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1)眩暈

「……み…た、さん?」
「み……したさん!」
俺は、自分が呼ばれている事に気が付いていなかった。
誰かがきつく揺らしたように目の前にある景色がグニャリと歪んだような気がした。
「???」
(気持ちが……悪い)
青黒い風景が渦を巻いているような感覚だった。

「未知下さん?」
(誰……琳?)
俺は不信な目つきで声のした方を向き歪んだ風景に立つ男を見た。
「どうかしたんですか? ……それとも、まちくたびれちゃったとか?」
そう、俺に話し掛けながら男は隣のスツールに手をかけ座った。
見知らぬ男は年に似合わない照れたような表情を向けながら、黒服の男に何やら話をしていた。

「やっと、仕事が上がったんだからもっと喜んでくれるかっておもったのにぃ、その態度ですかぁ?」
笑いながら俺に話をする男をじっと見ていた。
「…………どうしたんですか? 具合、悪いんですか?」
心配そうに覗き込む薄茶色の瞳を見て、やっと理解できた。
(あぁ、そうだ……今は……)
そう思ったとたん、俺は右手で顔を被い下を向いた。

「どうしたんです、何かあったんですか?!」
男の悲愴な声が聞こえた。
「……大丈夫だ、なんでもないよ、凌亮」
「なんでもないって、顔が青い」
「大丈夫だ、ちょっと眩暈がしただけだ」
(そう、眩暈だ。だが、……どうして?)
冗談だと思っていたのか、彼は先ほどとは打って変わった態度で落ち着きがなくなっていた。

「凌亮、本当に大丈夫だ。……待ち疲れたんだよ、君があんまり遅いから……」
「ほ、ほんとに??」
もう35も過ぎた男なのに、まるで少年のような顔つきで覗き込んでくる彼が妙に嬉しかった。
「あぁ、ほんとだよ」
そう言って彼の肩に手をかけ肩甲骨のあたりをゆっくりとさすった。
(あれは、なんだったんだろう? なぜ、俺は30年も前のことを思い出したんだろう?
しかも、あの日のことを……。)

「疲れているんだったら、部屋に行きますか? ここよりは……」
そう言ってくる凌亮を遮るように、
「いや、久しぶりだ、ちょっと飲んでいかないか?」
「えぇ、俺はいいですよ、貴方が言うんなら……」
「……すまんな、ちょっと付き合ってくれ……なんだか、グッと老け込んだ感じがしたもんだから」
俺は妙ないいわけを話しながら、バーテンダーにスコッチを頼んだ。

「変なこと言うんですね、貴方が老けたなんて……俺も歳とってますよ。
今年の8月で36になりますから」
「ふふふ、そうか、お前もとうとう、35の境を越えたか……」
「何、いってんですか? 老けたって、いったってお互い様です」
妙に和んだ感じがした。
先ほどの違和感が喪失していくようにゆるりゆるりと引き戻されるように。

「……俺も歳を感じたんだよ、若いお前を見ていると」
「えっ?」
俺は小さな声で呟いた。
「……さっき、俺は20歳だった」
「?」
「30年以上も前のあの日、あの3日間に、いたんだ」
「……」
「どうしたんだろうな、あの日に帰りたいなんて思っていなかったはずなのに」
「俺が……俺が知らない時間ですよね」
急に凌亮が呟いた。
「はぁ〜、なんだか俺もグッと老けた感じがしましたよ」
溜息混じりのセリフを喋りながら、凌亮は目の前にあったグラスを一気に空けた。
「おい、おい、お前まで何だ? ……あんまり、強くないんだからゆっくり飲んでくれよ」
俺は、やることや喋るセリフまでもが、少年の幼さを残すような凌亮を細めた目で追っていた。
「……又、子供だっておもってるんでしょう?」
とがった唇で、すねた表情を見せる凌亮が前にもましてかわいいと思えた。
俺はそっと、彼の耳のそばまで口を寄せ、耳打ちをした。
『あんまりかわいいんで、つい、苛めたくなるんだよ「仔犬の凌亮」?』
呟いて、彼から離れると、凌亮は耳元まで真っ赤になりながら、ニヤケた口元を手の平で隠していた。

凌亮は36歳で独身。新進気鋭の建築デザイナーだ。
彼と出会ったのは、実家の改装をしようとした時に、知り合いの建築士から紹介されたのがきっかけだった。 『若いが、感性がいい』と、言った知り合いが太鼓判をおした人物だった。

彼と付き合いだした時もそうだったし、又、それ以前にもいた恋人もそうだったのだが、「琳」のことを思い出すことなどなかった。
俺の運命(それほど大した事などなのか、と他人は思うだろうが、俺にとっては晴天の霹靂だったのだ)をも変えてしまったあの3日間を勿論、忘れた事などなかった。
ただ、過ぎ行く日常の中にあって埋没していた事実はいがめない。

俺は彼と別かれてから彼のことを「シリウス」と呼び、その存在を隠していた。人に喋ってしまいそうになるのを押しとどめる為だった。彼のことを喋りたいと言う欲求と、誰にも知られたくない、自分だけの物でありつづけたいという欲求の狭間での妥協点だったのだ。

彼とはあの日以降、一度も会ったことはない。
何度、連絡をしようと思ったが、結局、電話をかけることはしなかった。
勿論、彼からの連絡もない。

あの日、もうあえないだろうと予感させた最後の日……俺は不思議と寂しくはなかった。
そう、寂しくは無かったが、胸がやけに痛かった。
出逢った最初から、二度と合えないだろうとと判っていたからだろうか。
なぜ、俺は彼に出逢ったのか?
いや、もうよそう、そのことばかりを考えて、未だに答えを見つけられずにいるのだ。

凌亮は俺を訝しむように、額の中央に皺を寄せながら言った。
「又、思い出していたんですか?」
「?」
凌亮の瞳の中に不安が揺れているような気がした。
「……すまない。こんなことは今までになかったんだがな」
「その話、聞かせてもらえませんか? ……だめですか?」
期待半分、不安半分っといった表情を俺に向けた。
「……かまわないよ。ただ……」
「ただ、ただ、なんです?」
「お前が思っているような事ではないんだよ、もしかしたら、ただの夢物語かも、な」
俺は自虐的な笑いをして、目の前にあるスコッチを一気に飲み干した。

「俺は、それでもいいですよ、知りたいです。いけませんか?」
「そうか……」
「何かに捕らわれている貴方を見たくないから。その何かさえわかれば余計なことを考えなくてもいいでしょう?」
「ははは、まぁ、そうだな、それも一理ある」
「で、でも、……昔の男の話しだったら……俺、どうしていいのか…」
凌亮の言葉に少し驚いた俺は彼の顔を覗き込んだ。
「……改めて見るようなもんじゃないですよ。それとも、俺の顔……ヘンですか?」
『ヘンですか?』
と、問われて噴出しそうになった。
余りにも……子供だと、感じた。
だが、俺はこんな風に自分をさらけ出してぶつかってくる凌亮が愛しかった。
俺は笑いながら凌亮の頭をクシャクシャに撫で、
「あぁ、なんていい子なんだろうねぇ、凌亮君は」と、言った。
凌亮は、真っ赤になった頬を上気させながら、
「又、はぐらかす!」と、恥ずかしそうに笑った。
「ははは、心配するような話じゃないぞ? まぁ、俺としては、ちょっと妬いていて欲しいような気持ちはあるがな」
「いいますねぇ、少しは俺の気持ちも考えてくださいよ?! これでも、内心、ビクビクもんなんですから」
凌亮が少しふてくされたように喋る姿を見て、幸せを感じた。
直ぐ側にある、手の届く幸せ。
疲れはじめた生活に、優しく潤う彼の存在が、なによりも大事な物と感じた瞬間だった。

(「琳」お前は今どうなんだ? 「密」とは上手くいっているか? 俺はお前にも、幸せになってもらいたいと思っているんだよ。俺が、今幸せだと感じる事ができるのは、お前に出会ったからなんだから……)

グラスのスコッチを少し、飲んだ。
チリチリとした焼ける感覚が、酷く新鮮に感じられた。
「さて、何処から話そうか?」
カウンターから望む壁一面に、酒のビンがキラキラと光り輝いて、まるで俺をその時間に連れて行ってくれるように見えた。  

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