よく長時間風呂に入りながら読書をしたりするが、本を濡らしてダメにしたことは一度もなかった。ところが今日、いつものように風呂で本を読んでいたら、眠くなり、気がつくとボチャ、と本を湯船に落とした。慌てて拾い上げ、引き続き読書を再開した。紙が濡れていてページがめくりにくく、また濡れた部分に裏面が透けて読みにくかったが、本が落ちたショックで目も覚め、また読み進めるうちに本も乾いてきて、問題なく読書を続けられた。風呂を出る頃には二時間が経過していた。濡れてヨレヨレになった文庫本は俺だけのフォルムに変形し、何やら愛着さえわいてきた。
そんなエピソードをあいだにはさんで、沢木耕太郎の「壇」を読んだ。作家の妻の独白という形をとったノンフィクションであるが、表現者として筆をふるう文体も主観も間違いなく沢木耕太郎自身のものであり、それが私小説のようでもあり、やはり作家の妻の心情でもまたあるのだった。このような斬新な書物を湯船に浸けて自分だけのものにしてしまうなんて。思い出深い一冊だ。