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Torch Song Trilogy

  祝:DVD化記念 ! TORCH SONG TRILOGY

ここで見た話より、DVD借りて見てください。(じゃぁ、書くなって?!)笑う、泣ける、怒る、哀しむ、といった人間の喜怒哀楽を全て体験させてくれるし、決して哀しいだけのラストじゃなくて、「長い人生の中でこんなこともあったんだよ」だけど、笑って言える今を歩いていこうという、前向きなラストです。

この映画を劇場で見た時には、ひさしぶりにいいものを見せてもらったぁという印象が強かったです。もともと、ブロードウェイ(これも、ここまでくるのに、オフ・オフからですから長いですね)から、映画化されたものですが、舞台を同じ作者のファイアスティン自身が脚色・主演を兼ねた作品です。

トーチソングを歌う主人公アーノルド(勿論女装です)にこういう人も世の中にいるのね〜(公開当時とした異色でしたから、今ではそれほど珍しくもありませんが)という感じを抱きながら見ていると、いつのまにか、自分が主人公と同化しているのに気が付き、女や男とかの狭いカテゴリーの中で、自分達がいかに退屈なモノに成り下がっているのか考えさせられます。

--------------------------- あらすじ --------------------------------
少々疲れ気味な人生を送っている主人公アーノルドは、女装タイプのゲイだが、ごくごく普通の生活をし、愛を夢見る乙女でもある。仕事はナイトクラブのショー(トーチソング=哀しいラブソングのこと。を歌う歌手)に出演し、生活をしているが彼の親との確執は、一向に改善の兆しをみせない。おまけに、好きな男はバイセクシャルで、何かあると、主人公のもとへ逃げ帰り、諌めを求めるが、決して、安全な場所(婚約者 =果ては結婚。のいる、世間的にノーマルである場所)を捨て去ろうとはしない。そんな、ヘタレ男に愛想を何度もつかしながら、親との確執に心を砕いて日々を過ごしていた時、偶々、ショーを見に来ていた客のハンサム男アラン(マシュー・ブロデリック)と知り合う。アランとアーノルドは恋 に落ちて、一緒に暮らすようになる。

 見た目も、乙女チックなんですよ。お世辞にも、美しいとはいえないアーノルドに対して、ハンサムなナイス・ガイのアランが、アーノルドに惚れるとこなんざぁ、既に、恋愛シュミレーションゲームで「オスカー様」をゲットした状態です。(いやいや…)

 母親役のアン・バンクロフト(素晴らしい女優です)と息子ハーヴェイ・ファイアスタインの親子喧嘩はそれは壮絶で(殴り合って、血がでるとかではないんですが)お互いの自己主張が火花を散らすって感じでして、ゲイである自分を見てもらいたいという、息子の話は、認めたくない母親(現実から逃げている)に跳ね返されて、結論をみないまま喧嘩別れをしてしまっている。それを、最後の最後、とうとう、母親が息子と対峙する場面は、それは痛々しいけれどいい場面です。思ったことを言いあえるってのは、大事なことですよ。言わなかったが為に、グチグチと何年もの間、不満がつのり果ては、「何でこんなことで?」って思うぐらい些細なことで爆発してしまうんですからね。もっとも、言い方には最善の注意が必要(相手を思いながら、自分の主張も言う)ですけれど。

別れた恋人というのが、わかれないヒモのような存在でエド役のブライアン・カーウィンのへなちょこぶりは笑えます。しかし「腹がたつ」んですよ。見ているとついつい、主人公のアーノルドに肩入れしてしまうので、こんな、ヘタレにそれでも突き放せないからといって介抱してやるアーノルドに怒ってみたり…。あんな奴、放りだしちまぇ〜と思うんですが、どこか憎めないってのはご愛嬌か?

しかし、新しい恋人アランですが、それは本当に白馬に乗った王子様状態で、恋する乙女の感じがアーノルドによく現れています。彼とベットインした時も、彼より先に起きて、化粧をして、またそっと横で寝たふりをして「今、起きたのよ」ばりにボケてみるし(笑)そんなはず、ねぇじゃんとつっこみをいれたくなるいじらしさです。

 なによりも、乙女な心が部屋中に溢れていて、彼のスリッパはうさぎのスリッパです。勿論、使う食器もかわいい。
これを映画館のドアップで見た時には、目が点になりましたよ。あの歳であのスリッパは「履けない」と思い込んでましたから「あぁ、いいんだ。歳とってもはいていいんだ…」って考えを改めました。これを履いているシーンはウサギのスリッパから足元にカメラがよってすーっとアーノルドの体を撫でるように移動するのですが、全体像をみると、又、笑えます。(寝起きのサザエさん状態です)

 話も後半になると、住宅地域としては環境的にもよくない治安面がかなり悪い地域にアーノルドとアランが生活の場を移します。それは、二人が愛し合って結婚というかたちをアランが望んだからです。(勿論、アーノルドも望んでいましたが、現実的なことや、自分の今までに置かれていた不幸な重なりを鑑みると、とても考えられない、といった状態だからです)しかし、アランはアーノルドがいままで愛してきた人たちとは違っていて、誠実な愛をアーノルドに注いでくれるのです。アランはアーノルドにはじめての心の安定をもたらしますが、不幸は突然やってき、暴漢に襲われて アランが亡くなってしまうのです。彼を失ったアーノルドの悲しみは見ていて痛々しいものがありました。しかし生前、アランとふたり考えていたことがひょんなことから、実現することになる。

主人公は、人生ってなんて不公平なものなだ、と嘆きますが、一方では恋人を奪われる悲しみを与えられたが、もう一方では、養子縁組ができ、晴れて母親になる機会を与えられるのです。少年デイヴィッドを養子(孤児の里親になる)に向かえ、暮らすことがかなうのです。そんときでも、ヘタレエドは女と一悶着を起こして、アーノルドの家に転がり込む。(こいつだけは、人生が終るまでこのままだろうなぁ)

養子縁組した「少年デイヴィッド」も又、アーノルドたちと同様に社会の軋轢の中にいてそのまま埋没してしまいそうだった状況だったのです。彼も、自分の母親と呼ぶ人間が見た目は明らかに男であるアーノルドで、普通の家ではなかったが、彼にとっては最高の家であるようにアーノルドが努めているのが理解できているラストシーンが、ただのゲイ映画ではない、ヒューマン映画として現在まで高く評価できる一因になっていると思えます。

萌えるシーンというより『これこそ乙女心』っていう映画ですね。いくつになっても『乙女心』です。(笑)
(…ごりょんとしては、結構、真面目に書きましたね〜これまで、ふざけて書いたら、見た方にお叱りうけちゃいそうですもんね〜)

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