれど、顔が笑みを作った。 どうすればいいんだろう、僕きっと今すごくいやな顔してる。なんでだかわからないけど、今僕はひどく、ロレに歯向かいたい。 「僕も彼女がなにを考えているのかはよくわからないけれど。彼女が、父である王や、街の人たちの仇を討とうと、自分の状態も省みられないくらい必死になっているのはわかるよ」 「……自分が今まともに戦えるかどうかぐらい考えろよ。阿呆かあの女は」 「阿呆にならないと生きていられないぐらい、辛いんだろうね。――彼女は、たぶん目の前で、自分の全てを消されてしまったんだから」 「――――!」 ロレは絶句して、黙りこんだ。……気づいてなかったんだろうか。 だったら今はきっと罪悪感の嵐だな。僕は笑って言った。 「謝るんだったら少し時間をおいてからの方がいいよ。今彼女は体を拭いてもらってるところだろうから」 「……余計な世話だ、ボケ」 そうぶっきらぼうに言ってロレは立ち去っていく。僕は、顔に笑みを張りつけたまま、その後ろ姿を見送った。 僕は王女の着替え――目測で測った大体のサイズでも着られるような、ゆったりとした部屋着――とその他身の回りのものを持って、マリア王女の部屋に向かっていた。 とりあえず、気がついたものはみんな買ってきた。彼女には休息が必要だ、そのためには僕たちができるだけ居心地いい空間をしつらえてあげないといけないものね。 ――それがどれだけの助けになるかは疑問だけど。僕は、彼女を助けなくちゃいけない。 部屋の前でおかゆを持ってきてくれた宿の人と会った。その人は明るく挨拶して言う。 「うちのコックが作ったおかゆを食やあ、あっという間に元気になっちまうさ!」 ……それはどうかなぁ。正直そういう言い方ってかえって彼女にはプレッシャーだと思うんだけど。 僕は両手が塞がっていたからその人に扉を開けてもらった。中ではマリア王女がローブ姿で(女将さんに着替えさせてくれと言ったから)ぼんやりと窓の外を見ている。 宿の人は雷に撃たれたように立ち尽くした。たぶん、マリア王女に見惚れたんだと思う。――ロレもそうだったけど、たいていの人にしてみればマリア王女は一目で惹きつけられるような美少女らしい。 僕は、正直よくわからない。きれいだな、とは思うけど、惹かれるという感じはまったくないからだ。 ――僕が今までの人生で惹かれたのは、ただ一人、ロレだけ。 そのロレは、彼女をどう思ってるんだろう。 なんでそんなことを気にしてるんだ、僕は。宿の人に部屋の外に出てもらい、思いを押しこめてにっこり笑った。 「具合はどうですか?」 「……私は大丈夫です。私はすぐにでも旅立たなければならないの。申し訳ないけれど、よけいなお節介はやめてください」 「それはできません。僕も一応医師の資格を持つ者です。どんなやぶ医者でも、あなたを見れば休息が必要だと言うと思いますよ」 「そんな暇はないの。私は一刻も早く……」 「なにをするにも、まずは体と心が元気じゃなくちゃ。弱ってる時に無理したって、ろくな結果にはならないですよ」 「…………」 「とりあえず、栄養を取った方がいいですよ。あなたがこれからなにをするにしろ、栄養取らなきゃ動けないですもん」 でしょ? とにこっと笑ってみせる。できるだけ警戒心を削ぐように。 マリア王女はちらりと僕の方を見て、うつむいて、それから決死の表情で顔を上げて手を伸ばした。 「……そのおかゆ、いただけますか?」 「はい」 僕は微笑んでおかゆを渡す。ハーゴンを倒すために栄養を取らなきゃ、と思ったんだろうな。 たぶん彼女は目の前でムーンブルクを落とされたんだろう。死ぬほどのショックを受けているはず。 それを仇討ちへの執念に変えて必死に前に進もうとしてるんだろうな。立ち止まったら立ち上がれなくなってしまうんじゃないかという恐怖も手伝って。 ある意味強いと言うべきなのかもしれないけど――でも、そんな強さは長くは続かない。 王女はおかゆを受け取り、おそるおそるおかゆを口に運ぶ――が、口に入れたとたん口に手を当てた。 予想していたことだったので、僕は手近に用意しておいた桶を素早く差し出した。マリア王女はその桶に向けてげほげほとやっている。 だけど胃の中にはほとんどなにも入っていないようで、出てきたのはほとんど胃液だけだった。僕は顔を上げた王女に濡れ布巾を渡す。 「…………!」 マリア王女は、それを受け取ったまま握りしめた。口が慟哭の叫びを上げようとするのを、必死に耐えている顔で。 「……泣いちゃいけないなんて、思わないほうがいいですよ。涙は弱さの証明じゃない、心を解放する手段なんですから」 だけど、王女は唇を必死に引き結んで首を振った。 「私はハーゴンを討つまで泣きません。心は捨てると誓ったのです。――父様が殺された時に」 それは、確かに強い決意と呼べるものではあるけれど―― 「心を捨てることは、誰にもできませんよ?」 僕は困ったような微笑みを浮かべてそう言った。 「どんなに捨てたいと願っても、なにも感じないでいようと思っても、心はどこかで痛みや苦しみ、悲しみを感じとっているんです。感じたくなくても、それからは決して逃れられないんですよ」 そう、僕がサマルトリアにいた頃、いつも重苦しい罪悪感を抱いていたように。 「だから、泣きたい時には泣いた方がいいと、僕は思います。感情は吐き出さないと、やがてよどんだまま固着してしまいますよ」 「――それでも、私は―――」 今にも泣きそうな顔で言って、うつむく王女。僕は彼女が顔を上げるのをじっと待つ。 ――顔を上げた時、マリア王女は決然とした表情に戻っていた。 「サウマリルト王子。王子のお心遣いは感謝いたします。けれど、私はあなた方に甘える気はないのです。洗濯していただいた服が乾いたら、すぐにでも出立します」 洗濯物が乾いたらって……。王女は金目のものはなにも持ってないみたいだけど、旅の費用とかどうするつもりなんだろう? そういうところまで頭が回ってないのかな。 まあ、そんなことはあんまり重要じゃない。それよりも僕は、なぜ彼女がここまでかたくなに僕たちの手を拒むのか、聞きだしてみることにした。 「なぜ、僕たちをそんなに拒まれるのですか?」 「……………」 マリア王女はうつむいた。 「これを機にムーンブルクの内政に干渉されると思ってらっしゃるなら、そんなことはないと断言できますよ。血の盟約≠ヘロト三国にとってはほぼ絶対ですから」 「そういうわけでは……ありません」 「では、僕たちに一目見て個人的にお気を損ねるような部分があったのでしょうか。顔が嫌いとか、体型が嫌とか」 「……いえ、そういうわけでは……それは、確かにローレシアの王子には正直、腹が立ちましたけれど。あなた方に個人的に含むところがあるわけではありません」 「ではなぜ?」 「………………」 マリア王女は頑固に口を閉ざしている。僕たちには言いたくないってことか。 というか、僕たちに関わらせたくないって感じだな――と思って、僕は閃いた。 「マリア王女、あなたはもしかして、僕たちを巻きこんではいけないと考えているのではないですか?」 マリア王女はびくん、と震えてばっとこっちを振り向いた。その顔には明らかな驚愕が見える。 ――やっぱりね。 たぶん彼女はムーンブルクが滅ぼされたのが本当にショックだったんだろう。もう誰も死んでほしくない、その想いがあまりに強くて理性的な判断を度外視して一人でハーゴンを倒そうとしているんだ。 もしかしたらロトの血族である自分のためにムーンブルクが滅ぼされたと考えているかもしれない(それは一面真実ではあるだろうけど)。死ぬのは自分一人でいい、そう考えているんだろうな。自分の復讐に人を巻き込みたくない、そう考えているかもしれない。 それは明らかに間違った考え方なんだけど――理解はできる。 でもそう言うわけにもいかないから、僕は少し困ったように微笑んで言った。 「マリア王女、失礼ですがそれは勘違いというものです。あなたがハーゴンを憎い、倒したいと感じているのと同じように、僕たちにもハーゴンを倒したいと思う理由がある」 あなたの理由ほど、正当なものではないだろうけど。 「それに、僕たちはあなたの足手まといになったり、巻き添えで殺されるほど弱くはありません」 もしかしたら僕は殺されるかもしれないけど(前科あるし)、それは黙っておく。 「あなたがどんなに辛いか、僕たちには想像するしかできません。そして僕たちを信用できないあなたの気持ちも理解できます。けれど、僕たちはあなたを放っておきはしない。あなたの苦しみを少しでも理解し分かち合おうとじたばたするし、弱音や八つ当たりのぶつけどころにもなりましょう。僕たちは、少しでもあなたを助けたいと思っている――それをこれからの行動で信じていってもらいたいと思います」 そう言って、僕はポケットから持ってきた瓶を取り出した。 枕元のサイドテーブルに置いて瓶を開けた。ふわ、と優しい匂いが周囲に広がる。 「……これは?」 「なにも考えずに眠れる香です。あなたには、少しでも休息が必要だと思うから」 そう言って、できるだけ安心感を与えるようににっこり笑った。 「ゆっくり休めば、お腹も減って、ご飯も食べれるようになりますよ。まずはそこからです。せめてそこまでは、僕たちに世話をさせてください」 そう言うとマリア王女はすごく困った、なんと言えばいいかわからないという顔をして、小さく、小さくうなずいたのだった。 ……少しは、助けになれたのだろうか。僕はそう思いながら部屋を出た。 他にマリア王女の助けになることはなにかあるだろうか、と考えてはっと気づいた。そうだ、ジョールのことを忘れてた。 ムーンブルクに生き残りがいたという事実は王女にとって、助けになるか怒りの引き金になるかは定かじゃないけど(なにせ襲われる前に逃げ出してきた人だし)、感情を揺り動かすことは確かなはず。 今日は少しでも休んでもらうとして、近いうちに連れてこよう。伝言を残すのも忘れてたから、さっきのねぐらに行かないと。 そう思って部屋に戻ろうと踵を返すと、ロレがマリア王女の部屋から出てくるところにちょうど出くわした。 ―――ざくっ、と、胸にナイフを突き立てられた気がした。 もしかして僕は、この感情から逃れるために王女のことを一生懸命考えていたんだろうか。 ロレが僕を見て、お? という感じに眉を上げた。話しかけなくちゃいけない。黙ってたら変に思われる。 「王女に会ったんでしょ? どうだった?」 大丈夫、声は震えないですんだ。ロレは肩をすくめて、 「あいつ、寝ちまった」 と言った。 「――寝た?」 僕は驚いた。食事ができないくらい張りつめてた彼女が? 僕の驚きにかまわず、ロレはぽりぽりと頭をかきつつ言う。 「ああ、あいつさ、なんか俺がお前友達いないだろっつったら泣いちまってさ。俺に掴みかかってくるのを相手してるうちに寝ちまった。――そんで、ベッドに入れて寝かしてきた」 心臓がどくんどくんと鳴っている。王女が泣いた? ハーゴンを倒すまで泣かないと誓ったと、そう言っていた彼女が? ロレに、もうそんなに心を許しているのか。 なんでだろう、心臓の鼓動がひどく荒れている。ロレだったらそういうことはいかにもありそうなことなのに。 なんでこんなに、怖いんだろう。僕はなにを怖がっているんだろう? でも、僕は口に出しては、ただ、 「やっぱり、ロレはすごいね」 と、微笑みながら言うしかできなかった。 |