非幻想異端的日常
2006年 8月 1日 (火)
 忙しいというのに、パソコンの調子が悪くなり、新しいの買う金も無いので、リストアしたら、そのリストアが原因で、完全にぶっこわれて動かなくなった。
 昔「北斗の拳」という漫画で、あるキャラが「まだ死にたくねえ」と言ってとった行動が、返ってその次の瞬間の死をもたすシーンがあったが、あれを思い出した(ジャッカルのエピソードだったかな)。
 如何ともし難い。

 まったく同じ絵でも、額縁に入れるとぜんぜん違って見えたりする。あの日はいつもと変わらぬ一日のようで、人生からきれいに切り取られた、まったく違う一日だった。美しくも残酷な物語だ。

2006年 8月 2日 (水)
 誰かがうまそうな中華料理を食っていて、俺も食いたくてしょうがないのに食えなくて、その人が料理をすべて平らげるや否や、いきなり時間が逆戻りをはじめ、彼の口からそれまで食べていたものが逆流し出し、皿の上にきれいにもどってもとのご馳走になったとして、あなたはその料理を食えるだろうか?

 高田馬場で商談。
 先方の景気のいい話しを聞いていて、
 金儲けって、こういうことなんだ。
 としみじみ思った。

2006年 8月 3日 (木)
Mac mini 絵は一度額縁に入れて壁に飾ってしまったら、二度と修正は出来ない。

 eMacがぶっこわれたので、ソフマップに行って、今度はMac miniを買ってきた。パソコンなんて、所詮使い捨てであるゆえ。

 亀田興毅の世界戦、仕事をしばし中断して事務所で皆と観戦した。試合内容では亀田が明らかに負けてるのに、判定では亀田の勝ち。あれで判定勝てたら審査員の意味がない。
 ネットの掲示板を見てみると、「八百長だ」と騒いでいるバカが多いが、言葉の使い方が間違っている。こういうのをホームタウンディシションというのだ。しかしこれほど極端な例もあるんだな。
 このどう考えても理不尽な判定に涙を流して感動している観客を見ていたら、昔、光ゲンジがレコード大賞を受賞したときの光景を思い出した。

2006年 8月 4日 (金)
 仕事で歌舞伎町へ行ったついでにリトルスプーンでカレーを食った。普通のカレーだがそれなりにうまかった。

 深夜、たいした用事もなく妹から電話があった。妹と老荘思想などについて話している間、ある人から着信があった。妹との電話が終わり、かけ直そうとも思ったが、こんな時間にたいした用事もなく妹から電話があることなど初めてだったので、これも何かのメッセージかと思い、かけ直さなかった。かけ直さない方がいいってことも、あるんじゃないかと思った。

2006年 8月 5日 (土)
 朝、家で寝ていたら、いきなり来客。驚いたが、予期せぬことではなかった。むしろ何となく今朝やって来るような気がしていた。折角だったので、ゆっくり話しがしたいところだったが、話しにならず、まあ話しになるような相手だったら話しがしたいような状況にもならなかったであろうが、とても残念だった。

 昼間はずっと仕事でテンパっていた。

 夜、長いメールを書いて、送信しようと思ったら、相手から長いメールが来ていた。書き上がっていたメールに返信文を付け足して、送りかえした。それから何度かメールのやりとりが続いた。朝の話しができなかった埋め合わせにはほど遠いが、それでもずいぶん気がすんだ。

 今日の日記の文体は、ずいぶん心理状態と異なる。俺は痛いところがあると、じっとさせておくより、逆に動かすタチらしい。

2006年 8月 6日 (日)
 編集長にあるブツを借りるため、外苑前まで出向き、以前はよく仕事でおつきあいがあったB社で合流。B社の社長さんとひさしぶりに会った。

 ブツを貰い、編集長と近所のインド料理ナタラジで食事。
 ここは自然派インド料理と称し、肉や魚をいっさい使用せず、野菜や豆類などのヘルシーな素材のみで調理した料理が食える。インド料理は本来、菜食が中心なわけだから、本格的なインド料理としては正統なお店といえる。
ナタラジ ふたりでリーラセットというセットを頼んだ。カレーは2種類選べ、編集長はチャナ・マサラ(ひよこ豆とポテトのカレー)とナタラジカレー(大豆グルテンを使用したなんちゃって肉のカレー)、俺はパンプキンマサラ(かぼちゃとミルクの甘口カレー)とダル・タルカ(レンズ豆とガーリックのカレー)をチョイス。ナタラジカレーはちょっと味がケバケバしかったが、それ以外は絶品のうまさだった。
 最初ここは南インド料理かと思ったが、どうも違うようで、かといって油クサくこってりした北インド料理とも違い、ウエイトレスさんに聞いてみたらシェフは西インドの人とのこと。しかし西インド料理というわけでもないらしい。とにかくインド料理なのだ。
 カレーもスパイスが効いていてあっさりしてうまかったが、食後のデザートに出てきたキールというお米を使ったプディングがまた甘くてうまくて、かなり気に入った。
 最近食欲がなく、ろくなものを食ってなかったので、ひさしぶりに食事を楽しめた気がする。ちなみに画像は写メ撮るの忘れたので、オフィシャルからのイメージである。

2006年 8月 7日 (月)
 朝8時に目が覚めたが、からだがベッドにはりついてなかなか起き上がれず、やっと動き出したのは午後3時すぎだった。

ジャック・スパロウ 優待券で映画に行ってきた。見たのは「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」。ちなみにパート1は見ていない。
 ジョニー・デップのジャック・スパロウの役作りを期待して見に行ったのだが、ジャックはとくにストーリーの中心というわけでもなく、大活躍するわけでもなく、彼が登場するのはストーリーを前に進めるのに必要な部分だけに出てきて、必要なセリフをしゃべるだけで、キャラがどうのという問題でもなかった。ならばストーリーで楽しめる映画かというと、ドタバタが多くてそれどころではない。ならばドタバタ喜劇として楽しめるかというと、前半にいくつか爆笑できるだけで、大方見ていて辟易するものだった。
 もう少しストーリーをシンプルにし、ドタバタを減らし、キャラをじっくり楽しめる作りにしたら、ジョニー・デップの力量が生かされ、おもしろくなってたんじゃないだろうか。
 アメリカ映画ってやつぁ、まったく。

 映画館の近くにあるカレー屋のチェーン店リトルスプーンでポークカレーを食った。チェーン店のカレーにしてはルーはまあまあうまいが、中に入っている豚肉と、テーブルにあったラッキョウが酷くまずかった。本質的なことではないが、それにしてももうちょっとマシにならないのかね。

2006年 8月 8日 (火)
 今日もいい天気だった。こんな日は外に出て太陽の光を浴び、ひからびた心を光合成したいと思うのだが、その前にまず事務所に行って、ささっとよもやまごとを終わらせてから外出しようとすると、数十分のつもりが数時間にふくれあがり、外に出る頃にはもう暗くなっている。そんな日がここのところ続いている。

 最近やたら忙しいが、その内訳は楽しいことが半分、苦手な仕事が半分、また忙しくて手が回らないこことも、やりたいことが半分、やるべきことが半分、しかしその結果は充実感が二割、疲労感と無力感と苦悩が八割である。比率は次第に逆転しつつあるが。
 よくないながらも上には向いているということだ。

2006年 8月 9日 (水)
シャンティカレー 最近、うちの近所に毎週火曜日だけ、シャンティカレーという移動型のカレー屋さんがやってくる。前からうちの事務所で話題になっていたのだが、遅ればせながら俺も先週初めて食ってみた。これがなかなかウマい。
 味のタイプとしては銀座のHARE GINZA(7月12日の日記参照)に似ているが、あれよりココナツミルクが効いていて、マイルドな味わい。ルーの味もなかなかだが、ご飯の上に乗っているトマトのマリネや豚そぼろやフライドオニオンなどのトッピングがルーと実によくマッチして、このあたりがやみつきになるポイントである。

 夜、胃がキリキリ痛んで、神経性のものだと思うが、仕事にならず、深夜12時前にベッドに横になり、うなっているうちに、いつしか眠ってしまった。そのまま朝まで、目が覚めたら午前7時だった。図らずも生活のリズムがもとに戻った。怪我の功名というやつである。

2006年 8月 10日 (木)
 朝から胃がやたら痛かった。胃など無くなってしまえばよいのに。思うようにめしは食えなくなるのは寂しいが、胃が無くなれば少なくとも胃痛で悩むことはなくなる。つまり俺がいま苦しいわけは、大事なものが無くなったのではなく、壊れたからなのだ。
 寂しいのがいいのか、苦しいのがいいのか。それはやっぱり寂しい方が幾らかマシに決まっている。寂しかったら埋めればいいが、苦しいときは、修復するか、切除するしかない。それはそれで、痛みを伴う。ああ、胃が痛い。

 夏バテをふっとばせ、ということで、夜、会社の皆で、妹とその友達のよこちんも誘って、歌舞伎町の小松にスッポンを食いに行った。
 今日のスッポンはなかなか元気なスッポンだったようで、食ってる先から元気が出てきた。胃の痛みも少なからず少なくなってきたようで、ひさしぶりにビールを飲み、最後の雑炊まで胃の隙間につめこんでやった。

 深夜めずらしく電話が嫌いなやつから電話があり、長電話をした。

2006年 8月 11日 (金)
 日記を書き忘れていたことを忘れていた。書くことも忘れた。
 とりあえず金が無くて喘いでいたことだけは間違いない。

2006年 8月 12日 (土)
 自主映画の音楽スタッフであるデリ兄さんとともさんが出演するというので、六本木EDGEのライブに行ってきた。おふたりを含め6組のアーチストが出演し、非常にクオリティの高い音楽を堪能した。
 ともさんは2番目で、trailmixというギャルバンドのキーボードを担当。ともさんのキーボードさばきはキース・エマーソンみたいでカッコ良かったが、音楽は思ったより普通のポップスという感じだった。デリ兄さんは6組のうち3組くらいのステージでギターをやっていたが、基本的に彼のバンドは最後のM's Kitchenとのこと。ボーカルの乙女が妙に場違いに可愛いと思ったら、仲井絵里香さんという声優さんらしい。当然、デリ兄さんが出ているステージは彼のギターばかり見ていた。
Chu Chu Chu Family 5番目に「チュチュチュファミリー」というバカ・ゴスペル・ユニット(画像参照)が出て、これがやたらツボに入った。これが今日一番の収穫だった。また見たい。いつか紅白に出てほしい。

 とりあえず今日のライブは非常に素晴らしかったが、4時間立ちっぱなしでかなり辛かった。俺は歩くのは好きで、何時間歩くのも平気なのだが、立ちっぱなしはかなり苦手なのだ。電車でも各駅停車3駅分さえ立ってるのは辛いのに、4時間だよ、4時間。それを我慢できるほど今日のライブが充実していたということだな。

2006年 8月 13日 (日)
 今度作る自主映画のロケ地探しがてら西新宿を散歩してたら、とんでもない雨が降ってきたのでスターバックスに避難。ココアを飲みながら澁澤龍彦を読み、雨に濡れ走る人間たちを観察しながら雨が止むのを待った。雨もすごいが、雷もやかましかった。こういう天気のときって、きっとこの原因となるべき人間が近くにいるのだと思う。雨が止んだ隙に、また降るといけないのですぐ事務所に戻った。ロケ地は探せなかったが、なんだか楽しいひとときだった。

 夜、新宿にて携帯三国志のオフ会。金が無いので一次会だけ顔出した。最近ドコモだけでなく、auでも始めたので、そのあたりの話しもまじえつつ、ビールを飲み、ここぞとばかりに食いまくり、エンタの神様が始まる頃に帰った。

 眠かったので、夜12時前に寝た。

2006年 8月 14日 (月)
 朝、起きてすぐ血糖値を上げるため、枕元に蜂蜜が置いてあるのだが、今朝5時半に目が覚め、いつものように蜂蜜に手を伸ばしかけたが、すでに頭ははっきりしていたのでそのまま風呂に入った。風呂から出てふと見ると、確かに枕元に置いてあった蜂蜜が無くなっている。どこを探しても、ない。これが音に聞く妖精のイタズラってやつだろうか。

 昼、印度カラオケで知り合ったお友達、花乃さんと西新宿でお会いした。彼女に貸していたインドのDVDを返してもらい、今まで俺があまり馴染みのなかった古いインド映画のDVDを貸してもらった。インド料理ジンナーで昼めしを食いながら、インドについていろいろ教えてもらった。彼女はヒンディー語を習っているし、それ関係の友人も多いので、なかなか見識が広く、勉強になる。インド人の店員さんと流暢なヒンディー語で話しをしている姿もなかなかカッコよい。こういう人が回りに一人いると、インド文化好きとしては心強いね。

 夜、雅珍公に電話。彼には先週電話で自主映画の出演を頼んでいたのだが、そのとき彼は酔っぱらっていて、まさかとは思っていたが、すっかり頼んだことを忘れていた。また一から説明し、話しを前に進めた。本当に出来るんだろうか、自主映画。

2006年 8月 15日 (火)
 出社。お盆休みで事務所には俺しかいない。やる気が出ず、まったり仕事をしながら読書したり居眠りしたりして、いつのまにか夜になった。夜になっても、状況は変わらなかった。結局、こなした実作業量は限りなく虚無に近かった。でもなんか、ちょこちょこ何かが前に進んだような気がする。

2006年 8月 16日 (水)
 自主映画の打ち合せで雅珍公と会う。ちなみに「雅珍公」という名前は彼が大昔このサイトに小説を投稿してくれたときのペンネームで、もう8年も前になり、あれ以来一度も彼はこの名を使ってないが、同サイト上における世界観を統一するためあえてこの名前でこの日記には登場する。
 その雅くんは車でやってきて、彼の車で資料となる音楽を聴きながら、われわれが昔よく遊んだ歌舞伎町などをドライブしつつ、話しを前に進めた。彼は俳優として招いたのだが案の定、内容にも積極的に口出ししてくるので、おもしろい。
 人によっては自分の作品に口出しされるのが嫌いな者もいるだろうが、俺はいろいろ言われるのが好きである。自分の自由な創意を制限されるという見方もあろう。しかし自由な芸術活動とは何か。芸術家が好き勝手に自らの精液を飛び散らせることか。否。様々な人々の感性が交差し、作品の形を縦横に変化させつつ、よいものが生まれてゆく。それこそが自由な創作というものである。と、この文章はオフレコでお願いしたい(本当にうるさいやつが増えてしまうと困るので)。
 続いて新宿南口で撮影担当のコータさんと合流。彼とは初対面。三人でデニーズに行き、あれやこれやと言ってる間に数時間が過ぎた。撮影の具体的なスケジュールとかシチュエーションとかを固めたかったのだが、雅くんが内容をもっと煮詰めないといかん、とまっさらのコンテ用紙を広げてうなりまくるので、流れにまかせた。新しいイメージもろくに出ないまま、後半は映画の雑談ばかりになった。
 作品は今月中に完成させねばならない。濃い半月になりそうだ。しかしなるべく薄口でいきたい。

2006年 8月 17日 (木)
 お盆休み最後の日。
 実際、うちの会社に固定したお盆休みは無いのだが、7月から8月にかけて自由に3日間休みをとっていいということにしたら、社員すべてが通例の14・15・16日を休みをとってしまったので、会社がお盆休みみたいになってしまったのだ。
 俺はお盆休みをとるつもりはなかったのだが、会社がもぬけの殻だとつい気分もたるみ気味になり、お盆休み気分に陥ってしまっていた。しかし、仕事はちゃんとやった。おまけに今日は洗濯もした。
 やたら暑くて、外にいると水をかぶったように汗が流れる。
 まだ夏なんだな。

2006年 8月 18日 (金)
 早起きして午前中、西新宿→南新宿→歌舞伎町と歩き回り、自主映画のロケ地を探しまわった。そこそこイメージに合ったところが見つかった。
 場所よりやっぱり天気だな、問題は。

 笑うセールスマンならぬ、涙のセールスマンが、俺に心を売ろうとしていた。その商品は心の底では欲しかったが、買っても使いこなせる自信がなくて、欲しくないふりをしていた。しかし購買意欲を嫌が上にもそそらせる、その巧妙ではないが厚顔無恥な手口に、思わず俺は財布に手を伸ばしかけたその時、そのセールスマンは「あっ」と言っていきなり商品をポケットに仕舞い、
 「これから家に帰って野球を見るので、今日これ売るのはやめて、明日また来ます」
 と言い出した。俺は「なんだよそれ」と思って一気に買う気を失った。
 「野球…ですか?」
 「ええ!今日、高校野球の決勝なんですよ!地元なんです」
 「何が何でも売りたかったんじゃないんですか、それ?」
 「でも野球も大事なんです!今日買っても明日買っても同じじゃないですか(笑)」
 買うか買わないかずっと迷ってたのを、やっと買う気になったところなんですけど…。
 「正直、買う気がなくなりました」
 と俺が言うと、そのセールスマンは慌てて商品をまたポケットから出して、じゃあやっぱり今すぐ買ってくださいと言う。
 再びポケットから出されたその商品は、どことなく色あせ、魅力を感じなくなっていた。あれだけの情熱を見せられて、買う直前になっていきなり「野球!」じゃ無理もない。
 セールストークを磨いて、後日また出直してください。

 午後、具合が悪くなり、夕方あたりから仕事を中断してベッドに横になったら、朝まで眠りこけた。

2006年 8月 19日 (土)
 昨日は夕方寝たので、今朝は朝4時に目が覚めた。痛快な早寝早起きモードである。お陰で仕事を始める前にめしを食ってインド映画を見る余裕まであった。

 そんなわけで、インド映画「Bhumika」を見た。1977年制作。ほとんど90年代のインド映画しか見たことのない俺にはなかなか未知の領域であった。
ブミカ ばりばりの芸術映画で、昔のインド映画にもこのようなミュージカルシーンのない(劇中劇という形でまったく無いわけじゃないが)、精錬された演出のマトモな映画があるのだと初めて知った。しかしそれは普段よく見ている90年代のインド映画と比べての話しで、他の国の映画と照らし合わせたらこれはこれでごくフツーの映画なのである。インド映画がマサラでツッコミどころ満載のいわゆる「インド映画」化したのはむしろこの後のことなのだな。
 ずいぶん若い頃のアムリシュ・プリが出ていて、その極悪顔を披露(役柄は極悪じゃなかったが)。前半だけ見ると昼ドラみたいな話しなのだが、後半いまいち難解でよくわからず、それでもまあそれなりに味わい深い作品であった。

2006年 8月 20日 (日)
 朝、出掛けるまで暇だったので、公開初日の朝イチで「スーパーマン・リターンズ」を見てきた。旧作は見たことがなかったので、これが事実上スーパーマン初鑑賞である。
スーパーマン いやもう、まさに「スーパーマン」って感じの映画だった。「スーパー」に「マン」をつけただけの単純明快なヒーローが、弾丸より早く、機関車より強く(機関車どころじゃないが)、大きなビルもひとっ飛び(ビルどころじゃないが)と昔ながらの超人パワーで、悪を倒す。ストーリーもカタカナ2文字に音引きをつけたような、「スー」っときて「パー」っといくような、スピード感があるようで、間延びした感じの、退屈するけどどことなくダルくはない、まさにスーパーマンとしか言いようのないストーリーだった。
 特筆すべき点は、意外にも恋愛エピソードに重点が置かれてることと、悪役キャラがおもしろかったことと、あとCGがとてもうまかったこと。
 スーパーマンを期待して見るのなら、ちゃんとスーパーマンに出来てるよ、と明言しよう。おすすめかと聞かれたら、スーパーマンとしてスーパーマンな出来映えだと答えよう。
 ただひとつだけ、この映画はラストシーンでミスを犯している。観客に、この映画は「スパイダーマン」よりはおもしろくない、と思わせてしまう、致命的なミスだ。この映画を見終わったら、スパイダーマンのラストを思い出してみよう。俺の言うことがわかるに違いない。

 昼、小田原で自主映画のロケ地の下見とテスト撮影。
 女優(兼ドライバー)さんが落ち着きが無く聞き分けの無い子供のようなやつで、動くなと言うのに動くし、動いた後もとの位置に戻らないし、何度ポーズを決めても軟体動物のようにモソモソと形を変えるので、なかなかやっかいだった。しかしいい絵が撮れた。イメージぴったし。
 撮影後、ギャラは出ないが、せめてデニーズで食事をおごる。

 夜、俺も何度かチャットで話したことのある、女優さんのネット友達が地方から上京して品川で飲み会をやっているとのことで、急遽、品川まで行って乙女3人と合流。
 三人ともイメージ通り、明るい子とクールな子ともの静かな子で、日本酒を飲みながら最近の紆余曲折などを語り合った。
 日本酒はやたらマズかったが、おもしろかった。

2006年 8月 21日 (月)
 昼、練馬の南インド料理ケララバワンがオープン2周年で、200名限定でミールズを無料でご招待との情報をミクシィでキャッチし、予約して突撃した。
 大江戸線で15分。練馬ってこんな近かったんだな。
 ケララバワンの前は無料ミールズを求めてやってきたハイエナどもが屯しており、かの南インド料理プロパガンダー・怪しいおぢさんの姿もあった。挨拶し、前回会ったとき(5月14日の日記参照)に借りてた金を返した。無料ミールズを食いに来たのに、逆にウン千円の出費をしてしまうとは、タイミング的に虚しいものがあるが、仕方が無い。
ケララバワンのミールズ 受付で名前を言い、いよいよ店に突入。バナナの皮みたいな皿にラッサム、ご飯、カレー、チャツネ、野菜、バナナと、次々に料理が並べられる。それを右手でぐちゃぐちゃかき回し、食った。うまい。南インド料理は現時点で俺の一番うまいと思う食事である。
 腹いっぱい食って、お店の皆さんに感謝の意を伝え、ほくほくと店を後にした。近いうち金払って食いに来よう。

 夜、テレビで「スーパーマン」の第一作がやっていたので、昨日新作を見た縁で、見てみた。
 終始「なるほど」の連続。新作は旧作の要素ことごとくを踏まえて制作されたのだということがわかった。
 新作の「スーパーマン・リターンズ」は完璧に続編として成り立っているだけでなく、旧作のツッコミどころもユーモアセンスも鋭いところもユルいところもモチーフもすべて現代の技術とセンスに置き換えられている。そういう点で、「スーパーマン・リターンズ」は続編としてだけでなく、リメイクとして見ることも可能であろう。

2006年 8月 22日 (火)
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 久しぶりに彼女と茅ヶ崎をドライブ。海を歩いた。
 ビキニ姿のお姉さんを見るのも楽しかったが、今日の茅ヶ崎の空は龍の気に満ち満ちていたようで、どこの空を眺めても必ず龍の形をした雲が現れていた(画像参照)。こういうのを龍神雲というのだろうか。こういうのを見るとき、だいたい俺は調子が良い。

2006年 8月 23日 (水)
 朝7時に起きて、ハチミツ入り牛乳を飲み、仕事し、スパイスヘブンで昼食を食い、新宿中央公園を散歩し、ウンコし、まったり仕事し、銀行に行き、仕事し、ミクシィや三国志でちらちら遊びながら仕事し、サッポロ一番を食い、バナナを食い、2ヶ月ぶりにひぐらしをやり、読書をして、1時半頃、寝た。
 書くことがない日は普通の日記になる。

2006年 8月 24日 (木)
 忙しくて日記を書く暇がない。

 あれこれするのに金が足りなくて困っていたら、今日、散歩してて、うちの担当の銀行員とばったり出くわした。
 そういう筋書きか。

2006年 8月 25日 (金)
 うちの会社が融資を受けることになった。
 これでいろいろ頭の中にうなっている企画が実現できる。

 忙しくて、毎日が混沌としている。
 楽しかったり疲れたり、わくわくしたりバタバタしたり。
 そのなかで俺の心だけが静かだ。

 混沌な毎日の最近の癒しはタランティーノの「ジャッキー・ブラウン」である。
 今夜も誰もいなくなった事務所でひとり、パムと、デニーロと、ロバートと、まったり戯れる俺がいる。

2006年 8月 26日 (土)
 今日は撮影日だったが、朝、雨がふっていたので中止にした。その後カラリと晴れたが、雨に遮られる可能性が少しでもあった以上、中止にしたことに後悔は無い。

 Bの仕事が締切に追われ、Aの仕事の指示が後から後からやってくるのを横目に、Bの仕事を着々と片付けた。来週はAの仕事の締切に追われるだろう。
 ちまちまと仕事をこなしているが、本当に俺が今やるべき仕事は、プラスマイナスの計算である。つまり小局にかまけて大局を見失わないようにしたい。ボチボチ切るものは切って、減らすものは減らし、詰めるところは詰めて、このどう考えても絶望的な状況を、不思議なくらいにゼロに近づけてみせたい。
 そんなことをつらつら考えていると、やっぱり俺の心は湖のように平らかである。

 現実を凝視する目と妄想をふくらませる心が境目を失っているような気がする。

2006年 8月 27日 (日)
 自主映画のオフ会。いつもより遅く起きた。

 午後4時頃から宇井郎さんと、宇井郎さんの紹介で先日知り合いになった円谷さんとルノアールでお茶。
 円谷さんの友達で、現在企画中の自主映画のヒロインにぴったりの子がいるとのことで、連れてきてもらって初対面した。
 少なくとも俺の目から見て、本当に容姿も雰囲気も内面も役のイメージにピッタリの逸材だった。これは大きな前進といえるかもしれない。

 6時から西新宿の三平酒寮で飲み会。
 この三平酒寮を会場に選んだのはお座敷が使え、料金が三千円で飲み放題と安く、しかも人数が土壇場まで変更が可能、飛び入り参加もOK、時間は何時間でも大丈夫という超融通のききっぷりが気に入ったからだ。最初は半信半疑だったが、実際4時間居座って何も言われず、ひとり欠席が出て予約した人数より少なかったのに、来た人数でちゃんと会計してくれた。素晴らしい。これからオフ会はここにしようかな。
 んで、オフ会である。
 参加したのは俺、宇井郎さん、円谷さんとその友達、ともさん、ピロさん、よっしーさん、初参加の姐御さんと菅さん。姐御さんはプロの脚本家で、菅さんはプロのアニメーターという、すごいメンバーが加わった。
 初っぱなから制作中の映画の脚本の話になった。初参加の姐御さんと菅さんが俺のリライトした脚本に疑問をぶちまけ、もともとこの映画の制作に乗り気ではなかった音楽スタッフの皆さんがそれに乗じて不満をぶちまけるという展開になり、なかなか手応えのある議論となったが、よくよく皆さんの話しを聞いていると、いろいろな意見が出てきてはいるが、結局のところ脚本がかかえる問題点はひとつであり、そのひとつのことを様々な角度から違った言葉で表されているだけだということに気がつき、表面上の言葉の解釈の食い違いはいっさい無視し、本質的な部分だけをとことん突き詰める形で議論を進めていったら、案外あっさりと話しはまとまった。
 最終的に脚本はその問題点を改善する方向でプロの姐御さんがリライトしてくれることになり、菅さんもご意見番としてこれからも制作の進行に貴重な意見を聞かせてくれることになった。
 中心となるスタッフがごっそり抜けて、長らく停滞していた自主映画だが、すごい協力者が新たに現れ、ようやく動き出した感じである。捨てる神あれば拾う神あり、とはまさにこういうことだな。
 飲み会の後、宇井郎さんと姐御さんと菅さんの4人でマクドナルドでお茶しながら、映画の話しをした。プロの業界で活躍されている二人の話しはとても興味深く、勉強になった。
 俺の人生のテーマである“コミュニケーション芸術”の大きな確信の一端を得ることが出来た一夜であった。

2006年 8月 28日 (月)
 インド映画「MUGHAL-E-AZAM」を見た。1960年制作。
MUGHAL-E-AZAM 最近ぼちぼち昔のインド映画に目を向けてきた俺だが、インドのクラシック映画を見るのなら、これはもうまず絶対に押さえておかなければいけないという、究極のインド映画クラシック娯楽超大作だそうだ。
 確かにスゴい映画で、インド映画ならではの恋愛悲劇に、「ベンハー」の足もとくらいには及ぶスペクタクルと、壮大な歌と踊りのミュージカル・シーンが3時間半の上映時間に怒濤のごとく炸裂する。
 カーストを隔てた道ならぬ恋といったストーリーは最近のインド映画でも飽きるほど繰り返されているパターンだが、それがこの映画では結婚に反対する王様ひきいる正規軍と、あくまでも自らの愛を貫こうとする王子が指揮する反乱軍との一国を争う戦争にまで発展する。とんでもない展開に驚愕しつつ、これがクライマックスで終わりかと思ったら、物語はさらに想像の及ばない方向に発展し、ラストで「こうなるのか!?いいのか!?これで!?」とひっくりかえった。
 インド映画だ! ブラボー! インド映画!!!
 王宮のセットといい、「Devdas」にそっくりなミュージカル・シーンといい、まさに豪華絢爛。ヒロインの女優さんも美しい。
 基本的に白黒映画なのだが、一部カラーになっていて、これは映画の制作中にカラーの技術が発達したため、一部カラーで撮影したそうだ。カラーのシーンがあまりにも素晴らしいため、監督は後から全部のシーンをカラーで再撮影しようとしたそうだが、金がかかるのでそれは中止になり、白黒とカラーが混在した状態で映画は完成したという。インドらしいエピソードだな。確かにカラーのシーンは目を見張るほど美しい。
 大変よいものを見せていただきました。

2006年 8月 29日 (火)
 昼。高田馬場。
 無理なこと言う人。

 夜。新宿南口ルノアール。
 大らかに受け入れてくれる人。

 仕事。
 夢の飛行船(馬)。
 人間の領域(英雄)。

2006年 8月 30日 (水)
 PVの撮影初日。今日は街の風景と屋上のカット。
 朝7時にカメラマンのコータさんと新宿西口で待ち合わせ、まずは街の風景を撮影した。西口ガード下を皮切りに、歌舞伎町、ゴールデン街と経て、花園神社のあたりまで回る。最初のガード下の撮影で30分ほど食い、撮影ってのは意外と時間かかるもんだべなあと感心。プロの丁寧な仕事はとても勉強になる。
 歌舞伎町に突入すると、コータさんがやたら怖がって、早く脱出したがっていた。確かに歌舞伎町で高価な機材を抱えて自由な創作活動はやや危険を伴い、気が引けるものがある。
 9時頃、主演の雅珍公くんがやってきた。役のイメージに合わせて無精髭をはやしておいて貰っていたが、なかなかいい感じである。彼の協力も得ながら残りの街の撮影をさくっと終わらせ、先日の下見で見つけておいたとっておきのロケ地まで行って、本日後半の撮影を開始した。ここだけの話しだが、撮影場所の許可などもちろん取っていない。いわゆるゲリラ撮影である。
 最初カメラを回すと、フレームの中の雅くんはやたら決まっていて、これ、演出いらないじゃん、くらいな勢いだったが、テストと本番を繰り返し、何度も同じ演技をやらすと、みるみるうちに演技がわざとらしくなってくる。なるほどこの男らしい。まあ難しい演技はないので、それでも何とかさくっと終わらせた。
 そんなこんなでスムーズに事は運び、10時半頃、撮影は終了した。思ったよりえらく早い。さすがいいスタッフと仕事すると早いな。
 打ち上げ替わりに喫茶店でお茶して、解散。
 撮影中、雅くんの顔の脂をちり紙で拭き取っていたとき、「創作っておもしれえなあ」と彼が漏らしたひと言が印象的だった。

 午後は仕事で忙殺。この忙しいのにPVの撮影が重なるとは、実にバランスの悪い人生である。

2006年 8月 31日 (木)
 朝イチで川越に行って印鑑証明を取ってきて、すぐ新宿に戻って銀行行って、その足で六本木に行き、夕方事務所に出社し、果てしなくたまった仕事を片付ける。税理士さんがやってきたが、ほとんど相手する間もなく仕事にうずもれていた。なんだか最近忙しすぎる。日記の文章もいい加減だ。


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