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11)平成哀歌 〜また逢う日まで……?

嫌な雰囲気は扉の外からでもわかるほど、どんよりとした空気をこの部屋全体に漂わせていた。
俺はとうとうこの時が来たのかと、寝不足の頭で考えていた。
部屋から玄関までは俺が記憶している限り、あっという間に辿りつく距離だ。
だが、その短い距離の間、何度も何度も振り返り、縋りつくような頼りない眼をした充が俺を窺う。

「…怪我、するんじゃないぞ」

俺はそう言って笑って、充の頭をわさわさと撫でまわし、その小さな背中を押しやった。
半ベソをかいた充にワザとらしく笑いかけていた。
―――『…大丈夫だよ、充。直ぐになれるさ』

俺は心の中で呪文のように言いつづけ、そして自分自身に納得させようとしていた。
「さぁ、行こうか」と、充を引っ張りだした凛太郎が、それでも動きの鈍い充に苦笑いを漏らしたのが見えた。
「ほら、早くしないと皆を待たせちまうぞ」と、言って殊更なんでもないように空元気をめいっぱい出して大げさに笑った。

充の顔はそれまでと同じ奇妙な笑いを顔に張り付かせたまま、凛太郎と共に出て行った。

『……』
俺は呆然とつったたまま、閉じられたドアを睨みつけていた。
「…ざまぁねぇなぁ…」と誰に聞かせる訳でもなく呟き、ようやく動きだしてキッチンへ向かう。  
そして特に掃除のする必要ないキッチンで水栓を開いてザアザアと流れる水を眺めた。

    ************************************************

それはホンの3時間前の出来事だ。
凛太郎が極上の笑みを湛えながら俺に話があると言ってきた。
その時俺は『きた、きた、きたよ―――っ! きましたよ――っ』と、妙なテンションの高さを誇りながら、想像していた修羅場を慮った。

玩具のようなリビングのガラステーブルを挟んで、向かえ合わせに座る俺と凛太郎はどこか現実感のない一枚の写真のように黙ったままお互いの言葉を待っていた。
飲み込む唾がゴクリと音を立てたのが聞こえるぐらいの静寂の中で俺はいつに無く真剣な目をした凛太郎を凝視していた。

―――目尻にあんな皺ってあったっけ?
―――なんか、白髪が目立つなぁ。
―――肩なんか下がっちゃってるよ!
―――こんなんだったら、昨日一発、記念にヤッとくべきだった!!

エロおやじ丸出しな考えで今の自分を茶化してみてもなにも状況は変わらないのだが。
何処か寂しげな凛太郎を見たのはそれが初めてだった。
俺は今までどんな風に凛太郎を見ていたのだろうか?
本当に俺は凛太郎という男を知っていたのだろうか?
ここにいる凛太郎は俺の知らない男のようだ。

「…後で充をサッカー教室に連れて行くよ」
「入会させたの?」
「あぁ、今日は…お試し参加ってやつだよ」
「…弁当作ろうか?」
「…うん、いや…いいよ。必要ないと思うから」

―――『必要ない』か…。
凛太郎の言葉は弁当に向けられたのか、俺自身に向けられた言葉なのかは今の俺にはどちらも堪える言葉だった。それに、サッカー教室の件を凛太郎が知っていることの方が俺には衝撃だった。自分が一番だと思いこんでいたので赤面するしかないが、当たり前といっちゃぁ当り前なことに、今更ながら落ち込んでしまう。

「それで……」
凛太郎は奥に物が挟まったような言い辛そうに言葉が途絶えた。
判りすぎるぐらいの彼の態度に俺は泣きたい気分だ。
何度となく別れてきた俺たちだからかもしれないが、あまりに今までの別れ方と違いすぎた。
明らかに今までの別れとは違う凛太郎の様子に俺は、落ち着きを無くしそうだった。

―――『アンタ、おれより幾つ歳くってんだよっ!』

「そのまま、ここを出て行くよ」
「…行き先は決まった?」
努めて冷静に返事が言えたと思う。
「あぁ、充の学校に近い場所に決めた」
「…そう…じゃぁ…充はアンタが引き取るんだ?」
この時の俺の声は自分が思うよりもはるかに明るい声色だったと思う。
「いや、そうじゃない」
「えっ?」俺は凛太郎の答えを聞き間違ったのかと思った。
「充は、愛子が引き取ることになった。俺とは週末だけ暮らすことになったんだよ」

俺はガッツンと頭に一発食らったように眼がくらんだ。
驚いた表情で凛太郎を凝視している俺は、言っている意味がよくわからなかった。
「なぜ」とか「どうして」とかそんな言葉ばかり頭に浮かんではくるのだが、それ以外の言葉を思いつかないまま、ただただ詰るような視線で凛太郎を睨みつけていた。

「…俺も仕事があるし、寂しい想いはさせたくないしな。それに愛子の両親が近所にいるので面倒みてもらうというらしいんで…まぁそれもアリかなぁ、と」

―――『あぁ、判っている、わかってるよ…けど』

彼の下した結論は自分が一番信じたくない、ましてや選んで欲しくない選択肢だった。
そしてそれを必死になって阻止しようと試みたのは何を隠そう俺自身だ。
頭では判っている事柄を何度も否定して、自分の望んだ通りになるようにしようと画策したのに。
すべては徒労に終わったのだと、今はじめて知った。

「…そう…よかったんじゃない? 充にとってもアンタにとっても…」
「…デキた結論だと褒めてくれるんだ?」
「あぁ、昼行燈のアンタにしちゃデキすぎさ」
「そうか…デキすぎか…」
凛太郎はややうつむき加減になって後頭部を掻いて照れたような仕草をしていた。

そして凛太郎は「あいつに寂しい想いをさせるのはつらいしなぁ」と、俺に聞こえるか否かの小声でそっと囁いた。その囁きを無視して俺は意外と冷たい声で興味なさげに聞いた。
「荷物はどうする?」
俺は妙に落ち着いた気分になって意外な低い声で聞いた。それはまるで自分ではない自分が
喋っている感じだった。
それからの俺は彼の声が聞こえているのかどうかも怪しい感じだった。
ふわふわと綿菓子のような心もとさで会話だけが上滑りしているようだった。

「うん……充のモノが大半だから荷造りをさっさと済ませるよ」
「…そう…」
「……」凛太郎は何か俺に聞きたそうにしていたが、俺はそれに気づかぬフリをして話を続けた。
「…俺もここを引き払おうと思うんだ」
「そうか…次は決まったのか?」
「あぁ今日にでも荷物を運び出すよ。…賃貸契約のことは心配しなくていいよ。一応、ここは月末までの契約だから、あと8日はあるから、それまでに出てけばいいから」
「…そうか…」
「俺は最後の31日に引き渡しの為に大家を訪ねることになってるから、それまでに片付けてくれればいいさ」
「…世話になるね」

今、俺は震えてはいなかっただろうか?
白々しい会話は不自然ではなったか? 
そんな些細なことが気になって仕方がない。
背中に凛太郎のぬくもりを感じて眠れぬ夜を過ごしながら俺は、何度も考えた言葉をシミュレーションした。
その言葉は間違ってはいなかっただろうか? 
みっともなく、震えてはいなかっただろうか?

結局、俺は凛太郎に甘えたくて仕方がなかったんだろうと思うし、何よりも俺だけにして欲しかったということだ。しかし、彼には別れた女房も居るし、子供も居る。そして決定的に違うのは、彼の愛するものが「俺だけ」ではないということだ。

愛するものが多すぎるのだ。
何者もすべて己の中に抱えようとするその貪欲までの愛に、束縛を信条とする俺の愛は受け入れては貰えないのだ。

彼なりに「愛している」としても、だ。
でも、決して一番を望んだわけじゃない。
「充」になりたいとも思わない。
ただ、余所見をしないで欲しかった。
…早い話が…セックスは俺だけにして欲しかったのだ。
柔らかい女よりも、美しい筋肉の男よりも…何よりも俺だけにして欲しかったのだ。
愛する者は俺だけで……。
「充」という例外を除いては……。

兎に角、俺自身これ以上耐えられない。
自分なりに頑張った方だと思う。
これからは自由に、何も考えられぬ程、俺だけを愛してくれる男を捜したい。心が「凛太郎」を求めていても…何も返してくれない男を辛抱強く待つのはもう歳だと思うから。

何度、別れてみても別れなかった凛太郎とはなぜだか、これが最後になるような予感がした。
今までは心のどこかが『暫くすると又戻ってくる』という予感めいたものがあったのに今は欠片も思わないから。

俺は凛太郎に「31日は引越しの件で会社を半休することになってるから、二時過ぎにはここへ来て最終の掃除をして帰るよ」と決めてあったスケジュールを告げた。
凛太郎はあれから思うことがあったのか、態度が落ちついていて、それを見ると結局、別れる別れないという問題は俺だけの中にあったということを改めて思い知った。

「じゃぁ、俺もその時間に行くよ」
「別に、来なくていいよ…。来てもすることないだろ?」
「まぁ、そういうなよ。…ちょっと、カッコつけさせてくれよ…なっ?」
「……」

変な言い訳だったがそれ以上頑なに拒否することもないので、頷いたが、本当のところは辛いので顔なんて見たくなかったんだけどなぁと思っていた。

    ************************************************

当日はあっけなくやってくるもんだ。
あれだけ思い悩んだ日々はなんだったんだろう?
それほど、あっさりとこういう日はやってくるものだ。
もっと、こう…なんか劇的な展開を期待していた、というか、なんというか…。
まぁ所詮現実なんてこんなもんだ。

緊張感が音をたてて破裂しような勢いで充満していく雰囲気に眩暈を覚えながらも『がんばれ、俺っ!』と自分を励ましてみるもその効果が発揮する気配は微塵もみられなかった。

凛太郎が「俺が閉めようか?」と言う。
『何を?』というツッコミは今更のようなので、止めた。
俺は多分、怪訝な顔をして彼を見ていたのだろう、視線を足元に落としながら照れたように「いや、まぁ…ケジメかな?」と凛太郎が笑う。

何を今更ケジメなどと言うのだろう?
俺は凛太郎の真意を見抜けぬまま、ぶっきらぼうに鍵を差し出した。
上げた彼の顔には大きな影ができていて、表情をみることはかなわなかったがどこか寂しげに見えるのは、そう見えて欲しいという俺の願望からだろうか?

軽く見えるドアを閉めて、いつもより大きな音で締まる鍵を見ながら、部屋番号の下にある手書きの表札を毟り取った。
そして振り返りもせず、エレベーターホールへ行き、ボタンを押すと凛太郎が無言でついてきた。

二人とも押し黙ったままポストの前に来ると縦型のポストには汚れて拉げた紙の『表札もどき』があった。その紙に手を伸ばした途端、凛太郎がそれを掻っ攫うかのように手を伸ばして剥がしてしまった。
「…俺が取るよ」

―――そんなもの、誰が取ったって同じだろ?!
つきたくもない悪態をつきそうになって自分の眉間に皺が寄るのが判るくらい不機嫌になっていった。

ただ、本当はこんな別れ方をするつもりじゃなかったんだ、と思うのに身体や言葉はそれと正反対のことをする。まるで、俺の心と身体が分離して二人の人間がいるような気分だ。

苛々が最高潮に達しようとした時、
凛太郎の口から今まで聴いたことがなかった歌う声が聞こえた。
怪訝な顔で彼を見ていると突然、振り返り笑った。
「知らないのか?『また逢う日まで』…いい歌だぞ」と、言って片手を上げて歩き出した。

―――な、なんだよ、それ?!
俺の頭の中は意味不明は言葉でいっぱいだった。

―――何が知らないのか?…だって!
―――ってか、知るわけねぇだろ?!
―――バッカじゃない―っ!
―――『……』

俺は下を向いて立ち止まり、両手を握り締めて必死で言いたい言葉を捜した。『バカ』じゃないのか? とか『元気でな〜』とか『充によろしく〜』とか。
しかし、考えれば考えるほど言葉はモヤモヤに掻き消され、訳もなく焦りだした。

言わなければ、今、言葉に出して言わなければ…。
そう、思えば思うほど焦りは増して口は噤んだままだった。
たったひとつの言葉を除いては、浮かんでこなかった。

―――『愛しているよ』

結局、アンタは俺に言った事なんてなかったんだ。
タダの一言も『愛してる』なんて言葉は。

言葉に出すと陳腐なものだけど、どうしようもなく欲しいと思うものなんだ。
アンタ、そんなことも判らないのか?
いいさ、もういいさ。
だけど、今度…今度本当に好きになった人が現れたら、ちゃんと口に出して言ってやりなよ?
それだけで、十分伝わるからさ…俺は貰えなかったけど。

言いたいことは山ほどあった。
だけど、溢れる想いは言葉にはできなかった。
そして、俺の中で沈んでゆく。
澱のように重なって、沈殿して…そして忘れるんだ。

一度も振り向きもしない…やっぱり、アンタは冷たい奴だよっ!!

楽しげな雰囲気にさえみえる凛太郎の後姿を恨めしげに睨めつける俺は、それでもかすかに聞こえる彼の歌声に全身を耳にして聞いていた。
これが最後だからとか、ヘンな言い訳を自分に納得させて。

そして、俺は大声で叫んだ。
「俺はどっちかって言うと……『竹内まりや』の気分だぁ―――っ!!」

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