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パリブレストは恋の味

モロゾフと櫻井との関係は相変わらずだった。給料日に櫻井の行きたい店で食事をし、店を変えて酒を呑み、堂山町のラブホテルに泊まるというのが恒例となっていた。昇級して給料が上がったので奢る余裕が十分にあるからというよりも、海外転職が決まらずフリーター生活を余儀なくされている櫻井に同情しているからという理由の方が強い。食事のメニューもセックスのメニューも櫻井のリクエストのままに応じる自分のお人好し加減にホトホト嫌気がさしているのだが、月一とはいえ、一度は好きになった男と肉欲を貪れるチャンスを手放すことはできないのだった。

セフレだと割り切ってはいても、自分が興味のあること以外には反応がさっぱりな櫻井と付き合うのは正直言ってストレスがたまる。そんなある日、たまに食事に行ったりする取引先の20代の男から競馬場に誘われた。
「僕、今週末は淀に馬の写真撮りに行くんですよ。今月はB級グルメでグランプリとった店とか来てるし、諸口さん、もし予定なかったら来ませんか?」

淀とは京都競馬場のある場所の名前だ。取引先の男は、安くて美味い店を良く知っている食べ歩き仲間といったところで、モロゾフの数少ない友人の一人だった。B級グルメのためにわざわざ寒い真冬の京都を外でごす事に乗り気ではなかったが、櫻井と一緒の時間と比べたらはるかに健康的に過ごせそうな気がしたので、同伴することにした。

この競馬場には、その昔片想いだった競馬好きのノンケ男に連れて来られたことがあった。適当な番号で買った馬券がビギナーズラックで大当たりし、その日は二人で飲み明かしたという楽しい思い出がある。取引先の男は馬好きのカメラオタクで、日本中の競馬場に馬の写真を撮りに行っているらしい。男が目当ての馬の名はドヌーブカトリーヌ。栗色の馬体に白みがかった金色のたて髪が美しい牝馬だ。昔、フランス映画好きの男とよく映画を観に行っていたモロゾフは、その名前がフランスの女優に由来すると推測した。無趣味のモロゾフの知識の大部分は元彼達の受け売りで成り立っているのだ。
「さすが諸口さん! 何でも知ったはりますねえ。この馬主さんは昔の俳優の名前を馬につけるんです。ほな、タイロンパワーってご存知ですか?」
受け売りの知識では、さすがにそこまではわからなかった。

レース前のパドックを周回中、他の馬は厩務員に連れられて前や下を向いて歩いていたが、ドヌーブカトリーヌだけは、厩務員の方に長い首をぴったりと付け、服をかじったりして落ち着きがなかった。
「ドヌーブって甘えたさんでしょ。あ〜あの厩務員さんになりたい」
男はそう言いながら、高価なカメラのシャッターをカシャシャ切り続けた。
そのうち現れた騎手達に騎乗命令がかかり、騎手がドヌーブに乗ろうとした。一瞬ドヌーブがイヤ!というような素振りをしたが、騎手がなだめるように顔を撫でてから騎乗した。さっきまで厩務員に甘えモードだったドヌーブは、騎手を乗せたとたんに一端の競走馬らしい姿になっていた。その騎手が「いい子だね」と笑った瞬間、ギャラリーが一斉に騎手にカメラを向け、せわしなくシャッターを切る音が重なった。誰もフラッシュを焚いていないにもかかわらず、騎手の顔にスポットライトが当たったかのように、モロゾフにはその顔以外は何も見えなかった。その顔、その声、その佇まい、全てがモロゾフにはストライクど真ん中だった。

競馬新聞には、騎手名は『北浜淳平』とあった。年齢は32歳とあったが、童顔なためかもう少し若く見えた。モロゾフは連れの真似をして北浜絡みの馬券を買い、レース前後の巨大スクリーンに映し出された北浜を目で追った。1800mのレースでは、中盤までドヌーブは先頭集団の後方につけていたが、最後の直線コースで一気にトップに踊り出て、そのままぶっちぎりで勝った。レース後半の「行け行け行けぇー淳平!」という声援、1着でゴールしてからの「淳平!淳平!」コールにモロゾフは鳥肌が立った。馬券も的中し、セックス以外で久々にエキサイトした瞬間だった。

その後の表彰式コーナーでは、何時間も前から場所取りをしている追っかけの女性を除けば、殆どが自分と同じ位か年下の若い男だった。連れが馬の写真を撮るのに必死なのをいいことに、モロゾフは追っかけの群れに潜入した。男が男に夢中になっていても不自然と思われない空気は、モロゾフにとっては非常に居心地が良かった。勝利騎手は、表彰式後のわずかな残り時間にサイン攻めに合いながら、様々な質問に丁寧に答えていた。端正な面立ち、細身で無駄のない体型は勿論のこと、何よりモロゾフの心を掴んだのは、厳しい勝負の世界で生きつつも、誠実で常識も完璧に見につけていると思われる男の姿だった。ここのところ櫻井のようなダメ男としか付き合いがなかったモロゾフにとっては、騎手の白いジョッキーパンツ姿もあいまって、天使のように見えたのだった。

日の差さない寒空の中ではしゃいだためか、翌日モロゾフは風邪を引いていた。昼休みに風邪薬を飲むために湯茶室に入ると、長嶋が弁当箱を洗っていた。
「長嶋さん、ちょっとお水下さい」
「諸口さん、声ガラガラですやん」
「この週末に、一日外で過ごしてたんで、風邪引いたみたい」
「何かスポーツでもしたはったんですか?」
「いや、ちょっと誘われて淀の競馬場に行ってきてん」
「えっ、私も先週ですけど、櫻井さんと行って来たんですよ」
お前も櫻井しか友達がおらんのか、とモロゾフは心の中で突っ込みを入れた。
「ふーん。長嶋さん、競馬に興味あるの?」
「別に興味はないですけど、京都に初詣行った帰りに、競馬場でB-1グランプリ取った店が来てるから行きたいとか言うて。
美味しかったですよ、いろんな焼きそばがあって……」
焼きそばはモロゾフも食べたが、どれも特別美味いとは思わなかった。長嶋は相変わらずおっとりした調子で続けた。
「そこでびっくりなことがあったんですけど、イケメンジョッキーの北浜淳平って知ったはります? あの人、櫻井さんの同級生なんですって。結構仲良かったみたいで、レースで優勝しはった後の表彰式で櫻井さんが声かけたら凄い喜んで、後でご飯でも食べに行こうってなって。それでその後、焼肉奢って貰ったんですよぉ。もう、馬券も買わんと大当たりで…」

俺の天使が櫻井の同級生? 俺の天使が櫻井と長嶋と3人で焼肉?

モロゾフは、自分が盛り上がっている時に水を差されたようで、急に機嫌が悪くなった。この女は、櫻井だけでなく、俺の最新アイドルにまで何の苦労もせずあっさりとお近づきになったのか?! 嫉妬にかられて、大人げなく憎まれ口を利かずにはいられなかった。
「ふーん。一緒に初詣に行くなんて、聞いただけなら普通に付き合ってるカップルみたいですよね。競馬場とかB級グルメとか、お金かけんでも付き合ってくれる女の人がいて、櫻井さんもホンマ幸せ者やわ。でも、長嶋さんも物好きですねえ、結婚する気のないプーと何年も付き合えるなんて」

我ながら最低なセクハラ発言だと思ったが、言葉が勝手に口を衝いて出ていた。職場では婚活で自虐ネタを披露している長嶋のことだから、笑顔でボディブローのような突っ込みが返ってくることを期待していたのだが、長嶋の顔は笑っていなかった。
「諸口さんにそんなこと言われる筋合いはないですよ。まあ、諸口さんに私の女心なんて分かるはずないですけどね。私も一応女なんです。櫻井さんのこと、憎からず思ってるからこそ一緒に出かけたりしてるんです」
長嶋さんだって俺のオカマ心が分かるはずないやん、とモロゾフは心の中でつぶやいた。いつもにこにこしている長嶋の目が涙で潤んでいる。昼間の職場の湯茶室には似つかわしくない会話の後、気まずくも滑稽な空気が流れ、絶妙のタイミングで午後の始業のチャイムがなった。

その日の午後、客先からの帰りの電車の中で、長嶋にいくらなんでも言い過ぎだと反省したモロゾフは、どうやって謝ろうかと考えていた。電車を降りて会社のあるビルに着くまでの途中に、モロゾフが最近通っているケーキ屋があった。ここでは店頭のガラス張りのコーナーで女性パティシエがケーキを作っているのが見えるのだが、パティシエが最近、若いイケメン男性に代わった。モロゾフはこのパティシエがケーキを作っている時はしばしその姿を眺め、無愛想な女性店員の代わりに彼がレジに立っている時のみ店に入った。別にケーキが食べたいわけではないので、一番安いシュークリームを二つ買い求めていた。常々ケーキの説明を聞く振りをしながら視姦してみたいものだと思っていたので、この店でケーキを沢山買って長嶋にお詫びとして渡せば一石二鳥だと思った。幸運の女神はモロゾフを見放していなかったらしく、ケーキ屋の白衣の天使は一人でショーケースの前に立っていた。
「ケーキ10個ほどお土産にしたいんですけど、何かお勧めありますか?」
「当店はチョコレート系が充実しております。お客様、シュークリームがお好きやったら、パリブレストかサントノレなんかもお勧めです。どちらもシュー生地のパリパリ感が楽しめますよ」
「……え、何で?」
「あ、いつもシュークリーム二つお買い上げ頂いてますので、お好きなのかなぁと思って」
この店員、俺のこと覚えてくれてるんや、とモロゾフは感激した。
「そのパリなんとかともう一つのって、どこが違うの?」
本当はどうでもいいケーキの質問をしながら、モロゾフの視線は懸命にケーキの説明をする店員の一挙手一投足を捉えて離さなかった。繊細なケーキを扱うのに相応しい優雅な身のこなし。白衣の下の、生クリームのように白いその肌を舐めつくしてみたい…

ケーキの箱を片手に大満足で会社に着いたモロゾフは、長嶋を湯茶室に呼び出した。
「僕さっきはちょっとイライラしてて、長嶋さんに言い過ぎたかもしらんわ、すんません。このケーキに免じて許したって下さい」
と言って、ケーキの箱を長嶋に手渡した。モロゾフと違って人間が練れている長嶋は、モロゾフに言われた言葉など気にもしていなかったが、なぜここで大量のケーキなのかを不思議に思った。夕方の休憩時間、長嶋は、ケーキを配るため女子社員を呼び集めた。

「長嶋さん、それパティスリー・ヨシモトのケーキやん。どうしたん?」
「何かわからんけど、諸口さんが私に八つ当たりしてきたからちょっと泣きそうな顔してやったら、これお詫びにって」
「相変わらずややこしい男やね。で、今度はケーキ屋で可愛い男の子見つけたんや」
「前は本町のうどん屋で、毎日うどん食べに行ったはったからねえ」
「うわ、むっちゃ美味しそう! でもこれ何かの賄賂やったりして」
「後でお礼のメールでも送っといたらええねん」
口ぐちに勝手な事をいいながら、女子社員達は人気店の本格フランス菓子を堪能したのだった。

櫻井と接点があるという事でイケメンジョッキー熱は急激に冷め、ネットで密かに応援するに留まった。その熱は、櫻井と何の接点もないイケメンパティシエへの想いへとシフトした。パティシエ目当てでケーキ屋に通う頻度が高まり、50種類はあるパティスリー・ヨシモトのケーキを今にも全制覇する勢いだった。

そんなある日、店の前を通りかかると、オーナーらしき金持ち風の初老男性が大声で従業員を叱責している光景が目に入った。近づいて見ると、叱責されていたのはあのパティシエだった。モロゾフの足は自然に店内へと向かっていき、怒りの言葉が口を衝いた。
「ちょっと! 客がいる前で従業員叱り飛ばすの止めてくれません? 気分悪いねんけど!」
「これも従業員教育のうちなんです。何も関係ないあんたに口出しされる筋合いはない!」
初老の男は謝るどころか、モロゾフに突っかかってきた。
「客に突っかかるなんて、ちょっと雑誌に出て有名になったくらいでいい気になったはるんですかねぇ。この店で接客態度が良いのはこの人だけで、他はみんなむっちゃ愛想悪いのに、従業員教育が聞いて呆れるわ」
これには、店にいた他の客達も小声で「ホンマやわ」と頷いた。初老の男から反撃はなく、モロゾフはこれ以上ないくらい場の空気が悪くなったところで店を後にした。

翌日からモロゾフの白衣の天使の姿は見られなくなり、以前のようにショーケースの前には無愛想な女子店員が立っていた。無論、モロゾフがケーキを買いに行くことはなくなった。数日後、会社帰りにその店の前を通り過ぎたところで、誰かに声をかけられた。
「お客様?」
例のパティシエだった。いつもの白衣ではなく、モノトーンのきれいめ系の服装がよく似合っていた。
「シュークリームのお客様ですよね? 僕、この店で働いてました藤野と申します」
「あ、あぁ、服が違うからわからんかったわ。お店辞めはってんね」
「はい、お客さんが助け舟出してくれはったあの日限りで辞めました。今日はちょっと手続きがあってここに来たんですけど、
お客さんに渡したいものがあってお待ちしてたんです、会えて良かったぁ! これ、どうぞ受け取って下さい」
といって、綺麗にラッピングされた小さなケーキ箱を差し出した。
「あ、ありがとう。でもいつになるかわからんのに待っててくれてたなんて悪いなぁ…」
「お客さん」を連呼されるのは嫌なので、パティシエに名刺を渡しながら言った。
「いえいえ。えっと、モログチさん?にどうしてもお礼が言いたくて。あの日、諸口さんが言わはったことで、僕やっと気づいたんです。技術習得するにはいい店やけど、あのオーナーの下で仕事続けるのは間違いやって」
「そ、そう。それは良いことやと思うけど、僕のせいで…何か責任感じるなぁ…」
「諸口さんのせいやありません。それに僕、前から本場パリに修行に行きたいと思ってたんで、いい機会やったんです」
「あ、そう…パリに行ってしまうんやね。いつ頃の予定?」
「まだ全然予定は立ててないです。とりあえず次の職見つけるのが先なんで…」

その日二人は、それだけ話して別れた。モロゾフが帰宅してケーキの箱を開けると、ハート型のシュー生地の上にピンクのハート型のチョコレートがちりばめられたパリブレストだった。箱の中には小さなカードが入っており、感謝のメッセージと連絡先が書いてあった。生まれて初めて貰った手作りバレンタインケーキに感動したモロゾフは、携帯でケーキの写真を何枚も撮った後、たっぷりの生クリームに胸焼けしそうになりながらもケーキを完食した。数時間前までは予想だにしなかった幸運をかみしめながらも、好きになった男がまたもや「無職」だということについては、頭の隅で何かが引っかかるモロゾフなのであった。

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