理解されることの話
 ルプガナから船出するべく準備を進める僕たちに、ある商人の人がやってきた。嵐の夜に沈んだ自分の船の積荷を、回収してほしいそうだ。
「んなもん自分でやりゃいいだろ」
「私だってそうしたいですよ! だけど魔物が活性化してる今、個人的な用事で船を出すには普通の数倍の金がかかるんです。持ち船をなくした私がそんな金払えるわけありません。おまけに今港から出られるのはあなた方の船だけですし……このまま積荷も手に入れられなかったら私は破産です! どうかお願いです、私の積荷だけでも回収してきてください!」
 そう言って土下座せんばかりに頭を下げる商人の人に、ロレはやれやれと頭をかいた。
「わかった、やるだけのことはやってやるよ。……で、その積荷ってのはどこにあるんだ」
「それが……わからないんです」
「………はぁ!?」
「船が沈んだというのも同じ嵐に巻き込まれた船の人間から聞いたことなので、どこに沈んだか正確な場所までは……」
「あのな。それでどうやって探せっつーんだ?」
「藁にも縋る思いで頼んでるんです! どうか、どうか! 探すだけでもいいですから!」
「………たってなぁ………」
 ロレは困っている。ロレは基本的に困っている人を放っておけない人だけど、無責任なこともできない質だから気軽に引き受けられないんだ。
 僕はその商人の人に言った。
「その船の航路と嵐の起こっただいたいの場所を教えてくれませんか?」

 僕の予想は当たってた。船は潮流に流されて浅瀬に乗り上げてたんだ。
 積荷は浅瀬のすぐ近くに沈んでたから、メイルスかけて潜って位置を確認して、マリアのウゴルナ――念動の呪文で甲板まで持ち上げた。こういう時、マリアと僕には圧倒的に魔力差があるんだということを実感する。
 ルプガナまで戻って商人の人に渡すとすごく喜んでくれて、なにかお礼をしたいと言われた。
「いいっつの、んなもん」
「いいえ、私の気がすみません。うちの宝物庫にあるものならなにを持っていってもかまいませんから!」
 と言われて向かった宝物庫は、それほど大きくはなかったが中身はそこそこ詰まっていた。なにか金目のものでももらおうかな、と辺りを見回していると、小さな素焼きのオカリナが転がっているのが見つかる。
 これは……もしかして、山彦の笛? 吹くと強い精霊力に反応して山彦を返すという。
 僕はこれをもらうことにした。これはけっこう値打ち物だし、強い精霊力を持つってことは強い魔法の力を持つってことでもある。魔法の武器や防具を探すのに役立ってくれるかもしれないと思ったんだ。

 それから改めてルプガナを出航して三週間。ルプガナに着てから数えると五週間かけて、僕たちはラダトームに到着した。ここは竜王の城に向かうための通過点だけど、揺れないベッドで一日ゆっくり休むのにはちょうどいい場所だ。
 いつもの入国審査の時、手形を出すと兵士の人は仰天した。
「あ、あ、あ、あなた方は……ロトの勇者の子孫の方々なのですか……!?」
 ロトの勇者の子孫、か。久しぶりに聞いたな、そのフレーズ。
「……そうですが?」
「お帰りなさいませ! 我らがラダトームに! 今この苦難の時に、ローラ姫の血を引く方々がおいでになったことこそルビスさまのおぼしめし。どうか王城へお越しくださいませ!」
 ……苦難の時? 魔物の跳梁のことかな? にしてはローラ姫を引き合いに出してくる辺り、なんか気になるんだけど……。
 とにかく宿も探さなくちゃいけないし、まぁいいかってことで僕たちはご招待にあずかった。まぁ長々と引き留められでもしたら僕が口八丁手八丁で言いくるめればいいことだし。

「……王が、逃げた!?」
 一瞬絶句したあと、僕はラダトームの内務大臣にそう鸚鵡返しに言った。
「そうなのです。ムーンブルクの城が落とされたという報告を受けてより、王は夜も眠れぬほどお悩みの様子でした。最初は魔物の凶暴化に対処するべく指示を出していらっしゃったのですが、次第次第にお気持ちがお弱りになられたようで……一ヶ月前、城から姿をお消しになられました。王位は私に譲る、という書き置きを残して」
 ――僕の中で、怒りが劫火のように燃え上がった。
 逃げた? 王族が? この世の誰より重い責任を背負った存在が、責任を放り出して?
 許されない、そんなこと。どんなことがあったって許されることじゃない。
 でも表面上はあくまで微笑みながら大臣さんに訊ねる。ここは怒るべきところじゃないから。
 僕に期待されているのは、ここで感情を剥き出すことじゃないから。
「もちろん、お探しになられたのでしょう?」
「むろんお探し申し上げました。しかし……兵士たちが探索に不熱心なことはなはだしく。もとより王は先王のごり押しで王になられたお方、こう申してはなんですが、その……政務にいくぶん不熱心でいらっしゃいまして。この上逃げ出されては王として主と仰ぐこともできない、と多くの者は考えているようでして……」
「至極もっともなことですね。かまわないと思いますが、それならそれで。自らの責務を果たさず逃げ出す王に労力を裂くこともないでしょう。あなたに王位を譲ると言ったのだからあなたが王にならればよろしいのでは?」
 僕は当然本気だった。いざという時に責任を果たさず逃げ出す人間になんて王の資格はない。
 権力は子供のおもちゃじゃない。簡単に放り出していいものじゃない。
 国と民と守るべき者たち、それらが幸福に存在し続けるためにそれらから与えられた武器なんだ。
 強い武器を持つ者には課せられる責任がある。課せられるものっていうのはそう簡単に投げ出せるものじゃないんだ。
「ご、ご冗談を! 封印の一族ラダトーム王家の血を絶やすわけには――」
「封印の一族というのはあくまでその役目からそう呼ばれるだけのこと。血に何か特別な力があるわけではありません」
「し、しかし王しか知らぬ特別な技が……その力によって勇者ロトの時代ラルス一世は結界を張られたわけですし」
「王が突然死した時などに備えて技を伝える方々がいるはずでは?」
「そ、それは……確かにそうですが。しかし正当でない王が王座について国が安定するはずはありません!」
「このまま空の王位を抱き続けるよりよほどマシだと思いますが。……確かに、公文書としての効力を発揮しない文章ひとつを頼りに王になるのは無茶でしょうね。けれどあなたは宮廷内でも実力のある人間とお見受けしますが?」
「……は……」
「現在五歳の王子が成人されるまで、王位を預かったとして働かれるのは別におかしなことではないと思いますが」
「確かにそういう意見はありますが、しかしまだお若い王を作るのは傀儡政治に陥る危険が――」
「傀儡政治けっこうではないですか」
「は……?」
「国の民は実質的な王が誰だろうと気にはしません。日々の暮らしが平和で豊かであればそれでいいはず。傀儡の操り手が真に国と民を守ろうとしているのならば、それでかまわないのでは?」
「し、しかし……!」
「傀儡政治が忌避されるのは、真に政治を動かす人間が責任逃れができるからです。ならばこれ以上ないほど責任を背負い込んでしまえばよろしい。王子が成人されるまで自分が国を運営する、文句がある人間は全て自分に言うように――と国中に宣言してしまえば傀儡政治が陥りがちな危険は避けられると思いますが」
 僕の説得に、内務大臣は納得してくれたようだった。礼を言われて僕はにっこり笑顔を返す。
 ……内心ではまだ怒りがくすぶっていたんだけれど。
 そのあと、僕たちはロトの子孫の勇者さまたちをそのまま帰すわけにはいかないと、大臣さんの家に招待されることになった。

「すごい歓待ぶりだったね」
「……あいつら絶対全員勇者物語大好き野郎だ……ここまで話せがまれたの初めてだぜ」
「そうだね。ラダトームの人たちみんながこうではないとは思うけど、やっぱり本人たちが目の前にいないと妄想も膨らむのかな」
 僕たちは与えられた客間で、そんなことを話していた。さすが内務大臣というだけあって、どこもそれなりに贅沢なつくりになっている。
 話し疲れたのか、ロレがベッドにごろんと横になった。僕はロレのそばで話したくて、その脇に腰かける。
 と、ふいにロレが言った。
「サマ、お前大臣の話聞いた時なに怒ってたんだ?」
「え?」
 僕は思わずぽかんと口を開けた。
 ――なんで、ロレがそれを?
「……怒ってなかったのか?」
「ううん、すごく怒ってた……けど、なんでわかったの? 僕が怒ってることわかる人、今までいなかったのに」
「は? だって雰囲気がもろ怒ってたじゃねぇか」
「……………」
 僕はしばらく黙ってロレを見つめた。ロレはどうということもなさそうな、いつもの無愛想な顔でこっちを見ている。
 僕は、顔を笑み崩した。たまらない幸福感に。
 嬉しい。すごく、嬉しい。ロレが、僕を見ていてくれた。
 マリアの何十分の一かの時間かもしれないけど。僕を見て、そして――理解してくれた。
 僕がなにを考えているか、感じているか、隠しているのにわかる人なんて誰もいなかったのに。
 他でもないロレが、好きな人が、自分を理解してくれる幸福。自分の気持ちをわかってくれる幸せ。
 そのたまらない感覚に、僕は震えた。
「ありがと、ロレ」
「なんで礼言われなきゃなんねぇんだよ」
「だって、ロレが僕をわかってくれたってすごく嬉しいことだもん。お礼言わずにはいられないよ」
「……なんだそりゃ」
 ロレは寝転がったまま、呆れたように唇の両端を持ち上げる。
 ――ロレにはきっと、こんなことも大したことじゃないんだろうな。ごく自然に、当たり前にやっていることなんだろう。
 だけど、僕にとっては福音なんだ。ロレが与えてくれた数限りない救いの新しいひとつ。
「……抱きついてもいい?」
 たまらない気持ちでおそるおそる言うと、ロレは顔をしかめてぶっきらぼうに言った。
「駄目だ」
「え、なんで!?」
「ウザい」
 ―――ウザい。
「………そっ、か………」
 そうか。僕、うっとうしいんだ。
 ロレにとって、僕が抱きつくのはうっとうしいことなんだ。
 そうか………。
 ごめん、ロレ。僕のせいで、嫌な思いさせちゃって―――
「わかった、抱きついていいからそんな顔すんな」
「え……」
 僕は呆然とロレを見た。ロレが体を起こして、ものすごく不機嫌そうな顔でこっちを見ている。
 でも、わかる。不機嫌なんじゃない。照れくさいんだ。
「……そんな顔、って?」
「なんだよてめぇでわかってねぇのか? ……お前今にも泣きそうな顔してるぜ」
「…………」
 ――ロレ。
 どうしよう、泣きそうだ。期待しちゃいそうだ。
 ロレは僕のことちゃんと見ててくれるって。僕のことわかろうとしてくれるって。
 ――僕のこと、好きかもしれないって―――
 たまらなくなって僕はロレに抱きついた。ロレの背中に僕の腕を回し、首と首、胸と胸をすりつける。
 ロレの張りのある肌と僕の肌が触れ合う。ロレの硬い髪がさらりと僕の額をくすぐる。
 その、どうしようもないほどの幸福。
 期待しちゃいけない、ロレは別に僕のことを好きなわけでもなんでもないんだから。そう理性は警告するけど、心のどこかが懇願する。
 期待したい。ロレが一瞬でも僕の方を向いてくれることもありえるって思いたい。この幸せに少しでも長く浸りたい、って。
 そんなの、分不相応な望みだってわかってはいるけれど。
 ――しばらくして、抱きつかれながらロレが言った。
「――で、結局なんで怒ってたんだよ?」
「え? それは……僕、課せられた責任を果たさない人間って嫌いで。駄目なんだ、特に王族は」
「なんだそりゃ?」
「僕が王族だからってせいもあるんだろうけど。王族っていうのは国中の誰よりも重い責任を背負ってるって思うんだよね」
「責任……」
「そう、国と民に安寧を与える責任。だからこそ生まれた時から守られ、国の誰より贅沢な暮らしを許されている。国と民を富ませるべく尽力し、一人でも多くの民を不幸から救い、国が沈みかかったとすれば最後まで残って民を逃がす、そのためにね」
「…………」
「だから、ラダトーム王の話を聞いて腹が立って仕方なくて」
「……ふーん」
 ロレはちょっと僕から体を離して僕の顔をみると、にっと笑った。
「お前、けっこうしっかり考えてんだな」
「……そういうわけじゃ、ないよ」
 ロレが僕を褒めてくれたというのは普通ならとても嬉しかっただろうけど、そのことは素直には喜べなかった。
 だって、僕が王族の義務についてうるさいのは、それがロレに会う前の僕の存在理由だったからなんだもの。
 王族として責任を果たさなくてはならない。そう思わなければ、自分が生きている意味なんて見出せなかったから。

 翌朝、僕たちは武器屋と防具屋をのぞいて、僕とマリアに身かわしの服と、マリア用に魔道士の杖を買った。地味に戦力は上昇したと思う。マリアも布の服しか着てない状態じゃ攻撃された時まずいもんね。
 そしていよいよ竜王の城へと向かう。軽い保存の魔法がかかっているみたいで、長い時を耐えてなおその威容は衰えていなかった。
 魔物を倒しながらどんどん奥へと進む。魔物がけっこう強くて、苦戦するほどじゃないけど手こずる一戦も出てきた。
「おい、サマ。どこにロトの剣があるかわかってんのか?」
「わかってはいないけど。たぶん一番奥にあると思うよ」
 アレフはたぶん、竜王の城に帰ってきてからはそこに住んでいたと思うから。竜王の住処だった場所だからね。
「ふん……竜殺しのアレフと同じ道をたどることになるってわけか。ラチェルが聞いたら羨ましがるな」
「ラチェル?」
「ああ、異母妹。こいつもロト伝説大好きっ娘でよ、将来は勇者になるんだって女のくせにガキん頃から剣の訓練してたんだぜ。今もガキだけどな。俺が旅立つ時も一緒に行くんだって泣き喚いてたぜ」
 へぇ……そういえばロレの兄妹の話なんて、聞いたことなかったな。僕もサリアの話なんてしないけど。
「女のくせにって、そういう言い方はやめてちょうだい」
「んだよ」
「まぁまぁ。……そのラチェルさんと、仲いいんだね」
「そうかぁ? しょっちゅう喧嘩吹っかけられてたんだぜ?」
「それだけ遠慮のない仲ってことじゃない。僕はロレのさっきの言葉、とても親しげに聞こえたけどな」
 ちょっと嫉妬しちゃったぐらい、優しい思いが感じられたし。
 僕の言葉に、ロレはぶっきらぼうに肩をすくめた。でも、少し照れてるのが僕にはわかる。
「……まぁ、一応異母妹だしな。あいつは特にこっちを目の仇にして突っかかってくるから、話すことも多いし」
 目の仇、か……きっとロレが気になって気になってしょうがないんだな。
 階段を下りるとそこは湖の上に建った宮殿みたいな階層だった。僕のかけた呪文を打ち消すほど強力なレミーラの呪文が湖も含めた階層中を照らし、空間を外と繋げているのかさわやかな風が湖から吹きつけてくる。
 ……これは、いるってことだな。アレフの残した手紙にあった、アレフが失踪した理由が。よかった、いなかったらどうしようと心配してたんだ。
「……ここか? 竜王のいた階層ってのは」
「たぶん」
「アレフはここにロトの剣を封印したあと、どこに行ったのかしら」
「ここに住んでたんじゃないの?」
「ここに? だって魔物がいるのよ」
「魔を統べる者がいなければ魔物は自分の縄張りに入ってこない人間はめったに襲わないからね。それにここには結界が張ってあるみたいだし」
「でも、いくらなんでもこんなところに……」
「本当に住んでたのかどうかはすぐにわかるよ」
「なんでだよ」
「聞けるから」
「誰に?」
「……一番奥にいる人に」
「……は?」
 ロレは目を丸くした。マリアも驚いた顔をする。
「サウマリルト……なにか知っているの?」
「……確かなことは言えないけど。とにかく、今は前に進もう。ぬか喜びさせたくない」
 そんなことはないと思いたいけど……彼ないし彼女が僕たちの敵に回る可能性だってないとはいえないしね。
 僕たちは奥へ奥へと進み、玉座の間へとたどりついた。
「―――誰かいる」
 玉座にはその人が座っていた。たぶん、この人が彼だろう。褐色の肌と黒髪の壮年の男。かなりのハンサムだ。
 どこからどう見ても人間に見えるけど、発する魔力は尋常じゃない。
 それも当然だろう、曲がりなりにも魔を統べる者の血を引く存在なのだから。
「……なんでこんなところに人が?」
「あいつ……こっち見てねぇか?」
 ぼそぼそと言い合うロレとマリア。ここは事情を知っている僕が前面に出るべきだろう。
 僕は彼に近づいて、大声で挨拶をした。
「アレフとローラ姫の子らより遠き兄弟に挨拶を送る! 竜王の子孫よ、つつがなきや?」
「………は?」
 ロレが困惑したような声を出してたけど、僕はそれどころじゃなかった。だってもしアレフの教えが途絶えてしまっていて魔の意思だけが残っていたら、彼は僕たちの手ごわい敵になるだろうから。
 こっそり緊張しつつ叫ぶ僕に、彼は――竜王とアレフの子孫は、立ち上がってにやりと笑い、朗々とした声で返事を返した。
「我は王の中の王、竜王の曾孫。そしてアレフの子。遠き兄弟よ、挨拶を受け入れよう」
 ――よかった、アレフの教えは伝わっていたみたいだ。僕は心底ほっとして、三百年前に分かれた血筋のロトと竜の血を引く男に笑みを返した。

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