非幻想異端的日常
2006年 12月 1日 (金)
 文章を書くのが妙にかったるく感じる。というのは自分の文章の限界に甚だぶちあたっている時だからで、書きたいときに書く、書けないときは書かない、そんなゆとりのなかで執筆に興じているつもりでも、天命にかかわる部分だけに、精神は支配されすべてが影響を受けてしまったりする。
 この落ち込み具合がまたタマらない。

 池袋。一昨日に続きスパイスでカレーを食った。今日は牡蠣と蓮根のカレーを食った。メニュー的には牡蠣がメインだが、食いたかったのは蓮根である。
 で食ってて、水を飲んだら、コップの裏底にゴキブリがへばりついてるのを発見。最初、水の底に沈んでいたのかと見まがえ冷や汗が出た。ゴキブリのエキスを飲んでしまったかと思った。ウエイトレスさんに言ったら、謝罪のうえ「お口直しに」とオレンジジュースをくれた。こういう心遣いはカレー代をタダにしてくれるとかより嬉しいもんだな。なんとなく。

 夜、久しぶりに夜長姫とメッセで朝までお話し。映画の話しやプロレスの話しで盛り上がったが、なぜか最後はまた恋愛の話しになる。
 底にへばりついたゴキブリが水面に浮かんで見えるガラスのコップと、話しても話しても一向に底の見えないフトコロの深さを感じさせる麗しの夜長姫。対照的な一日であった(比べるなよ)。

2006年 12月 2日 (土)
 夕方。自主映画「Re」ヒロイン女優さんのオーディション&制作会議。女優候補は2名来る予定だったが、1名ドタキャンで辞退。
 立ち合いは監督の宇井郎さん、脚本家の姐御さん、音楽のともさん、助監督のテステスさん、主演のズックさんと俺の6名。
 女優候補の小梅さんは本名が元カミサンと一字違いで血液型も同じで、最初プロフを見た時ドキリとしたが、実物とお会いしたら当たり前だが別人でホッした。
 まずはオーディション。小梅さんはイメージもピッタシで演技もオーラも申し分なかった。12日に後3名オーディションをしてから最終決定を下す予定である。
 次に会議。とりあえずやること、必要なこと、今後のスケジュール、脚本の内容など、いろいろ話し合い、時間前に終了。実にスムーズだ。このまま撮影終了までスムーズに運びたいものである。
 撮影予定は来年の2月頃。それまでやることは山積みだ。

 夜。ドイツ映画「神に選ばれし無敵の男」を見た。監督ヴェルナー・ヘルツォーク。主演はティム・ロス。原題は「Invincible」で、邦題は長ったらしくてしまりがない。2001年制作。
INVINCIBLE 最近、大学生時代によく見たヨーロッパ映画の巨匠たちに再び目が向いているわけだが、今日はふとドイツのヴェルナー・ヘルツォークの映画が無性に見たくなり、TSUTAYAを散策していたら、なんと最近の作品でティム・ロス主演の映画があったので、借りてきてみたわけである。ちなみにヘルツォークといったら、イザベル・アジャーニ、クラウス・キンスキー主演の大傑作「ノスフェラトゥ」の監督と言えばわかるだろうか。ファスビンダー、ヴェンダースと並んで、ジャーマン・ニューシネマ三大巨匠のひとりである。
 やはり最近の作品だけに映像がキレイすぎて、昔の作品のような趣に欠け、キャストもティム・ロス以外は素人俳優ばかり使っているため、リアリティはあるものの、あまり魅力あるものとは言い難く、ストーリーは実際の出来事だから文句も言えないのだが、こういったユダヤ人のお話しはどうもカビが生えた印象を受け、飽きはしなかったがいまひとつノリきれなかった。ドイツ映画なのに英語で作ってあるのも大きな興ざめの要素だ。
 やはり脚本がいい。最初ヘルツォークにこの映画の制作の話しが来た時、ヘルツォークは企画はいいけど脚本がダメだから俺が書き直すと言って自分で書き直したそうだが、やっぱりこういったちゃんとした脚本にしっかり根を下ろして作られた映画というだけで、幾ら映像化の段階で欠点があっても、もうそこいらに掃いて捨てるほど転がっている日本映画の凡作駄作とは比べようもない高度な境地にあるのだ。
 しかしやっぱり古い映画を借りてこよっ。なるべくクラウス・キンスキー主演でね。

2006年 12月 3日 (日)
 りくさんの自主映画の本読みで高円寺へ。本読みと言っても演技指導するわけではなく、脚本の朗読会みたいなものだった。俺はト書きの部分を任され、セリフが少なくト書きばかりの脚本だけに、1時間半の本読みの半分以上はずっと俺がしゃべるはめになり、疲れた。こういうことをやると、自分の脳年齢の老化を痛感する。後半になるほどとちる回数が多くなる。脳年齢というのは持続力に大きく関係するのだ。
 ちなみに俺もセリフの無い役で出ることになった。自主映画に出演するのはこれで2回目。前回もセリフの無い役だったな。

 本読みが早く終わったので、飲みに行った。高円寺の中華で紹興酒をしこたま飲み、酔って店で爆睡。次の店ではさらに爆睡。カラオケでは元気になったが、クライアントから電話があり、いきなり仕事ができたので、3曲歌っただけで途中で切り上げ帰った。

 事務所に戻り、まだ頭が酔いの頂点で仕事。朝の8時くらいまでかかって何とか終わらせた。今日はもう寝ない。

2006年 12月 4日 (月)
 一睡もしてないので眠くて、3時頃昼食のラーメン食ったら、食後の映画を見始めて3分で思わず爆睡。気がついたら夕方だった。
豚めし 執筆しながらテレビを見ていたら、また腹が減ってきたので、近所にオープンした松屋に豚めしを食いに行った。この歩いて1分のところに松屋が出来たことは俺(貧乏・独り暮らし・彼女無し)の食生活に大きな意味がある。
 帰って食後の映画を見ていたら、また1時間くらいで爆睡。そのまま朝まで再び目を覚ますことはなかった。

2006年 12月 5日 (火)
 昨晩、映画を見ながら爆睡したお陰で珍しく今朝は早くお目覚め。午前中はびゅんびゅん仕事がはかどった。
 昼過ぎ、お歳暮でA社から佃煮が届いたので、早速昼食は米炊いてむさぼり食った。食後映画を見ていたらまたもや爆睡。ここまでくるとこの映画を見ることを睡魔に妨害されているような気にもなってくる。

2006年 12月 6日 (水)
KIKA ペドロ・アルモドバルのスペイン映画「キカ」を見た。やっぱりアルモドバルはこうでなくっちゃな。十五年前、スペインの劇場で見た「アタメ」の感動が蘇った。しかもこれは「アタメ」以上のトビ具合。もうなにもいうことはない。


 昼、葛西のクライアントの所にてパソコンの指導に赴く。昼食と珈琲をご馳走してくださった。有り難き幸せ。


 ぶらっきぃ!さんが出演する一人芝居のライブ「ヒトリシバイナイト」を見に、渋谷へ。
 彼の一人芝居はまだ三回目だが、三回目にしてすでにトリである。すごいもんだ。芸も安定してきて、安心して見れた。ネタは若干ゆるめだったが、今日の出演者は全体的にレベルが低かったので、ぶらっきぃ!さんはかなりおもしろかったほうだと言えた。
 なんとなくアングラな感じの芸人が多く、メッセージ性ばかりでエンターテイメント性に乏しい傾向が著しく目立った。ひとりよがりでかなり酷いものや、笑いをとるつもりなのか真面目なのかわからないような不気味なものもあった。ネタもいいし芸もなかなかだが、なんとなく見ていて暑苦しく、楽しめないものもあった。ネタは単なる馬鹿レベルだが映像的な想像力を刺激する詩的なプロセスに優れたものがひとつ、ネタはバカバカしいが芸風が確立されていて無難に笑えるやつがひとつ、そのふたつが一番気に入ったやつだったかな。
 とりあえず次はもっとパワフルなやつを期待したい。

2006年 12月 7日 (木)
 朝6時半に目が覚めた。

 母が遅ればせながら誕生日プレゼントをくれるというので、川越に帰った。大変よいものを買ってもらった。
ハングリータイガーのドライカレー 家でレトルトカレーを食わせてもらった。先日生まれて初めてレトルトでうまいカレーに出会って感激したばかりだが(11月9日の日記参照)、このレトルトカレーもまたうまかった。要冷蔵なのと値段が500円以上するのはレトルトカレーとして如何なものかと思うが、うまいレトルトカレーっても意外とあるもんだ。ハングリータイガーのドライカレー、覚えておこう。
 静香(妹1)が住んでるマンションで、不在時に点検か何かがあって部屋に関係者が侵入するので、そのあいだ飼ってる猫をかくまってほしいと母に依頼があったらしく、川越から母の車で池袋の静香のマンションまで行った。
 最初は猫を風呂場に入れて隠そうとしたが鳴きわめいてうるさいので、外に連れ出した。猫を抱いて近所をうろうろしていたら不審者と思われたらしく、マンションの管理人のおばさんに恐ろしい顔で「あなたはさっきからいったいなんなんですか」と怒られ、意味も無く謝った。仕舞いにはコートが猫の毛だらけになった。ちなみに小生、猫は嫌いである。
 そのまま母に新宿の事務所の前まで送ってもらって帰った。

 夜、ついに話題のホラー映画「ソウ」を見た。
 なるほどこれは「キューブ」のパクりでありながら、見事に「キューブ」に匹敵する完成度の高いミステリー性を実現している。演出がベタすぎてそれがオチの一部をわざわざバラしていたり、返ってそのヘタさに翻弄されて先が読み難くなっていたり、まぎらわしいところはあるが、なかなか楽しい映画だった。
 密室での主役ふたりのわざとらしい演技とベタなやりとりはかなり不自然で笑える。あまりにもこのふたりの演技というか演出がバカなので、きっと犯人はこの二人のどちらかだろうと勘ぐって見ていたら、すっかり本当のオチに思い当たらず、最後はわりと驚いた。
 もう一度見てもよいな。続編もおおいに見てみたい。

2006年 12月 8日 (金)
 午前中起床。昼、集金に来客。仕事。ドーナツ。煎餅。夜、妹がやってきて経理&修理。夕食、レトルトカレー(ハングリータイガー)。働きマン。映画を見ながら就寝。

2006年 12月 9日 (土)
 夕方、歌舞伎町。集金と雑談。
 夜、ひさしぶりにSさんの事務所で集金と雑談と打ち合せ。
 夕食、塩豚弁当(ファミリーマート)とサンドイッチ(同)とバナナ。
 映画を見ながら就寝。

2006年 12月 10日 (日)
 昼食はスパイスヘブンのインド料理のランチバイキング。

クリント・イーストウッド セルジオ・レオーネ監督のマカロニウエスタン「続・夕陽のガンマン」を見た。クリント・イーストウッド、リー・ヴァン・クリーフ主演。
 たまらん。死ぬ。おもしろすぎ。かっこよすぎ。ステキすぎ。

 セルジオ・レオーネのマカロニウエスタンのDVDボックスなんぞは発売されておらぬのかな。あったら即、買いなのだが。

 「続・夕陽のガンマン」のDVDを見た直後、招待券で「硫黄島からの手紙」を見に行った。クリント・イーストウッド監督。先月見た「父親たちの星条旗」に続く“硫黄島プロジェクト”の第二弾である。
 クリント・イーストウッドの西部劇に酔いしれた後で、クリント・イーストウッドの演出した日本人の映画を見に行くという、微妙にいかした映画体験だった。
 が、かなり違和感のある映画だった。文化も言語も違う外国人がその国のドラマを演出することなど不可能であるという事実を、全世界の映画界は肝に命じるべきだ。これは日本人の監督をたてるべきだった。見ていて日本人の演技とかそこに描かれている心理や行動学がみょうちくりんで、映画として成立していなかった。
硫黄島からの手紙 例えるなら、まともに野球をするには、バットとボールとミットが必要だ。竹竿とゴム毬と軍手で野球の試合は成り立たぬ。この映画はクリント・イーストウッドが竹竿を一生懸命振り回してゴム毬を打とうとしているような映画で、これはもう映画として評価以前の問題としか言いようがない。
 そんなこんなで見ていてなんとなく、この日本の俳優たちはクリント・イーストウッドのあの細い目にじっと見詰められて演じているのだなあ、などと、先ほど見た「続・夕陽のガンマン」の光景(画像右上参照)が想像の中で神秘的にシンクロしてきたりして、映画の本質とはまったく外れた境地で感慨に浸っていた。この顔がこのスクリーンを写すカメラの後ろにいただなんて、まったくにわかには信じられん。
 戦闘は迫力があってよかった。「父親たちの星条旗」のあのシーンの裏では日本人たちがこんな状態になっていたのか、みたいなおもしろさはあった。

※訂正:この日の日記で外人に日本人の演出は出来ないと書いたが、よく考えたら緒形拳主演の「MISHIMA: A LIFE IN FOUR CHAPTERS」だとか、日本語のわからない外人が通訳を通して演出した映画でちゃんとしたものはいくらでもあるよな。やはりここはイーストウッドの演出の技量不足ということでお願いしたい。

2006年 12月 11日 (月)
 ドゥーシャン・マカヴィーエフ監督の「コカコーラ・キッド」という映画を見た。1985年公開。
 最近ヨーロッパ映画に再燃してて、今週はなぜかドゥーシャン・マカヴィーエフ!というキーワードが突如として頭に浮かび、今ごろだがこんな映画を借りてきてしまったわけだ。
 マカヴィーエフは旧ユーゴスラビア出身で、あまりにも変態な映画ばかり撮るので本国にいられなくなり、亡命後はフランスやそこかしこで映画を撮っている。この「コカコーラ・キッド」はオーストラリアが舞台のわりと普通系の映画で、初期の変態映画からはかなりほど遠い。この頃、代表作の「モンテネグロ」などが日本で公開されにわかにマカヴィーエフが注目されはじめた時期で、そんな最中に突如としてこんなマトモな作品が鳴り物入りでビデオ化されたのだった、あれは高校の頃。
コカコーラ・キッド ヒロインがグレタ・スカッキだって。なつかしいやら可愛いやら。やたら官能的なベッドシーンがマカヴィーエフらしい。映像はすばらしかったが、ストーリーはノリで押し通す感じで、ラストのオチで唐突にメッセージが浮かび上がる。一見フツーの映画だったのに、ああそういうことだったのね、この映画は、みたいな。
 最初はオーストラリアのコカコーラの売り上げ低下をなんとかするために、アメリカからちょっと型破りなコンサルタント(主人公)がやってくるという、伊丹十三の「スーパーの女」のコカコーラ版みたいな出だしで、その後、オーストラリアの田舎の中小ドリンク会社との抗争に発展し、いつのまにか主人公とその秘書(グレタ・スカッキ)との恋愛ドラマになってゆく。
 普通の企業&恋愛ドラマみたいで、映像はやたら芸術的でキレイで、エロくてさわやかで、それでいて世紀末的な終末観を見え隠れさせる、なんとも言えない80年代の異物のような映画であった。

 暇なので幻想異端文学連盟の一部を更新したら、それまで一日のアクセスが50ヒット前後だったのに、またたくまにその日だけ500ヒット。極端すぎる。
 まあつまり、ってことは、このサイトはちゃんとマメに更新したら、オンライン文芸サイトとしてはそれなりのアクセス数になるということだ。
 とは言ってもうちは年二回の幻想異端文学大賞が中心のイベントサイトだから、定期的な更新といっても難しいものがある。誰か連載小説でもやらんか。やるか。
 それより「地獄」はまだかかるのかな、「もうちょっと待って」組の皆様。

2006年 12月 12日 (火)
 映画「メメント」を見た。
 記憶が10分しかもたない男が、妻を殺された復讐をたくらむお話し。記憶が10分しかもたないのに、どうやって犯人を突き止め殺すのかというと、逐一出会う人のポラロイド写真を撮影し、詳細にメモを取り、特に重要な情報はからだに刺青を入れ、それらの情報を頼りにガンバって妻を殺された復讐を果たそうとするのだ。
メメント おもしろいのはストーリーテリングの手法。映画の冒頭のシーンがなんとラストシーンから始まり、そこから少しづつ前のシーンに戻ってゆき、映画のラストシーンが最初の復讐に旅立つ場面になるわけだ。つまり主人公は少し前に何が起こったのか記憶がないので、映画を見ているわれわれも、現在のシーンの少し前に何が起こっていたのかわからないような状態で物語を見てゆくことができる。こういう形で記憶障害の主人公と同じ認識世界を映画によって共有できるというのはなんとも画期的なアイデアではないかね。
 しかも物語はとてもよく出来ている。深い。2回目を見てさらになるほど、な映画である。アイデアの勝利だが、アイデアだけじゃない、最後は強烈な事実を目の前につきつけられる、なかなか衝撃的な映画であった。

2006年 12月 13日 (水)
 自主映画「Re」のヒロインのオーディション。立ち合いは宇井郎監督、脚本家の姐御さん、主演のZucaさん、助監督のテステスさんと俺の五人。
 女優さん候補が三名来る予定だったが、三人とも風邪やら急用やらで辞退となり、ひとりもいなくなったところに、昨日いきなり「今からオーディション受けられますか」と問い合せがあって、会議室を予約したのが無駄にならなくて済んだ。
 やってきた女優さんは深月ユリアさんというアイヌ人とポーランド人のハーフのかたで、カメラを回しながら面接と、演技を少しやっていただいた。ポーランド出身とのことで、少しポーランド映画などの話しで盛り上がったりした。彼女が帰った後、ビデオを見ながら皆で検討したが、非常にカメラ映えする容姿で、演技もそれなり、オーラも申し分なく、監督・脚本家ともにいたく気に入っておられた。しかし如何せん、インパクトとオーラが強すぎて、これだと共演の俳優さんを見事に食ってしまう恐れがあり、しっくりくると言えばこないだ面接した小梅さんのほうがしっくりくる。あくまでも自然さを求めるなら後者だが、俳優さんがヒロインに合わせるという前提で、インパクトを求めるならやはり前者も捨て難い。そんなところでスタッフ一同悩みに悩んだが、やはりナチュラル路線かなと最後は小梅さんで決まった。ユリアさんはそのうち彼女のために書いた脚本で主演か、もっとインパクトが必要な強烈な役で一度仕事してみたい。
 とりあえずこれでめでたく全キャストが決定した。あとは来年2月の撮影開始にむけて、準備に邁進あるのみである。
 オーディション後、照明のやっさんがやってきて、喫茶店で宇井郎監督とテステス助監督と雑談と照明の打ち合せをやった。


 暇な時に映画の脚本てものを初めて書いてみた。幾人か読ませてみたら、ことごとく違った意見が返ってくる。「おもしろい」「つまらない」「笑える」「笑えない」「シュールだ」「自然だ」「不自然だ」等々。いったい自分は何を書いたのか、よくわからなくなった。

2006年 12月 14日 (木)
 仕事。昼食。昼寝。仕事。スカイプ。夕食。

2006年 12月 15日 (金)
 モーニング。はちみつ牛乳。仕事。卵ゴハン。昼寝。仕事。働きマン。

2006年 12月 16日 (土)
 たまにレギュラー出演している某ネットラジオにゲスト出演。「たまに」「レギュラー」というやや矛盾した言い方だが、細かいことはまあほっといていただきたい。口べたで滑舌の悪しき俺がネットラジオに出演していること自体がそもそも大きな矛盾なのだ。
 同ゲスト出演で日本初のアダルトサイト「TT」の創始者であるKさんと初対面。十年以上前、俺が初めてインターネットを始めた頃から見ていた有名サイトだけに、団鬼六と知り合った時ほどに感激したが、よくよく話してみたら単なる変態だった。しかしパワーあふれる情熱とバイタリティは大いに見習いたい。尊敬すべき人物である。あと前回の収録の時にもご一緒した下関マグロさんとも再会した。
 まずは渋谷で収録。三本分くらい録りだめして、新宿に移動。朝から何も食ってない状態でさらに二本収録。楽しかったが疲れた。収録後、へろへろになってラジオ番組の主催のεさんとKさんと三人で歌舞伎町でめしを食い、帰った。

 ちなみにK氏は俺と同い年だった。

2006年 12月 17日 (日)
 新宿東口前の喫茶店ボアにて自主映画「Re」の打ち合せ。
 本日は「Re」の原案を書き、ミクシィを退会して一年ほど戦線離脱していたチキンさんの満を持しての復帰ということで、まずは重鎮との顔合わせがメインである。参加は宇井郎監督、脚本家の姐御さん、小野寺助監督、そして本日の主役チキンさん。
 姐御さんの書き直した脚本にヒロインが刺青をしている踊り子さんという設定が加わっていたが、ちょうどチキンさんが将来彫師を目指しているということを思い出し、彼女にヒロインの背中の刺青を描いてもらうのと、出来ればヒロインの部屋のインテリアデザインなどをお願いできればと考えていたが、チキンさん、快く承諾してくれたばかりでなく、ぜひヒロインのステージ衣装も担当したいということになり、全面的に映画の美術をお願いすることで決まった。
 チキンさんに新しい脚本も読んでもらった。彼女が最初に書いた原案からはかなり内容が変更され、タイトルも変わっていたが、気に入っていただけたようで、ひと安心。いろいろ美術面に関してその場でアイデアも出してもらい、頼もしい仲間が復帰してくれた手応えのようなものを強く感じた。
 思えば一年以上前、コミュニティを立ち上げ、映画のプロットを募集してからチキンさんの原案が届き、その新鮮な感覚に何かを感じ、映画化を決め、それから半年ほどの停滞を経て、スタッフが次第に集まり、よくぞここまで来たというところまで形になってきた。それまでの紆余曲折を思い起こせば感慨深いものがある。

 「Re」の打ち合せの後、今度はりくさんの自主映画のリハーサルで高円寺へ。駅から会場へ向かう途中、主演の雄大くんと八百屋でバナナを買っているところに遭遇。一緒に会場入り。
 リハーサルは2ヶ月前のオーディションの時と同じく、俳優さんたちの主体性を全面的に尊重する形で行なわれ、具体的な指示や演出はいっさいなし。自分で解釈して自分の世界をつくれという俳優にとっては過酷ながらおもしろくもある状況である。とりあえず何も言わずに眺めていた。

 リハーサル後、タイ料理で飲み会。
 ひさびさのタイ料理に狂喜乱舞で食いまくる。

2006年 12月 18日 (月)
 突然、寿司が食いたくなり、久々に西新宿の前よく行った回転寿司にふらり。ここ、以前は全皿130円均一だったのに、皿の色によって値段の違う普通の回転寿司に退化していた。

カルネ ギャスパー・ノエ監督「カルネ」という映画を見た。
 気持ち悪かった。赤かった。なんで人物のアップで目がフレーム外になるんだ。だいたい何が言いたいんだ。まあそれは考える気にもならないからってのもあるんだが。
 とりあえず肉食った後じゃなくてよかった。寿司で。

2006年 12月 19日 (火)
 11時起床。はちみつ牛乳。仕事。お歳暮のお菓子。振込。お茶。仕事。納豆。卵ごはん。佃煮。ベーコン。アンダーグラウンド。のだめ。いつのまにか就寝。

2006年 12月 20日 (水)
 歌舞伎町のスッポン料理「小松」にて、我が社の忘年会。
 参加はケンちゃん、つぶら、コジロウさんの社員一同に、ゲストでT社のSさん、静香(妹1)とその友達であり俺の妹分でもあるよこちん、そして天野の8人である。
 Sさんは前回、すっぽん初体験でそのグロさに味わうどころではなく、今回誘ったときも「またスッポンですか!?」と辟易していたが、今日は2回目だけあって余裕があったらしく、初めてすっぽんのうまさがわかったようで、始終うまいうまいと喜んでいた。
すっぽん 確かに今日のすっぽんはいつもよりいっそううまかった。ちなみに画像は左が内臓などの刺身、右が鍋である。コラーゲンたっぷりで栄養があって元気が出て、とにかくうまい。それにしてもこの画像、とてもおいしそうに撮れているね。
 帰りがけ、女将さんに「今年でお店、閉めるんですよ」と衝撃的な事実を伝えられた。ががーん。小松がなくなったら、俺はどこですっぽんを食えばいいのだ。ショックのあまり、すっぽんを食ったばかりだというのに、元気がなくなった。

2006年 12月 21日 (木)
 友人の花乃さんが最近ダンスに興味があるらしく、仕事の合間に歌舞伎町で待ち合わせてダンス鑑賞にお連れした。ちなみに彼女は来年はれて大学生になり、入学したらベリーダンスをはじめるそうだ(ベリーグッド!)
 この世のものとは思えないほど美しく素敵なキラキラ輝くお姉さんたちを眺めて楽しんだ後、花乃さんの地元の吉祥寺に行って、インド料理パトワールで食事した。パトワールはうちの近所にもあるが、吉祥寺のも一度食ってみたかった。同じ味だった。花乃さんはヒンディー語が専門だが、インド人の店員さんと流麗なヒンディー語でしゃべっているところはとてもカッコいい。ひょっとして俺は外国語フェチだろうか。
 めしを食って、すぐ新宿に戻った。

 テレビで亀田のボクシングの試合をみた。
 前座に亀田大毅の試合があったが、相手の選手がなんだかやたらヨボヨボのじいさんで、景気づけに絶対勝てそうな相手をぶつけた様子があからさますぎて逆にしらける。
 そしていよいよ亀田興毅 vs ランダエダ。亀田が変に守りに走り、凡戦となったが、とりあえず前回の疑惑の判定以来、心にもやもやしていたものはスッキリ晴れた。凡戦なのにここまで納得のいってしまう試合もめずらしい。

2006年 12月 22日 (金)
アンダーグラウンド ケンちゃんに「つまらないですよ」と薦められ貸してもらったDVDで「アンダーグラウンド」という映画を見た。旧ユーゴスラビアの紛争をシュールな笑いで描いたカンヌ映画祭パルムドール受賞の作品である。
 確かにつまらなかった。映像と俳優の顔があまり好きじゃないのが原因だ。出来はかなりいいと思う。もっとノッて見ていられたらかなり傑作だと思えたんじゃないかと思えるようなおもしろい映画で、俺としては非常に惜しいというか、残念。音楽と女優はよかった。
 生まれ変わったらぜひ好きになりたい映画のひとつである。

2006年 12月 23日 (土)
 FAXが壊れたので、ヨドバシカメラに買いにいった。光を契約すると2万6千円のFAXが2万円引きになるというので、いい機会なので契約した。安い買物になった。

 米を炊いて夕食のおかずを買いに出掛けたらインド料理が食いたくてしょうがなくなり、パトワールでチキンマサラをテイクアウトした。ここのチキンマサラは天下一品なのだ。待ってるあいだ、サービスでダールのスープが出てきて、これがまたうまくて上機嫌。

Giu La Testa セルジオ・レオーネ監督の映画「夕陽のギャングたち」を見た。
 西部劇の傑作群をドドドーンと放出した後にレオーネが放った、西部劇みたいな革命映画。しかし中心にあるのは熱い男たちの野望と友情である。ちょっとクサくてついていけないものはあるが、もうなんでも許す。泣けないけど泣かせる映画だ。
 音楽がむちゃくちゃいい。やっぱりジェームス・コバーンだと物足りないなあとか、普通の西部劇のほうがいいなあとか、クサいストーリーだなあとか、だらだら見てても、魔法のようなしびれる映像の数々に、気持ちは思わず映画の世界に引き戻される。
 レオーネってつくづく、駄作を作りようがない特殊な才能をもった監督だと思う。

2006年 12月 24日 (日)
 休日。今日は予定が潰れたので急遽ひまになった。

 脚本も一段落してるし自主映画も嵐の前の静けさという感じで、ひとりまったりと昨日買ったFAXをセットアップしたり、古いFAXをヨドバシに持っていったり、その帰りにそば屋で唐揚げセット食ったり、映画を見たりしてすごした。

いつかギラギラする日 深作欣二の「いつかギラギラする日」を見た。素晴らしい。
 後半やりすぎというか、ドカーン、バキューン、ダダダダダダダダダッ、ガシャーン、ババーン、ギャー、ガガガッ、ドドーン、ばかりって感じでちょっと安っぽくなっちゃったけど、深作演出の神髄は堪能できた。特に前半のテンポ良さはもうかっこよくてたまらん。
 荻野目慶子をはじめ、キャストがぜんぶいいね。

2006年 12月 25日 (月)
 とりにいくものがあって、実家に帰った。「とりにいく」とひらがなで書いたのには俺がひらがなが好きだという以外に深い意味がある。つまりモノをとりにいったのと、自主映画で実家の部屋を使うので、写真をとりにいったのだ。

豚テキ 静香(妹1)も来ていたので、クリスマスだし、母と三人でめしを食いにステーキのどんに行った。ここで俺が食うものは決まっている(画像参照)。豚テキ。ここの豚テキはうちの家族で賛否両論なのだが、そのわけは肉の半分がトロトロで、半分がパサパサなため、初めてのひとくちがトロトロの部分だと印象がよく、パサパサの部分だと印象が悪くなるためだと考えられる。
 食後、スタバで珈琲を飲みケーキを食い、カラオケに行った。家族でカラオケとはまた素敵なアットホームっぷりではないか。母がいるのであまり知らない歌を唄うのはどうかと思い、シャンソンや石川さゆりや懐メロを中心に歌ったが、いくつかは撃沈した。

 実家に生前、祖父が作った龍の彫物があったので、これは俺の新宿の部屋の守り神に相応しいと思い、もらってきた。
 あれは俺が小学生の時、家族でどこかに出掛けた折り、山か林を歩いていると、祖父が木切れを拾ってきた。そんなものどうするのと聞くと、祖父はこれを持ち帰って龍を彫るのだと答えた。それから暫くして、ただの木切れは見事な龍の彫物になった。30年近く前のことである。
 祖父が他界してから15年以上も経つが、今ごろになってやっと俺のところに持ってくる気になったのが不思議でしょうがない。どう考えてもこれは祖父が亡くなった時点で、俺が持ってしかるべきものなのだ。いや、あの龍は俺が欲しいとずっと前から言ってはいた。しかしいざ持ってくることを思い立つことはなかった。まるで自然にその時を待っていたかのように。この不思議さは俺じゃないとわかるまい。
 龍神様も長年、実家でホコリをかぶっていたのでさぞ喉が渇いているに違いないと思い、帰りヤマヤで純米酒を買ってきた。部屋の水晶珠の横に飾り、酒と粗塩をお供えし、香を焚いて手を合わせた。やたら気分がいい。
 画像をここにアップしたらいかんかなと思いつつ、まあダメならいつものように何かしら拒否のお告げがあるだろうと龍神様を携帯で撮影してパソコンに送ろうとしたら、本当に原因不明のエラーで何度やってもメールが送れなくなった。サーバにアクセスしたり管理画面で設定をチェックしたりしたがまったく問題は見当たらない。申し訳ありませんと直ちに写メを削除したら、普通にメールは送れるようになった。愚かな所業だったがコミュニケーションがとれたみたいでなんとなく嬉しい。

2006年 12月 26日 (火)
 恐怖の給料日。おお、神よ。

カーネルサンダース クリスマス。この日のためにケンタッキーフライドチキンのクリスマス・パックを注文していた。午後4時頃もらってきて社員一同、社長室に集まりささやかながらプチ宴を開催。チキンにかぶりつき、シャンメリーを飲みながら、ケーキをむさぼり、サラダを食い、クリスマスを味わった。
 ちなみにケンタッキーフライドチキンは鶏一羽で9ピースできるらしい。その内訳は胸肉1ピース、あばら肉2ピース、手羽2ピース、腰肉2ピース、もも肉2ピース。んで、俺はレバーのオマケが入っている腰肉が一番好きだった。ただ腰肉は見た目がパサパサの胸肉とあまり変わらず、見分けが難しい(ここらへんは吾妻ひでおの漫画に詳しい)ので、いつものように必死こいて腰肉を探したが、結局みつかず、そこんとこは非常に残念。
 しかしなにはともあれ、うまいクリスマスだった。

 夕方、自主映画Reの助監督テステスさんがカメラを買うというので、西新宿で待ち合わせて同行した。
 彼も将来は映画監督を目指しているので、これから自主映画活動をする際、俺のこれから買うカメラと機種をある程度合わせておけば、お互いカメラをレンタルし合って、二台で自主映画が撮れるという計画である。
 もともとはパナソニックのDVX100の中古を買う予定だったが、最新型のDVX100Bが55万のところ、なんと期間&台数限定で27万で売っていたので、そちらをその場で衝動買いした。俺も同じものを買うかもしれん。時代はこれからハイビジョンに移行してゆくことになるが、ハイビジョンのようにあまりにも鮮明に映りすぎるのも微妙なところで、例えば時代劇なども最近はハイビジョンで撮るようになったが、カツラの境目までクッキリ映りすぎたりして甚だ俺の周囲では評判が悪い。ハイビジョンに移行してゆく前段階の最終形態のカメラとして、DVX100Bは現状でベストチョイスではないかと考えている。
 ほくほくと購入したばかりのDVX100Bをかついだテステスさんと、途中クリスマスのケーキを買って、俺の社長室まで赴いた。
 俺にとっては本日2回目のケーキを食いながら、DVX100Bをいじって遊んだ。セルジオ・レオーネのカメラワークを真似してテステスさんの顔を撮影したり、セルジオ・レオーネのビデオを流しながら、俺の顔もこういう風に撮ってくれと彼に頼んで俺を撮影してもらったが、どうもヘタクソでセルジオ・レオーネにならず、なんて不器用なやつだと笑ったりして、映画監督なひとときを過ごした。
 夜9時頃税理士さんがやってきたので、テステスさんは帰った。

 のだめ最終回。ってゆうかもう最終回かよ。もう少し見たかったな。最近のドラマは短すぎる。なんか物足りなくてぜんぜん感動できなかった。

2006年 12月 27日 (水)
 雨。

2006年 12月 28日 (木)
 仕事納め。今年の師走はいつになく暇で、それほどバタバタすることなく、まったり更けていきつつある。クライアントも全体的にそんな感じらしい。暖かく、そして寒い冬を過ごしている。

 脚本家の姐御さんに誘われ、下北沢の業界関係の忘年会に出席。他の参加は宇井郎監督、テステス助監督、原案・美術のチキンさん、その友達の衣装さん、ヒロインの小梅さん。
 業界関係というだけに出席者はほとんどが俳優さんやらプロデューサーさんやら、映像の仕事に携わっている人ばかりのようだったが、誰とも面識がなく、知り合いだけで固まってしゃべっていた。人脈を広げるために来たのだが、その点においてはあまり意味がなかった。そのうち脚本家の姐御さんが次の予定に去り、いまいち居心地悪いわれわれは、酔っぱらったチキンさんとその友達を置き去りにし、近くの焼肉屋に移動した。
 小梅さんは四国出身で、長女だからか年齢の割に驚くほど落ち着いている。こうして焼肉屋に入ったりすると肉をせっせとひとりで焼いては男の皿に配ってくれたりして、こういう女性っていいなとしみじみ思った。

 終電前に帰ってオーラの泉を後半半分だけ見た。

2006年 12月 29日 (金)
 暖房が壊れて指がかじかんでキーボードが打ち難い。

LockStockAndTwoSmokingBarrels イギリス映画「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」を見た。イキの良い映画で、おもしろい。小品で佳作って感じだが、何度見てもおもしろいタイプのおもしろい映画であった。
 画像はチョイ役ながらシャープな存在感で素晴らしかったスティング。

 自主映画仲間のともさんの出演するライブで六本木EDGEに。
 ともさんのバンド他、総勢7組のアーチストが出演したが、俺の中でこの日の目玉はチュチュチュファミリーというアカペラのユニット。前回のライブ(8月12日の日記参照)でその音楽の素晴らしさとエンターテイメントっぷりに感銘を受け、楽しみにしていた。実はこのユニット、5人組だったのだが今年の2月に解散し、その後は3人で活動しており前回見たときも3人でのステージだった。それがこの11月にCDを発売した記念に本日限り5人での復活の再結成ということで、大変貴重なチュチュチュファミリー完全版体験なのである。
 ライブは4時間の長丁場なのでかなり辛かった。俺は歩くのは得意で未だに何時間歩いても平気なたちだが、この歳になると立ってるのが辛く、電車に乗っても座れないときは座れる席を探して電車の頭の車両からケツまで歩いたりする。基本的に俺はともさんのバンドとチュチュチュファミリーが見れればいいのだが、ともさんは2番目でチュチュチュは6番目なので、間2時間ほど空きまくり、途中ライブハウスを出て近所のドンキホーテを散策したりして腰を紛らわした。ちなみに六本木のドンキは新宿や渋谷よりもいろいろな意味で充実しているような気がした。
 そしていよいよチュチュチュファミリー。最初から圧倒的な盛り上がりで、こないだ買ったCDでしかもう聴けなかったはずの迷曲の数々が直に聴けて、アンビリーバボーな楽しさだった。この楽しさは今宵限りなのかと思うと、楽しいぶん寂しさもよぎったりして、忘れられない夜になった。
 ともさんは女性のシンガーソングライターのかたのキーボードを担当していて、前回に引き続き普通のロックという感じ。最後に大御所、デリ兄さんのバンド・M's Kitchenがトリをつとめ、これもなかなかどうしてデリ兄さんのギターとボーカルふたりの渋さと可愛さ相まって、最高だった。
 ライブ後、ともさんに打ち上げに来ないかと誘われたが、金が千円しか持ってなかったのと、今からだと確実に始発になるので明日の忘年会にも響くと思い、チュチュチュファミリーや他の素敵なアーチストの皆様方と飲めるなんて身に余る光栄だと思いつつ、泣く泣く辞退して帰った。まあ音楽オンチの俺がそんな中に入るのも恥ずかしいしね。終電後だと逃げ道ないし。

2006年 12月 30日 (土)
 昼間、悠里がひさびさに遊びに来た。もともと用事があったのだが、いろんな人がいろんなことを言ってきたりして、当初の目的は曖昧模糊と方向性を失い、軽い雑談まじりの打ち合せのみになった。

 夜、夜長さんの忘年会で川崎に。顔が広い夜長さんの忘年会だけに、知らない人ばかりで、知ってる人はほとんど宇井郎さん、天野、長島さんの三人のみ。
 最初は川崎のオーガニック料理食べ放題飲み放題の店で一次会。食べ放題だとついつい自分のキャパを越えて食べ過ぎるきらいがあり、案の定、腹が痛くなった。しかしうまかった。同じテーブルには宇井郎さんと長島さんと初めてお会いしたライターのかたがいて、主に宇井郎さんと今度制作する予定の和製マカロニ・ウエスタンの話しで盛り上がった。宇井郎さんは映画や創作の構想がわき上がってくると急に無口になる頼もしい沈黙ぶりが微笑ましい。
 二次会は蒲田に移動して居酒屋。腹が痛くてほとんど何も食えなかったが、宇井郎さんとの話しはおもしろく、ひさしぶりに終電で帰らず、オールナイトで楽しんだ飲み会だった。

2006年 12月 31日 (日)
 朝帰りだったため、昼間は寝ていた。
 目が覚めたらまだ暗かったので、変だなと思ったら、夕方5時すぎだった。ここんとこずっと午前中に必ず起きる習慣だったので、目が覚めたら暗いだなんて、かなりショックだ。
 ささっと起きて少し仕事して歌舞伎町のクライアントのところに出掛けた。たまっていたものをもらい、わがままを聞いて、帰りTSUTAYAでビデオとDVDを借りた。

 夕食というか朝食というか、食事はオクラ入りの納豆巻と緑のたぬきを食った。
 ちなみに俺は納豆巻が好きでコンビ二でめしを買うときは必ず納豆巻を手に取るのだが、コンビニに行くと以前までは必ずあったはずの納豆巻がなぜかこの二三ヶ月はいつも売り切れていて、ないのだ。ひょっとして「働きマン」の影響だろうか?
華麗なる対決
 フランス映画「華麗なる対決」を見た。ブリジット・バルドーとクラウディア・カルディナーレ主演、フランス製の女性版ウエスタンである。ラストでBBとCCが対決する西部劇だなんて聞いただけで胸躍るパラダイスだが、誰も死なないし対決といってもキャットファイトだしで、単なるアイドル映画で終わってしまった感じである。いや、アイドル映画なんだからこれでいいのか。

 去年にひきつづきクライアントさんに招待され、芝浦はクルーザーでの豪勢な忘年会に出席。
 おいしい食事と酒と優雅な窓から眺める夜景と、グラグラ揺れる船上での船酔いも加わって、酒のまわりも早く、いい気分で楽しいひとときを過ごさせていただいた。
 恒例の隠し芸大会は、寒さがウリだった去年に比べて今年はストレートにおもしろくなっていて、どうしたことか笑えて仕方が無かった。どちらにころんでもおもしろいのが年末の隠し芸といったものである。


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