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10)俺と充の参観日

「みつるぅ〜早く、メシ食え〜」

何の因果か知らんが、充がメシを食いだしてそろそろ1時間が経過しようとしている。いくら、用意の遅い充だからと言っても朝食に1時間越えというのは過去なかったはずだ。
―――『っつうか、ありえねぇ…』

なのに、未だモソモソとトーストを咀嚼する充を俺はぼんやり眺めていた。
―――『あぁ、これは…アレだ。例の…行きたくない病だ』
しかし、それはありえないことだと思う。
充は授業参観には俺が来て欲しいと言っていたではないのか?
現に、昨日は興奮して寝れないと訴えっていたくらいだ。

それは、それで、やっぱ授業参観は嫌だ…とか?
俺は大きな溜息を雪崩のように吐き出しながら、足のつかない椅子に座って両足をブラブラさせている充の傍へしゃがみこんだ。
「…なぁ、充。 授業参観行くの嫌か?」と、下から目線で聞いてみた。
――― 一応、俺もカワイこぶってみた。
…通じるかどうか効果は不明だが。
それまで食っているのかいないのかわからないトーストを頬張っていた充は俺の声に反応し、その動きをピタリと止めた。
―――『おおぅ〜効果ありっつうことだな』

「……」
「んんっ?…なんだ、どうした?」
「…ふく……い……」
「……」

相変わらず自分を表現するのが下手な子供である。しかし、俺はそんな充が好きだった。
だって、それは昔の俺自身のようだったから。
自分のことを言いたくても言えないもどかしいモヤモヤを上手に表現できないところなんかそっくり、瓜二つだ。
いや、今そんなところを、強調して考えることじゃない…ましてやそれどころじゃないしね。
充は俺の子供ではないのになぁ…実の父親より子煩悩とはいったいどう言うことだろうなぁ。

「要の…」
「…?…」
「俺の? …なんだ?」
「……」
―――『み・つ・るぅ〜遅刻するぞぉ〜』
大きなため息を漏らしそうになるのを必死で誤魔化して俺は、辛抱強く充が答えるのを待った。
「…要の…服が…」
―――『……俺かい?!』

充の電池の切れたような態度の原因は俺だということが判明した!
充はもごもごと言い渋りながらも俺の服が似合わないと言った。
充の答えを聞いて俺の頭は『?』で埋め尽くされている。
―――『近頃の子供の考えることは全然、みえねぇ…』
気を取り直してもう一度聞き耳をたてると、上目遣いとともに弱弱しく声を発した。

「あの服は嫌い…要に合ってないもの」
……充が言うには嫌いな服は着るなっ、ってことだな。なんだが疲れが5の5乗はあるような気がした。
―――『充、お前ヘンなとこ凛太郎にそっくりだな』

俺は充を説得するだけの根性は……今はない! いやもう、ほんと…疲れた。
と、言う事で俺は充の条件を全て飲み込むことで事態の収拾を図ることを試みる。なにせ、遅刻だ! 充を何とか支度をさせて俺も支度を始めなきゃならんのだ。
口の周りに蜂蜜をつけた充が嬉しそうにはにかんで俺を見つめてくる。

「…で、どれがいいんだ?」

握り締めたトーストを皿において立ち上がりかけると、俺は慌てて充の背中を触って言った。
「充、兎に角先にメシを先に食え。服選びはそれからだ、いいな?」
大きくて真っ黒な目玉をこちらに向けて笑う充の顔は花がほころぶような笑顔だった。
今までの不幸が消し去るような微笑みだった。
俺は胸が詰まりそうで、息ぐるしさを覚えたが気がつかないふりをした。今、理由を突き詰めてしまうと何もかもに悪態をつきそうだったからだ。
せめて、今日は…今日だけは、つまらないことで腹を立てたり、自分が不幸だなんて嘆かないようにしたいと思う。
そうすれば、きっと俺も充も幸せになれると思うから。
一所懸命に牛乳を飲んではパンを噛んでいる充を眺めて思った。

何がそんなに嬉しいのかわからないが嬉々として俺の洋服を探す充の表情は見ていてあきないものだった。それに選ばれた服を見ても、充の見立ては悪くない。

俺自身が選んだ服よりも若干派手目なものだったが悪くはない。
って言うかあんまり目立たちたくなかったので、地味なスーツを選んだのだが、充はそれが気に入らないようだった。
スーツではなく普段着ているようなセーターを選びそうになった時は流石に、俺も慌てた。 
学校に行くんだからと、訳のわからぬ言い訳を言いながらスーツにしようと言って誘導したのは大人のいやらしさだ…許せ、充。

クローゼットからスーツを取り出しながら俺は小さな声を上げた。
「…あっ…」
ついさっきまで忘れていた。
そうだ、俺はあの時、充に『充のコーディネートで学校に行こう』とか言わなかったか?
そうか、そうだった…ごめん、充。

ばたばたと世話しなく動き出した充を眺めながら約束の言葉を思い出した。俺は『充、ちょっと』と言って呼びとめ恥ずかしそうに笑う充を突然、抱きしめた。

最初は何事が起こったのか判らない充はジッとされるがままの充は、暫くするともじもじと身を捩りだした。
「…ごめんな、充。約束忘れてた。…充が選んでくれるんだったよな、服は。ごめんな、充。忘れてて」
充に話しかけると、小さな充の身体は大人しくなって、おずおずと答えるようにその小さな両手を俺の背中に回してきた。
忘れっぽいな、大人って。
いや、大人じゃない、俺が忘れっぽいんだな。

充が俺の胸元あたりでくふくふと鼻をならしていたが、ゆっくりとした動きで充から離れた。
充は照れたようなはにかんだような表情で俺を見ていた。
「忘れもんないか?」
俺がそう聞くと「…ない」と言って黙った。
しかし、何か言いたげな充の表情を読み取った俺は、ただ充の頭を撫でた。
「…今日、絶対来るよね?」と不安げな顔で言った。

「当たり前だろ? 今日は会社休んだんだぞ。…そうだ、それにな晩飯にファミレスに行こうなっ」
そう言って更に強く充を撫でた。
充は嬉しそうに「うん」と大きく頷いて破顔した。

昨晩は凛太郎とあれほど真剣に話したことはなかった。何度となく繰り返した「別れ話」以外の話に、だ。
凛太郎は「参観」には出れないという。まぁいつものことではあるが、俺としてはまだ充本人から「来るな」といわれる前の貴重な時期なのだから行ってやるに 、こしたことはないと考えていたので何度も食い下がった。「参観」に行かないのならせめて早く帰って来れないか、と俺は執拗に言い募った。結構、興奮して声高になっていたと思う。いつも、充のことではそうな風に我を忘れて凛太郎に突っかかってしまうことがある。

それはまるで、俺が蔑にされているようで…嫌だったからかもしれない。

しかし、凛太郎は「仕事が抜けれないんだ」と言い、すまなそうな顔をした。
「じゃぁ、早く帰って来れないか? 三人でレストランでも…」と、一縷の望みをかけて言った言葉だったが、「…すまない」と一言返されただけだった。

俺は取り残された気分を味わい、この感情は充のものなのか、それとも俺のものなのかボダーラインがあやふやな感覚だった。
一緒に食事をしたかったのは、俺なのか、それとも充なのか。
いつも感じる疎外感はこの日も相当な勢いで吹き荒れた。

結局、俺と凛太郎と充の溝はいつまでたっても埋まらないものなのだ。
そんなときに決まって幻影のように登場する凛太郎の妻を俺はどんな目で見ているのか? 
知りたいような、知りたくない現実だった。
まぁ腹いせに夜の御伴である凛太郎を拒んだのは俺のちっちゃな矜持だ。
ただ、あの身体は魅力的だったが…まぁ仕方がない。

翌朝、『輝ける未来を予測する朝』とはいかず、相も変わらず何の努力も実を結ばなかった結果だけが残った朝だった。
さっさと身支度をした凛太郎は先に出勤し、取り残された俺は充よろしくウダウダとベッドの中でぐずっていた。そして、意を決して充を起こして…今に至るわけだ。

なんとか時間ギリギリに充に支度をさせて送り出すことができた。
嬉しそうな顔をして出かけた充を玄関で見送った後に残された俺は、感傷に浸る暇もなく出かけるまでの数時間を掃除などの時間に費やし、自らの支度に取りかかることにした。

割と大きい小学校は見るからに微笑ましくもあり、何度となく凛太郎の替わりに出かけて馴れた場所でもあった。
校門をくぐると「関係者」のしるしでもある来客用のリボンをもらって構内に足を踏み入れた。そこかしこから聞こえる子供の声が奇妙なほど現実感がなかった。俺は充の教室を目指して歩き、同級生らしき父兄の一人に出くわして軽く会釈を交わした。

授業開始のベルが鳴る。
若い女性の教師が少し濃いめの化粧で明るく笑顔を見せると、生徒の一人が大きな声をあげた
「きり〜っつ、れいっ」

授業は図工だった。
国語の授業で読んだ本を紙芝居にするという授業らしい。
子供たちは4人から5人ほどのグループを組んでそれぞれの紙芝居を作っているようだった。
充は授業が始まってしばらくすると、判でついたように何度も何度もこちらを振り返った。
―――『そんなに見なくったって逃げねぇよ…』

よほど俺が帰ってしまうのが怖いのか、振り返っては俺を確認し安堵した表情を浮かべ恥ずかしそうに笑う。
その落ち着きのなさが、他の親の笑いを誘うのかすぐ傍の母親がクスクスと笑いを洩らした。正直、あまり気分のいいものではなかったが、俺は特に何のアクションも起こさず、何度となく俺を顧みる充にその度に微笑んだ。
 注意散漫に映る充の行動を担当の女性教師は認識しているにも関わらず、最後まで充に直接的に指導はしようとしなかった。それがいいことかどうかは俺には判断できなかったが、充が最後まで萎縮することなくのびのびと授業を続けられていることが見て取れて安堵した。

それと、授業とは関係ないが、意外なことが判明した。
それは充が女にモテルこと、だ。
ビックリしたというか…意外というか…。
あのモジ男がモテるとは…世の中何がアタるかわからない。
っていうか、俺がわからん。

今のモテるタイプなんて、俺の知ったこっちゃねぇが、あんな凛太郎とそっくりな昼行灯の優男がモテる時代なのだろうか?
それとも小学生でも母性を刺激されるのか、優男はモテるのかもしれない。しかも…男にまで優しくされてるってのは…どうかと思うぞ!

なんだか、一抹の不安が拭えない「参観」になってしまった。

授業は無事に終わり、其々の親たちが入り乱れたクラスを後にしては静かに教室をでようとした。すると、太腿の辺りに布地の引きつる感覚を覚え顔を向けると眉間に皺を寄せた充がいた。

俺は笑いながら「…先に帰ってるから、今日は外でメシだからな」と言って頭を撫でると充は焦るようにして言った。

「…あれ、みてくれたの?」
『あれ』とは何だろうか?
俺は充の言った言葉を反復しながら充の目線の先にあるものに視線を投げかけるとそこには クラス全員が書いた書道が貼ってあった。

「ねん土」と書いた書道作品がズラッと壁に並んで貼ってあった。
―――『「ねん土」って…』
あまりにツボの書道に笑いが漏れそうになりながら、俺は一通り見渡して充の書いたものを探した。
俺は苦笑いを浮かべ、充の書いた字を眺めつつ左手のあたりにある充の頭を撫でながら言った。
「充、字うまいなぁ…書道教室に行ってみるか、才能あるかもよ?」
充のしがみ付く力がやや強くなったがすぐに消えた。
俺は充の顔を見ようと顔を下に向けると、充は黒い大きな眼を俺に向けたまま見上げていた。
「…さ、サッカー教室…に…行きたい」
『こりゃぁ…ぶったまげた!』
充が強く意思表示をしてきたことに驚いた。
何かを欲しいと強く願ったことがかつてこの子にあっただろうか?
俺は動悸激しく、若干まごつきながらも興奮は隠せず、充の顔を覗き込むようにしながら
「そうか…だったら俺から凛太郎に言ってやるよ」
そう返事を返すと、充は更に眉間に皺を寄せて「…いい」と言った。

―――『…なぜ、そうなる?!』
「自分で言うのか?」と聞くと又、難しい顔をして「…ううん、いいの」と言ったきり黙ってしまった。
こうなると、頑としてだんまりを押し通すだろう。
充を見ながらため息を飲み込んで、俺は「そのことは又今度な。今日は家でっ待ってるから、早く帰って来い。公園に行って遊んだらメシに行こう、なっ?」と言った。
充は頬を赤くしながら俯いて「…うん」と頷いて背後から充を呼ぶ同級生に素早く向き直って駆けていった。
俺はそれを確認してから教室を後にした。

時間のあまってしまった俺は来るべき日のことを想像して部屋を掃除した。
近い将来(将来?…いや数日後だろう)やってくるであろう事柄に対処すべく、俺は余計なものを捨てる覚悟をして、いらない物をゴミ袋に捨て始めた。

 帰ってきてから俺は充と外に出かけ、人も疎らな公園で二人遊んだ。鉄棒で逆上がりが出来るんだと嬉しそうに俺の前で披露する充をやや心配そうに眺めていたり、怖くないんだとばかりにジャングルジムに高く上ろうとするのを慌てて止めてみたりと、忙しい時間だった。最後に乗りたがったブランコに充を乗せて背中を押した時には、不覚にも涙が出そうになってしまい誤魔化すのに一苦労だった。

「たつおくんにね、おそわったの」
「たつおくんって?」
「……がっこうのおともだち…」
「そう…で?」
「ぼくね、さかあがりができなくって……そしたら……たつおくんが…おしえてくれた」
「へぇ〜やさしんだ、たつおくん」
「うん、とってもやさしいの」
前を向いて足を投げ出してブランコ揺られる充の顔は見えなったが、彼の温かい背中は笑っているように思えた。

6時を過ぎてもまだ日は高く、徐々に薄暗くなる空を気にしながら、充を少し急かした。
マンションからほど近いファミレスを選んで禁煙席のテーブルについた。
すると、この小さな子供は一人前にも「…要は煙草吸わないの?」と聞いてきた。
俺はニッコリ笑って頭を撫でてやり、「あぁ、あんまり好きじゃないから大丈夫だよ」と言ってやった。

小難しい顔をしていたが「ふ〜ん」と言ってから大きなメニューに身を乗り上げていた。元々言葉少ない充は、それでもよほど嬉しかったのか、学校であった出来事をボソボソと喋ってくれる。
俺はそれに相槌をうちながら話しを聞いていた。
苛められそうになった時、たつおくんが助けてくれてそれで友達になったとか…。隣の席のともみちゃんとは『おえかきなかま』だとか。

「今日は、その飯食べたらご褒美にプリンを食べてもいいぞ」
「…いいの?」
「あぁ、いいよ。今日の充は手を上げて勉強がんばってからな。…ご褒美なっ?」
「…うん…」

食後の注文品である『プリンアラモード』で今日という日が終了した。
眠そうに眼を擦りながら俺の質問に賢明に答える充を背負いながら、俺はすっかり日も落ちた家に帰った。
家の中は静まり返っていて凛太郎がまだ帰宅していないことを改めて認識せざるを得なかった。

充を寝かせ自分もベッドへ直行する。
しかし一向に眠気は起きない。
凛太郎が帰る前に何とか夢の中へ逃げたかった。

必死に寝ようと試みるが、如何せんコレは思い通りにはいかない。
片付けやら荷物のヤマを見て凛太郎は何を感じるだろうか?
それとも、いつもの如く見てみぬフリのダンマリを決め込むだろうか?
―――『それは、それで寂しい』と心が叫ぶ。
そんな無駄な想いを延々と抱えて一体どれくらいの時間が過ぎたのか、凛太郎がドアを開けて忍び込んできた気配を感じた。俺はジッと、ただ寝たフリを続ける。スーツを脱ぐ衣擦れの音が自分の心臓の音より大きく聞こえた。

俺を起こさないように身を滑らせ身体に手をまわしゆっくりと抱き込まれた。しかし、俺は心の中で『どうか今日だけは凛太郎の身体に反応しないように』と念仏を唱えるように業と寝息を吐いた。

「…寝たの、要?」
静かな低音が俺の耳を擽るが、俺は凛太郎にただただ願った。
―――『どうか、寝たと思ってくれ。例え、それがウソだとわかっていても』
俺は背中に凛太郎の温もりを一晩中感じながらまんじりともせず朝を迎えた。

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