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花の都でたそがれて

バレンタインデーから半年の間、ベルギーチョコのように甘い日々を過ごしたモロゾフと藤野だったが、その後、藤野は予定通りパティシエ修行の為にパリへと旅立った。この男との恋愛については、最初から期間限定だということがわかっていた。わかっていても、いざ別れてしまうとモロゾフの心には、クリームを詰め忘れたシュークリームのようにぽっかりと大きな空洞が出来てしまった。そしてその状態を1年以上もひきずっていた。

櫻井はといえば、数年に及ぶ自宅待機生活を終えて、突如中国赴任のオファーを受けて上海に旅立つことになった。憧れのアメリカに行くための自宅待機だったはずが、なぜ中国なのか? 中国語が出来ない櫻井に来たと言う今度のオファーも怪しくないか? 質問してもいつものように詭弁だらけの答えが返ってくるのが想像できたので、メールで「おめでとう、よかったなぁ」と祝いの言葉だけ送っておいた。いつもと違って長文のメールがすぐに返ってきたところを見ると、本人はヤル気になっているらしい。

一方、同僚の長嶋は、一向に結果が出ない婚活に一旦ピリオドを打って山ガールとなった。そして何度目かの登山で気の合う年下の男性と出会い、トントン拍子に結婚する運びとなった。平和な職場で長嶋の結婚話はトップニュースとなり、秋にはハワイで親族だけの結婚式を挙げるなどの情報が、聞きたくなくても耳に入ってきたのだった。モロゾフは、自分がずるずると櫻井とセックスだけの関係を続けているように、長嶋はこれからも櫻井とノーセックスな関係を続けていくように思っていた。3人が奇妙な運命共同体のような感じがしていたのだが、そんな勝手な予想は見事に外れモロゾフの孤独感を倍増させたのだった。

ある日、昼食を済ませて戻ってきたモロゾフがエレベータを降りると、長嶋が声をかけてきた。
「諸口さんお疲れ様ですぅ、何か最近痩せはったように見えますけど、夏バテですか?」
正確には、痩せたのではなく「戻った」のだ。藤野と付き合っている時に毎日ケーキの試食をさせられていたら5キロも太ってしまったのだが、別れてからケーキを食べなくなったら一か月でもとに戻ったのだった。
「そういう長嶋さんは、最近ふくよかにならはったみたいやね」
「嫌やわぁ、諸口さんにまで言われてしまうなんて。式の準備とかで外食が続いたら、太ってしもたんです。私、マジで結婚式までに3キロ以上痩せなあかんから焦ってるんですよ。諸口さん、どうやって痩せはったんですか?」
「まあ、失恋するのが一番のダイエットやね」
「それって今の私には一番無理な方法ですやん」
むかつく答えが返ってきたので、モロゾフはつい嫌味を言いたくなった。
「お目出度い時にこんな事言うのも何やけど、僕はてっきり長嶋さんは櫻井と結婚することになると思ててんけどねぇ」
「はははは、悪い冗談言わんといて下さい。櫻井さんは多分誰とも結婚できないと思いますよ。前は茶飲み友達として末永く付き合ってやってもいいかなんて思ってましたけどね。今では一分たりともあの人のために時間使うなんてあり得ないですわ、
もったいなくて」

それはその通りだった。モロゾフも、ほんの一瞬のセックスの快楽以外に何も残らない櫻井との関係に費やす時間は無駄だと思うようになっていた。それゆえに、中国転勤のお祝いメールに対する「諸口さんには今までお世話になったお礼として、出発までに、一晩中腰いわすまで朝まで生XXXX!」というメールには、普段いかなるメールにも返事をする律儀なモロゾフも、
スルーしていたのだった。

梅雨も明けて暑い毎日が続いたある日、上司から8月の海外出張を命じられた。海外出張は、リーマンショック以降初めてのことである。会社の欧州拠点だったオランダ事務所の閉鎖に伴う残務処理の手伝いという楽しくなさそうな仕事だったが、1週間仕事をした後はそのまま夏休みに突入しても良いということだった。ヨーロッパは学生時代に旅行して以来なので、1週間の有給を充てて滞在することにした。旅先はどこでも良かったのだが、隣国のベルギーで暮らしているゲイ友に連絡すると宿泊を歓迎してくれたので、とりあえずベルギー訪問を確定した。

オランダでの残務処理は予想以上にハードだったが、休暇を犠牲にしたくなかったので、毎日早朝から夜遅くまで必死で働いた。一週間で無事に任務を果たしたモロゾフは、早朝の列車でベルギー入りした。現地で同性婚をして7年目になるヒロシと彼のパートナーのエリックが2日間車でベルギーの観光地案内をしてくれたが、二人は翌週仕事でパリに行くことになっていた。
「ここに一人でいても退屈でしょ? アンタも一緒にパリに来なさいよ」
ヒロシの言葉にモロゾフは一瞬戸惑った。パリには藤野がいる。関空で涙の別れから1年が経っていた。しかし考えてみれば、別に藤野とはケンカ別れしたわけでもないし、駆け足観光しかしていないパリを再訪してみたい気持ちもあったので、二人に同行することにした。

ブリュッセル発の高速鉄道タリスでパリ北駅に到着すると、タクシーでマレ地区に近いレジデンスホテルに向かった。ホテルにチェックインした後、ヒロシ達は仕事場に直行し、夕食を共にすることを約束して別れた。急遽決まったパリ滞在で、モロゾフが行きたい所はただ一箇所を除いて思い浮かばなかった。

藤野が働く店は、セーヌ川を挟んだ向かい側、有名ブランド店が立ち並ぶサンジェルマンデプレからほど近い住宅街にあった。モノトーンでまとめたモダンな店構えの入り口正面に立派なガラスケースがあり、一瞬にしてスイーツ好きの心を虜にしそうな美しいケーキが並んでいた。店の奥ではガラス越しに複数のパティシエ達が忙しく働く姿が見られた。長時間立ち止まって店内を伺うのは怪し過ぎるので中に入った。とたんに何とも言えない芳醇なチョコレートの香りに圧倒されそうになった。より近く見えるようになった店の奥で働くパティシエの中に藤野の姿がないのを確認すると、モロゾフは、その店の名物らしいエクレアを一つ買って店を出た。

モロゾフはエクレアをかじりながらサンジェルマンデプレ界隈をあてもなく歩いた。思えばこの日は列車内でサンドイッチとコーヒーの朝食を摂った以外には何も食べていなかった。すきっ腹に本場フランスの甘く濃厚なエクレアのクリームがしみとおった。連日の睡眠不足でふらつき気味だった頭が少しスッキリしたような気がした。

パリにいるのは4日間だ。藤野にはいつ連絡しよう? 日差しが強く思ったより暑かったので、モロゾフは、テラス席が日陰になっているカフェで足を休めることにした。テラス席の客のほとんどが二人連れだった。モロゾフは、ガイドブック片手にエスプレッソ一杯で1時間以上あれこれ考えを巡らせた。結局、藤野には携帯メールで連絡することにした。藤野が渡仏してから何度かパソコンでメールのやりとりはしているが、携帯にメールするのは初めてだった。メールの内容は極力簡潔に、4日間パリにいるので会えたら嬉しいとだけ書いた。もうこのアドレスは使われていないかもしれないし、突然会いたいと言われても藤野の方にも都合があるだろうから、返事は期待しないことに決めた。観光については考えがまとまらず、その日はバスで8月のパリの景色を眺めながら気が向いた場所で降りて散策したりした。日が暮れて、ヒロシ達と待ち合わせの場所に行く前にホテルで着替えを済ませた。ファッション業界に身を置く二人とパリで食事をするとなれば、少しは服装に気を使わなければならないと思ったからだ。

夜8時に待ち合わせのレストランに行くと、ヒロシ達はすでにテーブルに着いていた。ゲイタウンとして有名なマレ地区は、昼間はノンケの観光客で賑わっているが、夜はゲイピープルの割合が高くなる。ヒロシが予約したレストランは、普通の観光客ルックをしていると完全に浮きそうなほどお洒落でスノッブなゲイの客で満員だった。大阪でよく行く店と比べると少々居心地が悪いモロゾフだったが、サンジェルマンデプレのセールで調達した服がよく似合っているとヒロシ達に好評だったので安心した。料理もワインもどれもが美味しく、オランダで殆どまともな食事をしていなかった分を取り戻すかのように食べつくした。食事の後は、ヒロシの希望でパリで一番人気のゲイバーに繰り出した。ノンケやイカホモ客の熱気がムンムンするバーでは、ほれぼれするようなルックスの若者がシャワーブースで元気な男性自身を露わにして戯れるのが見ものだった。露出度満点の店員と話したり、写真を撮ったりと、お祭り気分でゲイゲイしい喧噪に身を任せて、しばし現実を忘れて楽しんだのだった。

真夜中を過ぎてもまだ店の梯子をしたいというヒロシ達と別れ、モロゾフは一人でホテルに戻った。タバコや酒やその他諸々のニオイをシャワーで洗い流すと、髪も乾かさずにベッドに倒れこんだ。しばらくして携帯メールをチェックしたが、藤野からの返事はなかった。昨日まではパリに来たついでに藤野に会えればいいと思っていたのに、今では藤野に会うためにパリに来たかのような気分になっていた。ヒロシとエリックの仲の良さに長年連れ添ってきたカップルの絆というものを感じたり、至る所カップルだらけのパリで一人歩きをするうちに、人肌恋しくなってしまったらしい。

体は疲れているのに頭は冴えて眠れないのでテレビで延々続く音楽番組を観ていると、明け方にヒロシ達が帰ってきた。二人してシャワーを浴びた後は寝るのかと思ったら隣部屋で激しく愛し合い始めた。このままでは夜明かしになると思い、モロゾフは耳栓をして無理やり眠ることにした。花の都の初日はとてつもなく長い一日だった。

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