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1)恋は盲目 〜何が男を変えたのか〜

今日も小野は三日前にも訪れた津田の店に出かけた。

「…小野さん最近、よく来られますね」
「そう? 他に行くとこないんだよねぇ〜」
「色気のない返事ですね」
『そういえば』と、考えてみるも小野はここ数日津田の店を頻繁に訪れていた。

 この店のマスターでありバーテンダーでもある津田は、小野と学生のことからの知り合いなのだが、彼がこれほど頻繁に来るのは初めてではないかと思っていた。そのことについて聞くと本人曰く、「来たくて来たわけではない」と言うのだ。まぁ相変わらずの口の利き方だが、本人に悪気があるわけではなく、心を許している友達として減らず口をたたくだけなのだ。
 
 小野はボンヤリと津田の背後にある酒ビンを眺めながら、今だ残業中の箱崎の働きっぷりを夢想していた。
 時間の有る日はなるべく箱崎の傍に居たかった。偶にひとりになって箱崎と逢えない日は、気も漫ろで何をしても時間がもたない。携帯を睨んでみても一向にベルはならない。
何度かそんな気分を味わっていると、箱崎に捨てられたとか、他に女ができたとか、ましてや男ができて会社で浮気なんかしているんじゃないのかと、あらぬ妄想がトグロをまいて自身の中に住んでいるように感じてしまう。
 流石に、それでは箱崎に嫌われるのではないかと思い始め、箱崎と一緒に過ごせない日は、津田の店に行く事に決めたのだ。

津田の店に来たから心配事が減るというわけではないのだが、一人で居ては何をしでかすか判らないのでこれが今考える中で最良の方法ではないのかと思っていた。
津田も迷惑なことだと思っているだろう。
しかし、何も言わず、詮索もしない津田はやはり最高のバーテンダーであり、最強の親友だと思っていた。
「最高のバーテンダーのいる店は居心地がいいんです」子供のような笑い顔を浮かべ、小野は津田に言った。
津田はさも当然だと言わんばかりの顔つきで「当然です」としたり顔で言った。
 柔らかな空気が流れ、刺々しい雰囲気が自分から抜け落ちてゆく感覚が嬉しかった。
「その調子だったら上手くいってるんですねぇ」と津田はグラスを磨きながら呟いた。
小野はその言葉に珍しく顔を赤く染めながら含み笑いで誤魔化した。
―――驚いたな。
津田はそんな表情をする小野を初めて見た。
反応を返す小野に津田は、「今度、良かったら是非お一人じゃなくてお二人でいらして下さいよ」と柔和な表情で言った。

                  ************************

小野とはもう随分と長い付き合いだと津田は考えた。
学生時代、取り残されたような疎外感をいだきながら回りを見渡すと、同じ穴の狢がいた。
それが小野だった。
小野は決して目立つ男ではなかった。見場が悪いとか、派手な行動をするとか、そういったことではなく、業と周りに溶け込むようにひっそりと、己自身を隠しているように見えた。それは津田自身にもいえることだったが、小野にもわかったのだろうか。
 不思議と何も言わなくてもお互いの考えている事が理解できて、気がつくと居心地のいい場所をお互いのために提供しあえる間柄になっていた。
ただ、それは決して、恋などというものに変化はしなかった。
残念といえば語弊がでるかもしれないが、逆にいえばそんな間柄だといえる人間を見つけることが出来た嬉しさの方が大きいだろうと、津田は思った。

学生時代から今まで知っている小野に対しての印象は常に一定していたように思われた。それは、これからも変わることは無いだろうと思っている。小野は良くも悪くもどこか他人と距離をおきたがる性格だが、それは自身が知っていることではなく、寧ろ無意識だと感じた。友達が例え、愛する者に成り代わっても決して自分の内面を曝け出すようなことはしなかった。
そんな男と愛しあえる者はよっぽどの変わり者か、猛獣使いか、はたまた究極のボランティアだと津田は常々思っていた。

小野の弱点ともいえることに、付き合っている相手が気付くのも時間の問題で、直ぐにそのことで二人は拗れてしまう。派手な喧嘩でアザを作ることもしばしばあったが、その度に小野は相手を追いかけることもせずに、あっさりと別れる結果を自ら選ぶのだ。まるで、何故、そうなるのか答えはわからないとでもいいたげに。

だから、小野の相手は常に一定期間の期間限定の恋人しかいなかった。
ようは長く続かないのだ。
津田と眞信が付き合いだしてから、今日まで一体何人の恋人と呼ばれる男がいただろうかと思い出そうとした。
しかし、いろいろ頭を捻って思い出そうとしても思い出せない。
よくよく考えてみると、津田は小野から一度も恋人と呼ばれる人物と顔を合わせたことはなかったのだ。
そう、紹介されたことなど、かつてないのだ。
 秘密の関係…などというものではなくただ、単に店に連れてきた事がない、ということだ。
それは、親友として紹介されない寂しさは多少あるものの、特に自分が信用されていないとは、津田は感じていない。
むしろ、お互いの関係の中にパーソナルな部分を持ち込まないという小野の姿勢のようなものだと思っていた。ただ、津田自身はどうなのかと言うと、少なからず、眞信の性格もあって小野との関係に知らず知らずの内に入ってきてしまっているのは仕方がないと笑って済ませていた。

こんなドライな人間関係を保つのは容易な事ではない。
しかし、小野はさも簡単に今の今まで構築してきたのだ。
これからもその性格に変化はないだろうと思われたが、ここにきて事情が違ってきた。

『去るものは追わず』の言葉通り、特になんの執着を見せなかった小野が、今は相手を想いながら、ウロウロと熊のように店の中を歩き回り、鳴らない携帯を睨みつけ、彼の話をすると赤く顔を染めて俯き、恥ずかしがる素振りを見せるなんてことは想像すらできなかった。
 しかも、その恋人に告白すまでの時間が津田には想像できないことだった。手すら握らず悶々と一人で悩み、初めて相手から携帯に電話がかかってきたと言って、店に興奮した様子で連絡があった日には、何かとんでもないことが起こるかもと、心配までしたほどだった。

そんな恋人にも他人にも執着を見せなかった小野は、津田の店にも恋人と呼ばれた男を一度として連れてきた事は無い。
津田も職業柄詮索を吉としない考え方だったので、特に二人で 来てくれ、と誘ったことはなかったが、こうもこの男をこんな男に変えた『男』を見てみたいと興味が湧いた。

「…連れてこようかな?」
消え入るような声で自信なさげに呟く小野を津田は今だ信じられないといった面持ちで見た。
―――参ったな…小野はかなりの重症かも知れない。
津田はグラスを拭く手を止めていた。
何時の間にか、カウンターの小野の席の隣には、津田の恋人である眞信が腰掛けており、ニヤニヤと何やら嬉しそうに顔の筋肉を緩めていた。

「見たいですよぉ、小野さんの恋人。早く紹介してくださいよっ」そう言って弓形に目を細めて楽しげに言った。
―――そうだった、眞信のこの天然があれば話は円満かな?
妙なところで、津田は眞信の陽気な明るさに救われた気分だった。

「う〜ん、そうだなぁ…。あっ、でも勿体無いからやめようかなぁ〜」
と小野は返事をするも、モジモジとした態度に加えて歯切れの言葉で津田を呆れさせた。
「勿体無いって、なんなんです? 減るもんじゃなしぃ、いいじゃないですか?」眞信は口を尖らせて言った。
「へ、る、のっ! それは二人の時間が減るからで〜っス!」
『二人の時間が』と言われ流石の眞信も言葉を無くして、呆れたように呟いた。
「減るって…小野さん、ベタ惚れじゃないですか?」
眞信の言葉を聞いた小野は怒る風でもなく、寧ろ嬉しげな笑みを浮かべ「うん、俺の方が絶対にはるかさんの“俺のことが好き”より“はるかさんのことが好き”が上回ってるのは確かだな」と、言った。

―――小野…やっぱりお前はおかしいぞ……。
津田は眩暈を覚えた気分だった。
「それはいえてるかもぉ〜ですね。でも、でも、俺の方が凄いですよっ! 俺は“津田さんの俺のことが好き”よりも“俺が津田さんのことを好き”が100倍上回ってますからねっ!」
と、最強の笑顔で眞信が答え、胸を張りながらVサインでもしそうな勢いで小野の眼前へと出ると、
小野も負けじと「いや、俺は200倍好きだ!」と、こちらも腐った脳みそで答える始末だった。

『…小野はもしかたら今の方が本当の小野なんだろうな』
津田はひとりごちて思うが『眞信が二人いるようなあの輪の会話には入りたくないな』
と溜息まじりに呟くと、小野の恋人である“はるかさん”の苦労は俺が一番良く知っていると思うのだった。

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