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1)ぬかるみの俺

 人は時々今、この瞬間「ここはどこだ?」と思う時ってないだろうか?
……因みに俺は初体験で今、その状態に陥っている。

ちょっと前に起こった出来事が夢だったような気がして、自分の置かれている状況が飲み込めない状態だからかもしれないが…(あ〜なんだかなぁ)

「繁華街の真っ只中で、目の前には大きな水槽で魚が泳いでいるところってどこかなぁ」と、のん気に考える…。「どこか」というのは自分でここがどこなのかわからないから。動転した状態でむやみやたらに走ったものだから、今の自分がよくわからないのだ。ちょっと前に起こった出来事は、ある意味衝撃的すぎてプチ記憶喪失状態なのかもしれない。

『記憶喪失』―――だったら、いいな、などと思うが如何せん……覚えているんだな、これが。

腹の底から溜息を吐くと、少々ささくれた心にも余裕が生まれた。そして、ふと硝子の扉に映った自分の姿を見てみると、
更に驚いた! ……しかも、笑える。
そこには臙脂色(えんじいろ)の背広を着た自分が映っていたからだ。
おまけにワックスで撫でつけてあるオールバックの髪型は無残にも乱れて原型をとどめていないし、髪の先は額や頬に張り付いていた。……この乱れようは……まるで無理やり押し倒された挙句、逆に相手をボコった状況に似てなくもない。まぁそれほど『乱れている』ということなのだが。
唖然としたまま硝子を眺めていると、四肢から力が抜けてその場にしゃがみこんで仕舞った。
―――(……ど、どうしよう) 髪型が? いいえ、現状がですっ!

 問題を起こした当日はいつもと変わらぬ朝をむかえ、身支度もソコソコに会社へ出勤した。プライベートでは人に言えぬ悩みを抱えながらも身体は日常を覚えているようで、時間だけが上滑りをしているようだった。
いつもの通勤メンバーも変わりなく電車に乗込んで仕事に向かう一日の始まり。仕事自体、特に変わったこともない。今日は月曜日だからそれほど客も込まないだろう、などと予想をしていた。

ホテル内にあるレストランのグリーターとして10年を超えるスキルを持って過ごす日常は、中々充実していた。しかも、ホテルはそこそこ一流だしレストランも、だ。収入もこのご時勢の割には良くて安定していたし、何より仕事が好きだった。
 まぁ、仕事はさておき、プライベートはぬかるみ極致で、彼氏と大モメのまっ最中。彼には妻がありしかも老舗料理屋の娘ときた日には、俺に万に一つの勝ち目も無い。金で貢いでも彼の普段の生活では子供の駄菓子程度にしか過ぎず、結局のところ『体』が切り札と認めざるを得ないのが現状だった。
 ただ、俺はそれでも彼が愛してくれているものと信じていた。
どんなに友人たちが『お前は遊ばれている』と忠告しようとも、妻と別れていなくても、土日に現れなくて、かつ、平日に泊まったためしがない事実が頭を掠めても、俺はそう信じていた。
そんな乙女心でで淡い期待に胸を膨らましていたのだ。
ただ、内心怯えた日々を過ごしていたことも事実だ。
たとえ彼が側にいても、心から楽しいと思ったことはないのかもしれない。

地味に守り続けていた自分の幸せは、まさか自分の手で壊す結果になるなんて思いもしなかった。小心者のクセに気が短いのが災いした数例目の事例かもしれない。
なんの変わりばえのない日で、しかも後二日、我慢さえすれば彼がやってくると心待ちにしていた日だったのに、俺はそれを自分でぶち壊した。

 その日、交代の休憩から帰ってから職場に戻ると、いつものように客の入りやテーブルを見回し確認してから仕事に戻ろうとした途端、俺は動けなかった。こういうのを『かなしばり』っていうのだろう。
付き合っている彼氏がレストランの一番良い席に座っていた。しかも、ご丁寧に『見知らぬ若い男』と一緒だ。

『な、なんだ…会社関係か?』
そんなことはあるはずもないのは百も承知で、頭では判っているのに否定しようとしている自分がいる。
あんな ”おめでたい服を着た男” が会社関係であるはずもなく、なにより嫌な予感が的中した感覚があった。
それなりに兆候はあったのだ。ただ、知らないフリをしたかったのだ。
『3年目の浮気』ほど続いてわけじゃないが、このシチュエーション、笑えるじゃないか?

「……聡介」
「……い、一樹?!」
「あんた……どう言うつもりで……?」
「どうもこうもないよねぇ〜ただのデートじゃん! ねぇ、そうちゃ〜ん」
「い、いや、これには……」
「……」
「恋人とデ〜トにきたんだよ〜」
「か、か、和博!」
「……黙れ、クソガキ。ガキは黙ってジュース飲んでな。っつうか、お前に用はねぇ!」
そして、睨みあいも空しく俺はいつになく激昂し、ヴァチカンのスイスガードのようなお目出度い服を着た若い男を殴り倒した。
そして大口開けて呆然とした彼氏にベロチューをおみまいしてやった。……ざまぁみろ!
しかし、元来小心者の俺は脱兎の如くその場を走って逃げ出してしまった。
(今更、なんで逃げたかなんてのはわからい。しいて言えば、いたたまれなくなったって感じかもしれない)
テーブルの上には一発でのびた ”おめでたい男” と散らかした食器類と何が起こったのかわからない彼氏をそのままにして。

結局、俺は社会的責任を取るべく「大変、ご迷惑をお掛けいたしました」と、心にもない言葉を吐きながら職場を去った。『明日から職探しだ』と思い一抹の不安を抱きながらも心のどこかでホッとしていた。

背中に突き刺さるような視線やそれより酷い不躾な目線を感じても、捨て鉢になった自分には何のダメージも齎さなかった。
それより何より、自宅に帰るのが憂鬱だ。色々道草をして、用もないのにコンビニによったりしても、何れは帰らなくてはならないのに、俺はウダウダと回り道をして帰るのを遅らせようと足掻いた。
 肌寒いが、誰もいない部屋に帰るよりはましと思い、新聞を手に公園に向かうことにした。昼前だったが、着込んだ小さな子供たちがはしゃいだ声を出しながら走り回って、母親たちはその側で談笑していた。

ベンチへ腰掛けて、持っていた新聞を徐に広げた。
勿論、頭の中に文章は入ってこない。ただ、眺めているだけ。
今までなんとか守っていたものってこんなものだったのか、と思い返すが、今となっては夢と消えた。
世の中って色んなことが起こるもんだと今更ながら思った。

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