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| ▼墨森です。 ▼えー、ザッピーさんにはもうお話ししたんですが、先週「CASSHERN」を観てきました。 ▼覚悟はしていたのですが、最初の10分で「これはダメだ」と思いました。しかし、カミさんが一緒だったので、いつもの様に映画館のゴミ箱を蹴り飛ばして「金返せ!」と喚きながら出て行くわけにもいきません。「ひょっとして、この状態から持ち直すのだろうか? だとしたら奇跡だが」などと、見え透いた自己欺瞞で誤魔化して観ました。 ▼私は基督教信者ではありません(し、たぶん監督の紀里谷氏もそうでしょう)から、当然、奇跡なんぞ起こるはずがない。我慢できたのは上映開始から50分たらず。あまりに出来が酷く、観るに堪えないので、ここで1回めの退席。すっかり凶悪な人相に変わっている自分がトイレの鏡に映っています。「いかん、心を広く持て、頑張るんだ、オレ」と5分ほど言い聞かせてから、暗がりの中、自分のシートに戻りました。が、それからさらに脳波がフラットになってしまうような演出が洪水のように続くのですよ。これで音が静かならまだ寝てりゃ済むんですが、ろくでもない映画の常で、効果音だけは虚仮威しにでかい。あいにく、珍しく睡眠をたっぷり取っていたので、うるさくて寝られたもんじゃないのです。ラストシーンを含めた20分間は画面を観ていません。ホールの喫煙コーナーで、ドア越しに漏れてくる音声だけ聞いていました(実は、この方が、くだらない視覚効果で誤魔化されない分、よけい脚本や演出の拙さがはっきりしちゃうんですけどね)。 ▼一言で言うと、この映画は「ゲロ」です。 紀里谷和明という「胃袋」は、 ・リドリー・スコット「ブレードランナー」のテーマ ・実相寺昭雄「帝都物語」の風俗 ・フリッツ・ラング「メトロポリス」(坂東妻三郎のチャンバラとクロサワの「姿三四郎」も入ってるな)のカメラワーク ・宮崎駿「風の谷のナウシカ」の環境設定と美術 これらを見境なく飲み込んでから、奇怪なまでに歪んで偏狭な戦後民主主義的センチメンタリズムというメチル混合焼酎みたいな合成酒を流し込んだあげく、未消化のまま吐瀉物を道路にぶちまけたのですな。 制作費6億円の「ゲロ」ですよ、景気いいね、どこの国の話だい?(笑) ▼他人を殴ったことも殴られたこともないガキが、「戦争」だの「人間の実存性と神」だのと、洒落にもならんようなクソ真面目なテーマを意味も分からず弄んでいる。これなら、「エヴァンゲリオン」の方がまだしもマシでしょう(もちろん、比較しての話。ワタシは「エヴァンゲリオン」が大嫌いです。ありゃ、「漫画ゴラク版『バイオレンス・ジャック』」だもの。お気楽なもんです)。 ▼未消化な「ゲロ」である証拠に、このクソ映画は、「痛くない」んですよ、あらゆるシーンが。人の死も流れる血も何もかも。 おまけに「気持ち悪い」。すべてが歪んでいる。色彩もパースも思想も語られる概念も感情も何もかも。 借り物を、自分で消化しないまま、整合性も何も考えずにつなぎ合わせたフランケンシュタインの怪物だからです。。 ▼もちろん、すべての表現はあらかじめ歪んでいます。ワタシだって、これが趣味を貫いた自主制作映画ってぇなら許しますよ、つーか、そんなもの最初から興味ないんで、黙殺しますけど。 しかし、こと商業エンタテインメントであるならば、自ずと求められる「認識の同一性」ってものがあるでしょう(むろん、これは、表現者自身が属している社会をはじめとする既成概念に縛られているってことでもあるわけで、これに縛られただけじゃ、何の新味も生まれない。そこら辺のせめぎ合いが傑作を生む妙味だと思うんですがね、ワタシは)。 この「認識の同一性」というハードルをクリアしていない限り、映画は、金を払った観衆という公約数を拾う娯楽として成立しない。元が「新造人間キャシャーン」というアニメなんで、比較してギリギリ合格点を出せる例をあげるなら「劇場版・伝説巨神イデオン」ってところですか。加齢臭みたいに不快な自己主張丸出しの演出をするなら、せめて富野由悠季程度にテーマを消化してくれ。 ▼大体だな、なんであんなにキャシャーンが弱いんだ? 人類を救うスーパーヒーローのはずだろ? おまけにやたら強いブライが、どういうわけか手榴弾食らったくらいであっさり死んじまう。自分で作った約束事を平気で放り出してやがる。「ずきゅーん、ばーん、だだだ……」って、3歳の子供のひとり人形遊びでも、もうちょっとその辺、自己規制するぞ、「誰かは分からないけどいつも観ている誰か」に対して恥ずかしいから(笑)。 ▼気の毒なのは、出演者たちです。最初から紀里谷監督を馬鹿にしきっていてやる気のまったくない「諸悪の根元」東光太郎博士役の寺尾聡(気持ちは分かるが大人げない。だったら、さっさと降りればいい。つーか、この監督がダメなのは、脚本読んだ時点で分かるだろうが、普通。金が欲しかっただけってんなら、不貞腐れてねぇでそれなりの仕事をしろ。親父が草葉の陰で泣いてるぞ)は、監督と同罪なんで「一緒に逝ってよし」なんですが、ブライ役の唐沢寿明、バラシン役の要潤、内藤薫役の及川光博あたりは、可哀想なくらい一所懸命に演技してましたよ。ことにアクボーン役の宮迫博之は、出色の出来だったと思います。ちゃんと「白痴」になってましたから。 あー…、主演男優と主演女優については、監督と同質のもの感じる人たちなので、やはり「逝ってよし」です(笑)。 ▼結論。 まともな娯楽映画を観たいなら、この映画を観るのはやめるべきです。突っ込み始めたら、3分間隔で激しく突っ込み続けなければならなくなるので、映画に集中できません。 他人のアラをあげつらい「バッカじゃねえの?」と嘲いたい欲求不満を抱えている人には、捌け口として好適です。この映画に唯一価値があるとすれば、その一点だけでしょう。ワタシもその一人ですけど(自縄自縛じゃなくて自嘲自爆だね、この結論・涙)。 ▼以上、墨森が観た「キャシャーン」の感想でございます。 あんまりむかっ腹が立ったんで、同じテーマでなんか書いてやろうかしら(笑)。 ▼追伸:「好評につき、公開1週間延長」だそうです、こんなのが。松竹、他に駒がないのか?
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