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トウキョウノ・サンタクロース (Papa Noel a Tokyo)

どっちか選ばなきゃいけないなら
私は絶対男の子
帝国をくれると言われても、服を脱いだりなんかしない
だって私は、間違いなく男の子なんだから

また彼が歌っている。彼の名はステファン、推定16歳。彼の「叔父」だというフランス人社長が申告した彼の年齢は18歳だが、そのあどけなさはどう見ても16歳位なのだ。

ヨーロッパの巨大企業であるこの会社の海外要員は、祖国ではエリートらしい。しかし、一流のエリートは欧米に配属されるので、エリートといっても二流の人達だ。彼らの仕事は、不況の世の中はどこ吹く風の豊富な予算を湯水のごとく使うこと。現地採用の日本人スタッフは、その通訳兼使い走りといったところだ。

そのトップに立つ社長は50歳。昨今の普通の日本人サラリーマンなら、年々下がり続ける収入や、リストラの影に脅かされる年頃だが、彼の生活は小気味がいい位豪勢だ。都内の超高級マンションに住居を構え、連日のパーティ三昧で高級ワインと高級食材の大量消費、週末には新宿二丁目に社用車で乗り込む。そんな社長が「甥っ子が日本に留学したがっている」と言い出し、日本人スタッフの中でも一番仏語が堪能なサトシが、その「甥っ子」のお世話係を仰せつかったのだ。

総務部であるサトシの仕事には、社長や幹部の日常生活の雑事全般も含まれている。何度も私用を言いつけられて上がった社長の自室には、フランスの経済学の蔵書と併せて、ゲイ向けのアダルトDVDのコレクションがある。その殆どが美少年モノだった。「ペドフィル(小児性愛者)かよ… キッツイなあ」留学時代に何人もゲイと出会ってきたが、その中にそういう趣味の者はいなかった。そんな社長の「甥っ子」ならば、まともに勉強するような人種ではないだろう。

陶器のような白い肌と、ツンと少し上向きの鼻をした社長の「甥」は、仏語で金髪碧眼を suedois(スウェーデン人)と形容するとおり、北欧の少年みたいに見えた。フランスにジャニーズがあれば、彼はタッキーってところかな… 性的指向はヘテロを自認しているものの、容姿の美しい者には一目を置くサトシは、この会社で繰り広げられる「非日常的な」話を楽しみにしている友人達に話す時は、彼を「タッキー」と呼ぶことにした。日本なら高校卒業に相当する資格であるバカロレアも取得しておらず、フランス人にしては発音が良い英語も、読み書きの方はお粗末だ。留学目的で来たはずなのに学校に行くでもなく、愛人である社長がいない時はフランス人のゲイ仲間と夜遊びに明け暮れている。そんな退廃的な生活を送る若者には事務的に接するようにしていた。

学校にも行かずブラブラしているのはいけないからと、ステファンは社長命令で、会社の総務部でアルバイト要員として働くことになった。何も手に職がない彼に最初に与えられたのは、自社ビルの一角にある庭園の垣根のペンキ塗りだった。着ているTシャツのロゴがわざと見えるようにするためか、一応作業着のつもりで履いているオールオーバーの胸当てを下にずらしている。日本に来て初めて生産的な行動をとり始めた彼は、上機嫌で歌いながらペンキを塗っていた。

どっちか選ばなきゃいけないなら
私は絶対男の子
帝国をくれると言われても、服を脱いだりなんかしない
だって私は、間違いなく男の子なんだから

サトシはドキッとした。その歌は、少し昔にフランスで大ヒットした、パリのゲイ社会を舞台にしたコメディ映画『ペダル・ドゥース』の主題歌だった。大人向けのこの映画に登場してもおかしくない身分のこの少年が、ロリータ調の女性歌手が歌うこの曲を声変わりしたてのような声で歌うと、原曲以上にエロティックに聞こえた。

「ねえ、ステファン、それって "FUCK" って書いてあるの?」
彼のTシャツに書いてあった"FCUK" の文字について突っ込んでやった。それは彼のお気に入りの、フレンチ・コネクションという人気ブランドのロゴで、その間違いはよくネタにされるものだった。
「Mais Non!( 違うよっ!) いやらしい事言うなよ、サトシ!」
彼は真っ赤になって、ムキになって答えた。16歳かそこらで、30以上も年の離れた愛人に呼び寄せられ、言葉もわからない異国の地で暮らす幼い男娼が、そんな事を「いやらしい事」だと言うのは可笑しかったと同時に言いようのない違和感を感じた。本当は実年齢以上に子供っぽい、幼さの残る少年に、金でモノを言わせて根無し草のような生活を強いている社長が許せないという感情が、この時密かに芽生え始めたのかもしれない。

社内で唯一、スラングだらけの若者言葉を理解するサトシに、彼はよくなついた。社長がいない夜は、社長のマンションにサトシが留学中によく聞いていたイギリスのエレクトロポップのCDを手土産に持って行き、酒が強くない二人はフレバリー・ティーを飲みながら、夜遅くまで語り明かしたりもした。

「本当はロックスターになりたかったんだけどなあ」
「ジョニー・アリデーみたいな?」
「冗談キツいよ。僕は、ブライアンみたいになりたかったんだ」
「ブライアン? クィーンのブライアン・メイ?」
「違う違う、ブライアン・セッツァーだよ、元ストレイ・キャッツの。すげーギター上手いし、ルックスもクールでさ。あんな風にずっと自分のスタイルを貫いて行けるようなロッカーになりたかったんだ。」
「君の年にはちょっと渋すぎないかぁ? でも何で過去形なんだよ? 今からでもなればいいじゃん。こんな東京で遊んでないで、アメリカにでも渡ってさ。」
「だめだよ。ジョルジュが行かせてくれない」
「何で『叔父さん』の言う事をそこまで守る必要があるんだよ? 人生一度しかないのに」
「...サトシにはわからないよ。」
「うん、わかりたくないね、わかれって言われても無理だと思うよ」
楽しくない方向に話が行きかけた時にちょうど音楽が止まり、サトシがCDを替えに立ちあがった。

「サトシは、誰か、愛してくれる人がいるの?」
「いるよ。来年になったら結婚するんだ」
「結婚するってことは、女の人なんだね」
「まあ日本では男同士は結婚できないからね」
「女の人のどこがいいの?」
「どこがって… 体が柔らかくて優しいところ…かな」
「柔らかい体は気持ちいいの?」
「気持ちいいよ。椅子だってベッドだって柔らかい方が気持ちいいだろう?」
「いいけど、それと同じだとは思えないよ」
「いつか、そのうちわかる時が来るさ。ステファン、まだ16じゃん? 俺が童貞失ったのは二十歳過ぎてからだったんだから。」
「ひえ〜、格好悪い。じゃあ、絶対4年以内に女とヤラなきゃ、サトシに負けちゃう!」

こんなくだらない会話でも、サトシにとっては、パリ時代に出会った友達との会話のノリを再現してくれる貴重なひとときであり、会社では借りてきた猫のようにおとなしい少年にとっても、リラックスできる時間だった。こんな時の流れがずっと続けばいいと、お互いに思っていた。だが、彼の生活の大部分を占めるものは、こんな微笑ましいムードとは対極の世界にあった。

ステファンがどのようないきさつで社長に飼われるようになったのかは誰にも分からなかった。が、当時の彼にとっては、根無し草である彼の存在を証明できる唯一無二の存在であり、最も愛する人間はこの男である事は否定できない事実だった。

ある週末、サトシは婚約者にプレゼントするペアリングを受け取りに、クリスマス商戦たけなわのデパートに行った。若向けのブランドショップが立ち並ぶ階で、ステファンのお気に入りブランドのショップが目に入った。彼に似合いそうな薄手のセーターがあった。ブランドものに興味のないサトシにとっては、会社の友人にプレゼントするには多少値が張るものだったが、思いきって買ってやった。まだまだ子供な彼の事だから、プレゼントを貰って嬉しくないはずはないだろう。

クリスマス・イブの日、サトシは同僚と居酒屋で安上がりのパーティを楽しんでいた。サトシも婚約者も「イブは恋人同士で過ごすもの」だという認識はなく、平日なので普通に仕事をした夜だった。
「社長はベトナム出張なんだって? クリスマスにベトナムって、何しに行ってんだよ」
「ぎゃははは! 何しにって、ナニしに行ってるに決まってんじゃん」
「ホモDVD、山ほど買ってくるんだろうな、税関で捕まればいいのに」
「ホモDVDは通販で買うんだよ。社長当てのメール便は殆どそれじゃん」
社長の悪口で盛りあがっている最中にトイレにたった。携帯を見ると、何時間も前にステファンから着信が入っていた。電話をかけなおしたが、彼は出なかった。

宴会を中座して社長のマンションに向かった。なぜだかわからないが、彼が絶対そこにいると思った。エントランスでインターホンを鳴らすと、答えもなくオートロックが開いた。社長はベトナムにいる。部屋に入る前に状況は読めた。部屋の明かりをひとつもつけずに、大音響でロックが鳴り響く部屋に、ステファンが一人で座っていた。

「ごめん、店がうるさくって着信に気がつかなくて。今日会社に来たときに渡そうと思ってたんだけどサボっただろう。ほら、クリスマス・プレゼント。」
ステファンの正面に座り込み、先日買ったプレゼントを放り投げた。
「君のパパ・ノエル(サンタクロース)はベトナムに行っちゃったかもしれないけど、トナカイはちゃんとプレゼントを届けてくれただろう。」
「眼鏡かけたトナカイだなんて」
「何とでも言ってくれ。それより、ありがとうは?」
「アリガトゴザイマス、トウキョウノ、パパ・ノエル?」
「パパ・ノエルは日本語では、サンタクロースって言うんだよ」
「アリガトゴザイマス、トウキョウノ、サンタクロース。わぁ...クリスマスにプレゼント貰うの何年ぶりかな...そうだ、サトシって誰かに似てると思ってたけど、子供の時読んだ絵本に出てきたパパ・ノエルにそっくりなんだ」
「それ、思いつきで言ってるだろ。」
「うん。何かお世辞言わなきゃいけないかなあ、と思って」
「それのどこがお世辞なんだよ。それより鏡見ろよ、ステファン、ピエロみたいな顔だぜ。」

薄暗い部屋で、真っ赤に腫らせた目の中の、水色のガラスみたいに光る瞳からつたう何本もの涙の跡、ヘの字に結んだ赤い唇が、ピエロの化粧みたいだった。その涙を手の甲で拭うと、いきなり首に手を廻して抱きついてきた。
「小さい時、ピエロになりたかったなあ。サーカスに連れてってもらって、楽しくて…」
「じゃあ、ピエロにだってなれるさ。誰にだって、なりたいものになる権利があるんだよ」
「僕にもあるのかな?」
「どんなクソガキにでもあるさ」
「誰がクソガキなんだよ」

抱きつかれたワイシャツが涙で濡れて胸に張りついた。クソガキはまだ泣いていた。何日も洗ってなさそうな金色の髪を撫でてやると、全身の体重をこちらにかけてきたので床に倒れ込んだ。
「おいおい、俺を襲う気か?」
「...サトシはタイプじゃないもん......」
そのまま声が途切れたが、ずっと髪を撫でてやっていた。しばらくして寝息が聞こえてきたので、自分より大きなだだっ子をソファに運び、毛布を掛けて、社長の家を後にした。

正月休みが明けてから数日間、社長は出社せずに自宅に引きこもるという事態が起こった。ある日、どうしても社長のサインが必要な書類が来てしまったので、書類を持って社長宅に赴くハメになった。

そこにはステファンの姿はなかった。リビングを通ると、一客20万するアンティークの椅子の足が割り箸が折れるかのように、見事に折れて飛んでいる。シルクのガウン姿の社長の目の周りには、コントみたいに紫色の輪が浮かび上がっていた。誰が見てもこれは痴話喧嘩の跡だ。見てはいけないものを見てしまったという気持でいたたまれず、サインを貰うとそそくさと部屋を出ていった。

会社に帰ると秘書の女性が、待ってましたとばかりに話しかけてきた。
「昨夜社長から電話があったのよ。もう凄い剣幕で、『何でもいいから今から一番早い便であいつをパリに送り返せ!』だって。空港でステファン君にチケット渡した人が言うには、彼、目真っ赤で、顔に殴られたような跡があったんですって。」
「社長はもっと凄いことになってたよ」
「やっぱりねえ… 派手なのはエッチだけじゃないのよね、あの人たちは」

こうなった本当のきっかけは知らなくとも、会社の誰もが想像していた結末に、あえて興味を示そうとする者はなかった。それから数ヶ月の日々が過ぎ去ったが、ステファンからは当然のように何の連絡もなかった。ソウルメイトもどきの特別な関係だと思っていたのは自分だけなのだと思うと、「女子高生に弄ばれてフラれたおじさん」みたいな気分になった。その後は平穏無事な日々が続き、今ではまた別の「社長の甥」のお世話をする毎日になっている。初めは無理に考えないように努めていたステファンの記憶も、仕事に追われる毎日が自然と風化させていった。

ある日、サトシ宛に海外から小包が届いた。フレンチ・コネクションのショップのビニール袋にそのまま切手が貼られており、消印はロンドンだった。送り主の住所氏名前はなく、油性のマジックに見覚えのある字で「クソガキ」と書かれてあった。その中には更にHMVのビニール袋が入っており、最後に出てきたのは、彼のお気に入りのロッカーの新譜だった。
「バカだなあ、住所くらい書けよ...」

一瞬嬉しくてにやけたが、時間が経つとともに、少年と過ごした時間が一気にフィードバックされ、胸にぽっかり穴が開いていたことを実感した。今この手に少年の「現在」を感じながら、彼がもうにここには存在しないのだということの空しさ。懐かしくももの悲しい、この気持ちは何なのだろう。

春になったら、新婚旅行はパリに決まっているが、久々にユーロスターに乗ってロンドンにも足をのばしてみるか。ロンドンで会えなくても、パリのマレ地区あたりですれ違うかもしれない。あんな変態オヤジではなく、アーティスト風の、やっぱりホモの男と連れ立って... はるか彼方のよく知る街に思いをはせながら、サトシは遅れて届いたクリスマス・プレゼントをカバンにしまった。

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