忘れられた島で抜剣者と遊び
「……あれが、忘れられた島、かぁ……」
「ああ。俺たちの故郷さ」
 そろそろ島が見えてくるから甲板で待ってろ、というカイルたちの言葉に甘えて、舳先から海を眺めることしばし。きらきらと輝く紺碧の海の中に、海よりも輝かしい色を持った大きな島が現れた。
 緑、翠、碧。白、蒼、茶。のみならず、サモナイト石の四色にも、もっとさまざまな色にも光っているようにも見える。そう思うのはあの島が四界の召喚獣たちの住まう島だと知っているからなのだろうが。
「いいとこだぜ、あそこは。俺もいろんなとこを知ったけどよ、やっぱ俺らの故郷に勝るとこはねぇ。ま、俺らが言っても身びいきってことになっちまうんだろうけどな」
「いや、でもあの島は確かにいいところだよ。いろんな世界の人たちがそれぞれに、でもちゃんと関わり合って世界を作ってて。やっぱ、先生の人柄が大きいんだろうな」
 感慨深げなスバルの言葉に口を挟んできたマグナに、子供たちと揃って首を傾げる。
「先生?」
「って、誰?」
 その言葉にスバルとマグナは顔を見合わせ、それから揃ってにやりと笑った。
「俺たちの先生さ」
「救い、切り開く者ってのを意味する言葉――抜剣者って呼ばれてる島のまとめ役だってさ。マルルゥが教えてくれたんだよな?」
「あややや、あの時のことはあんまり覚えててほしくないのですよぅ……」
 しおれたマルルゥにマグナは遠慮なく笑うが、ライは一人む、と口を捻っていた。
 先生。抜剣者。どういう人なのかはわからないけど。
 たぶん、その人がこの島の中心≠ノなる人だ。

 島の南の入り江には、小規模だが港らしきものがあった。やはりそれほど大きなものではないが、船のようなものもいくつか並んでいる。
 なぜらしきもの≠セのようなもの≠セのといった言い方になるのかというと、それらが自分の知っているものと相当に違っていたからだ。ライの想像する港というのは入り江なりなんなりにはしけがあって、そこにだーっと船が並んでいるものだったが、ここではまずはしけらしいものがない。
 その代わりにあるのは種々雑多な木々、岩、そしてうっすらと輝く鉱石のようなもの。それらはごく普通に、自然にあるもののはずなのに、それらが渾然一体となって、はしけ、上屋、灯台といった、港の役割を果たすような配置になっているのだ。
「メイトルパの奴らが住むユクレス村と、俺らシルターンの奴らが住む風雷の郷が協力して造った港さ。双方が知恵を出し合って、ごく普通にあるもんを使って、外の奴らにゃわからないように港の形を作ってんだ」
「すげぇなぁ……」
 揃って感心しつつ木々で造られたアーチをくぐって港の中に入る。これならば確かに普通の人間は港があるなどとは思えないだろう。
「……けど、カイルさんたちもよくこういう自然物で造られたものをうまく扱って入港できるよなぁ。普通の人間にはまともに進むことだって難しいだろうに」
 ハヤトの言葉にまた揃ってうんうんとうなずく。実際、自分の目にだってほとんど自然の樹林やら岩場にしか見えないのだ。どうやれば船に傷もつけずにこんなところを進めるのだろう。
「あはは、そりゃあ本当にみんなでみっちり考えたからね。この港はもともと天然の良港だったそうだけど、それだけじゃなく波を防ぐもの、通すもの、目を隠すもの、そういうのをメイトルパとシルターンの知恵と秘術を合わせてきちんと港の役目を果たせるよう考えたんだから」
「測量技術はロレイラルのもんだからきっちり測られてるし、ラトリクス――ロレイラルの集落の技術で船を誘導する施設も造られてるしな。狭間の領域に住むサプレスの奴らの術で、この島に入るのを許された奴にだけ見える灯台やら、導灯やらもあるし」
「あ、それじゃもしかして、いくつか並んでる船もそういう風に?」
「おうよ! 基本の技術はロレイラルできっちり造ってるけどな、要所要所に他の集落の技術を使って、目立たないように、かつ快適に航海できるようにしてるわけよ」
「このゲンコツさんの船も実はこの島で造ったものなのですよぅ。普通の船よりずっとあしが速いのです」
「へぇ……」
 全員感心している間にも、船はどんどん奥へと進み、ついに岩々が折り重なるようにして立ち並ぶ場所で止まった。わっとばかりに船員たちが船のあちこちへ散り、停泊準備を始める。
 が、それより早く、スバルは艫綱を使ってひょいっと一気に岩場へと飛び降りた。そして嬉しげに周囲を見渡し、でかい声で怒鳴るように叫ぶ。
「今帰ったぜ!」
 なんだ、と思うより早く、物陰からわらわらと子供たち――亜人や、鬼、妖怪の子供たちが現れた。その子供たちは当然のように嬉しげに笑い、スバルにしがみついたりつっついたりと絡む。
「スバルさん、おかえりっ!」
「スバルさまっ、外の世界ってどんなだった? またお話してよぅ」
「スバルさまー、やっと帰ってきてくれたっ。あたしスバルさまがいなくて寂しかったぁっ」
 はー、と感心してその様子を見やる。話には聞いていたが、すごい光景だ。メイトルパで亜人(の子供たち)がわらわらいるのには慣れていたが、鬼人や妖怪の子供たちなんてものが一緒にわらわらいるなんて界の境界を越えた光景、そうそう見れるものじゃない。
「おーう、お前ら、ちゃんと勉強してたかぁっ。今回はいろんな奴連れて帰ってきたからなっ」
「えっ、どんなどんなっ」
「やっぱりそれってニンゲン? カイルさんたちも一緒なんだよねっ」
「ニンゲンもいるし、そうじゃねぇのもいる。おーい、お前ら、早く降りてこいよっ」
「お、あんなこと言ってるぜ。よーし、俺らも艫綱使って……」
「バカ、なに言ってんだ。危ねぇだろ、船の下まで飛び降りるのこれが初めてなんだから」
 そう言ってごつんと軽く拳骨を落とす。自分一人だったら間違いなく挑戦していただろうが、親としてはやはり無駄な危険を認めるわけにはいかないのだ。
「なーんだよっ、ちぇっ、根性ねぇなぁ……てっ!」
 勝手なことを言い始めたスバルの後頭部を、びしっと一発指が弾いた。スバルはばっと振り向いて、とたんに満面の笑みになって相手に抱きつく。
「ナップ兄ちゃん! 出迎えにきてくれたのかよっ」
「ああ。ったく、いつまでもガキみたいなこと言ってるんじゃねぇよ、お前は」
 そう言って笑ったのは、スバルより少しばかり背の低い人間だった。といってもスバルが馬鹿でかいだけで平均よりはかなりに高い。だいたいグラッドと同じくらいだろうか。
 額を出すように短く刈った鳶色の髪。いきいきと輝く同色の瞳。ごくごく普通のそこらを歩いている兄ちゃんに見える。
 が、見えるだけで普通の兄ちゃんというわけじゃないのは一見しただけでもわかった。緩く結ばれた服の間からは引き締まった筋肉が見え隠れしていたし、立ち方も無雑作に見えてまるで隙がない。ごく自然体でありながらきちんとした構えになっている、おそらくは相当な達人だろう。
 それに、なんというか不思議に目を引く雰囲気があるのだ。表情からくるのか、綺麗な立ち姿からくるのか。別に目を引くような容貌をしているわけではないのに、なんとなく目がいってしまう。
 これが『先生』なのか? と思うが、それにしてはやけに若い。まだ二十歳前のようにしか見えないな、と首を傾げていると、周囲の子供たちがわっと寄ってきてじゃれるように懐いた。
「小せんせーい」
「小先生、来てくれたんだー」
「おう、お前らだけで行かせるわけにもいかねーだろ? それに俺は先生だからな、外から来た奴らってのとはちゃんと顔を合わせておかねーと」
 おどけたように胸を張る男――ナップ兄ちゃんと呼ばれていたから名前はナップなのだろう――に、子供たちはくすくすと笑った。
「えらそー」
「先生の代わりなのにー」
「ちゃんと代役できるのー?」
「お・ま・え・ら、生意気っ!」
 笑ってナップは子供たちの中に飛び込み、持ち上げたり振り回したりと遊んでやり始める。だが楽しげに遊びながらも、視線はじっとこちら――自分たちに向けられていた。
 警戒というほどでもないが、決して油断をしてはいないということが伝わってくる視線。野生の獣のような凛とした靭さを持ちながら、一種冷徹なほどの理性を宿したその瞳に、思わずぞくりとしたけれど。
『この人は、いい人だな』
 そのことは、なぜか確信のようにわかった。

「へぇ、召喚獣の今の立場を知るために旅をしてるのか。面白いこと考えるな」
 対面し、自己紹介をしあってから、ナップは『まずは、この島の責任者たちに会ってくれ』と自分たちを先導して歩き始めた。
 カイルの船の船員たちは全員船の荷物の積み下ろしにかかっている。なんでもカイルたちはこの島の住人たちと物々交換で商売のようなことをしているらしく、この島では手に入りにくいものを渡す代わりにこの島の特産物をもらっているのだそうだ。
 ソノラはその関係の話があるということで船に残り、カイルが話を通す役として同行している。とりあえず仲間たちは全員揃って目的地――集いの泉と呼ばれる会議所へ向かっているのだが、森の間の小道を進む間に、ナップはなにくれとなく話しかけてくるのだった。
「そうか? 召喚獣の奴らにどう対応するかってこと考えたら、とりあえず今召喚獣の奴らがどうなってるかってこと知らねーとどうにもならねーと思っただけなんだけど」
「や、そういう理屈はわかんだけどさ。それを実際に行動に移す奴って、あんまいないだろ」
「……そーか?」
「ああ。普通の人間は、そういうこと考えても『気の毒だけど仕方ない』ってすましちまうからな。だってつまるところ他人事なんだから。召喚獣がどんなに虐げられてても、自分じゃないし人間のことでもない。だろ?」
 からかうような口調、けれどその中にはっきりと存在する透徹した視線。ライは軽く肩をすくめた。
「ま、俺もこいつらと出会わなかったらそう思ってただろーけどな」
「こいつら?」
「だーれがこいつらだよー。偉そうにひとまとめにすんじゃねーよこのボケ保護者っ!」
「んもー、リュームってばわがまますぎ! リュームこそ、パパに偉そうにするのやめてよねっ」
「第一、お父さんがボクたちをひとまとめにするの、やむをえないことかと……三つ子なんだから」
 リュームとミルリーフとコーラルがぎゃいぎゃいと騒ぐのに、ナップは大きく目を見開いて驚きを示した。
「ぱ、パパぁ? お父さん? って……こいつら、お前の子供なのか!?」
「ああ、育ての親だけどな」
「いや、育ての親にしたってここまででかい子供育てるのとか普通できないだろ……お前だってまだ子供だろ?」
「そうでもないぜ。ガキだろうがなんだろうが、自分以外に育てる奴がいないとなりゃ否が応でも親やれちまうもんだ」
 唐突に話に割り込んできたのは、ガゼルだった。それにこくんとうなずきを返す。
「だよな。ガゼルなんか最初は今の俺よりガキだったのに、しっかりあいつらの親やってたんだもんな、すげぇと思うぜ」
「ホントだよなー。ガゼルのそういう身内全力で大事にするとことか、本気で尊敬できるよ。なー、アルバ?」
「え!? お、おいらに聞くなよっ」
「なに言ってんだ、バカ」
 笑顔でアルバの肩を引っ張ってガゼルに懐くハヤトに、アルバは慌て、ガゼルは不機嫌な顔でハヤトを押しやる。だがその実内心はそう不機嫌なわけでもないのは言われないでもわかった。アルバとガゼルの間に一瞬困ったように交わされる視線には、確かに親子の間の理解があったのだから。
「それにそれを言うならあんただってその年で先生とか、あんまねーだろ。自分の経験上言うけど、あんま若いとガキに舐められたりとかすんじゃねーか?」
「はは、そのへんは実力行使! 確かに俺はそこまで年取ってるわけじゃねーけど、人生経験はそれなりに積んでるつもりだからさ」
「はー……なるほどな」
 にやり、と笑んでみせるナップの顔には、怠りなく研鑽と経験を積み重ねてきた人間だけが持つ確かな自信があった。確かにたとえガキでも、こういう奴はそうそう舐めてかかるわけにはいかないと自然とわかるのだろう。
「じゃあ、あんたの上っつーか、まとめ役の先生ってのはいくつぐらいなんだ?」
「っつーか、先生が共同体のまとめ役するってのも珍しいよな」
「んー、まーそこらへんはいろいろ成り行きがあるんだけどな。この島は四界の存在が集まる島だろ? だから界それぞれの代表者はもちろんいるけど、島全体のまとめ役っていうか、緩衝材になってそれぞれの意見をまとめる役は人間が一番わかりやすいだろうっていうのもひとつにはある。人間以外の存在の意見にはそもそも耳を傾けようともしない奴らとか、外にはけっこういるからな」
「なるほど……」
「まぁ、もちろんそれ以上に先生の人格とかが信頼されてるからだけどな。鬼妖界や幻獣界の子供たち集めた学校で先生やってるわけだから、子供たちにも親たちにも頼みにされてるし。霊界や機界の奴らにもたまに先生の授業受けにくる奴もいるし。自分たちを教え導いてくれる人ってのは、やっぱり頼もしく見えるもんだろ?」
「確かになぁ」
 ちらりと集団の後ろの方で仏頂面でゲックをおぶってやっているセクターを見る。自分にもセクター先生は、子供の頃自分たちにいろいろなことを教えてくれる導き手であると同時に支配者だった。遊んでいてもいたずらをしていても、先生に怒られると反射的に背筋が伸びてしまう。そんな相手に対し敬意を払わない方が難しいだろう。
「あと、先生の見かけの年は俺とそんなに変わらないよ。実際の年はそれよりけっこういってるけどな」
「お前と……? どんだけ若作りなんだよ、その先生って」
「はは、ま、こっちにもいろいろあるってこと。こっから先は向こうについてから、だな」
 にやり、と笑ってみせるナップに、小さく唇をとがらせつつも肩をすくめる。確かに、突っ込んだ話をするならば、本人がいるところの方がいいだろう。こちらにも、相手にも話すことはいろいろとあるのだろうから。

「はじめまして。俺はレックス。この島で教師と……まぁ、まとめ役みたいなことをやらせてもらってます」
 微笑んだレックスの顔に、思わずぱちぱちと目を瞬かせる。思っていたのとまるで違う雰囲気だったからだ。
 口元には柔らかい笑みを佩き、目も穏やかに曲線を描いている。だがその表情があまりにも穏やかすぎるというか、優しすぎてどうにも頼りない印象が強かった。鮮やかな赤毛はぼさぼさと収まりが悪く、やたらめったらたくさんつけられたベルトもあちらこちらが古びていて、顔立ちが本当にせいぜい二十歳すぎぐらいなほどに若々しいせいもあるのか、どうにも情けないとか、ぱっとしないとか、そういう言葉が似合ってしまう。
 ナップにやたら褒められていたし子供たちも嬉しげにその名前を呼んでいたので、もっとこう……などと思ってからはっと首を振る。いやいや見かけで判断していてはいけない。これまでだって何度も見かけと中身がまるで違うことはあったじゃないか。似たような感じのことはそれ以上にあったが。
 そんな風にライが自身に説教をしている間にも話はどんどん進んでいく。
「私はアルディラ。機界の集落ラトリクスの護人をしているわ」
「私はキュウマ。鬼妖界の集落、風雷の郷の護人です」
「霊界、集落……狭間ノ領域、護人、ファルゼン……」
「メイトルパの集落、ユクレス村の護人をしてるヤッファだ。ま、よろしく頼むわ」
 眼鏡の女性、鬼人のシノビ、中身のない鎧の亡霊騎士、やる気のなさそうなフバースの男。種々様々な面々が上げた名乗りに、真っ先に反応したのはユエルだった。
「わぁ、フバースだっ! 本当にこの島、メイトルパの仲間がいっぱいいるねっ!」
「……ってユエル、お前この島に来たことなかったのか?」
「うん……マグナがここに行く時はユエル、もう学校に入っちゃってたから。だからこの島に来られるのすっごく楽しみだったんだっ」
「ちょっとは状況を考えなさいよこの馬鹿オルフルっ! 今から会議しようっていう時にっ」
「あっ、そうかっ。ごめんねっ、えへへへっ」
「いや、まぁいいさ。話に聞いてたオルフルの嬢ちゃんがそこまで嬉しげに笑えてるってことは、初めて会う奴らもそう悪い奴らじゃなさそうなのはだいたいわかる」
「ヤッファ殿、そんなに簡単に結論を出さないでください。我々は島の者たちを護るのが使命。たとえマグナ殿たちの知己とはいえ、我々の目できちんと見定めねば集落へ入る許可は出せません」
 くっくと笑うヤッファに、キュウマが厳しい声で言ったことにはっとする。そうか、考えてみれば、メイトルパの集落でもそうだったようにここでは俺たちはよそ者なんだ。見る目が厳しくなるのも当然だし、場合によっては集落に入るのを拒否されることもあるかもしれない。
「船を迎えに行く集落の子供たちのことに気づかなかった人の言葉とは思えないわね、キュウマ?」
「あ、あれはミスミさまがあの子たちはユクレス村へ行くのだとおっしゃったがゆえ! 船を迎えに行くのだと知っていたらそんなことは」
「まぁ、それも嘘じゃねぇわな。あのガキどもは学校で集まって港に行ったわけだからな」
「ヤッファ殿! 知っているならなぜ止めなかったのですっ」
「面倒くせぇ。ガキどもが集落の外に遊びに行くのにわざわざついて回れるか。それに船にゃカイルたちもいんだろうし、なによりナップがついていってたからな。何事も起こりゃしねぇよ」
「む……それは、そうかもしれませんが」
 へぇ、と思わず感心した。あの固そうなキュウマが矛を収めるということはナップは相当信頼されてるんだな、となんとなく納得する。
 と、そこに柔らかい声で声をかけてきたのは、レックスだった。
「キュウマ、君が島のみんなを大切にしたいのはわかるけど……相手の人たちも話をしようとしてるんだ。だったらこっちも、最初から嫌おうとしないで、ちゃんと話をしてみよう? 手を繋ぎ合うことができるなら、殴り合うよりずっといいんだし。ね」
 にこにこと穏やかに微笑みながらそう言うレックス――その言葉に、ライの総身が思わずざわっと波立った。
 いや、いいんだけど。言ってること正しいと思うし、ていうかまったくその通りだと思うし自分もそんなような意味のことを言ってやりたいとは思ったんだけど。
 なんだろう、この圧倒的なまでのいい人感。なんというかこう、まるで聖人とか聖女とかそういう人間が喋ってるみたいな、恐ろしいほどの清らか力は。
「レックス……すいません。あなたにすでに教えてもらったことだというのに……」
「そうだぜぇ、キュウマ。お前ももうちっと頭柔らかくしろって。母上にもいっつも言われてんだろ? 祝言も上げたってのにまだ敬語が取れねぇってのも変な話だぜ?」
「スバルさま! からかわないでください、私がミスミさまとその、ゆ、ゆ、結納を行ったのはですねっ、あの方を男として支えたいという自分の想いの発露であり、自分は今もあくまでミスミさまとスバルさまに仕えるシノビだと」
「え!? スバルって、人に、っていうか鬼人だけど、仕えられるようなお家の人だったの!?」
 リシェルが驚いた声を上げるのに、スバルは磊落に笑う。
「そんなもんじゃねぇって! ただ俺の父上と母上が風雷の郷の長だってだけさ。キュウマは俺の父上の部下だったから、やたらに俺らを持ち上げるんだよ。ったく、俺としちゃやっと母上と祝言も上げたことだし、とっととキュウマのこと父上って呼びてぇんだけどなぁ」
「スバルさまっ! 馬鹿なことをおっしゃらないでください、自分はあくまで、ミスミさまと次期郷長であるスバルさまにお仕えするシノビであり……」
「……と、こうだぜぇ? ったく、やってられねぇよ」
「いやはや、シノビというのは基本密偵ですからあんまりそこらへんのことはあからさまにしないことが多いもんですが、こうも真っ正直に四角四面な方というのは初めてお目にかかりましたな」
「はは、まぁキュウマは昔からそうだったからなぁ。シノビなのに全然忍んでなかったし。どこに行くにしても今と同じ戦装束だったもんな」
「それは……。すごいですね」
「……で、本題なんだけど。君たちがここにやってきたのは、無色の派閥の、オルドレイク・セルボルトが遺した研究を完成させようとする奴らが現れたから。そうだね?」
 レックスが静かに言ったのに、全員(ずっとレックスのことを見つめていたライも)襟を正してうなずく。その話をするために自分たちはここまでやってきたのだ。
「ことの起こりは聖王国西端の俺たちの街――サイジェントに数万の屍人の群れが現れたことだ。そいつらを撃退した時にそいつ――クラレットを見つけて、セルボルト家の残党がいること、そいつらがオルドレイクの残した研究を完成させようとしてること、その中に俺たちの仲間――キールの弟妹がいることを知った」
「…………」
 ハヤトの右隣に座して、クラレットはただ黙然とうつむく。全員の、完全に好意的とは言い難い視線を受けるのは、彼女自身にも快いものとは言えなさそうだった。
「で、ハヤトたちは、クラレットの言葉から次にそいつらが動くのはゼラムだってことを知って。ゼラムにやってきて俺たちと一緒になんやかんや動いてたんだけど、なかなか反応がなくて。たまたま聖王さんに、マグナの仲間の関係でお茶会に呼ばれた時に、聖王さんを二人組の召喚師が襲ってたのと出くわしたんだ。……そん中の一人がそこにいるカシス」
 ハヤトの左隣で、カシスはぷいっとそっぽを向いてしまう。その仕草は叱られて拗ねている子供そのもので、彼女が自分たちのやっていたことをどう思っているにしろ、子供っぽい奴なのだということは確かに伝わってきた。
「聖王は救い出したけど、彼女たちを捕らえることはできなかった。その代わりに、もう一人――キールの弟の、ソルって奴に教えられたんだ。『次の目的地は聖なる大樹、そして忘れられた島』――って」
『…………』
 島の住人たちはそれぞれに重苦しい顔で中空を睨む。マグナから一応話は聞いていたが、オルドレイクという奴はこの島の人々にとっては忘れえぬ傷になっているらしい。この島を襲撃し、平和を乱し、かつての無色の派閥の行動通りに住人たちをいいようにしようとした相手として、普段は話に出すのも避けるほど忌まれているのだそうだ。
「それで、俺たちは前に話した聖なる大樹の前で、セルボルト家の残党と戦った。なんとかほぼ壊滅までもっていくことはできたけど、ソルをはじめとする中心となる数人の人間には逃げられちゃったんだ。そして、クラレットの前に、『誓約者と、その仲間たちへ 忘れられた島で待つ ソル』って文章が送られてきた」
「なるほど、ね……その誓約者というのが、あなたなのね?」
「うん。俺だよ」
 ハヤトはこっくりと、淡々とうなずいた。その様子に、レックスは少し困ったように苦笑してみせる。
「そんなにすごいことをあっさりと話されちゃっていいのかな? 誓約者っていえばエルゴの王、王国を建国し今の世界の基礎を創った伝説のリィンバウムの守護者だっていうのに」
「俺は王様なわけじゃなくて、ちょっと特殊な力を持ってるだけのただのハヤトだからね。それを言うならレックスさんだって相当とんでもない存在だろ? 共界線から力を引き出すとか、それこそ誓約者ある意味超えてるし」
「レックス、でいいよ。俺はさんづけされるほど偉い人間じゃないからさ」
 照れたように笑うレックスの表情は、やはりはんなりと優しい。だがこう、なんだろうこの、優しいからこそなのだろうか、こちらを圧倒するほどに放射されるいい人臭。
 別にいい人なのがいけないというわけでは全然ないのだけれど、この人の場合、なんと言うのだろう、そのいい人っぷりが自分にはどうにもありえないくらい強烈な感じがして気圧されてしまう。他の奴らの様子をうかがってみるとまるでそういうことを感じている様子がないので、これ感じてるの俺だけか? とこっそり眉を寄せずにはいられない。
 そんな間もレックスとハヤトは穏やかに言葉を交わしていく。
「じゃあ、レックス。君たちにとっては、オルドレイクはやっぱり憎むべき敵なわけだよな」
「憎むべき、というか……許せない、という気持ちはあるかな。島の住人のみんな含め、こちらには一応一人の犠牲も出ていないけれど、自分の部下や、漂着していた帝国兵に数えきれないほどの被害を出させたのは間違いなく彼の意思が原因なわけだし。それに……一人の男を救われないまま死なせてしまったのは間違いなく、彼の行為のせいなわけだしね」
「一人の男?」
「無色に病魔の呪いをかけられていた男だよ……そのせいでオルドレイクの手先となって働き、たまたま素質があったせいでかつてのサモナイト石の剣のひと振りを与えられて、何度も俺たちと戦った相手だ。けれどそれはただ、彼が他の存在に迷惑をかけたくないと思うあまりのことで……本当は彼は、これ以上迷惑をかけないために、殺されるために彼のものと対になる剣の遣い手だった俺に向かってきていたんだ。俺は彼を倒し……同時にオルドレイクが病魔の呪いを解除させたせいで、彼は、死ぬことになった」
「先生……」
 気遣わしげな視線を向けるナップにレックスは微笑みを返す。やはりそんな小さな仕草もいちいち不思議に自分を圧倒した。
 サモナイト石の剣。マグナから少し話は聞いている、自分の心を刃にして振るうことができる剣。抜剣者――レックスはそれの遣い手なのだと。別にそれが自分に影響を与えているわけでもあるまいが。
「うん。俺にとってもオルドレイクは許せない相手だ。もう死んでる奴だけど……似たようなことが俺たちの時にもあったから」
「ああ……マグナから聞いているよ。君たちの時は、オルドレイクは魔王を人の体に降ろし、リィンバウムに喚ぼうとしたって」
「ああ、かつて捨てた自分の息子の体にね。それを土壇場で明かして、その息子に殺されたわけだけど。そのあと俺たちはその魔王を倒し、ことは終わったと思ってたから……セルボルト家の残党なんてのがいるっていうのは、正直予想外だったんだけど」
「俺たちにとってもそうだね。俺たちの場合はオルドレイクはこの島から逃げ出しただけで死んではいないと知っていたから、いつか戻ってくるかも、という危惧はないわけじゃなかった。だけどあいつが去り際に見せた反応からしてその可能性は低いと思ってたし、またやってきても退けられる自信はあったから」
「過去の亡霊、ってやつだったんだな、どちらにしても。……でも、その間にも、それこそその亡霊に支配された世界で生きていた奴らもいたんだ」
「…………」
 じ、とレックスはクラレットとカシスを見比べる。それからにこ、と微笑んだ。
「改めて挨拶させてもらうね。俺はレックス。この島のまとめ役みたいなことをさせてもらってるよ。よろしく、クラレットさん、カシスさん」
「…………」
「……あなた、なにを企んでるわけ」
「企んでるって……そういうわけじゃないよ。話し合うためには、ちゃんとお互いのことをよく知らないとと思っただけ」
「なにを言われたって、私たちは父上の研究のこと話したりしないから」
 きっ、とレックスを睨んで言うカシスに、ざわりと島の面々がざわめいた。特にキュウマは、厳しい目つきでカシスを睨み立ち上がる。
「あなたにとっては召喚獣は便利な道具かもしれません。ですが、この島の中では大切にされるべきひとつの」
「道具だなんてあたし思ってないっ!」
 だんっ、と立ち上がりキュウマを思いきり睨み返してカシスは怒鳴る。それにキュウマが目を見開いている間に、アルディラが静かな口調で訊ねた。
「なら、どういう存在だと思っているのかしら」
「そ……れは。……ともだち、よ」
 ぶっきらぼうに、仏頂面で、それでもきっぱり言い切るカシスに、わずかに首を傾げてさらにアルディラが訊ねる。
「あなたは友達を術で縛って、いいように言うことを聞かせるの?」
「しないわよそんなことっ! 誓約は――召喚術はそんなものじゃないっ」
「なら、どういうものなのか教えてもらえるかしら」
 あくまで冷静なアルディラの言葉に、唇を噛んでからカシスは胸を反らしてみせた。
「いいわよ。……誓約っていうのは、召喚獣と魂の絆を結ぶことよ」
「は? なに言ってんだあんたは。逆らった相手に苦痛を与える召喚獣の誓約が、絆だと?」
「いいから黙って聞きなさい! ……確かに、誓約の中にはそういう効果も一緒になって存在してるわ。だけど、それがすべてじゃない。その効果の本来の役割は、召喚獣に最初に話しかける時にお互いの間の決まりを定めることよ。召喚獣の中には喚ばれることにすごく抵抗する子もいるわ、だから喧嘩にならないように決まりを作るの。ここを越えたらこっちが苦痛を与える、こっちを越えたら死ぬ気で暴れる、みたいなことを、お互いの力関係で綱引きしながら一瞬で定める。――そして、お互いの間に道を創るの」
「……ミチ?」
「そうよ。喧嘩別れするかちゃんと友達になるかはそのあと次第だけど、少なくともまずお互いの間に交流する道を創る。そうしなけりゃなにも始まらないでしょ? それからその道を通って、交流を繰り返して、友達になれるかどうかやってみるのよ。誓約で結ばれた絆は、それを早く、深く可能にしてくれるわ」
「しかし、友達になれたとしてもその友達をあなたは一方的に使うわけでしょう」
「あたしはそんなことしないっ! ……確かにあたしから相手にしてあげられることは少ないけど、決して皆無ってわけじゃない。リィンバウムの中で得られることっていうのもいろいろあるし、なにより誓約の絆を結んだ相手に召喚師は強力な魔力を送りこむことができるもの。相手に自分の世界で活動するための強い活力をあげられる。あたしと友達がそれぞれに自分にできることをして、それぞれだけではできないことをするのよ。召喚術っていうのはそのためにあるんだって、あたしは思ってる」
 顔を興奮に赤くしながらも、カシスはきっぱり言い切ってどすんと座る。その言葉に、ライ(のみならず自分の仲間たちも)かなりに驚いていた。今の言葉は、かつてギアンと対峙した時に自分の子供たちが言った言葉だ。
 それを自然のうちに体得している、ということなのだろうか。カシスってもしかしたら、すごい召喚師なのかもしれない。
「そっちの姉ちゃん……クラレット、とか言ったな」
「……ええ」
「あんたにとって召喚術ってのはなんなんだ。召喚獣ってのは? 自分が使うための道具か」
「だからそんなんじゃ……っ」
「カシス。……私は、正直言って召喚獣というのは、あまり好きにはなれません。いいえ――正確に言うなら、召喚術というものが好きになれないんです」
 ざわり、と(自分たちも含め)言葉を聞いていた全員がざわめく。
「なんでだ。あんた召喚師だろうが」
「ええ――でも、自分で望んで選んだ道ではありません。その道を選ばなければ、生き残れないから選んだんです。私はオルドレイクの愛人の子供の一人で、魔王を降ろすための器の候補のひとつとして集められました。つまり、道具だったんです。父の目的を果たすための」
『…………』
「魔力を高めるための、実験と修行をひたすらくり返す日々しか私は知りません。そして、召喚術についての知識と能力が高まるほど、私は怖くてしょうがなかった。召喚術で異界から召喚獣を喚び出す術の恐ろしさを思い知らされたからです。その破壊力や脅威という点についてもそうですが、それ以上に――少しでも制御を失えば、私の喚んだ召喚獣は私に襲いかかり、命を奪う。それを思い知らされるにつけ、恐ろしくてしょうがなかった」
『…………』
「有用な道具として在らなければ、私は存在が許されなかった。有能な召喚師で、高い魔力を持つ実験動物でなければ生きられなかった。そもそも召喚術がなければ、私がこんな生を生きる羽目にはならなかったのに、と思ったことは一度や二度ではありません。だから、私は召喚術が好きになれないんです。自分を襲う召喚獣も、その恐ろしさを知らない召喚師も」
『…………』
 しばしの沈黙ののち、ふいにぱぁ、と光るものがあった。ファルゼン、と名乗った亡霊騎士が、眩しく輝いた、かと思うと、その鎧の中からするり、とばかりに一人の少女が現れたのだ。
「なっ、なんだっ!?」
「えと、ごめんなさい、隠していて。私はファリエル。この鎧をよりしろとして活動している、かつてこの島で死んだ娘の魂です」
「ゆゆゆゆゆゆゆ、幽霊さんなんですのぉっ!?」
「あはは……まぁ、言ってしまえば」
 驚く自分たちを尻目に、ファリエルは島の面々に向き直り真剣な顔で言う。
「みなさん。私は、この子たちの話、信じてもいいって、信じたいって思ってます」
『…………』
「ファリエル……」
「少なくとも、この子たちの言葉には、本当の気持ちがありました。私もかつて無色の派閥で生きていた人間です、彼女たちがどれだけ過酷な日々を過ごしてきたかはわかります。だから……」
「へっ……わかったよ。てめぇに言われたんじゃ逆らう気にはなれねぇさ」
「確かに……彼女たちの瞳は、確かにまっすぐなものでしたからね」
「それじゃあ!」
「ああ、ファリエル、心配しないでいいよ、俺たちも同じ気持ちさ。……ハヤト」
「うん?」
 笑顔で応えるハヤトに、同様に笑顔でレックスは告げた。
「ようこそ、忘れられた島へ。俺たちは君たちみんなを歓迎するよ。……友達になれるかどうか、やってみよう?」
 わっ、と湧いた観衆の中、ぽかんとしているカシスとクラレット。その肩をぽんぽんと叩き笑顔を向けるハヤトと、気遣わしげな視線を向けるキールを、レックスが微笑んで見つめている。
 ……だから別に、それが悪いっていうわけじゃないんだけど。

「……だけど、カシスとクラレットが悪い人間じゃないってのはそりゃあたしも賛成だけど、だからってこんなに簡単に島に引き入れちゃっていいのかな。あんなに警戒してたのに。あの二人が無色の作戦明かす気も、無色と戦う気もまるでないのも変わんないのに」
「まぁな……」
「ははっ、まぁそこらへんはしょうがねぇよ。先生が引き入れる、って決めちまったんだからさ」
 まずは自分たちに島を案内してくれる、ということで集いの泉を出た自分たちの呟きに、そうナップが話しかけてきた。自分たちは慌てて向き直る。
「あ、あの、ごめんなさい妙なこと言って。受け容れてくれる方がありがたいってあたしも思ってるのに」
「ただ、なんつーかさ。悪い奴じゃねぇから即信用する、っていうの、ちっと妙な話だなって思ってさ」
「そりゃそうだな。ただ、この島の奴らは信じられる、って思ったらけっこうとことんまで面倒見ちまうとこがあるんだよ。先生の影響でさ」
「レックスさんの……?」
「そ。この島はさ、昔は集落ごとに完全に分かれてて、交流なんて全然なかった。お互いがお互いを信じられなかったんだ。そんな中で、子供たちのための学校を創ったのが先生なんだよ」
 ナップはにかっ、と嬉しげな笑顔で言ってくる。ちらりとレックスに飛ばす視線には、明らかに強い親愛と敬愛が感じ取れた。
「集落と集落を結びつけようと心を砕いて、島に襲来してた奴らから命懸けで島の奴らを守って。別に島の奴らとなにか関係があるってわけでもないのにさ。誰かが困ってるって思うと、どうしたって放っておけなくなって飛び出しちまうんだ。そういう先生のお人好しっぷり見まくってるから、先生が受け容れるな、って思ったらわりとあっさり受け容れちまうんだよ。先生がおっそろしく頑固で、一度信じるって決めたらなにがなんでも貫いちまうって知ってるからさ」
「……ナップさんって、レックスさんのこと好きなんだな」
 自分の言葉に、なぜかナップはお? とでもいうように目を瞬かせてから笑う。
「まぁな。俺は先生の生徒だから」
「え、ナップさんもレックスさんの生徒だったわけ? 年齢はほとんど変わってるように見えないけど」
「まぁ、あの人若作りだから。実際には十歳は違うんだぜ、俺たち」
「えー! 見えない! ていうかあの人いくつよ、どう見ても二十歳すぎにしか見えないんだけど!」
「はは、そこらへんはご想像にお任せってことで。ま、先生は少なくとも俺にとっては最高の先生だよ。あの人からは本当に、いろんなものを学んだ。あの人の悪いところっていうか、あの人の頑固さが悪い方向に出ちまうことがあるのもよく知ってるけど、そういう時は俺が助ける。クラレットって子もカシスって子も、なにか妙なことをしようとしたら即俺が止める。だから心配はいらない。そうわかってるのさ、みんな」
「ナップさんって、腕によっぽど自信があるんだな」
「まぁな。俺、たぶんこの島で一番強いと思うし」
 さらり、と告げられた言葉には、圧倒的なまでの自信が感じられた。血反吐を吐くまで稽古を繰り返し、力と技を磨きあげた者だけが得られる自信。それをこの人は、自分とさして年も変わらないように見えるのに当然のものとして体得している。
 それはライにとっては快いものだった。やるべきことをきっちりやってる奴というのは、それだけで人に快さを与えてくれる。
 快く、はあるんだけど。
「……レックスさんより、強いんだよな?」
 ナップはきょとんとしたように、ぱちぱちと目を瞬かせる。
「そりゃ、斬り合いなら……っつーか、なんでそんなこと聞くんだ?」
「や……なんつーか……」
 自分でも説明しがたい感情なのだ。別に悪印象を抱いているわけじゃないし、そんな理由もない。そうなんだけど、ただなんていうか、どうにも心のどこかが拒否反応を示しているというか――
 ナップはこちらをじっと見ている。ちゃんと答えなけりゃ、と頭をぐるぐるさせながら口を開く――や、自分たち団体の先頭から声が上がった。
「なんか見えてきたぞっ! うわっ、すげぇ、なんかすげぇでけぇ!」
「うわっ、なんなのあれ! あんな無駄にでかい鉄と石の塊なんのために」
「……これは」
「なんと……一応聞いてはいたが、まさに聞きしに勝る。まさか機界の光景をこの目で見ることが叶おうとは……」
「ふふ、完全に機界そのものというわけではないけれどね。あれが機界の集落、ラトリクス。といっても住んでいるのは大半が会話機能を持たない機械なのだけれど」
「えっ! そんなにたくさん機械がごろごろしてるんですか?」
「ええ……マグナたちから聞いていないかしら。この島の同胞の大半は、この島の施設を作るために召喚された者たちなの。つまり工作用の機械なわけね。そして現在も、過去の戦いで壊れた施設を修理して回っている……」
 なんだなんだ、と前の方に視線を向ける、やライも絶句した。そこにあったのはライの考える集落≠ニはまるで違うものだったのだ。
 えんえんと続く鉄だか石だかよくわからないもので舗装された道。その上に立つ見上げるほどに高い、やはり鉄だか石だかよくわからない材質の太陽の光を跳ね返して輝く直方体の建築物の列。
 帝都や聖王都でいろいろ大きな建物は見てきたと思っていたが、それでもこれはそういうものとは段階が違う。そもそもどういう建築物なのか、ライの知識ではまるでわからないのだ。ライの目には、扉も窓もないやたらめったらでかい直方体がいくつも並んでいるようにしか見えない。
 だがその中をアルディラは当然のように先導して進む。おっかなびっくり周囲を見渡す自分たちを引き連れて。しょっちゅういくつもの動いている機械とすれ違い、時には歩いている道が自分たちを乗せて動く。そんな状況に出くわすたび、自分たちは驚き騒いだ。
「すごいなぁ……本気でSFの世界だよ。機界の奴らはそういう世界に生きてるんだってわかってはいたけど、SFの街並み見せられるインパクトってすごいな……」
「えすえふ?」
「ああ、なんでもないなんでもない。……でも、機界の召喚師にとってはこの集落ってすごく興味深いんじゃないか?」
「そう、だね……機界についての知識は専門というわけではないけれど、興味深いものがいくつもあるよ」
「本当ね……こりゃすごいわ。機界の光景ってゲックが言ってたけど、ほんとにそんな感じ」
「僕の知っている機界の光景と比べると、少々小規模ではあるけれどね。設計思想と技術は確かに機界の流れをきちんと汲んでいると思う」
「ほう……お若いの、あんたはそこまでの知識をお持ちか」
「いえ……大したことでは」
「謙遜することはない。さすが融機人というところじゃな」
「……っ融機人っ!?」
 驚くリシェルに、ネスティはきゅっと眉間に眉を寄せ、マグナはぽりぽりと頭をかく。
「あ、そっか、まだ言ってなかったんだっけ。ネスは融機人なんだ。王国が作られる前、こっちに移住してきた融機人の子孫」
「だ、だって、融機人って確か、抗体がないとこの世界じゃ生きていけないとか、そもそも繁殖力がすごく低いとかそういう話聞いたこと」
「うん、だから、いろいろあったんだよ。そこらへんの詳しい話はあとでするけど……そのへん汲んでくれるとありがたいかな」
「……うん。わかった」
「ありがとな、リシェル」
「なに言ってんの、当たり前でしょ。ここまで一緒にいたんだもん、あたしにとってはもうあなたたちだって仲間なんだからね」
「うん……ありがとう」
 話がまとまったっぽいので、ライはとりあえずリシェルに声をかけた。
「……なぁ、リシェル」
「え? なによ」
「融機人って、なんだ?」
「……あーもーっ、あんたはいっつもいっつも……融機人って言うのは機界の住人で、機械と融合した人のこと!」
「え……セクター先生とか、ゲックみたいな?」
「わしらのようなものとはそもそも存在からして違うな。わしらはただ拙劣な技術で人の体を機械でいじくり回したものでしかないが、彼らは機械の機能を生理として備えておる。先祖から連綿と続く記憶をすべて血の中に記録し、機械の演算能力と人の理解力を併せ持つ、機界の文明を築いた人々なのだよ」
「へぇぇ……人間とは違うのか」
「そーよ。アルディラさんが融機人だってのはわかってたけど、ネスティもとは思わなかったから、驚いちゃった」
「そうなのかよ……ったく、そういうことは早く言えよな。悪かったな、ネスティ。やっぱ融機人だと味の好みとか人間とは違うんだろ? ホワイトシチューにイチゴジャム入れるとかマジありえねぇこいつなに考えてんだって思ってたんだぜ、俺。言ってくれりゃちゃんと別にお前の分用意してやったのに」
 そう言うとネスティはわずかに目を見開き、それから小さく苦笑した。
「最初に言う言葉がそれとは……まったく、君らしいというかなんというか」
「なんだよ。料理人としちゃあすげぇ大事なことなんだからな、食う人に喜んでもらえるかどうかって」
「ああ、心配するなよライ、ネスはネスなりにうまいと思って食ってるから。ただネスがすっげぇ味音痴で悪食だってだけだから」
「……っだそりゃぁ!」
「こら、マグナ……」
「いやだって嘘つくのも変だろ?」
 そんなことを言っている間に、アルディラが足を止める。
「ここが中央管理施設……かつてはこの島全体の情報を管理していた場所よ。現在は島の周囲の哨戒や訪れる船の誘導などを行っているわ。向こうがリペアセンター、人間などの生物の治療を機界の技術をもって行う場所なの。この島にいる間なら自由に訪れてもらってかまわないわ」
「あ、もしかしてそこにクノンがいるのか?」
「ああ……そうね、あなたたちはクノンと面識があるんだったわね。もうすぐこっちにやってくると思うけれど、待つ?」
「うん、俺はクノンと久しぶりに会いてぇな。みんなは?」
「俺もいいよ。せっかくここまで来たんだからいろんな人に会っておきたいしさ」
「俺も俺も。久々にクノンのあの漫才見てみたいし」
「あはは……じゃあ、しばらくここで待つことにしようか。見える範囲でなら自由行動も可、ってことで」
『異議なーしっ』
 叫んでばらばらと散っていく仲間たち。「あんまり遠くに行くんじゃねぇぞっ!」と叫んでから、ライは軽く息を吸ってレックスに向き直った。なんでこうも自分が勝手にレックスに苦手意識を持っているのか、知りたいと思ったのだ。
「えっと……レックス、さん」
 話しかけられて、目を細めて好奇心いっぱいで街並みを歩く仲間たちを見ていたレックスは、ライの方を向いた。
「ええと、君は……ライくん、だったね?」
「ああ。ちょっと、話いいかな」
「もちろん。なんだい?」
 なんだい、と言われても、なぜ自分がこんなことを感じているかもわからないからどう言えばいいかもわからないのだが。とりあえず、人となりを知ってみようと試みる。
「えっとさ……レックスさんって、どういう成り行きでこの島に来たんだ?」
「え?」
「詳しい事情とか、差し支えなけりゃ知りてぇなって思って」
「それはかまわないけど……なんで?」
 不思議そうな顔での問いかけに、小さく息を吸ってからきっぱり言う。
「レックスさんのこと、ちゃんと知りたいって思って」
 苦手に思うなら苦手に思うで、なんで苦手なのかしっかり理解してからが筋だ。勝手な理由で勝手に拒絶されても困るだろう、少なくともライは腹が立つ。だからそのくらいは人として最低限の通しておくべき筋だろう。
 その言葉にレックスは目を見開いてから、小さく笑ってうなずいた。
「わかった。いいよ、話そう」
「……悪ぃな」
「気にすることないよ。俺も君と話してみたいって思ってたし。……と」
 レックスが苦笑し、道の先を示す。
「でも、クノンと話したあとでにしようか。もうクノンがやってきてるし」
「え、あ!」
 クノンがいつもの穏やかな笑顔で手を振っているのに気づき、ライも慌ててレックスに一礼してから駆け出す。それをレックスがなぜか、ひどく優しげな目つきで見ているのには気づかなかったが。

「……そうして、俺はナップの軍学校入学を見届けたあと、この島に戻ってきて教師の仕事を続けることにしたんだ。教師っていう仕事が自分の性に合ってるってよくわかったし……それに、なによりこの島が本当に、もう俺にとってもナップにとっても帰る場所になっていたから」
「……ふぅん。その時から、もうこの島の代表みたいなことになってたのか?」
「いや、そういうのはナップが帰ってきてからかな。三年経って、この島にナップが戻ってきた頃になってようやく、俺とか、ヤード……あとで会うことになると思う俺たちの仲間みたいな、ニンゲン≠ェ島の住人として本当に当たり前のように受け容れられるようになってきたんだよ。過去の傷跡よりも、今目の前にいる俺たちの方が重要だって思ってくれるようになったんだ」
「…………」
「ずっとスバルとパナシェとマルルゥと、たまに興味を持った他の子が見にくるぐらいだった俺たちの学校に、風雷の郷とユクレス村の子供たちの大半が通ってくれるようになって。基本的にこの島は護人と、彼ら四人の合同会議によって仕切られているんだけど、俺はそれまでの成り行き上会議に相談役っていう形で同席することになっていたんだけど……その頃に、島の住人全員の総意として、この島の外となにか接触を持つ時に、代表役になってくれって頼まれたんだ」
「……ふぅん……」
 すごい話だった。四界の住人の住む島で、教師という形を取り続けながら戦い、住人たちを守る。守る相手に拒絶されながらも、諦めず投げず、命を守るという意思を貫き通す。大したもんだと言うしかない。
 ……だが自分がなぜレックスにこうも苦手意識を持ってしまっているのか、というのはその話を聞いてもさっぱりわからないのだが。
「やっぱ、すげぇ人なんだな、レックスさんって」
 眉間に皺を寄せながらもそう讃えると、レックスはあははと明るく、どこかあどけなくすら感じさせる声で(ナップの話が正しければもう三十前後の男なんだろうに)笑った。
「君もすごいじゃないか。そんなに若いのに、たまたま拾った至竜の子を助けて、それを貫き通して、召喚獣たちや響界種の子たちもまとめて救ったんだろう?」
 思わず目を見開いた。
「なんで、レックスさんがそんな話……」
「あれ? 聞いてないかな、俺は君たちが……ラウスブルグ、だったかな? その城で戦っている時に君たちの街――トレイユだっけ、に行っているんだよ。スバルたちに頼まれてね。俺とナップは定期的に、交代で帝国に顔見せやなんかに行っているんだけど、その時はたまたま俺の順番だったから」
「……あの時の結界っ!?」
「ああ、うん。竜の咆哮だったんだよね? あの魔力には正直驚かされたよ。まぁ、マグナや、マグナから話を聞いていたハヤトもいたんで防げたけれど。これ以上戦いが激化しないように、って思って街には全力で不壊――他者に危害を与えられなくなる結界を張っちゃったから、君たちの方に助けに向かうことはできなかったんだけど」
「そんなこと、してたのか……」
 ライは半ば茫然と呟いてから(そういえばテイラーが街にとてつもなく強力な結界が張られて敵から攻撃されることも攻撃することもできなくなった、と言っていたことを思い出しつつ)、はっとしてレックスに深々と頭を下げる。
「すまねぇ、レックスさん。そうとは知らずまともに礼も言わねぇで。本当にありがとな、あんたがいなけりゃ大変なことになってるとこだった。このお礼は必ずさせてもらう」
 気合を入れて言い切ったが、レックスはなぜかくすくす、と楽しげに笑い出した。
「……レックスさん?」
「いや、ごめんね。なんていうか……スバルたちから話は聞いてたんだけど。ライくんは本当に、しっかりしてる子だなぁって思ってさ」
「……はっ?」
「すごいよね。まだ十五歳だろ? なのにちゃんとひとつの店を構えて、すごく高い評価も受けてて、なのにたまたま拾ってきた子を最後まで守り通すなんて。本当に、頑張ってるなぁって、さ」
 言ってぽんぽん、とライの頭を叩き、にこり、と微笑む。
「でも、あんまり無理することはないんだよ。そりゃ、十五ともなれば一応一人前ってことにはなってるけど、就学年齢なことに変わりはないんだし。なにかあったらいつでも人を頼っていいんだからね。もちろん、俺でも」
「なっ……あっ……」
 完全に予想外の台詞にしばしぱくぱくと口を開け閉めしてから、なんとか答えねばと思いつつも「……どうも」とだけ言って頭を下げ、小走りにその場を逃げ出す。顔が熱いほど真っ赤になっているのが言われないでもわかった。
 なんなんだ、なんだってんだあの人。そんでなんで俺はこんなに顔真っ赤にしてんだくそったれ。ああもうなんかすっげぇ照れくさい。
「お? なんだてめェ、顔酒でも呑んだみてェに真っ赤だぞ?」
「なんでもねーよ、それよりそろそろ次の集落なんじゃねーのか」
「ああ、確かそうだっけか。鬼妖界の集落か……あそこはうめェ酒作ってんだよなァ、ケケッ」
 自分に目を止めてきたバルレルをあしらいつつ、先頭集団に潜り込む。子供たちをはじめ、ハヤトらも含めて物見高い連中の集まりだ、自分の様子がちょっとくらい変でも気にされない。
「風雷の郷かぁ……なんかすごい興味あるなぁ。そこのみなさんは全員妖怪なんですか?」
「ほとんどがそうですね。いくらか人と妖怪の間に生まれた者の子孫もおりますが……その者たちもどちらかといえば妖怪の血の方が濃いですし」
「へぇ……妖怪って村とか作ってる印象ってなかったから、ちょっと意外。山の中にばらばらに住んでるのかと思ってた」
「確かに妖怪の領域は山であり、郷を作るような習性のない者が大半ですが、こちらに召喚されてきた者の大半は鬼人ですからね。鬼神さまを祭り、道の者たちをはじめとした人間と集落をともにすることもまれではない者たちですから。他の種の妖怪たちもいつしかそれに馴染み、共に郷の一員として働いてくれていますよ」
「ほう……それはまた、珍しい。どのような郷か、はやく拝見したいものですな」
「へへ、気に入ってもらえると思うぜぇ? 俺らの郷は実際きれいなとこだしな!」
「スバルさま、そのような自慢げな振舞いは慎まれませ。……それは、身びいきを抜きにしても、美しい集落であると胸を張れるのは事実ですが……」
「なんだよ、キュウマのおっさんもすっげー自分らの郷大好きじゃん」
「こら、リューム。もてなしてもらってる相手に偉そうなこと言うんじゃねぇよ」
 なんとか顔色を元に戻してがつん、とげんこつをくれると、スバルは豪快に笑いキュウマも苦笑した。
「そうですね……今では間違いなく、あそここそが自分たちの故郷である、と言い切れる場所ですから」
「キュウマはこんな顔してるけどな、すっげぇお国自慢なんだよ。鬼妖界についてもそうだし、俺らの郷についてもそう。どこよりいいとこだって絶対きかないんだぜ」
「それ、スバルが言えた義理じゃないと思うよ」
「わっはっは、それは言わない約束だぜ、パナシェ。……お! 見えてきた!」
 木々の切れ間から見えてきた、山間の裾野、というよりは半ば山と一体化して広がる郷に、全員思わず歓声を上げる。涼やかに濃い緑、太陽の光を跳ね返して輝く水田、折り重なる茶畑、その合間に点在する家々、そしてその奥にひとつ大きくそびえる黒色の御殿。それは確かに、美しいと言うに値する眺めだった。
「ほう……美しい郷ですな」
「確かに……故郷の里を思い出します。山と野に自然と溶け込んだ、よい郷ですね」
「シルターン自治区とかとはまた違うな、やっぱ」
「そりゃあ御主人、あちらは基本的に街ですからな。それに祭られている神々も龍神さまの方が多いようでしたし」
「へ? 龍神と鬼神って、そんなに違いがあるのか?」
「そりゃもちろん。神様にもいろいろと縄張り意識のようなものがあるんでござんすよ。位の高いお方がいろんな場所で祭られるのはよくあることですが、それでもその土地の責任者となるお方というのはいらっしゃいますんで。その方が龍神か鬼神かってのはかなりに大きな違いでして、道の者の方々の使う術も変わりますし、自然街並みや仕組みも変わってきます」
「へぇ……」
「おおざっぱに分けると、龍神を祭る龍道≠ェ中華風、鬼神を祭る鬼道≠ェ和風ってことみたいだぜ」
「は? なに言ってんだお前、んな謎言葉で分けられたって素人にわかるわけねぇだろ」
「うん、いいんだ、日本人として言ってみたかっただけだから……」
 などと話しつつ集落に入っていく。ちょうど農作業の始まる季節のようで、水田に集まっていた何人もの人が、こちらに頭を下げてくるのが見えた。キュウマが小さくうなずき返し、スバルが鷹揚に手を上げると作業に戻っていくその姿は、トレイユの畑でもテイラーが来た時などに見られる光景だったが、ひとつ違うのは作業している者の頭に小さな角やら大きな耳やらがついているところだろう。
 とりあえず郷長であるスバルの母のところに案内する、ということで小高い山の上に立っている館へと向かう。通称鬼の御殿と呼ばれるそこは、スバルの家であると同時にこの郷の集会所であり避難所であり物資集積所なのだそうだ。そのせいもあり他の家々とはけた違いに大きくなっているのだという。
「もちろん、スバルさまの御母君、ミスミさま。そして先代の郷長でありスバルさまの御父君リクトさまが郷人に深く尊敬されているというのが一番大きな理由であることは疑いようがないのですが」
 力を込めて言い切るキュウマに、ミルリーフがきょとんと首を傾げて訊ねる。
「え、でもでもぉ、今はキュウマさんがスバルお兄ちゃんのお母さんの、ミスミさんのお婿さんなんでしょ? キュウマさんはそんけいされてないの?」
「ぶふっ……い、いえ私はあくまでミスミさまとスバルさまに仕えるシノビであり、本来護人として郷人の預かり知らぬところで戦う者でありっ」
「わっはっは、なにうろたえてんだよ、キュウマ。心配すんなよミルリーフ、キュウマもすっげー尊敬されてるから。どんな奴にも母上の夫君って認められてるから。ただキュウマが無駄に縁の下の力持ちやりたがるだけだから」
「す、スバルさまっ!」
「ったく、頑固者ってのはどんなとこにもいるもんだぜ……しっかし……」
「でっかい家だよなぁ……もうこれ、城って言っていいんじゃないか? やたら横に長いけど」
「純和風御殿って感じだよな。寝殿造りとかそういう……修学旅行に行った京都でも実際に人が住んでるのは見たことなかったもんなぁ、リアル時代劇って感じだ」
「キョウト? ジダイゲキ?」
「……うん、なんでもないから、気にしないでくれ。現代日本人として一人現実を認識しているだけだから」
 実際、すさまじく広い館だった。トレイユのブロンクス家も広かったが、そういうのとはまた違って、空間を横方向にひどくぜいたくに使っている。
 黒い瓦屋根と白い漆喰の壁による外塀で敷地を囲み、おそらくは鬼妖界の植物だろう、馴染みのない木々が立ち並んで館よりもさらに広々とした庭を彩る。自然にあったものなのかわざわざ作ったものかはわからないが、川やら池やら島やら、リィンバウムでは普通の金持ちの庭にはないような代物もあった。
 館の基本構造は四角形の平屋の建物の連なりでできていて、一番奥にある部分だけが数階建てで、そこは城のように戦に備えて作ってあるようだったが、他の部分はひどく開放的だ。庭に面する部分の引き戸は開け放されて、雨戸のようなものも上げられている。木板の、おそらくは廊下であろうもので囲まれた内側には、若草色の床が広々とした空間を作っていた。
 やはりやたらでかい門をくぐり、玄関をくぐり、履物を脱いで母屋に上がる。勝手知ったるという顔でどすどすと奥へ進むスバルのあとに足音を立てずに続くキュウマに案内され、なんとなく全員しずしずと足音を殺して廊下を進んだ。
「……こんなでかい建物、誰が造ったんだ? 造るにしても相当人手がいるぞ」
「それを言うならラトリクスの建物の方がよっぽど人手がいるだろ?」
「あっちのはもう人手とかそういう段階の話じゃねぇじゃねぇか。そのための機械とかやたらいっぱい動いてるし。けどこっちのはどう見たって人が……妖怪とか亜人とか、その手の人っぽい奴らの造った屋敷だろ」
「ああ、まぁそりゃそうか。キュウマさん、この屋敷ってどんな人が造ったんですか?」
「主に、郷人たちですね。この屋敷はそもそも、無色の派閥がこの島を支配していた時代に、シルターンの力をより強めると同時に戦いが起きた時に使うための城として造られたのが基盤となっているのです。それを郷人たちが協力して、居住性の高い、住まい暮らすのや集会を行うのに都合のいい形に整えたのですよ」
「なるほど」
「けど、そいつらにどういう報酬出したんだ? 通貨がねぇんだから均一の報酬出すのも難しいだろ」
「通貨ならばありますよ」
「あるのかっ?」
「えぇ。リィンバウムで使われているのと同じ、バームを使っています」
「えぇ? なんで? シルターン用の通貨とかないの?」
「それは、鬼妖界ならばあちらこちらが発行する貨幣はありますが、こちらでは使える場所がありませんしね。そもそも我々は……島の住人はみな、この世界の人間たちと接する時ぐらいにしか通貨を使う機会はないのですよ。相手になにかをしてもらった礼をする時には、物々交換か別の機会に返礼を行うというような、縁故がきちんと結ばれている世界でなければ通じない理屈がきちんと働いていますし。違う界の集落同士でもね」
「へぇ……」
「じゃあ通貨ってどういう時に使うんだ? 外との交易の時とかか?」
「いえ、カイル殿たちとの交易の際も基本は物々交換です。ただ、それでも通貨というものが定めてあると交換の目安がはっきりしますし、島の外ならばその通貨は便利に使えるわけですから無価値なわけでもありませんしね。まぁ、そもそもそのバームがこの島にいてはそう簡単に得られるものでもないのですが」
 小さな声で話しつつ、いくつも続く四角形の建物を越える。広々とした廊下を歩くことしばし、自分たち全員を収容してもまだ余る広々とした部屋の奥で、鬼人の女性が端然と座し、スバルを横に従えて、にこにこと自分たちを見て微笑んでいるのとぶつかった。
「おお、来たか。待っておったぞ。ささ、まずは座りやれ」
「あ、は、はいっ」
 珍しく少しばかりうろたえた顔でうなずいて、周囲をきょろきょろと眺めたのち、女性の真正面に据えられた座布団の上に、ふくらはぎを腿の下にした奇妙な座り方で座ったハヤトに習い、それぞれてんでに座布団の上に座る。座布団は全員の分が用意されていたので、少しばかりの戸惑いはあったがみなそれぞれに自分の場所を得た。
 女性は上品に、そしてあでやかに微笑み、自分たちに向かって話しかける。
「わらわはこの郷をまとめておる、ミスミと申す。そなたたちがレックスとキュウマが言っておった、オルドレイクの亡霊についての情報をもたらしてくれた客人じゃな?」
「あ、はい。俺は、ハヤトと申します。えっと……」
「よいよい、無理をせずとも。堅苦しいのはわらわも好かぬ」
「は、はい」
「そなたたちの詳しい人となりはこれより知ってゆくことになるであろうが、我が息子スバル、我が夫キュウマ、そして我が信頼する友レックスが信を置く以上、わらわもそなたたちのことを信ずるにしくはない。これより、よしなに頼むぞ」
「あ、は、はいっ」
 あ、やっぱこの人がスバルのお袋さんなわけか、とライはこっそり目を瞠った。鬼人だから外見年齢と人の年齢が違うのは当たり前だが、このミスミという女性は少なくとも外見からは一児の、しかもこんな馬鹿でかい息子の母親だなどとは信じられないほどに若々しい。
 それからお茶を出されてしばし(主にハヤトが)歓談したが、ハヤトはその間中やけに緊張した面持ちだった。珍しいな、と思ってあとで「なんかハヤトやけに緊張してたな」と言うと、ハヤトは苦笑して、
「そりゃ、だっていかにも和風〜で地位高そ〜な人と会うんだから緊張するよ。王さまとかならもう想像のしようがないから適当に接せられるけど、ここまで純和風じゃ日本人としてビビるじゃないか」
 と、どういう意味なのかよくわからないことを言った。

「ここが霊界サプレスの集落、狭間の領域です」
 ファリエルが鎧からふわふわと浮き上がりながらにこにこと説明する。自分たちははー、とそれぞれ違った表情でファリエルの指差す先を眺めた。
「なんていうか……不思議な感じの森だな。ちょっと寂しい雰囲気で……あっ、ごめんっ」
「いえ、いいのですよ。サプレスの召喚獣というのは、すべて精神生命体ですから。この世界の人間たちとは違った文化を持っていますし、なによりみな存在するために多量の魔力を必要とする。基本的に昼間は休み、夜に月から降り注ぐ光によって魔力を補充する、という生活をしているのです。この狭間の領域には、それにもってこいの月の魔力を蓄える水晶などが多くありますしね」
 笑顔でそう言ったのは、ファリエルの副官だという天使フレイズだった。すらりと背が高く、金髪を女のように長く伸ばしたその姿は、自分の知る天使――リビエルとはまるで違い力強い、とまではいかないものの男性的な雰囲気を持っている。
「そうなの? あたしの知ってる天使って、特にこういうのがなくても普通に生活してたからそういうのがなくても大丈夫なのかと思ってた」
「それは、天使ほどの高い霊格を持つ者ならば魔力を無駄に消耗しないように受肉した体に幕を張るぐらいのことはできますから、時々月の光を浴びて魔力を補充するくらいで生活は可能でしょう。ただ、この地に住まう我らの同胞は幽霊程度の霊格しか持たない者がほとんどです。どうしても休息時間を長く取る必要が出てくるのですよ」
「へぇ〜……」
「なーなー、ならバルレルのにーちゃんはどーなんだ? 悪魔の場合は」
「む……それ、は」
「ケッ、こんなキザ天使なんぞと一緒にすんじゃねェよ。俺の場合は元々の魔力量が桁違いだからな、それを思いきり圧縮されてんだ、もともとほとんど休息だなんだってのは必要ねェんだよ」
「失敬な……!」
「いやごめんフレイズここは抑えてくれ、あとでよーっく言い聞かせておくから」
「へぇ、バルレルってそんなに強い悪魔だったんだな、小さいのに」
「はァ!? おい騎士ガキ、舐めたこと抜かしてると魂喰うぞ、あァ!?」
「こら、バルレル! ガキとか言うならむやみに噛みつくなって」
「あ、ごめん、気に障ったかな……?」
「気にすることないぜ、アルバ。バルレルって基本なんにでも腹立てる奴だから」
「……この森は全体から、強いサプレスの魔力を放っているね」
 そうぽそり、と呟いたのはキールだった。ふだん茫洋とした雰囲気のキールだが、わずかに瞳が輝いているように思える。
「そうなのか?」
「……そう、ですね。少しサイジェント近くの……迷霧の森に似ていますが、あそこよりはるかに流れが安定しています。この島に来た時から思っていたのですが……この島は魔力を輪廻転生の輪に見立てて循環させているのですね。循環し、巡る界の力……それがひとつひとつの力をここまで高めるとは思いませんでした」
「うん、でもすごい。サプレスの子たちをここに呼んだらきっと喜ぶわ。霊界の魔力が森中に満ちてるもの。それもすごく、優しくて柔らかい魔力。ここにいたらたいていの子は安らいだ気分になるでしょうね」
 クラレットとカシスも次いでうなずく。やはり霊界の召喚師ということで、いろいろと思うところがあるのだろう。
「へぇ、やっぱり本職だな。ヤードと言うことがおんなじだ」
「ヤード?」
「俺たちの仲間の、霊界の召喚師だよ。もともとはオルドレイクの弟子だったんだけど、いろいろあって……俺たちと一緒にオルドレイクと戦ったんだ。今は俺たちと学校で先生をしてるよ。召喚術にかけては専門だし、他にも伝承知識なんかはやっぱり一番詳しい」
「……父上の……」
「……ふんっ。父さまを裏切るなんて、根性のない奴ねっ」
「……その人と、後で、会えますか? レックスさん」
 キールがじ、と顔を見つめて言った言葉に、レックスは微笑んでうなずいた。
「もちろん。……あとで、各界の仲間たちが集まる機会があるんだけど、その時に紹介させてもらうよ」
「ありがとうございます」
 いつもながらに茫洋とした声と言葉。だがそこには確かな意思があった。
 自分の責任を、死んでも果たすというような、固く硬い決意が。

「わぁ……すっごーいっ!」
 ユエルが歓声を上げて眼前に広がる村へと駆ける。村の中心の見上げてもてっぺんが見えないほど巨大な樹と、その周囲に広がる木々やなにかとごく自然に一体化した家々。
 確かに、ユエルが喜びそうな風景だ。メイトルパの豊かな大地と木々の力を感じさせる光景。実際、巨大な樹をのぞけば、かつて自分が訪れたメイトルパでもよく見た眺めだった。
「ゆ、ユエルさぁん! ……でも、本当にすごいですねぇ。あの大きな樹……」
「それだけじゃなくて、メイトルパの匂いがとっても強くしてますのー♪」
「確かに……懐かしい光景では、あるわね。一応、メイトルパの豊かな力を、感じるし」
「あはは、すごいでしょ。あの村の中心にある樹はユクレスさまって言って、願い事を聞いてくれる不思議な力がある樹なんだってさ」
 メイトルパ組の反応に、パナシェがにこにこと言う。やはり自分たちの村がメイトルパの者たちに喜んでもらえるというのは誇らしいものがあるのだろう。
「へぇ……本当にそんな力があるのか?」
「どんな願い事でもかなえられる≠ンたいな無茶な力じゃないだろうけど、頑張る自分たちの背中を押すぐらいの力は確かに持ってると僕は思うよ。ずっと村のみんなの願いを受けてきた樹だもの、樹の方でもそれに応えようとしてくれると思うんだ」
「うん、そうかも……」
 などと話しつつ村の中を進む。この村は大きな畑は集落の外に置いてあるようだったが、小さな畑はそこここにあるし、なにより亜人の子供たちは当然のようにそこらを歩き、レックスたちを見ると手を振ってくる。メイトルパにいるような風景に、ここがリィンバウムだと再認識させられる光景。ライは少しばかり不思議な気持ちになった。
 ユエルはもう大喜びで、亜人とすれ違うたび抱きついて感動の意を表す。それを必死に止めるレシィも、止めようとして転ぶモナティも、そのいちいちに怒るエルカも、浮かれている気持ちがあるのが伝わってきた。
 自分たちはリィンバウム生まれだし、以前メイトルパに行ったこともあるので浮かれるというほどではないが、それでも自分の体の中の血がメイトルパの豊かな力に反応しているのは感じ取れた。メイトルパに行った時とほとんど変わらないのではないかと思うほどだ。
「ここに住んでるのは、全員亜人なのかい?」
「ほとんどはね。ただ、メイトルパと違って種族で住まいを分けるということはしないけど。それぞれが好きなように住まいを作って、好きなように好きな人と結婚して暮らしているよ」
「幻獣とか、妖精といった存在はいない、ということかな?」
「うん、まぁほとんどいないね。幻獣たちはほとんどが村から離れた場所で暮らしている。俺たちとは関わらずに生きていることが多いけれど、一応その中心的な存在をはじめとした数体とは誼を通じているよ。妖精は……今のところ俺たちの前に姿を見せてるのはマルルゥだけかな。あぁ、あと俺とナップの住んでる家がユクレス村の近くにあるのと、あと結婚して村の中に住んでいる人がいるんで、人間もいることはいるかな」
「それは……亜人と結婚した、ということかい?」
「もちろん。もう子供が七人はいるよ」
「七人!? ……そうか。そんな風に、簡単に家庭を作ってしまえる世界もあるんだな……」
「ていうか、レックスさんとナップって一緒に住んでんのか?」
「え!? いやそのそれはっ」
「ああ、もともと師弟関係だったし、学校のことやなんかで一緒に住んでる方が相談しやすいからな」
「ふぅん。仲いいんだな」
「ええとそのそれはその」
「ああ、もちろん。あ、それとな、俺たちの学校があるのもここなんだ。最初に授業やってたのが、ユクレスさまの木陰の青空学級だったからな」
「へぇ……なんかすごい生の教育現場ー、って感じがするな。どんなとこなんだ? 見てみたいんだけど」
「おう、こっちだぜ」
 滋味豊かな土、むせそうなほど薫り高い木々、たいていが藁葺きの家々、さまざまな野菜や果物が鈴なりに実った畑、そしてその中で生活する亜人たち。メイトルパをそのままこちらに持ってきたような世界を、浮き立つ幻獣界出身の者たちと(エルカですら明らかに顔がうきうきしているのだ)一緒に通り抜け、校舎へとたどりつく。
 そこにあったのは、見た目は簡素だが、よく手入れされた校舎だった。というか、大きさでいうならレルム村のものよりはるかに小さい、校舎というより少し大きな家という程度の代物だったが(収容人数はせいぜいが五十人にも満たなかろう)、周囲に丹精された花畑が広がっていたり、ほとんど森の中にある校舎なのに通る道がきれいに掃き清められているというだけでもここを使っている者がどれだけここが好きかということがわかる。
「わぁ〜、可愛い校舎さんですの!」
「……ふんっ、レルム村の学校よりずっと小さいじゃない。メイトルパの子たちをこんな小さな校舎に入れておけるのかしらっ」
「あーっ、エルカ、ひどいこと言っちゃダメっ」
「本当のことじゃないのっ」
「あはは、まぁそもそも就学年齢の子たちが島の外と比べると少ないからね。その全員が毎日学校に来れるわけじゃないし。でも、みんな仲よく、楽しく勉強していることにかけては、他の学校に劣らないつもりだよ」
「なるほど……ところで、授業ではどのようなことを教えられているのですか?」
「基本的な四則算と、文章に親しむこと、初歩の自然科学と、リィンバウムの社会の成り立ちや歴史――まぁ、段階で言うなら初等教育ぐらいです。あと、希望者には武術や召喚術も教えていますね。もちろん体の成長に合わせて、無理のない程度にですけど」
「召喚術も!? 子供に召喚術教えていいの!?」
「それを言うなら、リシェル、君も子供の頃から召喚術の訓練を積んできたんじゃないのかな?」
「そ、れは……そうだけど」
「もちろん成長に合わせてはいるけれど、子供たちをこの世界に呼び寄せた力である召喚術という力について、理解と知識は持っておくべきだと思うんだ。そうしないと召喚術がなぜこの世界にあるかもわからないしね」
「なるほど……納得、かと」
 中を軽くのぞかせてもらったが、実際、いい雰囲気の学校だった。規模でいうなら自分たちの学んだセクター先生の私塾よりはかなりに規模が大きいのに、それ以上に家庭的な雰囲気がある。
 それに、レックスとナップの、興味深げに、あるいははしゃぎながら校内を歩き、自分たちの学校との違いを見るユエルたちを穏やかに指導する姿は、彼らが本当にいい先生なのだと、はっきり伝えてきたのだ。

「というわけで、各集落を見て回ってもらったところで」
「見て回ってもらったところで?」
「宴会をしようと思うんだ」
『……はぁっ!?』
 ユクレス村近くの大きな広場。複数の集落の者たちが集まる時に使うという場所までやってくるや、レックスが言った言葉に驚く自分たちに、スバルがわっはっはと笑いながら説明する。
「前に俺らが言っただろ? 俺らの島では、いいことがあった時にはみんなで鍋を囲むんだ、って」
「はァ? 前はお前ら、仲直りの後は鍋を囲むとか言ってたじゃねェか」
「もちろんなのです。でも、いいことがあった時にもお鍋なのですよぅ!」
「要は、嬉しいことがあった時には鍋なんだよ。みんなの絆がもっと深まるように、ってな」
「今回はせっかくこうして新しい友達が増えたわけだし、これからよろしくっていう願いを込めて鍋を囲もうって。どうかな?」
「鍋かぁ……いいなぁ、それ! なんだか久しぶりだよ鍋なんて」
「うん、ここの野菜とか肉とかうまいしね!」
「実は、無線でもうオウキーニ師匠には連絡してあります。すぐに野菜等の材料と鍋を運び込んでくださるそうです」
「おおっ!」
「へへへっ、なんか面白いことになりそうだな……っうぉっ!?」
 驚くリュームに目もくれず、ライはずかずかとクノンの前に近づいた。後ろで「パパ目が燃えてるよー」「料理の腕を振るう機会がある時は、いつも、ああかと……」という子供たちの声がするのも気にならない。
「なぁ、クノン。その鍋って、誰が作るんだ?」
「この島には、オウキーニ師匠という料理の達人がいるので、その方に頼む予定ですが」
 ごぅっ、と体が燃えた音がしたような気がした。料理の達人。この島にそんな人がいるなんて。――ますますもって燃える。
「クノン。俺も、一緒に作って、いいか?」
「はい、かまいませんが……」
「ああ、そうか、ライくんは店を構えてるんだものね。料理が得意なんだ」
「ふっ、料理が得意? そのような言葉で済ませてもらっては困るな。ライは帝国の名店評価本ミュランスの星も認めた、帝国最年少の有名料理人なのだから!」
「ミュランスの星……? そんなのがあるのか、今」
「へぇ……それはすごいな。オウキーニ師匠とどっちが上手か、ちょっと味わってみたいね」
「わわ、レックスさん、そんなこと言ったら……」
「ああ、任せてくれ……! 全力で腕振るわせてもらうからな!」
「う、うん、頑張って……」
「うわぁ、なんかこいつ、料理の話になると迫力すげぇな……」
 ライは全力で燃え上がりながら料理道具の準備を始めた。新しい相手との出会い、そしてその絆を深めるための宴会、なんとしてもみんなにうまいと思ってもらえる料理を作ってやる!

 じゃっ! と鍋の上で肉が音を立てる。新しく鍋に投入した肉の脂が焼けたのだ。
「ん〜、いい匂い!」
「うわ、うまそう……これもう食っていいのか?」
「ちょっと待て……はい、もういいぜ。こっからここまでもう大丈夫だ」
「おおっ! いっただっきま〜す……んむっ! うっめぇーっ!」
「ちゃんと野菜も食えよ? 鍋はいくつもあるんだからな」
「わかってるって……はぐはぐっ、でもうめぇっ!」
「いや〜、ホンマこの鍋うまいですわ。すき焼き≠ナっか? 具材の上に砂糖と酒と醤油を加えて甘辛く煮る、なんて鍋初めて見ましたわ」
「へへ、ガキの頃に親父に食わされたレシピをちょっといじったやつなんだけどな。オウキーニさんのもすげぇうまかったぜ、海鮮鍋のあんな出汁の取り方初めて見た」
「いやいや、メイトルパの調理法をちょっと参考にしたんですわ。味に深みが出るんちゃうかな、思て」
 にっ、と口髭を生やしたがっしりした男と笑みを交わす。実際このオウキーニという男は大した料理人だった。シルターン自治区育ちでシルターン料理しか知らないと言っているが、その実料理のそこかしこに他の界の料理から取り入れた技法が凝らしてある。鍋という一見単純な料理を絶品に仕上げる、また新しいライバルと出会えたと思うと嬉しかった。
「ライくん、料理の方はそろそろいいよ。君も食べる方に回ったらどうかな?」
 レックスに笑顔でそう言われ、ライは思わず目を瞬かせた。
「え、食べる方って……そういうわけにもいかないだろ。みんなまだ食べてる途中なんだし」
「いや、せっかくの鍋なんだしさ、そろそろ具材も全部入れただろ? みんな君とも話したいと思ってると思うし。せっかくだから、他の人と話す時間を取ってくれると嬉しいんだけど」
「うーん……」
 確かに、自分はずっと鍋につきっきりで他の人とほとんど話していない。ライ自身、まだあまり話したことのない人と話してみたい、という気持ちはある。
 ただ、料理人として鍋をきっちり最後まで見守りたい、という思いもある。鍋は確かに入れたものをみんなでつつくというのが楽しい食べ方だが、それにもやり方というものがあるのだ。
 悩むライを、レックスはにこにこと見つめる。穏やかな笑顔を浮かべながら、視線を向けている。まるで撫でるような視線で、自分を上から下まで。見守るように。
「…………」
 なんだかライは妙に気恥ずかしくなってきた。自分がちょっとないくらい恥ずかしいことをしているような。照れくさいような走って逃げたいような、そんな気分。
 しばしその気分に抵抗したが、結局ライは「……わかった」と言って器と箸を持ってレックスに背を向けた。腹の底からわき上がる気恥ずかしさに、耐えきれなかったのだ。
 足早にレックスの元を立ち去り、小さく息をつき、なんだったんだあれ、などと思いつつ辺りを歩き回る――や、火から少し離れた場所で、セクターにグランバルドをはじめとするゲック一行、そしてクノンとアルディラに加え、ネスティとレオルドがなにやら話しているのに出くわした。
「セクター先生……に、みんな。なにやってんだ、こんなとこで?」
「ああ、ライくん。いや、機界の技術のことで、少しね」
 笑顔で答えるセクターに、クノンがうなずく。
「初めてこの方々の素性をお聞きした時は、驚きました。人間の体を機界の技術で機械化するなど、我々にしてみればありえない発想でしたから」
「そうね。私たちのような融機人は、リィンバウムでは生きていくのに抗体を必要とするわ。生命体と機械の融合には、それだけ生体部分に負荷がかかるということ。それをよく知る私たちにとっては、生体を機械化するというリスクの高い行為を、しかも自ら進んで行うなんて考えられないことだもの。それも、まさかリィンバウムの召喚師が、なんてね。ゲック、あなたの工学技術はまさに天才的だわ」
「それを正しい方向に使っているとは少しも思えないけれどね。召喚兵器の技術で人間を改造する……考えるだけで忌まわしい禁忌の技だ」
 冷たい口調で言うネスティに、ゲックは静かにうなずく。
「その通りじゃな。いかにして償おうと、けして許されることのない忌まわしい罪じゃ」
「…………」
「だからこそ、その責任を取らないわけにはいかん。少しずつでもつけを払っていかねばならん。自己満足であろうとも、そうせずにはいられんのじゃよ」
「……ええ、そうですね……」
「……ともあれ、生体改造の技術自体はロレイラルのもの。ネスティさまからデータもいただきましたので、ゲックさまとセクターさまの身につけてらっしゃる技術を正しく成長させることは充分に可能です」
「整備技術のマニュアルデータを今作成中だから、それをダウンロードすることでローレットたちにも技術を身につけさせることができるでしょう。もちろん反復練習で技術を向上させることは必要でしょうけど、少なくとも機械部分の調整・修復については問題なく行えるレベルまでにすることができると思うわ」
「私たちが教授やセクターの体を修復できるのですね!?」
「……アリガトウ、ゴザイマス……」
「ミリィたち教授を助けられるんだ! きゃははははっ♪」
「……すまぬな、アルディラ殿、クノン殿。心よりお礼申し上げる」
「気にしなくていいわ、私としてもやりがいのある仕事だし。ロレイラルの技術がきっかけで生まれたことを放っておくわけにもいかないし。なにより、あなたたちを見捨てたらレックスが泣くでしょうからね」
「へ……レックスさんって、泣くのか?」
 思わず口を挟むと、アルディラとクノンは顔を見合わせ、微笑んで答えた。
「ええ。彼はね、ある意味とても子供っぽい人なの。誰にでも――それこそ敵にでもすぐ感情移入をして、助けずにはいられないような」
「え……敵に!? ったって、向こうこっち倒すつもりで向かってきてんだろ!?」
「はい。ですが、あの人はそれでも全力を振り絞って争いを避けずにはいられないのです。敵の命でも救いたいと、守りたいと思ってしまう、驚くほどのお人好しなのですよ」
「…………」
「教師としては非常に正しい資質ですね、それは。元軍人だとは、思えないほどに」
「元軍人……って、レックスさんが!?」
 セクターの言葉に目を丸くすると、アルディラとクノンは揃ってうなずく。
「ええ。彼は元は軍人だったの。能力としては優秀で、勲章ももらったそうよ」
「けれど、性格的には向いているとはとても言えなかったそうです。他国の諜報員を見逃して、そのせいで人質を取られるという事件をきっかけに退役したそうですから」
「……そりゃ、向いてねぇって言われるよな……」
「それでも、そういう彼だから……裏切られても裏切られても信じずにはいられないお人好しだからこそ、私たちは結びつくことができた。彼の子供っぽい、ひたむきな気持ちが私たちを変えたのよ。彼がああいう性格でなければ、私たちはオルドレイクに勝てなかった」
「なにより、界の垣根を超えて結びつくことも難しかったかと思います」
「…………」
 界と界とを結びつけてしまうほどのお人好しさ。それを、戦いの最後まで貫いたのか、あの人は。
 心にさざ波が立つ。なぜなのか、どこから来たのかはよくわからないけれども。
「……けど、なんでレオルドがここにいるんだ? ネスティに誘われたのか?」
「イエ……ソノ、ぐらんばるど殿ニオ誘イヲ受ケマシテ……」
「ぐらん、機械兵士ノ仲間ト話シタカッタ! れおるど、優シイカラ、モット仲ヨクナリタイ!」
 元気に言うグランバルドに苦笑する。確かに、グランバルドがこれまで会った機械兵士はあの……名前は忘れたが、親父と一緒にいたあの妙な機械兵士ぐらいだろう。レオルドのように、感情や優しさを持った機械兵士は初めて会ったのだと思う。
「でも……レオルドを見た時にも驚いたけれど、あなた……グランバルドと会って驚いたわ。私たちのところにも機械兵士が一体いるけれど、感情出力機能は持っていないの。というか、それ以前に……こんな風に子供のような反応をする機械兵士なんて、聞いたことがなかったから」
「ソウデスネ。ぐらんばるど殿ノヨウニ、豊カナ感情機能ヲ持ツ個体ハ、通常機械兵士ノ中ニハ存在シマセン。私トシテハウラヤマシクナルホドデス」
「いや、それはこいつに機械人形の部品が使われてるからで……」
「それでも、戦闘兵器である機械兵士がこのように豊かな感情を持つことは通常ありえないことです。ゲックさまの技術の高さがうかがえますね」
「……モシカシテ、ぐらん、褒メラレテル?」
 おずおずと訊ねるグランバルドを、苦笑しつつ軽く叩く。
「お前がっつーか、教授がな。まぁ、けなされてるわけじゃねーからよかったじゃねーか」
「ウンッ!」
 嬉しげに耳をパタパタ動かすグランバルドの背中をぽんぽんと叩き、軽く挨拶してその場を立ち去る。レックスにもああ言われたことだし、いろんな人間と話しておこうと思ったのだ。
 それに、自分としては、レックスのことをもっとよく知りたい、という気持ちがあった。なぜなのかはよくわからないが、自分はどうにも、あの人が気になってしょうがないようなのだ。
 と、牡丹鍋(シルターンでは猪の肉を使った鍋をそう言うのだとオウキーニに教わった)の周りに集まっている者たちの中に、コーラルとシンゲンを見つけて近寄った。シルターン出身の者たちと一緒になって、なにやら盛り上がっている。
 なんだろうと近寄ってみて、思わずぱかっと口を開けた。
「やはり、自分としては幼妻が最高だと思うわけですよ! 料理上手な貧乳の無垢で元気な幼妻最高!」
 だん! と酒瓶を地面に打ちつけて言うシンゲンに、くいっと杯を乾してカイルが首を振る。
「いーや、女は巨乳だね! 子供より大人の方がいいに決まってんだろ、大人の女がふとした時に可愛げを見せるのがいいんじゃねぇか!」
 その横で赤い顔をしたスバルがわっはっは、と大笑しつつやはり赤い顔のキュウマをつつく。
「あーんなこと言ってるぜ、どうだよキュウマ、お前としちゃ? やっぱ年上が好みなのか?」
「すっ、スバルさまっ! なにをおっしゃっているのですかっ、自分は別にそういう……それは、もちろん肌に脂の乗った年頃の貴種の女性というのはこの上なくすばらしいものだと思いますが、そういう理由で自分はミスミさまと結婚したわけではっ」
「おー、言うねぇ、このむっつり助平が」
「むっつ……っ!?」
「だよなぁ、年取ってみるとよ、キュウマってかなりのむっつり助平だって心底思うぜ。普段耐えてる分心の中ですげぇこと考えてるっつぅかさ」
「なっ……!? そ、それをいうならスバルさまはどうなのですっ」
「へ? 俺?」
「そろそろスバルさまも、妻を娶ってもよい年頃ではありませんか?」
「な……っ!? なに言ってんだ馬鹿、俺にゃあまだ早ぇよ!」
「いやいや、そんなこともねぇだろ。そんだけのガタイで、年ももう充分いってるし」
「なっ……」
「下の方もかなり強そうですしねぇ……しかも普段は旅の空なわけでしょう? 若い男としては普通、旅の恥はかき捨ての勢いで、何人の女子と閨に……」
「ななななべべ別にんなことしてねぇっての!」
「お、うろたえた。図星だな」
「……スバルさま?」
「だ、だからなぁっ」
「ちなみにスバル殿はどのような女性がお好みで? 巨乳か、貧乳か」
「や、そりゃ巨乳かな。でもどっちかっつぅと大人よりは若い子の方が……はっ!?」
「……スバルさま。どうやらきちんと話し合わねばならない時が来たようですね」
「いやいや違う、違うんだって、そういうわけじゃなくて」
「問答無用ですっ!」
「……ちなみにシオン殿はどのような女性が?」
「そうですねぇ、顔立ちよりも心根が重要ですね。どちらかというと年下の、世間知らずでひたむきな子供に手取り足取り教えてやるのが」
「……コーラル。お前、こんなとこでなにしてんだ?」
 もぐもぐと牡丹鍋をつつきながら黙って座っているコーラルに突っ込むと、コーラルはきょとんと首を傾げてみせた。
「見ての通りかと」
「……お前、こんな話聞いて面白いのか?」
「わりと。客観的な視点で聞いてみると、いろんな意味で面白いと思う」
「…………」
 ぴしっ、と額を指で弾く。
「こんなしょーもねぇ話聞いてんじゃねぇ! 他の奴のとこ行ってこい、他の奴のっ」
「……むぅ」
「しょーもねぇたぁご挨拶だなぁ、ライ」
 がっし、とカイルに肩を組まれて思わず驚く。なんで自分に絡んでくるのだ。
「な、なんだよ」
「お前も、まぁガキではあるがまるっきりの子供ってわけじゃねぇだろう。惚れた女の一人や二人、その年頃ならいるだろうが?」
「なっ……!?」
「おっ、そりゃ俺も聞いてみてぇな! ライってどんな女が好みなんだ?」
「スバルさま、まだ話は」
「まぁまぁ、今は宴の席です。絆を深めるための宴なわけですし、お説教はまたあとで、ということで……どうですかね?」
「む、むぅ……それは、確かにそうですが」
「で、ご主人〜、どうなんですか? どんな女の子が好みなんです? ほらほら、教えてくださいよ〜」
「し、シンゲンーっ!」
 自分の事情を知っているくせになんでこんなことを聞いてきやがるんだっ、と睨むが、酔っ払いたちはますますニヤニヤして絡んでくる。
「で、どうだ。巨乳派か、貧乳派か?」
「だだだだ、だっから、そんなん、わかんねーよっ! っつか、なんだよそれっ!」
「しょうがねぇなぁ、ライ。お前だってよぉ、女の胸見ておおっ、とか思うだろ? 十五にもなりゃあさ。でかいのと小さいの、どっち見てこう」
「スバルさまっ、女性に対しそのような」
「ちなみにキュウマ殿は巨乳か貧乳かどちらがお好みで?」
「それはどちらかといえば巨乳ですが、自分としてはむしろ形が……ってなにを言わせるのですかっ!」
「だだだだだっからなぁーっ!」
「それでライ殿、なにか自分たちにお話があったのではないのですか?」
 唐突に言ったシオンに、酔っ払いたちは目をぱちくりさせてこちらを見た。
「そうなのか?」
「え、や……話、っつーかさ。……レックスさんのことなんだけど」
 とりあえず自分が今一番興味があるのはそれだ。
「先生の?」
「レックスさんって、スバルたちから見て、どんな人だ?」
「……なぜ、そのようなことを?」
「ん……レックスさんのこと、もっとよく知りたいって思ってさ。ダメかな」
「いや、もちろんかまわねぇぜ。そうさなぁ、レックスがどんな奴か、か……」
 少し考えてから、口々に言う。
「馬鹿かと思うくらいのお人好しだな。……けど、信頼できるいい男だ」
「命を大切にしたいという意思を押し通す強さを持った、尊敬できる方です」
「優しすぎるくらい優しいけど、それでも負けずに先頭に立って戦ってくれる、俺らの大切な先生さ」
「……ふぅん……」
「ん、どうした? なんか、気に入らないところでもあったのか?」
「いや、そういうんじゃねーって。ただ……アルディラさんとかに聞いた話と、全然印象がぶれねぇなって」
「ははっ、そりゃ同じ人の話だからな。特に先生は、どんな時も首尾一貫した人だし」
「ぐだぐだ悩みはするけどな」
「最後にはいつも、あの方なりの正しい答えを見つけ、それに向けて突き進む人なのですよ」
「……ふぅん……。ありがとな。俺、他の人にも聞いてみるわ」
 そう言って手を上げ、コーラルに軽く釘を刺してからその場から離れる。周囲を見渡し、鍋から少し離れたところにファリエルとフレイズがいるのを見つけ、歩み寄る。
 と、そこには他にも、何人もの人間――キールにカシスにクラレット、それに加えてバルレルにアメル、それにもう一人、確かヤードと言ったこの島の教師の一人がいた。なにやら話し込んでいたが、その輪から少し離れて一人盃を傾けていたバルレルがこちらを向く。
「おォ? んっだテメェ。なんか用か?」
「いや、大した用事じゃねーんだけどさ。……なんの話してたんだ?」
「霊界のことと、召喚術について少しね。……霊界の召喚師として、こういう機会は貴重だし」
「こういう機会?」
「天使や悪魔たちと普通にお喋りできる、ってこと。普段だと、お喋りするためだけに呼びだしたら、たいていの天使や悪魔は怒るんだもの」
「いや、そりゃ怒るだろ普通……っつか、喋るためだけに呼び出したりしてたのかよ」
「時々ね。最近はほとんどしなくなったけど」
「カシスは昔から、召喚師としては型破りな子でしたから」
「……ッたく、しょうもねェオンナだぜ。悪魔にとっちゃそもそも、人間は捕食対象なんだ。そんな奴に呼びつけられりゃ普通怒るっての。天使どもは人間を守ってやるとか抜かしてんだぞ、下に見てる奴らにささいな用事で呼びつけられりゃ腹立てるに決まってんだろうがよ」
「無礼な。我ら天使は悪魔と違い、人間を下になど見ていません。魂を正しく輪廻させることが天使の本義、そのために力を貸すべき存在であり親しい友ともなりうる存在と……」
「なってやる∞守ってやる¢カ在なんだろォが。ケッ、笑わせてくれるぜ」
「なにを……!」
「はい、そこまで! バルレルくんもフレイズさんも、喧嘩はダメですよ?」
「ケッ……」
「……申し訳ありません、アメルさん」
 それぞれ不満そうな顔をしながらも矛を収める二人に、ファリエルは苦笑するが、他の面々はむしろその反応を見守る構えだった。それに首を傾げつつ、言う。
「なんつーか、バルレルとフレイズさんって仲悪いんだな」
「はァ? 笑わせんな、俺ァこの程度の奴相手にしてねェぞ」
「なにを……! いえ、申し訳ありません、ファリエルさま、アメルさん。……我々が仲が悪いというよりも、天使と悪魔というものがそもそも相容れない存在なのですよ」
「そうなのか?」
 きょとんとするライに、カシスが深々とため息をついてみせる。
「そのくらい常識よ。霊界っていうのは精神生命体たちの世界だっていうのは知ってるでしょ? で、その根本原理が、秩序を志向する存在と混沌を志向する存在との闘争にあるの」
「……は?」
 言っている意味がわからずぽかんとするライに、当然のような顔でキールやクラレットが続ける。
「秩序と混沌の終わりなき闘争によって、界の精神、すなわち世界を止揚させる。その過程で魂を強め、存在の力を高める。それが霊界というものの仕組みなんだ」
「だから天使と悪魔は争い続けるようにできているのです。界そのものが天使と悪魔が争うことを是とするようにできているのですから」
「……えっと……」
 ぽかーんとするしかないライに、ヤードが苦笑して教えてくれた。
「簡単に言えば、霊界というものは、天使と悪魔の戦いによって世界全体をよりいい方向にする、というやり方で回っているのですよ」
「へ、戦いで!? けどんな戦いばっかしてたら普通犠牲が出るだろ?」
「精神生命体である天使や悪魔は、霊界において本当に死ぬ≠ニいうことはまずありません。だからこそ戦い……無限の戦いの中で世界の活力を高め続けることができるんですよ」
「はぁ……そういうもんなのか?」
 バルレルとフレイズに訊ねてみると、バルレルは仏頂面でふんと鼻を鳴らした。
「召喚師どもがそう考えてるのは知ってるけどな。俺らは好きなように自分のやりたいことをやってるだけさ。俺らは人間やらなにやらの感情を喰いたいから他の界に侵攻するし、天使を殺す。天使はてめェで正しいと思ってることやって自分に酔っ払いてェからそれを妨害して悪魔を殺す、ってな」
「なにを勝手なことを! 天使の本義は転生の輪を正しく回らせること、それを妨害する悪魔たちを罰せねばならないのは当然です!」
「……えっと」
「私の言ったのはあくまで学術的に霊界の成り立ちを見た場合の解説ですから。本人たちはまた違った意識を持っていると思いますよ。我々の日々の営みも、学術的に見れば『正方向の生産による人類社会全体の向上』となってしまうわけですから」
「はぁ……」
 頭を軽く掻く。どういうことなのかよくわからないが、フレイズとバルレルの仲が悪くて、お互い相手が悪いと思っているのはよくわかった。
 喧嘩が治まった頃合いを見計らってレックスのことを訊ねてみたが、返ってきた答えは他の者たちとさして変わらなかった。いわく、いい人すぎるくらいいい人。でも最後まで意思を貫き通す強い人。清らかで強く、美しい魂の輝きを持つ人。それを人との繋がりの中でも保ち続ける稀有な人。
 礼を言ってその場を抜け出しながらも、ぐるぐる考えていた。レックスのことを。なんで自分がこんなに、レックスのことを意識してしまうのかを。
「……っと!」
「わ! ご、ごめん、ライ……」
 だだーっと走ってきたユエルにぶつかりそうになったところを危うく左手で受け止めると、ユエルはえへへ、といつものように照れ笑いをしてみせる。ライは小さく苦笑してから、腰に手を当てて軽く叱った。
「俺のことは別にいーけどさ、飯があるところで走るなよ。ひっくり返したらどーすんだ」
「そうよっ! 宴会で料理ひっくり返すとか最低なんだからねっ、そのくらいわきまえて行動しなさいよっ!」
 ユエルの後ろから声が上がる。反射的にそちらを見てから、目を瞬かせて苦笑した。
「エルカに、モナティに、レシィか……なにやってんだ? 追いかけっこでもしてたのか?」
「そんなわけないでしょっ、エルカとこいつらを一緒にしないでよねっ!」
「ふぅ、ふぅ……やっと追いつきましたのぉ……あ、ライさんっ、お鍋とってもおいしかったですのぉっ」
「そうですよねぇ、ボクもお手伝いしましたけど、どれもほんとにおいしくって」
「へへっ、ありがとな。で、追いかけっこしてたんじゃないならなんで……」
「大した理由があるわけじゃねぇよ」
「とっ……」
「ヤッファさん!」
 ひょいと現れたユクレス村の護人、ヤッファにユエルの顔はぱぁっと輝き、当然のようにその勢いのままヤッファに抱き着く。さすがに驚いた顔をしたものの、ヤッファは苦笑しただけで振り解きもせずライに説明してくれた。
「このオルフルのお嬢ちゃん……」
「ユエルだよっ」
「……ユエルがひどくご機嫌なせいで、なにかっちゃすぐ走り出してな。それを止めようとそっちの三人……」
「ちょっとそこのフバースっ、エルカを十把一絡げにしないでよねっ!」
「モナティはモナティですのぉっ」
「あはは……」
「……エルカとモナティとレシィが追いかけてるうちにムキになってきてな、いつの間にやら追いかけっこになってたってだけさ。ま、無駄に元気の溢れたガキにはよくあるこった」
「なんですってっ、エルカをガキ扱いする気!?」
「人に名前を呼べと要求しといて、自分は相手の名前を呼びもしないっつーのはガキのすることとしか思えねぇ気がするけどなぁ?」
「確かに」
 うぐっ、と言葉に詰まったエルカをよそに、ユエルは満面の笑顔ですりすりとヤッファに抱きついている。あまりの密着ぶりに、ライは少し怪訝な気持ちになって訊ねた。
「ユエル、マジですげぇご機嫌だな。そんなにヤッファさんが気に入ったのか?」
「うんっ! あっ、っていうかね、もちろんヤッファさんも好きになったんだけど、この島、ほんとにいろんなメイトルパの仲間がいるから! メイトルパに帰ったみたいで、嬉しくて嬉しくて、じっとしてられないんだっ」
「へぇ……。他のみんなもそうなのか?」
「え、エルカはそんなことないわよっ。エルカの住んでた場所に比べれば、こんなところ」
「あれ? エルカさん、さっきユクレス村の一角で『あ、ここエルカの住んでた場所に似てる』って言って嬉しそうにしてたんじゃ」
「うううううるさいっ! あんたみたいな半人前にそんなこと言われる筋合いないわよっ!」
「い、いたいでひゅ、えるかひゃぁん……」
「あーっ、レシィいじめちゃダメッ」
「エルカさんもユエルさんも落ち着いてくださいですのぉっ」
「……やれやれ。ガキってのはっとに、どこでも元気だな」
 苦笑してその場を離れようとするヤッファのあとについて、いつもよりさらに元気にじゃれているユエルたちから離れる。ヤッファは怪訝そうな顔をして訊ねてきた。
「なんだ坊主。俺になんか用なのかよ?」
「ん、まぁ、別に用ってほどじゃねーんだけど、ちょっと聞きたいことがあってさ」
「……ふゥん。ろくなことじゃなさそうな気がするが……ま、言ってみな」
「うん。あのさ、レックスさんってどんな人なんだ?」
「は?」
 驚いたようで、毛皮の中に埋もれるようになっている(しかも毛皮が縞柄なのでよけいに判別しにくい)目が大きく見開かれる。
「なんつーか、レックスさんのこともっと知りたいと思って、いろんな人の意見聞いてるんだけどさ。ヤッファさんにもって」
「……はぁ。まさか、んなことをわざわざ聞かれるとは思ってなかったぜ……」
「は? じゃあどんなこと聞かれると思ってたんだよ」
「そりゃ、お前さんの血筋のこととかだな」
「え……」
「お前さんの体には、どんくらいかはわからんがメイトルパの血が流れてるみてぇだからな。そのことについて聞かれるのかと思ったのさ」
「……わかるんだ?」
「ま、俺は密林の呪い師<tバースだからな。一応呪術が専門だ、そのくらいの気配はわかる……けど、お前さんその口ぶりだと自分の血筋のこと知ってんのか?」
「うん、前に起きた事件でな。その事件がきっかけで、俺には子供ができたし、いろんな奴と会えたし、召喚獣を道具としてしか扱わないうちの国の現状を変えたいって思うようになったんだ」
「ほう、そりゃ大した事件だな。となると……お前さん、自分の血についてはもう気にしてねぇわけだ?」
「うーん、気にしてねぇっつーか……俺が響界種だってのは変えられない事実だと思うんだ。それで割りを食うことも得をすることもあると思う。俺が五歳から一人で暮らしてきて、いろんなこと言われたりされたりしたのと同じぐらいには」
「…………」
「けど、なにが起きても、俺が俺なのには変わりねーし、俺がやりたいこともしなきゃなんないことも変わんないだろうからな。自分の一部だって思い決めて、つきあってくしかねぇって思ってるだけだ」
「……なるほどな。お前さん、その年でなかなかいっちょまえの口を利くじゃねぇか」
 くっくと喉を鳴らすヤッファに、軽く肩をすくめる。
「一応雇われとはいえ店構えてんだぜ、そうでなきゃやってられねぇよ。それに、メイトルパではどうだか知らないけどリィンバウムじゃ十五は一応一人前として扱われる年だ」
「そうらしいがなぁ……ライ、お前さんほどしゃんと立ってる十五は、うちの村でも見たことがねぇよ」
「……そうか?」
「ああ――ああそう、レックスのことについて聞きたいんだったな?」
 急な話題転換に少しばかり驚きつつもうなずくと、ヤッファはにやりと笑みを浮かべてみせる。
「あいつはな。ちっとばかし、お前に似てるよ」
 驚いた。まるっきり予想外の言葉だったからだ。
「俺に似てるって――なんで? どこが?」
「そうだな、まず性格はまるで違う。あいつは穏やかなおっとり型でお前さんは言いたいことはきっちり言わないと気がすまない方だ。興味を持つものも持ち方も違うな、お前さんは一点集中型の料理馬鹿だが、あいつはやたら細々と気のつく奴だし、それに基本的に人――もちろん亜人やらなにやらも含めた人≠セが、それにしか興味を持たない。人の創るもんはみんなあいつにとっちゃ付随物にすぎねぇからな」
 唇を尖らせる。それだとまるで似ているようには聞こえなかったが、ヤッファは微笑みながら言葉を続けた。
「ただ、な。あいつは……すぐへこむし、情けなく取り乱すし、ことによっちゃあ泣きじゃくったりもするが、最後にはいつも受け容れるのさ」
「……なにを?」
「なにもかもを。苦しいことも辛いこともどれだけ泣き叫んでも足りないくらい悲しいことも、あいつは最後には必ず受け容れるんだ。どんなこともここに在ることなんだから、って拒否せず拒絶せず、な。その上で少しでもみんなが笑顔になるように、って全力を尽くす。――あいつはそういう奴だ」
 ヤッファのその言葉には、確かな実感が感じられた。ヤッファにとっては、レックスは本当にそういう存在なのだろう。
「……俺、そんな心広くないぜ」
「だが、どんな奴でも拒絶はしねぇだろ?」
「そりゃ……当たり前だろ。んなことしたって意味ねーじゃねーか」
 嫌いな奴は大勢いるし喧嘩を売ってきた奴は叩きのめす。けど、向こうがきっちり謝って筋を通すというのなら、いつまでもぐちぐち根に持つのは趣味じゃない。
 それだけのことなのに、なぜかヤッファはくっくと嬉しげに笑った。
「お前さんがそういう奴だから、お前さんの周りに人が集まったんだろうな」
「別に、俺の周りってわけじゃ……」
「俺らもそうなのさ。あいつの行動をきっかけにして、あいつを中心にして人が集まった。あいつがたまたま剣を継承するような魂の形をしていたって言やぁそれまでだが、あいつがああいう奴だからこそ俺たちはあいつの想いに応えようと想ったんだ」
「…………」
 想いに、応える。当たり前なことのようでいて、本気でやるのはけっこう難しいことだ。相手の気持ちが大きければ大きいほど、それに応えるには力がいる。
 つまり、そこまでいろんな人に『応えたい』と思わせるほど、レックスの想いは強く、ひたむきだったということで――
(……あ)
 気がついた。レックスの中の、自分が反応せずにはいられなかった想いのカタチ。
 よし、とうなずき、ヤッファに礼を言ってその場を立ち去る。辺りをきょろきょろと見回し、ミスミとソノラを中心に女性陣が集まって(なぜかスカーレルもいた)男性観やら結婚観やらを語っているところになぜかミルリーフがいたので近寄ってあんまりこういう人たちの話聞くなよと言っておく(こんな人たちの男性観やら結婚観やらを聞くのはミルリーフにはちょっと早すぎる)。
 その時つかまってなんやかやと肴にされたが、なんとかかわして逃げ出す。その時聞けたレックスに対しての言葉も、似たようなものだった。いわく、優しい人、お人好し、ひたむきな人。――そしてそのお人好しさを押し通さずにはいられない頑固な人。
 周囲を見回し、広場の中央辺りに男たちが集まっているのに気づいた。ハヤト、ガゼル、アルバ、マグナ、レックス、ナップ。それにリュームも一緒ににぎやかに喋っているし、なぜかギアンも瞳を輝かせて積極的に会話に参加している。
 珍しいものを見た気分になりながらも、歩み寄って声をかけた。
「よう。なに話してんだ?」
「お、ライ。いや、大したことじゃないよ」
「俺らがそれぞれどんなことしたかって話してたんだよ」
 にやっ、と人の悪い笑みを浮かべて言うリュームに、悪い予感を覚えつつ訊ねる。
「おい、まさか俺らのしたことって……」
「もちろん君たちと僕とのあれこれさ。ドラバスの城砦や大石橋での戦い、マナ枯らしやラウスブルグでの戦い、至竜に至るための儀式が失敗して堕竜になったことも含めてね」
「んな……」
 思わずぱかっと口を開けてしまうが、ギアンの表情は穏やかだ。こいつなりに期するところがあって話をしたのだろうということは、ライにもしっかり理解できた。
「……話したいと思ったから、話したんだな?」
「うん。彼らには聞いてもらってもいいだろうと思って」
「なら、いい」
「うん――ああっライっ、君は本当に僕を大切に思ってくれているんだねっ!? 僕を労わり愛おしんでくれているんだねっ!? ああっ、久々に君の愛を心から感じるよっ、僕は今本当に」
「だーっ、うっせぇっ! 人前でしょーもねぇこと言うんじゃねぇって何度言わせる気だ!」
 がづっ、と軽く拳を入れるやしくしく泣き始めるギアンをよそに、ライはハヤトたちと、レックスたちに話しかける。
「で、あんたらの話もしてくれたんだ?」
「ああ。俺らの話はもうライたちにはしてあるけどさ、レックスたちの話は聞いたことなかったから面白かったぜ」
「確かにな……ったく、この世界にゃ案外似たような話がごろごろしてるもんだな。最初は小競り合いでしかなかった話が、いつの間にやら世界を救うだなんだって話になっちまうなんてお伽話にもそうそうねぇってのに」
「あはは、たまたまなのかエルゴかなにかがそういう仕組みを創ってるのか、ちょっと気になるよなぁ。こんな短い時間に世界の危機がぼろぼろ訪れるとなると」
「うーん、俺たちの場合は世界の危機って言っていいのかどうかわからないけどね。せいぜいが島の危機ぐらいだったんじゃないかな、あのままディエルゴが成長していったらわからないけど……」
「……ディエルゴ?」
 不思議な響きの言葉に、問いかけるようにレックスを見上げると、レックスとナップは苦笑して首を傾げた。
「聞きたい?」
「ざっくり話してもけっこう長い話になるぜ?」
 その問いに、ライはぜひ聞きたい、とうなずいた。手間をかけさせるのは悪いとは思うが、やはりどうにも気になる。レックスという人間をもっと知る意味でも、ちゃんと聞いておきたかった。
 その言葉にレックスとナップは微笑んでうなずいて、話を始めた。家庭教師と生徒という形でのレックスとナップの出会いから始まった、この島の命運を懸けた物語を。

「……なるほどなぁ……」
 ライは小さく息をついた。二人はごくあっさりとした口調で話してくれたが、確かにそれでもそれなりに長い話になった。
「それで俺は『先生に欠けたものを学びたい』って思って軍学校に進学したんだ。先生を守れるような人間になりたかったしさ。んで、卒業したあと島に戻ってきて先生の見習いから始めて、今はクラスを任されるぐらいにはなったわけ」
「ふぅん……」
「まぁ、軍学校でもナップはいろいろ大変な体験をしたんだけどね……その分、本当に一回りも二回りも大きくなって帰ってきてくれたんだ」
「へぇ……それがいくつぐらいの時?」
「十五だな。俺三年飛び級して、特別上級科に上がらないで戻ってきたから」
「飛び級? しかも特別上級科って……もしかしてナップさんってすっげー頭いいのか?」
「軍学校だから頭よけりゃいいってもんでもないけどな。まぁ一応、それなりに優秀ではあったと思うぜ」
「……なんでそんなに急いで勉強したんだ?」
「ん〜……頭いい友達がいて、そいつらと一緒に勉強したいってのもあったんだけど……やっぱ、先生がいたからな。いつかは帰りたいって思ってたし、あんまり長い間放っておいて泣かれても困るし」
「な、ナップ……!」
「……レックスさんっていくつなんだ?」
「えぇと……そうだなぁ。君の父親って言っても、年齢的には違和感がないくらいの年だよ」
「……は? えぇ!?」
 一瞬きょとんとしてから、思わず驚きの声を上げてしまった。ライの親でも違和感がないくらいの年。それは普通に考えて、三十をかなり越しているのではないか? レックスのつやつやした肌や皺の一筋もない顔立ちは、どう見ても二十代前半にしか見えないのに。
「まぁ……俺、っていうか俺たちはあんまり、普通の年の取り方してないっていうか……」
「共界線そのものと深く繋がっちゃってるからなぁ……どちらかっていうと、不老に近いんだよ」
「……そんなこと俺たちに話しちまっていいのかよ?」
 レックスとナップは顔を見合わせ、微笑んだ。
「いいよ。君になら――命を懸けてたまたま出会っただけの竜の子を守りぬいた君になら」
「この話をどういう風に受け取ればいいか、わかってると思うからさ」
「…………」
 ライは深々と息をついた。本当に、この人は簡単に人を信じすぎる。そんなんじゃ不埒な奴と相対した時には裏切りのされ放題だろうに。
 いや、実際にこの人は裏切られたのだ。親切で助けた人に裏切られ、傷つき苦しんだ。
 それでもこの人は信じることをやめない。悩み惑いながらも、あたかもそれが当然のことのように、ひたすらに。
 小さく苦笑してから、ライはレックスに頭を下げた。
「? どうしたんだ、ライ?」
「いや……ごめんな、レックスさん。俺、態度悪かっただろ」
「そんなことはないよ。この島にも悪ガキはいるからね、その子たちに比べれば礼儀正しすぎるくらいだよ。まぁ、俺のことをすごく警戒してるなぁ、とは思ったけどね」
「だよなぁ……」
「そんなことを突然言い出したってことは、なにか心境の変化があったのかな?」
「うん……なんでレックスさん見てて、違和感みたいなの感じてたか、わかってさ」
「違和感?」
「うん。……俺さ、レックスさんのこと、親父に似てるって思っちまったんだよ」
「親父?」
「お前のぉ!?」
「いやライ、それはいくらなんでもちょっとどうかと……」
 ケンタロウに会った奴全員にこぞって言われ、わかってはいたが苦笑する。
「ああ、似てるっつっても言動とかは全然違うけどな。うちのクソ親父はやかましいし、いい加減だし、俺放って十年間ほっつき歩くような無責任野郎だし、やることなすこと適当でムチャクチャでもーどーしよーもねぇくらいの駄目人間なんだけどさ」
「……けど?」
「どんなことがあっても、自分曲げねぇんだよ。他人に迷惑かけても、自分の気持ち、押し通しちまうっつーか。そこんとこ、ちっと似てるなって思ったんだ」
『……はぁ……』
 その場にいた者全員が、いろんな意味を込めたため息をつく。リュームたちはある意味納得しているようで、ハヤトたちは苦笑しているようで、ナップは困惑したような顔で、レックスは、なぜか、妙に嬉しそうだった。
「だからなんつーか……ごめんな。勝手にこんなこと考えて、勝手に妙な態度取って」
 そう、こんなことレックスにはまるで関係のないことなのだ。レックスになぜか、勝手にケンタロウの影を感じ取って奇妙な気分になったことも、それなのに言動やなにかの正反対っぷりに強い違和感を感じてしまったことも。
 一挙手一投足を意識してしまって、褒められた時に脳味噌が沸騰しそうになったことも。
 そんなもので妙な態度を取られてはたまったものではないだろう、と頭を下げたのだが、レックスは笑顔で首を振った。
「気にすることないよ。俺、島の生徒たちにだって、間違えて『お父さん』とか『お母さん』とか呼ばれることあるし」
「いや、それは普通ちょっと違うだろ」
「君がそうしてほしいっていうなら、俺は父親代わりにでもなんでもなるよ?」
 ライは一瞬ぽかんと口を開けて、それからぷっと吹き出した。この人は本当に、芯のところ以外ではケンタロウに少しも似ていない。なんであんなに敏感にそんなところを感じ取ってしまったのだろう。
「いいよ、気持ちだけ受け取っとく。……ありがとな」
 小さく囁いて歩き出す自分を、リュームとギアンが追ってくるのはわかったが、振り返りはしなかった。たぶん、今の自分は、恥ずかしさに思いきり顔を赤くしているだろうからだ。

 宴会が終わったあと、自分たちはスバルの家である鬼の御殿で休むことになった。シルターン風の布団という寝床で何十人という奴らが(男女で部屋は分かれていたが)並んで寝る姿はなかなかに壮観だったが、ハヤトやシルターン出身の面々は喜んでいた。やはり故郷風の寝床で休めるのは郷愁を誘うものがあるのだろう。
 自分も同様に布団の中に入り、しばらく暗闇の中でお喋りをしたりしながらもことっと眠りに落ちた。
 ……が、数刻後、まだ月が空高くに上っている頃、ライはふと目を覚ましてしまった。早めに寝すぎたせいか、妙に眼が冴えている。
「……まいったな。とりあえず、水でも飲んでくるか……」
 同じ部屋(これがまた全員を収容してまだ余るほどでかい部屋なのだ)で寝ている奴らを起こさないように、そっと身を起こし外に出る。空は満面の星で、郷にまるで光が見えないためトレイユの郊外以上にきらめいて見えた。
 あまりに見事な星空なので、少しばかり気が変わって、ついでに少しこの島を散歩しようという気になった。もし万一こっちを襲ってくるような召喚獣や動物とぶつかったら、うまく狩ってさばけば明日の飯が豪勢になるかもしれないし。
 いつも通りの食材狩りに備えた装備を準備し、縁側(部屋から直接つながっている板敷の廊下はそう呼ぶのだと聞いた)から下りて履物を履き、外へと出た。特に行く先も決めず、ふらふらと歩きまわる。方向感覚には自信があるので、どちらに行っても無事御殿へ戻ってこれると踏んでいた。
 山を越え、道を歩き、清流の水で喉を潤したりしながらも歩く。けっこう歩いてきたな、と考え始めた時、小さな声で誰かが激しく言い争っているのが聞こえた。
 なんだ? と思った。ここは宴会を行った広場。どの集落からもだいたい等分の距離にあり、誰が来てもおかしくない場所ではあるのだが、ライはもしや無色の派閥の奴らが来たのでは、という可能性が気になった。
 ライはその気になれば野性動物でもほとんど気づかれないような静かな忍び足で歩くことができる。そろそろと近寄って様子をうかがい、驚いた。
 そこにいたのは、レックスとナップだからだ。なぜか、何事か言い争っているように見える。
「……だから、俺は本当に、そういうつもりじゃなくて……」
「……どうだか。先生のことだから、心の中では……」
「……心の中ではそうかもしれないけど、俺は、本当に……」
「……ほら、心の中ではそうだって、認めるんじゃん……」
 なにを言い争ってるんだろう、と首を傾げる。大人同士の喧嘩なわけだから首を突っ込むのは野暮だろうが、なんだか様子が変だ。レックスは自分よりもわずかに背の高いナップの両腕をつかみ、いやいやをするように手加減をして暴れるナップをかき口説くように密着している。
 どんな内容の話であんな状態になるんだろう、と気にはなったが、少なくともこんなところでのぞき見をしているのがいい結果をもたらすとは思えない。悪いが見なかったことにさせてもらうか、と踵を返しかけた時――
 レックスがぐいっとナップを引き寄せ、キスをした。唇に。それも、舌を差し込み絡ませ唾液をすする、少なくとも普通の教師と生徒の間では絶対しないようなキスを。
 ぱかっ、と口を開けるライに気づかないまま、ナップもそれに応えてしばしキスを繰り広げる。それからいかにも睦言を囁いていますという顔でお互いの体を擦りつけあい、そちらこちらにキスをしあい、そのままゆっくりと服を脱がしながらレックスがナップを押し倒して――
 唐突に自分が今やっているのはのぞきだ、という認識が訪れ、ライはばっと彼らに背を向けて駆け出した。頭の中は沸騰しそうなほど熱くて、しじゅうかんかん鳴っている。
 なんなんだ。なんであの二人がいきなりあんなことしてるんだ。いや、そりゃ、普通に考えてそういう仲だから、なんだろうけど。なんでそうなるんだ、そんなそぶり別に見せてなかったのに。
 御殿まで駆け戻ってきて、ざばぁっ、と井戸から引き上げた冷たい水をざばっとかぶる。何度も繰り返しているうちに頭は冷えてきたが、その分今の状況のおかしさに対する実感が強まってきた。
 別にレックスとナップがそういう仲になっていけないというんじゃない。人のことをああだこうだ言うほど悪趣味じゃない。
 ただ、考えてみたら、ちょっとおかしくないだろうか。だってハヤトはガゼルとそういう関係で、マグナはバルレルとそういう関係なわけで、レックスはナップとそういう関係で、自分は、兄貴とそういう関係で、しかもギアンにやたらひっつかれてて。
 なんでここまで男同士の関係が多いんだろう。世の中では普通そういう関係は後ろ指をさされるものだろうに(自分たちはテイラーの後押しもあってそんなことはないけれども)。しかもそれがそれぞれの仲間たちの中心的人物ばかりって、普通に考えておかしくないか。
 しばらく頭をぐるぐるさせて考えるが、当然ながらろくに結論が出ず、「とっとと寝るか……」と腰を上げる。実際、こんなところでライがそんなことを考えたところで、ろくに役に立たないのは自明なのだ。
 ――だが、ライの心の中で、久々に思い出した兄貴――グラッドのことが、つきんとライの胸を疼かせて、胸の底のふとしたことで思い出してしまうような場所に居ついてしまったことには、ライはこの時は、まるで気づかなかった。

 ざばり。船体がすべて特殊合金でできた船体の、海中部分から外に出てきたソルは、人もそうでないものも、命あるものはまるで見当たらない岩場に上がった。ほぼ体中を覆う特殊装備服から、ぼたぼたと水が滴り落ちる。
 同様に二十人近くもの人々が岩場に上がる。これはセルボルト家の残存勢力のほぼすべてだった。残っている者も、自分たちが乗ってきた特殊船の中で誘導役を務めている。今回の作戦は、それこそセルボルト家残存勢力のすべてを賭けた代物なのだ、余剰戦力を残している余裕はない。
「ふん……ここが、忘れられた島か。召喚獣どもが闊歩している島だというが……忌々しい。本来は我ら無色の派閥がすべてを支配すべき場所だろうに。集落を襲撃し、互いの立場というものを思い知らせてやりたいわ」
 忌々しげに言う重鎮の一人に、ソルは小さく首を振る。
「今はそんなことをしている場合ではありません。オルドレイクさまが遺された、最後の世界を消し去る方法。それを実行しなければ、我々はすでに組織として存在できなくなる」
「わかっておるわ! ……ふん、そういうお前はどうなのだ。兄姉どもはみな誓約者に骨抜きにされたというが、向こうに寝返りたくてうずうずしておるのではないか」
 その皮肉というにはあからさますぎる悪意と憎悪のこもった台詞に、ソルはあっさりと首を振る。
「俺は、果たさなくてはならない義務を放り出すような酔狂な真似はしません。きちんと最後まで、計画を遂行させていただきます」
「ふん! ならばせいぜい我らに尽くしてもらおうか! お前の要請に従って、我ら自身がわざわざこんな島までやってきたのだからなっ」
「ええ――心より、お礼を申し上げさせていただきます」
 そう言ってソルは、特殊装備服を脱ぎ始める。ソルが目的のために邁進するのはいつものことであり、道具のように扱われることも当然のこととされていたので、誰もソルの方を見ることはしなかった。
 だから当然、ソルの瞳がひどく、死者を燃した炎よりまだ、黒く、暗く、熱い輝きを持っていることも、誰も気づかなかったのだ。

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