>> 天穹の恋 〜大阪編〜 > 01 / 02 / 03 / 04 / 05 / 06 / 07 / 08 / 09 / 10 / 11 / 12 > site index

BACK INDEX NEXT

9)その手を握り締めて想う事

大先生(おおせんせい)と呼ばれた箱崎の祖父は、会って見ると小野が想像していた大柄の男などではなく、柔和な 表情をした小柄な男だった。祖母は買い物に出かけているらしく家にいなかったのだが、休み中、実家に帰らなかった下宿生の子供達とは軽く挨拶を交わして、小野は今夜泊まる部屋に案内された。

「ここだよ」
と、言って案内された部屋は古い旅館のような趣で、ここが大阪だというこを忘れるような雰囲気をかもし出していた。
最初に訪れた母屋の斜向かいに建っている平屋の家だった。和室
「…離れに部屋を拵えたんだけど、いいよね?」
箱崎は小野を窺うように聞いてきた。
「ええ、そりゃぁ…俺は、どこでもいいですけど…」
「…けど?」
「…いいんですか? なんか、俺に合ってないような…」
「なんだいそれ?」
箱崎はそう言って、眉毛を下げて返事を誤魔化すような小野を見やりながら、障子を開け放って小野の手を引いた。
 開け放たれた部屋は角部屋で二方には板間の長い縁側がぐるりと部屋を巡っていて雪見障子が並んでおり、開け放つと庭が広広と見えた。部屋に入ると奥に床の間が見え、二間続きの和室は仕切りを取り除くと一間の部屋にな った。

「…これはまた…立派な欄間ですね」小野は欄間を繁々と見上げながら呟いた。
「古いだけだよ」箱崎は素気無く言った。
「…ここ、何畳ぐらいあるんですか?」
「う〜ん、18畳ぐらいかな?」
「うへぇ〜そんなにぃ?」
小野は首を回してぐるりと見やった。
「昔、法事に無理やり行かされた時に泊まった田舎の家みたいだなぁ」と、感想を漏らした。
「ここにはよく、指導にこられた先生方に使ってもらったりするために、建て直しをしたところなんだよ。だから、ウチではここが
母屋より静かでお客さんにはちょうどいい部屋なんだ。だから、ひなたが特別ってことではないから、遠慮しなくていいんだからね」と、言ってにこやかに笑いかけられた。
「…と、言う具合なものなので、ここに住んでいる俺でも泊まったことがないっ!」
やけに胸を張って箱崎が主張するとそこには小野との間に微妙な雰囲気が漂い始めた。
「……」
「……」
小野は箱崎の話を聞いて返事に迷い黙ってしまったが、そんな箱崎も困ったような小野の顔を見てしまうと何だか急に笑いがこみ上げてきて噴き出してしまった。小野もそんな恥ずかしそうな箱崎の顔を見るとつられて笑ってしまった。

「いや、いや…子供の頃、ここで度の過ぎた遊びで、大荒れ状態にしてしまった過去を持つ俺には眩しい場所でね〜。
それ以来、出入り禁止だよ」
「結構、悪戯坊主だったんですね?」
「悪戯っていうか、他愛もないものだと思うんだけどね〜」
笑って頭を掻く仕草をする箱崎の後姿に、弓なりに細めた目をして小野が眩しそうに見た。
「う〜ん、障子に無数の穴を開けて叱られた経験のある子供としては、ここは遣り甲斐のある場所だからな〜障子が無数にあるなんて…わくわくしちゃてさ〜」
「悪い子ですね〜おじいさんに同情しますよ」
小野は箱崎の後を追って縁側に出ると隣に腰を下ろした。

隣に腰を下ろした小野を振り返ることなく箱崎はそのまま話を続けた。
「ここは、庭っていっても鬱蒼とした木が沢山植えてあってね、今みたいに『手入れの行き届いた庭』じゃなかったんだよ。だから、よくかくれんぼや探偵ゴッコなんかにゃぁもってこいで、さ。それにいろんな実がなってる木があったもんで、腹が減ったときにはつまみ食いってのも出来た便利な場所だったんだよ」
「…便利って…食ったんですか?」
「うん、食った」目を細めて笑いながら箱崎が返事をした。
呆れたようにその笑顔を見ていると、
「食ったって何、食ったんですか?」
子供のような顔をした箱崎が庭にある一番奥の木を指して小野を振り返った。
「あの木ですか?」
「そう、そう、あれだよ」
懐かしそうに木を見る箱崎に暫し見とれていた小野は、ゆっくりと箱崎の耳元で「どれ?」と呟いた。
その声で箱崎はゾクゾクと這い上がる快感にも似た痺れを感じて真っ赤になりながら、小野を振り返った。小野はしてやったりといった表情で、『貴方が俺のこの声に弱いの知ってますよ〜』と心の中だけで呟いた。

「えへん」とか「おほんっ」とか意味のなさない声を発しながら赤く染まった顔を隠す箱崎を笑いながら小野は見つめていた。
箱崎は気を取り直したように、赤くなった顔を背けるようにして話の続きを喋りだした。
「ほら、あそこにある木…ナナカマド。あの赤い実だ。もう時期が終わりだから干乾びてしまってるけど、あの時は冬の丁度、熟れどきで、赤くなって美味そうにみえたんだなぁ、これが…。で、喰ったらその晩、腹痛起こして病院行きで…はははは」
赤くなった顔をさらに赤くして笑い出す箱崎を、唖然として小野は見ながら「…中毒起こしたんですか?」と呆れたように言った。
「いや……食いすぎってやつ? でも、赤い実のナナカマドは食用じゃないが、果実酒にするとウマイってばあさんが言ってたんだよ。それに鳥も食ってることだし、イケるかなぁ、なんてねっ?」
『いやいや、違うでしょ』と心の中でツッコミを入れた小野だった。
「そういや、酸っぱかったよなぁ。後味は苦くて最悪やけど。うちのは赤い実のやつだからなぁ〜あれさぁ、黒い実のやつだったら喰えたらしいのになぁ」
『「なぁ」って……まだ、言うか? 結構食いしん坊だなぁ』
と、小野は心の中で呟きながら楽しそうにナナカマド木を眺めている箱崎を見ていると、箱崎の手が縁側に両手をついているのを見て、無性にその手を握り締めたくなった。
肉付きのよくない手の甲は少しばかり骨ばっていているのに、その指がいつも自分の背中を撫でるように動く生き物だと改めて認識すると、妙に嬉しくてその手を握り締めたいと衝動的に思ってしまった。
グイッと何の前フリもなしに箱崎の手の甲を押えるように握りしめた。
「っえ……」
箱崎が何か言いたげに声を上げたすぐさま口を噤んだ。
「……」
「…楽しかった?」
「…えっ? あぁ、子供の頃だったから他に悩みもなかったしね」
「…そう…よかった」
「よかった?」
「うん…よかった」
「……」
小野は何を思っているのか箱崎の顔も見ず、ただ真っ直ぐに正面を見据えたまま嬉しそうに笑った。

 箱崎は時々、この小野という男が遠くにいると感じてしまうことがあった。今もこんなに近くにいるのに、遠くに感じられるはどうしてだろうか、と。言わなければ伝えられないと言う想いは、心底わかっているつもりだった。
ただ、どうしようもなく自分の想いが上手く伝わっていないようで歯がゆくもあった。
―――『俺は、こんなにも好きなのに』何を不安がることがあるのだろうか?
縁側に重なった手の平を小野は少し強く握りしめて、正面にあるナナカマドの木を見つめていた。

甘い時間がどれだけ続いたんだろうか、ふと感じた視線に振り向くと、無表情な志野木が立っていた。小野より気付くのが遅れた箱崎が小野の体越しに志野木を見つけると、
「陽平?」と声をかけた。
小野はきっと箱崎ことだから手を握り合っているのを忘れているのだと思い、大きな溜息を心の中で吐きながら、一度、やや乱暴に手を握り締めて直ぐに手放した。
プイッ、と立ち上がり「荷物片付けてくる」と箱崎に言って開け放たれた和室の畳の奥へと移動した。
小野は舌打ちしたい気持ちを何とか抑えながら、志野木の顔を見ることをしなかった。
もし、今見てしまったら自分のこの胸の中にある気持ちを全て吐いてしまいたい衝動に駆られるからだ。箱崎の追うような視線を背中に感じながら掬い上げたボストンバックを床の間の近くに無造作に落とした。
志野木がその大きな体躯を起用に折り曲げて箱崎の傍らにしゃがむと開口一番に「…はるか…」と囁いた。その声は細やかな声だったが部屋の奥にいた小野にもはっきりと聞こえた。

「なんや?」
「…あぁ、いや、別に…」
「…?…なんやぁ、別にって〜。用があって来たんとちゃうんか?」
「…うん、まぁ、なぁ…」
訝しるような目をしていた箱崎だったが、不意に顔を上げて、
「そや! 俺ちょっと出かけてくるわ」
「なんや急に…」
「明後日のお茶会用の菓子の確認忘れてる」
「はぁ…そういうことか…。せやけど竹村やったら今日、こっち来るで」
「えっ、なんで?」
「お客さんもいることやしこっちでメシでも食わんかって大先生が言いよったさかい、それになぁ、寿司屋の若村も鮨持ってこっちきよるわ」
「…なんやえらいことになっとるやん」
「はははは…大先生久しぶりやから嬉しいやろ?」
「なんやそれ…」
呆れた顔をして大きな溜息を吐いた箱崎は目線で小野を探した。
そしてその目線の先には今にも怒りで爆発しそうな顔をした小野がいた。

―――あぁ〜あ、ここにもなんや勘違いしとる子供がいよるなぁ。
『拗ねた子供』のような小野を見ながら何故か、ほくそ笑んだ箱崎だった。
『そりゃ、そうだろう? あんな顔をさせられるのは自分だけだとわかったから』
箱崎は小野を宥める手立てを考えながら、これ以上事態がこじれないように最善を尽くさねばならないと思うと、少々骨の折れる休日になりそうだと呟いた。

BACK PAGETOP NEXT

Designed by TENKIYA