僕たちはザハンから一ヶ月かけて炎の祠経由でデルコンダルにやってきていた。月の紋章を手に入れるためだ。 月の紋章はデルコンダル王家の宝。さほど重要視はされていないということだけど、デルコンダル王家が相手じゃすんなりと貰い受けるというわけにはいかないだろう。 だけど向こうがなにを要求するかはだいたい想像がついてたんで、僕はデルコンダルに着くとまず買い物に出た。 明日が僕の誕生日。その日に僕たち三人の誕生日パーティを開くことに決まっている。 なのでいろいろと買い物もしなきゃいけない。ベラヌールで買い逃した武器防具も少し買っておくことにした。デルコンダルは実はベラヌールと同程度には魔法技術が進んでいて(荒れた海では魔法がどうしても必要になる時があるからだろう)、武器防具にもそこそこ魔力が付与してあるものがある。 考えた末、僕用に魔法の鎧、ロレ用に鉄兜を買うだけでやめておいた。次の目的地はペルポイだ、あそこは古代帝国時代の技術を持つ者たちが築いた遺跡が世界で唯一実用に耐えるほどしっかり残っている街で、小なりとは言え魔法技術のレベルはムーンブルクに匹敵する。あそこに行けば武器防具は一気に強化されるだろう。 それにもちろん、まだ用意してなかったマリアへのプレゼントも買わなくちゃいけない。ちょっと考えて、詩集にすることにした。マリアは詩が好きみたいだったし。 どんな詩集にするか本屋で選びながら、僕はザハンで、マリアと話したことを思い出していた。 「そんなの、ずっと前から知ってるよ。マリアが気づく、ずっと、ずっと前から知ってるよ」 僕が優しく笑いながら言った言葉に、マリアは呆然とした様子で言った。 「なんで……そんなに平然としていられるの?」 「ん?」 「だって――私は、あなたの好きな人を好きだと言ったのよ」 「ああ」 僕はくすりと笑んだ。 「言ったでしょう? 知っているって。マリアがロレを好きなのは、僕にとってはもうずっと当たり前の事実だったんだよ」 「…………」 「だから、どんなにマリアがロレを好きか、ロレがマリアを好きか、ちゃんと知ってるよ」 僕がそう言うと、マリアはばっと僕の方を見上げた。 「あなたは……ロレイスが私のことを好きだなんて思っているの?」 「僕はそう思っているけれど」 マリアは泣きそうな顔になって首を振った。 「そんなはずないわ。私はいつも可愛くないことばかり言っているもの。ロレイスはきっと、私を嫌っている」 「そうかな。僕はロレは、君のことを一番意識していると思うけどな」 「……意識されているのはあなたの方でしょう? ロレイスはいつもあなたのことを気にしているじゃない」 「それはただロレが僕に罪悪感を抱いているっていうだけだよ。意識したくてしてるわけじゃない。……僕はロレにとっては、やっぱり快くはない存在だから」 僕がそう言うと、マリアは少し困惑したように眉をひそめる。 「……あなたはまだロレイスが、あなたのことを悪く思っていると思っているの?」 「悪く、っていうか……ロレは僕のことを大切にしてくれているのは確かだと思うんだ。自惚れてるかもしれないけど。僕のことを仲間として、自分を愛している人間として、大切に思ってくれているのは間違いないと思う」 「……そうね」 「だけどね、ロレはやっぱり僕に好かれることは嬉しくないんだよ。僕が哀れだから僕を拒絶しないだけで、本当はやめてほしい、誰か他の人間を好きになってほしい、そう思ってるんだと思う」 「そんな!」 目を見張るマリアに、僕は笑いかけた。 「本当のことだよ」 卑下するわけでもひがむわけでもなく。それは僕にとっては明白な事実だった。 そうでなければロレが、あのロレが、吐くなんてことあるはずないもの。 それだけじゃなく、ロレの目が、仕草が、語調が無言のうちに言っている。どうして俺を好きになるんだ、やめてくれ、お前に好かれても困るだけだ、って。 「だからロレが僕を好きとか、ありえない誤解はしないでね? ロレが可哀想だよ。ロレは間違いなく君のことが好きなんだから、素直に告白しても悪い結果には終わらないと思うけどな」 そう僕が笑うと、マリアはひどく深刻な顔で、僕の腕をつかんで言ってきた。 「サウマリルト。あなたは本当にそれでいいの?」 「それで、って?」 「私にロレイスを譲るような真似をして、本当に後悔しないの?」 僕はまた笑った。 「譲るもなにも、ロレは僕のものじゃないもの」 「…………」 「それにね。僕にとって、一番の幸せは、ロレが僕のことを好きになってくれることじゃないから」 「え……」 微笑みながら、きっぱりと、僕の中の絶対の真実をマリアに告げる。 「僕が辛くても、楽しくなくても嬉しくなくても。ロレが幸せになってくれれば僕は幸せなんだ。ロレが幸せじゃなきゃ僕はどんなに嬉しいことがあろうと幸せじゃない。ロレが幸せじゃなきゃ、僕の幸せになんてなんの意味も、価値もないんだよ、僕にとっては」 「…………」 「もちろんロレの幸せが僕の幸せだったら、それはもう無上の幸福だけど――それは果たせないことだから。だから、僕はロレが幸せになるために全力を尽くすし、君ともうまくいってほしいと思ってる。もちろん嫉妬しないわけじゃないけれど――僕は僕の感情よりも、ロレの気持ちの方が大切だから」 マリアはなぜか、ひどく悲しそうな顔をした。泣きそうな、苦しげな。 「……諦めるの? 振り向いてもらうまで、頑張ったりはしないの?」 「言ったでしょう? 僕は僕の感情よりもロレの気持ちが大切なんだ。ロレに僕の気持ちを伝えて、その気持ちを大切にしてもらった。これ以上してもらったら申し訳なくて死んじゃうよ。……僕の気持ちを押し付けて、ロレにいやな思いをさせたくはないんだ」 「……サウマリルト―――」 なんでマリアは泣きそうなんだろう。マリアはロレと幸せになることができる存在なのに。誰からも後ろ指をさされることなく、ロレのそばにいることができる存在なのに。 ロレを幸せにすることができる存在なのに、なにを泣くことがあるんだろうか。僕に同情してるんだろうか? ――馬鹿だなぁ。僕みたいな人間に、同情する必要なんてこれっぽっちもないのに。 僕は今、ロレの幸せのために少しでも役立つことができて、本当に幸福なんだから。 「マリアが、そんな顔をすることはないんだよ」 僕は微笑んで、マリアの頭を撫でた。子供扱いを怒るかと思ったけど、マリアは泣きそうな顔のまま、されるがままになっている。 僕は気分を変えてもらおうと、明るい口調で言った。 「でも、僕の言った通りになったね。やっぱりマリアにもわかったでしょう? ロレがどんなにすごい人間か」 「え?」 「覚えてない? ムーンペタで、ムーンペタ大公に会う前日、ロレについて話したことがあったでしょう?」 「………ああ」 マリアは僕の気持ちを受けてくれたみたいで、顔を明るくして笑った。 「だけど私はロレイスをあなたほど崇拝してるわけじゃないわよ。確かに私はロレイスのことが好きだけど、私はやっぱり相変わらず彼は失礼で意地悪で乱暴な人だと思っているわ」 「でも、そんなロレが好きなんでしょう?」 「心ならずもね」 マリアが渋面を作ってそう答えたので、僕はふふっと笑ってみせた。 あれ以来、マリアは僕とロレ双方に気を遣っている。精一杯普段通りに振舞おうとしてはいるけれど、マリアは演技が得意な方じゃない。 ロレも奇妙だと思ってはいるけれど、どうしていいかわからないみたい。実際、こういうのは気づいたからといってどうにかできることでもない気がするし。 たぶん僕に気を遣って、ロレに告白する勇気も出ず、動きが取れなくなってるんだろう。僕としては、マリアには早く吹っ切れてもらって、ロレに告白してほしいんだけど。 ――そうでないと、僕はこの期に及んでもしつこく、ロレが一瞬でも心からこっちを見てくれる瞬間を夢見てしまうから。 デルコンダル王は僕とマリアの身柄と月の紋章とガイアの鎧をかけた賭けを持ちかけてきて(ほぼ予想範囲内の行動だった)、僕たちはそれに乗った。 だけどロレはそれがひどく不満らしくて、王宮の客室に三人集まるなり怒鳴った。 「お前らなー、なに考えてんだよ! 本気であんな賭けに乗る気なのか!?」 「サウマリルト一人を犠牲にするわけにはいかないでしょう」 とマリア。 「ほー、じゃあサマが言わなきゃお前は乗らなかったのかよ?」 「……少なくとも、自分の身柄は自分であがなうとは言ったでしょうね」 「……ふーん……」 不審そうな目でマリアを見るロレ。マリアらしくないと思ってるんだろう。 実際僕が言ったから自分も、っていうのはマリアらしくないけど、マリアはたぶん僕に気を遣ってるんだろうなーとすぐ見当がついた。 僕を放っておけないという気持ち、僕の感情を尊重したいという気持ち、それにひとかけらの僕に対する対抗心。 マリアは心のどこかで、ロレが僕のことをそういう意味で好きなんじゃないかという考えを、捨て切れてはいないように見えたから。 「サマ、お前はなんで乗ったんだよ、あんな賭け」 「だってあれが一番早道だと思ったんだもの。ああいう力が全てな輩はガツンと一発ぶちかましてどっちが上か教えておくのが一番なんだよ。ロレがキラータイガーなんかに負けるわけないしさ、力を示しておけば向こうもこっちにどんどん協力してくれると思うから」 「だからってな……!」 「というか、僕にはロレがなんでそんなに抵抗感じるのかがよくわからないんだけど。こんな賭けなんかに正当性がないのは向こうも承知だろうし、ありえないけど負けることがあったとしても一国の王家の人間の身柄を拘束できるとは思っていないよ。なにか、僕の気づいていない問題点があるの?」 そう言うとロレは、苦虫を噛み潰したような顔をして、いかにも渋々と白状した。 「……嫌いなんだよ。賭け」 「賭けが?」 「ああ。特に自分でやるわけでもねぇ賭けに身柄を賭けられるっつーのは、めちゃくちゃ嫌いなんだ」 「……なんでか、聞いてもいい?」 「別に大した理由があるわけじゃねぇよ。ガキん頃の友達がさ、親の賭博のかたに娼館に売られちまってよ。それを取り戻すのに四苦八苦したってことがあったんだ」 「……そのお友達は、どうなったの?」 「下町のガキ連中総出で友達返せってムチャクチャやったからな……親父にバレて大目玉食らってよ、その友達王家が買い上げて王宮の小間使いにして。今も王宮で働いてるよ」 うわぁ……ロレらしいなぁ。やっぱりロレは子供の頃からカッコよかったんだ。どんな子供だったんだろう、見てみたかったな。 ロレは子供の頃から、きっとロレだったんだろうな。たとえその頃会っていたとしても、僕は一目で恋に落ちただろう。 「そう……よかった」 「まぁな。おかげで買い上げた時の金借金にして俺が背負わされて、十三で軍に入ることになったけどな」 そう言って笑い合うものの、目が合ったとたんマリアは素早く目を逸らす。たぶんロレの顔を見るのが恥ずかしくてしょうがないんだ、と思うとなんだか腹の底にわだかまるものを感じ、僕は脇から声をかける。 「それとは違うよ。僕たちは自分で選んだんだもの。賭けに乗ることを」 「……そうか?」 「そうだよ。だから、たとえどんな結果に終わったってそれは僕たちの責任。その結果をよしとせずいちゃもんつけて賭けを破棄するのもね」 ロレがちょっと笑った。 ああ、ロレが僕を見て笑ってくれてる。どのくらいぶりだろう、こんなに自然に笑ってくれたの。 「でも、デルコンダル王家から穏便に月の紋章を奪い取るには、賭けに勝つのがベストだっていうのは確かだから。頑張ってねロレ、負けることなんかないと思うけど」 「……おう」 笑いかけると、ロレはにっと笑い返してくれる。僕はしばし、近いであろう決まっている未来のことを忘れて、たまらない幸福に浸った。 山ほどいる王族に僕たち全員やたらと色目を使われまくった晩餐からとっとと退散し、僕たちは客室への道を歩いていた。 「……王に黙って出てきてしまってよかったのかしら」 「気にすることはないと思うよ、向こうだって礼儀に外れたことをしているんだし。デルコンダル人は大雑把ってよく言われるしね」 「っつーか、あーいう男捕まえて地位上げようっつー生臭い奴らにつきあってたら馬鹿になるぜ。お前はあんな奴ら相手してて楽しいのかよ」 「……楽しくは、ないけれど」 「そーだろーが。だったら素直に逃げとけ。王になんか言われたら俺にむりやり連れ出されたっつやあいい」 「…………」 マリアは小さくうつむく。たぶん、ロレに気遣われたことが嬉しかったんだけど、それを素直に表せなかったんだろう。しょうがないなぁ、もう。 「なぁ、サマ。あれだけ王族がいて全員にキンキラしたカッコさせてよ、よく金がもつな?」 「デルコンダルは宝石や金銀の世界一の産地だから。国自体が豊かなのも確かだけど、服を輝かせるための屑宝石なんかはそれこそ腐るほどあるんだよ」 「へー……あんなスチャラカな王がよくんなでかい商売できてるもんだ」 「王がしているのではないですから」 僕たちは声――というか、気配のする方を見た。さっきから気づいてはいたんだけど、小間使いのかと思って無視していた気配。 「誰だ」 「第五王子、スーグと申します。以後お見知りおきを」 出てきたのは細面の青年だった。剣を握ったこともろくになさそうな体つきをしている。 「で、そのスーグがなんの用だ?」 「ロトの勇者であるお三方に、お詫びとお願いを申し上げたく思いまして」 「詫びと願い、ね……」 スーグ氏が言うには、デルコンダルを実質的に運営している文官の総意としては、ロトの勇者たちに全面的に協力するつもりであり賭けに負けても月の紋章は渡す、だからロト三国とはこれからもいいつきあいをしていきたい――ということだった。 まぁ悪くない申し出ではあるけど。どれだけ信用がおけるかというと疑問だな。そりゃロト三国といい付き合い方をしていきたいのは確かだと思うけど、賭けにかこつけて僕たちと縁戚関係を結ぶことができればそれはそれで彼らにとってはいい付き合い方になるだろう。 飴と鞭の交渉術の飴ってところか。けど僕は当然そんな思いなどおくびにも出さず、にっこり笑って了承の意を伝えた。まぁ、そんな約束に頼る日は来ないだろうけど。 だって、ロレがはっきりと、決意の表情をしてスーグ氏を見てるんだもの。 「みな、聞け! すでに知っておろうと思うが、ローレシアの王子が我との賭けによりキラータイガーと戦う! ローレシアの王子が勝てば月の紋章とガイアの鎧を与え、負ければサマルトリアの王子とムーンブルクの王女はわしのものとなる!」 闘技場、デルコンダル王の隣で僕とマリアはその胴間声を聞いていた。観客席の中で最も闘技舞台に近い特別席。そこに周りにも大量の女性たちをはべらせながら、デルコンダル王は僕とマリアを両隣に座らせご満悦だ。……今のところちょっとお尻触られるくらいですんでるけど(マリアの方に手が伸びそうになると僕が話しかけて気をそらしたんで、マリアは大丈夫なはず)。 闘技場は大入り満員。他人の殺し合いは自分の娯楽か。好きになれない考え方だけど、需要はあるんだろうな。 「ロトの勇者の力がどれほどのものか、見せてもらおうぞ! さあ、檻を開け……」 「その前にひとつ頼む!」 ロレがきっと僕たち――というか、デルコンダル王の方を見て怒鳴る――その目を見た瞬間、僕は思わず体を震わせた。 ロレが戦う時、敵に向けるのと同じ、たまらなく激しく鋭い視線が僕の方に向けられていたから。 「なんだ! いまさら怖気づいたか!?」 「違う。その賭けに俺が負けた時の景品に、俺も加えてくれ! 剣闘士としてでも奴隷としてでも、どうとでも使ってくれていい!」 闘技場中が大きくどよめく。デルコンダル王もマリアも驚いているようだった。 でも僕は、驚くこともできず、ひたすらロレを見つめるしかできなかった。ロレがなにか考えていたのは知っていたし、どう転ぶにしろロレなら大丈夫と心から信じていたけれど、それより僕はロレの鮮烈な決意と闘志をたぎらせた瞳に、身動きできないほど魅入られていたから。 「自らを景品に加えてなんとする! まだなにかほしいものがあるのか!?」 「ああ、あんたに対して頼みたいことがある!」 「言うてみよ!」 「王族全員、真面目に働かせろ!」 ロレの言葉に、ほとんどの人間はきょとんとしたようだった。確かに唐突といえば唐突かもしれない。 だけど僕には――心底本気の、瞳からたまらなく鋭い闘気を放ちながらぎっとこちらを睨むロレは、やっぱりたまらなく凛々しく、格好よく見えたんだ。 「お前らのやり方は気に入らねぇ! 兄弟殺して一番の旗手に入れてそれで満足しちまって働かねぇ奴も、そいつを思うように操って頭下げながら馬鹿にしてる奴も! 王としての地位程度のことで、一緒に育ってきた兄弟と殺し合いさせるくだらねぇ決まりもだ!」 「…………」 「お前ら全員がそれを心の底から納得してこれしかねぇと思ってんなら口出さねぇけどな、そうじゃねぇだろ! 一見うまくいってるよーに見えても、そん中で泣いてる奴はいっぱいいるはずだ! そいつら助けてやらねぇで国だ王だって偉そうな口叩けるか、あ!?」 「…………」 「最終的にどうするかを決めるのはお前らだ、この国に生きてる奴みんなだ! けど今のまんまでなんの問題もねぇって思ってんなら俺は何度でも言うぞ、そんな考え方は気に入らねぇ!!」 闘技場はいつしか静まり返っていた。ロレの言葉の内容のせいか語気に気圧されたのかはわからないけれど、ただ、ロレの苛烈な意思がデルコンダル人たちの中に響いたのは、確かだと思った。 「おら、キラータイガーでもなんでも出しやがれ! こっちはいつでもかまわねぇぜ!」 ロレの声に闘技場は我に返ったように一気にどよめいた。じっとロレを見ていたデルコンダル王が叫ぶ。 「檻を開けろ!」 闘技場の向こう側の扉が開かれて、キラータイガーが飛び込んできた。飢えさせられてたんだろう、凄い速さでロレに向かい走っていく。 だけどロレは、眉も動かさず微塵も動揺せず自分からも走って近づいた。重い鎧を着けているのに、疾風のような速さで。 そして、キラータイガーが牙を突きたてようとした瞬間、ロレはくるりと体を回転させて牙をかわし、そのままの動きでキラータイガーの首を落としていた。 その鮮やかな動き―――! 闘技場中がわっと歓声をあげた。ロレがこっちの方を向く。 そして、多分僕に向けてではないけれど、にっと、勝ち誇るように笑った。 心臓が一気に跳ね上がる。痛みすら感じて僕は胸を押さえた。 ロレ――― やっぱり僕は、君を好きなことをやめることはできないよ。君にとっては迷惑なのはわかっているけれど。 君を見るたび、思うたび。僕は君に惹きつけられてしまうから。 何度も何度も、ああやっぱり僕はロレが好きだって、思い知らされてしまうから。 君は、僕にとって、ただひとつの存在理由だっていうのは、確認しなくても絶対の真実なのに。君といると、いつも思い出さずにはいられないんだ。 ――と、デルコンダル王が立ち上がった。兵士に命じて梯子を下ろさせ、闘技舞台に下りていく。 もしかしてロレになにかする気か、と思い僕は身構えた。だけど闘技舞台に下りはしなかった。デルコンダル王がなにをしようとロレに危害を加えられるとは思えない、それならここは静観すべきだと思ったからだ。もちろん油断はしないけど。 デルコンダル王はロレの前に立ち、ロレの肩に手を乗せた。そして満面の笑顔で言う。 「気に入った」 「はぁ?」 「わしのものになれ」 「はぁぁ?」 その台詞に僕が一瞬唖然とした瞬間、デルコンダル王の顔がロレに近づいた。一瞬なにが起きたのか理解できなかったが、すぐにはっとした。あいつ、まさか! マリアが息を呑む。僕は血管が一本切れる音を聞いた。闘技場の観客席から囃し声が上がる。 ――デルコンダル王はキスをしていた。ロレと。唇と唇で。 「!!! な、な、な………なにしやがるこのど変態ーっ!」 「月の紋章もガイアの鎧もお前にやろう。デルコンダルの王位継承争いの方法は改めよう。サマルトリアの王子もムーンブルクの王女ももういらん。だからわしのものになれ、ロレイソム王子」 デルコンダル王はロレの体を触っている。その引き締まったお尻とか、厚い胸板とか――股間とか。 ロレは恐怖に硬直してしまって殴ることもできないみたいだった。顔が恐怖と嫌悪に歪んでいるのが見える。 ………へぇ………そういうことをやるんだ。曲がりなりにも一国の王子王女にさんざん無礼な口を聞いたあげく、キラータイガーをけしかけて――とどめにキスしたり体触ったりするんだ。 ロレに。あの、ロレに。ディリィさんだって唇にはしてないのに。へぇ、そうなんだ――― 殺す。 「な、な、なにわけのわかんねぇこと言って……うぎゃっ、どこ触ってんだ、やめろ馬鹿、触んな、ぎゃーっ、こっち来んな変態、うぎゃあぁぁぁ!」 「……デルコンダル王?」 僕はルーラッチの呪文を唱えてロレのそばに移動し、鉄の槍の石突をロレとデルコンダル王の間に割り込ませた。にこにこ笑いながら言ってやる。 「ロレイソム王子はご自分でご自分の身をあがなわれました。ロレを手に入れたいとおっしゃるならご自身の力で勝ち取られたらいかがです?」 「だから今こうして勝ち取ろうとしているのだろうが」 「本人に向かう前に、まず僕を倒していただけますか。僕を倒してからでもロレイソム王子に迫るのは遅くないでしょう」 「わしと戦うか? そのような細腕で?」 「及ばずながら」 「面白い。……斧をもて!」 兵士が数人がかりでやっと持ち上げられるような斧をデルコンダル王に渡した。観客席から歓声が上がる。デルコンダル王は斧をぶんぶんと振り回して構えた。 「さあ、どこからでもかかってくるがいい!」 「では、失礼して」 ロレが今にも泣きそうなくらい不安そうな顔で(こんな顔初めて見たかも)僕を見ているので、僕はひどく可哀想になって小さく「心配しないでいいよ」と囁いて微笑んだ。 ロレ、大丈夫だよ。君を傷つけるような存在からは絶対に守ってあげるから。 僕はデルコンダル王に対峙し、素早く呪文を唱えた。 「生ける者の命奪う死の精霊よ。その手を速やかに伸ばせ。眼前にあるは我が敵。命あらざるべきもの。その冷たく凍れる腕をもって、我が敵の命の根、疾く容赦なく刈り取るべし!=v 僕のザラキの呪文は見事に効果を発揮して、デルコンダル王は倒れた。 僕は内心せせら笑った。手加減はしているんだ、完全には死んでいないはず。こんなにあっさり、簡単に楽にしてたまるものか。デルコンダル王に歩み寄って胸倉をつかみあげる。 「おやおや、この程度で死んでどうするんです? 僕がそんなに簡単にあなたを楽にすると思ってるんですか?」 完全に意識を失ったわけじゃないからちゃんと聞こえたはず。ぴくりと震えたのを確認してザオリクの呪文を唱える。 「命の精霊よ、ルビスの定めし理を思い出せ。この者の魂はいまだ転生の輪に加わらず。我はここに宣言す、この者の命と魂、今ひとたびこの体に戻ることを願うなり。律と意思と力によりて、この者に新たな生を与えたまえ!=v デルコンダル王の体に生が戻った。やいなや勢いよく僕から離れはぁはぁと息をつく。 「き、き、貴様今、なにを……」 「ああよかった、生き返ったんですね。そうでなくっちゃ困ります。今度は肉体の痛みをいやっていうほど味わってもらわなきゃ駄目ですもんね」 手加減したから大丈夫だとは思ってたけど、もしかしたら死んだまんまだったかもしれないんだし。 「な、なにを……」 僕はにっこり笑うと、素早くデルコンダル王の腹を鉄の槍で突いた。腹に穴が開いて血が噴き出す。 「ぎゃあっ!」 「おやおや、この程度で悲鳴ですか? 殺し合いを潜り抜けてきたデルコンダルの王が、情けないことですね?」 ぐりぐりと槍で腹をえぐってやる。王はじたばたと暴れるが、力はレベル上げした甲斐あって僕の方が強いし、なにより痛みでまともに力を使うことができていない。 「は、はな、離せ……」 「あれ? 命令ですか? あなた今の自分の状況わかってます? 言っておきますけどこれで死んでもこちらとしては責任を取る気とかまるでありませんから。だって双方了承の上の賭けですもんね?」 「わ、わかった、わしが悪かったから、頼むから離して……」 その懇願に、僕はにっこり笑って答えてやった。 「お断りですv」 そのあと、僕はロレに止められるまで、デルコンダル王の体を傷つけては治し傷つけては治しとやって、地獄の苦しみを味わわせてやったのだった。 デルコンダル王を気が済むまで苦しめたあと、僕は賠償金兼慰謝料兼ロトの勇者に対する寄付という名目で二万ゴールドほどデルコンダル王家のポケットマネーから掠め取ると、ロレたちに言ってさっさとデルコンダルを出発させてもらった。月の紋章もガイアの鎧も手に入れたし、ここに用はもうなにもない。 なにより今日は三人分の誕生パーティだ。僕は魔船の調理場で、気合を入れて料理を作った。もちろんバースディケーキだってお手製だ。 ロレは出てきた料理に驚いたようだった。 「おい、今日なんかあったのか?」 「え? ロレ忘れちゃったの? ザハンで言ったじゃない、一ヵ月後に三人分の誕生パーティやろうって」 「デルコンダルに入る前に、明後日がサウマリルトの誕生日だからその日にパーティをやりましょうと言っていたのを覚えていないの?」 僕はマリアと一緒にそんなことを言いつつも、内心やっぱりな、と苦笑していた。 ロレはやっぱり誕生パーティのこと忘れてたんだ。昨日街を歩いてきて、なんか簡素な宝石箱持って帰ってきてたから、マリアへのプレゼントは買ってきたんだと思うけど(僕へのプレゼントに宝石は買わないだろうし、ロレは)。 僕へのプレゼントは、買ってないんだろうな。なんか焦った顔してるし。 僕への誕生日プレゼントはなしか。ロレから初めてなにかあとに残るものを買ってもらえるって、こっそり楽しみにしてたんだけどな。 しょうがないよね、僕はロレにとってその程度の存在なんだろうから。 「じゃあ、僕から渡すね!」 プレゼント交換。僕はかなりうきうきドキドキしながらプレゼントを取り出した。 頑張って選んだものだけど、だからこそロレが喜んでくれるか、気に入ってくれるか、ドキドキしてしょうがない。 「はい、ロレ」 「………サンキュ。開けてもいいか?」 仏頂面でそう言われ、僕は喜んでうなずいた。ロレのその顔を笑ませることができるだろうか。 「もちろん。どうぞ」 ロレは包みを開け、驚きの表情を見せた。中に入っているのはベラヌールで買った、最上級の剣の手入れ用具一式だ。 「お前、これ、どこで……」 「ベラヌールで買ったんだ。ロレにいいかなって思って」 「…………」 ロレはじっとプレゼントを見つめている。表情は仏頂面のまま動かない。 ……もしかして、気に入らなかったんだろうか。 僕は急に嵐の船のように揺れ始めた心を、必死に抑えつけた。気にしちゃいけない、ロレがいやな思いをする。でも必死に選んで買ったのに。ロレに喜んでもらえるようにってあんなに必死に選んだのに。 そんなことロレには全然関係ないことじゃないか、僕の気持ちなんてどうだっていい。だけど、僕はロレを喜ばせることはできないんだろうか。初めてのあとに残るプレゼント、純粋なプレゼント、喜んでもらいたいって心から願ったプレゼント。 「……気に入らなかった?」 早鐘のように鳴る心臓を叱咤しながら、そう訊ねると―― 「いや。嬉しい。サンキュ」 ロレはちょっと笑って、そう言った。 ……………………。 よかっ、た。 「うん! 喜んでもらえてよかった!」 僕は泣きそうになりながら笑ってそう言い、涙がにじむのをごまかすようにマリアにプレゼントを渡した。 「これは……本?」 「詩集だよ。マリア好きじゃないかなって思って」 「……なんで私が詩が好きなこと知ってるの? 私一度も言ってないのに」 「前に何度か詩を口ずさんでいるところ聞いたことがあったから、もしかしてって思っただけだよ」 「ありがとう。楽しみに読むわね」 マリアの僕へのプレゼントは魔道理論書だった。最新の学説が載ってるやつ。感謝しつつ受け取り礼を言う。 ロレへのプレゼントは、魔除けの鈴だった。 「……鈴?」 「そ、れは……魔除けの鈴って言うそうなの。協会の聖呪で聖別された……即死魔法や幻覚魔法に耐性をつける効果があるって聞いたから……。……お守りだけど、実用的、だから。……嫌なら返してちょうだい」 うつむいて泣きそうになりながらマリアは言う。パーティの財布を管理してるのは僕だけど、ロレとマリアには一月に五百ゴールドずつお小遣いとして渡している。魔除けの鈴の値段は六百四十ゴールド。……お小遣い貯めたんだ。 「いや。もらっとく。サンキュ」 ロレは、たぶん意識してじゃなく、ごく自然に、嬉しそうに微笑むと、そう言って安心したように力を抜くマリアにプレゼントを差し出した。金メッキに紅玉のイヤリングだ。 「ほれ。これやるよ」 「え……。……イヤリング………?」 ロレはかすかに、優しく自然に微笑んで、マリアを見ている。誰にもわからないだろうけど、少し照れくさそうに眉を下げながら。 「……つけてみても、いい?」 「……ああ」 ロレはうなずき、マリアはイヤリングを取って耳につけた。 「……どう、かしら」 「……ま、似合ってんじゃねぇの?」 わずかにマリアから目を逸らしながら言うロレ。確かにそのイヤリングはマリアにとても似合っていた。マリアの可愛らしい姿を見て、きっとドキドキしてるんだろう。 「……うん、すごく似合ってるよ、マリア。ロレいい目利きしたね」 「……うっせ、バカ」 「――ロレイス。ありがとう」 マリアが恥じらいながら笑ってそう言う。ロレはかすかに頬を上気させて、「おう」とぶっきらぼうに言った。 ――ロレはきっと今、ものすごくドキドキしてるに違いない。 いいな。 そう思った。マリアはいいな。ロレをドキドキさせることができていいな。 ロレを、幸せにすることができて、すごくすごくうらやましいな。 ――僕にはこの先、一生かかったって、きっとできないことだろうから。 そう思ってじっと見ていると、ふいにロレが僕の方に向き直った。 「……で………サマ、にはな」 僕はどうしようかな、と思っていた。ロレが僕のプレゼントを用意していないのはわかっている。でもそれをいつ言ったらいいものだろうか。 僕の方から気にしないでいいよと言えばいいんだろうか。でもロレはそうしたら勝手な気遣いをするなと怒るかもしれないし。話を逸らした方がいいのかな、でもいきなりそんなことをしたら不自然だし―― そんな風に迷っていると、ロレは突然、頭に着けたゴーグルを取った。 そしてぐいっと、そのゴーグルを、僕に突き出す。 「………………」 僕は思わずじっとそのゴーグルを見つめた。……もしかして、このゴーグルが―――プレゼントだって、こと? ロレが喋る声が聞こえる。 「……ほら、お前もゴーグルは持ってっけどよ、予備があったって悪いことねぇだろ?」 ロレのゴーグル。ロレがずっと身に着けていたもの。 「俺の使い古しで悪ぃけどよ、それ丈夫だし、三階から落っこっても割れなかったっつーいわくつきのゴーグルだからお守りにもなるし」 ロレがプレゼントしてくれた。用意してなかったのに、自分のものを。 「俺は昨日鉄兜買ったからゴーグル使えねぇし。お前にはちっとサイズ大きいかもだけど……」 ――僕のために、考えて、さぞ迷っただろうに、プレゼントすることを決意してくれたんだ。 ああ――― 僕はゴーグルを手に取った。震える手で。ちょっと笑って、ぎゅっとゴーグルを胸に抱きこむ。たまらなく幸せな気持ちで。 「嬉しい」 ロレのもの。ロレが大切に使っていたもの。 「すごく嬉しい」 ロレが僕のために、世界で僕のためだけに選んでくれたプレゼント。 「ありがとう、ロレ。大切にするよ、ずっと」 僕はロレを幸せな気分にしてあげることはできないけれど、ロレに、とても大切にされている。 申し訳ないぐらい幸せな想いで微笑むと、ロレは表情をなくした、どこか苦しそうな顔で、「そっか」とだけ答えた。 |