ドラゴンの角の北側で雨露の糸を手に入れてから、僕たちはひたすら北上した。目指すは港湾都市ルプガナ。ここから定期便に乗ってラダトームへ向かうんだ。 その間、マリアは少しずつだけど、ロレと話す時笑うようになっていった。どんなことが起こっても自分はロレから見捨てられることはないってわかって、ロレと話す時にちょっと余裕が出てきたんだろうな。相変わらず喧嘩はしてるけど。 二人の心の距離に目に見えるほどの変化はなかったけれど、少しずつ二人が歩み寄ろうとしてるのが僕にはわかった。ロレもマリアもちょっとずつ相手に優しくしようとしてる。会話の時、歩いてる時、ロレはマリアを労わりを示して、マリアもそれを受け容れている。 僕はといえば、今までと変わりなく毎日マリアの体力面のフォローをして、食事を作って、火の始末や後片付けや、その他もろもろの細かいことを一人でやっていた。それは前と同じだけど、少し意図的に多くの仕事をするようにした。ロレとマリア、二人に話していてもらうためだ。 三人で会話する時は一緒に話しながらさりげなく二人の会話の邪魔をしないように一歩下がる。ロレとマリアの、邪魔をしないように。 ――もちろん、ロレと話すのが嫌になったなんてわけじゃない。そんなことがあるわけない。 それどころか今でもとても胸は痛い。ロレと、好きな人と話す機会が減るのはとても寂しい。 でも、それ以上に僕は、ロレに笑っていてほしかった。ロレが今マリアを大切にしたいと思っているのなら、ロレがその方が気持ちいいと、幸せだと感じられるのだったら、僕はその手伝いをする。それでいい。それだけでいい。 たとえロレとマリアが視線を交わすたびにずきりと胸になにかが突き刺さったような気分になっても、ロレがマリアに微笑みかけるたび壊れそうに息が苦しくなっても。ロレが幸せなんだったら、僕はそれでいいんだ。 だってロレの幸せが、僕の幸せなんだもの。 ロレが幸せじゃなきゃ、僕になんてなんの意味もない。 ――そんな旅を二週間弱続けて、僕たちはルプガナにたどりついた。 ヒュー、とロレが口笛を吹く。 「すげぇ活気だな。さすが港町」 「噂には聞いていたけれど……アレフガルド一の貿易都市、っていうのは本当ね……」 そう感心したように辺りを見回すマリアに、僕はうなずいた。 「そうだね。西ウーラ大陸の陸路と海路の合流点にして海路の要所。都市国家ルプガナの首都。当然といえばそうなんだろうけど……こんな活気のある市場は僕初めて見るかもしれない」 実際、すごい活気だった。 魔物が活発になったせいだろう、さすがに城壁の外にまでは人はいないにしても、一歩中に入るとそこからもう怒涛のように露店が並び、人がひしめきあっている。 「はい豆いるか、豆いるか!」 「純ルプガナ産の香辛料! どこの店より安く売るよ!」 「ムーンペタ産の紅茶が二百ゴールドだとぉ!? ふざけんな!」 「そこのお嬢さん、寄っといで! ラダトームの香水、ルプガナでもここだけだよ!」 怒鳴り声に叫び声、方々から押してくる人の群れ――その猥雑な熱気に少しばかり頭はくらくらするけど、人の生命力を強く感じさせる光景は気持ちがいい。 僕たちはあちこちへ押されながらも、とりあえず前へ前へと進んでいった。 「おいサマ! マリア! ちゃんといるかコラ!」 「いるよー。けどマリアがちょっと人ごみに酔っちゃったみたい。ちょっとどこかへ入って休んだ方がいいね」 「だい、じょうぶ……ちょっと休めばすぐ治るから」 「大丈夫って面かよそれが……しょうがねぇ。どっか酒場入るか。この通りになら山ほどあんだろ」 というわけで、人を避けて少し裏路地に入ったところの酒場で休むことにした。柄はいくぶん悪かったけど、しょうがない。 テーブル席について、カウンターから注文を聞くものぐさな店主に注文する。 「ビール!」 「果汁があったらください」 「……お水を……いただけますか」 店主はぶっきらぼうに答えた。 「うちには果汁なんて洒落たもんはないよ」 「じゃあ水でいいです」 ち、とあからさまに舌打ちをして大ジョッキにビールを、小さなグラス二つに水を注いで持ってきた。他に客がいないわけじゃないけど、この態度……営業努力っていうのをする気がないみたい。 どんと置かれたジョッキを取って、ロレはみるみるうちにビールを飲み干していく。いつものことながら飲みっぷりいいな。けど…… 「ビール飲むと喉が渇くよ、ロレ」 「うるせぇな。酒場に来て酒頼まねぇでどうすんだ」 「どうするって……」 僕は酒場を見回した。カウンターに女性が一人いる。 「情報収集でもしようか?」 「情報収集〜?」 「あそこにいるお姉さんに、ちょっと最近の町の様子とか聞いてみるよ」 「おい、こらサマ!」 なんだかロレは慌ててたけど、僕は気づかないふりをして女性に歩み寄った。こんな風にして、僕はロレとマリアを二人きりにさせているんだ。 でも情報収集がしたいというのも本当なので、僕はカウンターの女性に声をかけた。 「すいません、隣よろしいですか?」 「あら、隣に座ってくれるの……!?」 振り向いた女性は、僕を見てカッと目を見開くと、胸の前で手を組み合わせ瞳を輝かせた。 「んまあぁぁっ、なんて可愛い子なの!?」 ………は? 「あたしってば運がいいわぁ、こんな可愛い子をいただいちゃえるなんて! でもあなたも運いいわよ、声かけたのがあたしで! 中には薬とか使うえげつないオンナもいるからねぇ〜」 「はぁ………」 「じゃ、どこへ行くかはあたしに任せてもらっていい? 心配しないで、最高の場所で天国を味合わせてあげるからv」 ここに至って、ようやく僕はこの女性が娼婦だということに気がついた。声をかけてきた僕を客だと思ったんだろう。 ……ていうか、よく周囲を観察してみるとこの店にいるのはその手の女性がほとんどに見えた。この店って娼婦の寄り合い所みたいなものなのかもしれない。 それはそれとして、どうしよう……この人に恥をかかせずにうまく断る方法はないもんだろうか。 この人の誘いには乗りたくないし、乗るわけにはいかない。 だって、ロレが言ったんだ。僕の貞操をも大事に思ってくれてるって。 「おい、姐さん。悪いがこいつは世間知らずなんだ。手ぇ出さねぇでくれ」 「!」 耳元でロレの声が聞こえ、僕は思わず硬直した。こんな近くでロレの声を聞いたのは久しぶりだ。 ロレが僕の後ろに立って、僕の体をぐいっと引っ張る。僕はロレに庇われるような格好になってロレの後ろに回った。 「あらぁ………! なんって、いい男なのっ!」 さっきまで僕と話していた女性が、いきなりらんらんと目を輝かせた。さっきまでも輝いてたけど、それとはまた質が違う。今度は獲物を狙う肉食獣みたいな目だ。 「ねぇ、それならあなたが相手してくれる? あなただったらあたし、商売抜きでも寝てみたいわ。いい思いさせてあげるわよ………?」 胸を強調しつつの上目遣い。瞳の輝きを気にしなければ、たいていの男は誘いに乗ってみようって思うんじゃないかってぐらい色っぽく。 ロレは軽く頭をかいた。考えてるんだろうか。迷ってる? ……僕が口を出せることじゃ、ないんだけど……… 「悪ぃけど、今日はやめとく。世間知らずのガキどもの面倒を見てる最中だからな」 僕がじっと見守る先で、ロレはちょっと笑ってそう言った。世間知らずのガキどもって、僕たちのこと? とも思ったけど、僕は心底ほっとする。 女性は、ちっと舌打ちして、忌々しげに言った。 「あなたも女の方がいいのね。いじわる」 「………は?」 ロレが間抜けな声を上げる。 「あの、あなたは男性なんですか?」 「違うわよ、あたしはオンナよ。ただ、ルビスさまがあたしを作る時に性別を間違えちゃっただけで」 「お……オカマ―――っ!?」 絶叫するロレに、その女性――ならぬオカマさんは豊かな胸を張る。 「そうよ、文句ある? オカマのどこが悪いのよ!」 その姿はどこからどう見ても、女性にしか見えない。 「……マジかよ? だってよ、胸が……それに、声が! 骨格だって女だぞ!?」 「そうだよね……あ、もしかして……」 僕の頭に、ふとひとつの薬の名前が浮かんだ。 「トワイライト・ドローン?」 「へぇ、よく知ってるわね。もしかしてあなたも女に生まれ変わりたいコ?」 「いえ、そういうわけじゃ」 「あぁん、残念。きっとすっごく可愛い女の子になるのにぃ」 「……おい、サマ、なんだよそりゃ?」 おそるおそるロレが聞いてくるのに、僕はうなずいて答える。 「トワイライト・ドローンはね、性転換薬なんだ。飲むと男は女に、女は男になるわけ。容貌も体型も、個人差を残しつつその性別に見合った形に変換されるんだよ」 「そんな薬があんのかよ……誰が作ったんだそんなもん」 「ムーンブルクの魔術師連合。作るのに手間がかかるから高い薬なんだけど、けっこう需要あったみたいだよ」 「ホントによく知ってるわねー、ボク。そ、あたしは高い金払ってその薬買ったのよ。それだけの価値はあったわねぇ」 「はー……」 ロレは少し呆然として首を振った。ロレみたいな男は男、女は女って思考の持ち主には、彼女(ここは精神性別で呼称するべきだろう)みたいな考え方は理解できないんだろう。 「で、あたしに体以外のなんの用があるわけ? あなたたちみたいないい男なら、たいていのお願いは聞いちゃうわよ?」 あ、話が戻ってきた。 「大したことじゃないんですけど。最近のルプガナの様子でも聞かせてもらえたらと思ったんです」 「ふうん……最近の様子、ねぇ……」 彼女は考えるように首を傾げる。 「やっぱり、一番大きいのは定期船が運休してることでしょうね」 「え!?」 僕は思わず声を上げてしまった。定期船が運休? それじゃラダトームに行けない……っていうか、ルプガナまでやってきた意味がないじゃないか。 「どういうことですか?」 「うん、それがねぇ……ルプガナの主……ここでは市長って呼ばれてるんだけど、とにかくその人が気弱なくせに頑固でね。最近魔物の跳梁が激しいでしょ? 特に海の魔物は強い。だから安全が確保されるまで船を出すべからずってお触れを出しちゃったのよ、三日前に」 三日前……それはまた微妙な時差だなあ。 「それじゃ港町ルプガナの産業自体が成り立たないじゃないですか」 「そうなのよー。だから商人組合が総出で今お触れを取り消させようと交渉頑張ってるんだけどね、市長ってほんっとに頑固だから。言えば言うほどムキになって、絶対わしの言うことが正しい! ってふんぞり返っちゃって。……あたしも早いとこなんとかしなきゃと思ってるんだけどねぇ……」 「お前、領主と知り合いなのか?」 「え?」 ロレがふいに言って、オカマさんは目を見開いた。 「なんで?」 「そんな風に聞こえたからさ」 「気のせいじゃない? ……それよりあなたたち、そろそろ自分の席へもどった方がいいんじゃないの? あの可愛い女の子がものすごい目でこっちを見てるわよぉ?」 確かに。マリアの方を見ると、マリアは今にも呪文を唱えそうなくらい殺気だった目でこっちを見ている。 その言葉に、ロレはち、と軽く舌打ちをした。見ようによっては妙に嬉しそうに。 「しょうがねぇな……おい、戻るぞ、サマ。あの馬鹿女放っとくとなにしでかすかわかったもんじゃねぇ」 「……そうだね。あの、ありがとうございました。お礼に一杯おごらせてください」 そう言って微笑んで、僕は一杯分の代金をオカマさんの前に置く。オカマさんは笑って、僕の頭を抱き寄せた。 「うわ」 「あなたはいい子ね。今度また会う機会があったら、ちゃんと朝まで付き合ってもらうわよ?」 「だから手ェ出すなっつってんだろがコラ! サマ、てめぇもちょっかいかけられてんじゃねぇ!」 怒鳴るように言ってぐい、と僕の手を引っ張るロレ。 手が、触れている。心臓がたちまちマーチを奏でだし、顔が熱くなってくる。 そんな僕に気づいているのかいないのか、オカマさんが笑って言った。 「嫉妬深い男は嫌われるわよ?」 「誰が嫉妬するかボケ! てめぇと一緒にすんな!」 そう言い捨てて、僕を引っ張ってロレは元いた場所に戻ってきた。 ……しょうがない。ロレは、僕を嫉妬するほどには好きじゃないんだから。 それでも、僕はロレが好きだ。ロレも僕を大切に思ってくれている。それでロレが幸せになってくれさえすれば、僕は最高に幸せなんだ。 不機嫌なマリアを何とかなだめて店を出て、僕たちは裏路地を歩きながら作戦会議をした。 「船は出ねぇ、か……どうするよ、おい」 「船がなければラダトームには行けない……サマルトリアに戻って船を出してもらうべきかしら」 考えているロレとマリアに、僕は笑った。 「うーん、あんまり深刻に考えなくてもいいと思うよー? だってルプガナが交易なしで成り立つわけないもん。そりゃいよいよ危ないってなったら街の中に閉じこもるだろうけどさ、それはそれこそ命か金かって極限状況の場合だと思うよ」 「……それじゃまたすぐ定期船は出るってのか?」 「うーん、すぐ、かどうかはわからないけど。出るんじゃないかな。市長がいくら頑固だって言ったって商人組合全体から突き上げ食らったらそう長くはもたないでしょ」 「……でも待っている時間が惜しいわ……なんとか市長に働きかけられないかしら?」 「それは難しいんじゃないかな。僕たちは一応一国を背負ってる立場なわけだし、他国の首脳相手にうかつなことはできないよ。内政干渉にもなりかねないしね」 「そうね……」 「じゃあ俺たちは待ってりゃいいってのか?」 「うーんと。交渉の様子がわかるようにはしておきたいよね。ルプガナの商人の上の方に誰かコネない?」 それからどんどん歩くロレについて歩きながら、しばらくどうやって交渉の情報を得るかを話し合っていると、ふいにロレが足を止めた。 「どうしたの、ロレ?」 「……お前ら、帰り道わかるか?」 「え?」 気がついてみるとそこは市街地を通り抜けた空き地だった。どっちを見ても立ち並ぶのは木々ばかりで、建物どころか人っ子一人いない。 「………あなたまさか行く先全然見ないで歩いてたの!?」 「んだよ! そーいうてめーらだって見てねーじゃねーか!」 「私たちはあなたが行く先をわかってると思ってたから……!」 「けっ、言い訳すんな。前見ねえで歩いてた時点で同罪だろーがよ」 「まぁまぁ、二人とも落ち着いて。外壁の中なのは確かなんだから、ちゃんと真っ直ぐ歩いてればどこかには着くよ」 さっそく始まった喧嘩を仲裁しつつ、今まで通ってきた道をできるだけ思い出してみる――と、絹を裂くようなって表現が似つかわしい叫び声が聞こえた。 『!』 言葉を交わさずとも全員体が先に反応した。悲鳴が聞こえてきた方向へと、全員急ぎ足で駆ける。 「あそこ!」 マリアが指差した先にいたのは、一人の少女だった。美しいって言ってもいいだろう顔立ちをしているけど、その服装は無残って言った方がよさそうなほど乱れている。 その少女の後ろにいるのは紫の肌の悪魔――グレムリン。楽しげな表情を浮かべながら、その鋭い爪で少女を軽くなぶっていた。 「イヤアァァァァァァァ―――――!!! キャアアァァァァァァァァ―――――!!!!」 その少女は恐慌状態に陥っているのか、グレムリンになぶられながらも足を動かしもせず突っ立ってひたすら絶叫を上げている。耳にキンキンする金切り声。 だがその体からはすでに血が垂れ、傷ついているのは明らかだった。 「速攻で片付けるぞ!」 「了解!」 叫びながら突進していくロレに声を返して、僕もロレのあとに続く。マリアが立ち止まって呪文を詠唱するのが聞こえた。 風の精霊が力を解放し、グレムリンを切り裂く。グレムリンたちがようやくこちらに気がついて、キイキイ鳴き声を上げながら火を吹く予備動作に入った。 だがその前に、僕が突進力を攻撃力に変えた全力の一撃をその口の中に叩きこんでいた。会心と呼べそうな一撃にグレムリンは声も上げずに絶命し、体を無に帰す。 そしてもう一匹が火を吐こうとするまさにその瞬間、ロレはそいつと少女の間に割って入って、一撃でグレムリンの首を斬り落としていた。 「………………」 「大丈夫か?」 ロレがくるりと少女の方を向いて訊ねる。少女は呆然としたまま応えない。 「おいサマ、回復呪文頼む。こいつ正気に戻ってねぇ」 「わかった」 僕が呪文を唱えようとする――それより早く、少女はだだっとロレに駆け寄って抱きついていた。仰天する僕たちの目の前で、少女は叫ぶ。 「結婚してください、私の王子様!」 「……………」 しばらく、沈黙が下りた。 |