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2)お互いの胸のうち

「おかえり〜」
箱崎がドアを開けると奥から勢いよく小野の声が聞こえた。
箱崎は奥へ進むと、小野は既にスウェットの上下に着替えて居間のソファで煙草を吸っていた。
「ただいま、早かったね」
「うん、職長会なくなったから」
「そう」
箱崎は答えながら寝室に向かい、鞄を定位置に戻して腕時計を外した。
すると、小野が大きな声で箱崎を呼んだ。
「ねぇ〜はるか〜さ〜ん」
「あ〜、ちょっと待って…」
「はるか〜さ〜んってばぁ〜」
『あのなぁ…』
箱崎は妙に甘えてくる小野に苦笑いを漏らしながらも「直ぐに行くから」と声を掛け着古したシャツにジーパンを履いて居間に戻った。
「…遅い」と、小野に一言言われ、がっくりと肩を落として箱崎は妙に絡んでくる小野を見やった。
「何、すねてんの? コーヒーいれるけど、いる?」
箱崎は小野の返事も聞かずに、カップを2つとってコーヒーを入れはじめた。
「別に、俺は拗ねてませんっ」
―――『十分、拗ねてるよ』
箱崎は苦笑いをしながら入れたコーヒーを小野に差し出した。

「…で、拗ねてないひなたは、どうして口を尖らしているのかな?」
箱崎は業と子供に言って聞かすような口調で喋り、片方の眉毛をやや上げて小野を見た。
小野はさも難しげな顔をして上目遣いに箱崎を見ていたが、つい先程受け取ったばかりのマグカップをテーブルの上に置いて両手を突き出し「こっち 、こっち〜♪」と言って手招きをして笑った。
箱崎はそんな小野の仕草に呆れながらも、心の中では『男の仕草にかわいい と思える自分はかなりの重症だ』と感じていた。箱崎は言われるがまま、小野の傍まで歩み寄るとソファーに腰掛ける小野を見下ろした。小野は正面に立っている箱崎を眺めながら腰に手を当てて、箱崎をひっくり返して座らせた。

「おっと…」
危うく持っていたコーヒーカップを落としそうになった箱崎だったが、なんとか零さずに済んでホッとしたのも束の間、小野は箱崎の腹に手を回して背後から抱きしめて、その匂いを堪能していた。
 背中から強い力で抱きしめられて身動きの取れない箱崎だったが、どうやら甘えたいと訴える小野を突き放すのはかなりの労力を要するのだろうと、考えを巡らした。
箱崎はやや強めの力で抱きしめくる小野の手から逃れようとするのは無駄なことだと思い、彼のしたいようにさせるべく、全身の力を抜いた。力を抜いた箱崎を待ってましたとばかりに、更に力を入れて抱きしめて首筋 や肩甲骨の辺りに頬を摺り寄せていた。
「…遅くなるって言ってたから、夕飯買ってこなかったけど食べた?」
「…んんっ?…」
小野は箱崎に返事を返さず、首筋に唇を這わせていた。
少々腹の減っている箱崎は「…やきそばを作ろうかなぁと思うんだけど、ひなたはいらない?」と、様子を伺いながら聞いた。
「…う〜ん」と、又もや曖昧なそれでも返事らしいものを返すが、ハッキリした答えで はなかった。
そんな小野を箱崎は持ち前の気長な性格で、彼が返事をしてくれるまでまっていようかと考えていた。暫く小野のやりたいようにさせていた箱崎だったが、それ以後、返事はない。
しかも、小野の息が荒くなり箱崎の尻に小野の熱い塊が自己主張をし始めて 、固く押し当ててくるのがわかった。

小野は、箱崎に甘えながら、右手を太腿に這わせて撫で擦りだした。
箱崎は、嫌な予感があたらない事を今更ながらに願い、腹が鳴ってくれたらいいのになどと考えていたら、小野の不埒な右手が箱崎の足の付け根をなぞる様に動いて、暫くすると待ちかねたように手は箱崎の片足を持ち上げてズボンの上からをわさわさと尻を揉みだした。
『あ〜あ、こりゃ、食べ損ねるのかなぁ』
苦笑いをした箱崎の当てにならない感が大当たりして、溜息が自然と洩れた。

しかし暫くすると箱崎は小野の動きに呼応するかのように荒い息遣いとなり、胸を上下させて背中を押し付けるように小野の胸を押した。そうなると、腹が空いたというより、下半身の疼きが脳内を占有し始め、さっきまで『やきそばでも作るか?』などと、考えていたものは一瞬で吹き飛び、今は小野の濡れた唇の動きがもどかしく感じてきた。


                   ******************

来週の連休を利用して大阪へ帰るつもりにしていた箱崎は、ここ数日休みを得る為に仕事をできるだけ詰めて働いていた。
しかしそんなことは人生の中では普通のことだったし、特に変わったことなどないことだった。ただ、箱崎は小野と二人になってからの大阪への初の帰省となるわけで、どういうふうに切り出してよいものか思案していた。

 箱崎は小野と一緒に小旅行でもと考えないわけではなかったが、どうも自分からは言い出しにくく、忙しさにかまけて話が延び延びになっていた。いっその事、軽い調子で「物見遊山がてら大阪へ一緒に行こう」と気楽に言えばいいものをあれこれと考えをめぐらして、もっと違う場所の方が好かったんじゃないだろうかとか、考え始めてしまい、果てはいい歳をした男が二人で旅行なんて…と、考える始末で、どうしていいのか判らず想いを心に秘めたまま今日に至っていた。

―――『きっと、そんなことを言い出したら笑われるな』

自嘲気味に笑ってはため息をついている箱崎だった。
今になってなぜ小旅行なのかといえば、小野の態度を訝しんでのことだった。ここ最近、酷く考え事をするように黙ったままだったり、何かを思い悩んでいる風に見えていたからだ。

自分との関係に悩んでいるのかそうでないのかすら箱崎にとっては掴めないことだったが、とりあえずは何らかのリアクションを自分から起こさなくてはならないだろうと考えた。
 しかし、こと恋愛に関しては奥手というか古いというのか、自身がそれほど熟練者だとは到底思っても見ないことで、仕事や弓のことに、更には不慣れな男同士の恋愛も相まって、いいアイデアなど浮かぶはずも無かった。
ただ、大阪への出稽古の件は随分前から決まっていたこだったので「どうせならこれに乗っかればいいじゃないか」という短絡的発想の結果導き出したものだったのだが、箱崎は素晴らしい答えを見つけたと満足していた。

しかし、ある日の社員食堂での会話に箱崎は愕然とした。
それは、同じ部署の人間ではなかったのだが、若い社員たちが笑いながら話している事柄が聞くともなしに聞こえた内容が原因だ。若い社員が忙しさのあまりデートができないと同僚に愚痴るものだった。『仕事にかまけてデートをしないお前が悪い』と同僚に逆に叱られ、ムキになって反論している様子が妙に微笑ましくおもっていたのだが、問題はその先にあった。

忙しかった男は、落ちた男の名誉を回復するために一発逆転を狙って、彼女を旅行に誘った。
しかし、これがいけなかったらしい。
忙しすぎた男は出張先を旅行に選び、現地集合しようと誘ったのだ。
 箱崎は、男の話を聞き『そうか、そういう手もあったんだ』と感心こそすれそれが問題だとは思わなかったのだ。
すると、話を聞いていた同僚達は一声に『サイテー!』との声を上げ、口々に『彼女がかわいそう』と嘆いていた。
その反応に、食べていたうどんを口に入れたまま動けなくなってしまった箱崎の頭の中は疑問符のオンパレード状態だった。

―――『…何が悪いねん?』
思わず顰蹙を買いそうな言葉を喋りだしそうになる箱崎を不思議そうに見つめる営業の松井と目が合ってしまった。

無理やりうどんを飲み込み、ニッコリと笑ってなんでもないよというフリをした箱崎だったが『仕事と彼女とどっちが大事なんだよ』という突っ込みや『デートと仕事を一緒にするなんて』という呆れた声に逆ギレを起こして喚く男に箱崎はただただ、心の中で『それはいっちゃいけないことだったんだ…』と納得していた。
そんな箱崎を目ざとく見つけた松井は、何でも聞きますよ目線を箱崎に送っていた。知りたい欲求に逆らえなくなった箱崎は、グイッと顔を突き出すようにして松井の前にでて地の這うような低い声色で言った。

「…あれ、何が問題なわけ?」
松井は『してやったり』といった面持ちで箱崎の顔に近づき、妙な笑いを浮かべながら言った。
「係長も女心が判ってませんねぇ〜」
「ははは…そうかぁ?」
妙な笑いは箱崎も同じで、心の中では「なんじゃそりゃ?」と呟いていた。
「大体、デートと仕事を一緒にする奴なんて彼女にしたら、有り得んことでしょう? 自分の事を考えてるとか言っておきながら、ちゃっかり仕事も一緒に済まそうなんて腹づもりがミエミエじゃないっスか? そこは、ウソでも「仕事なんて関係ないさ。
名古屋のミソカツを君と一緒に食べたかったんだよ」と言わなきゃいけないですよ。それをどうだと言わんばかりに、胸を張られたんじゃ、彼女の髪の毛も逆立つってもんですよ?!」
松井は得意げに話しながら、ミソのついたカツを口に運んで美味そうに食べた。

「…一石二鳥っていわんのか?」
と、呟く箱崎に驚いたように目を見開いた松井が咀嚼しかけた米粒やらカツやらを飛び散らかしながら勢い良く箱崎へかみ付いた。
「断っておきますが、これは上司にする発言ではありませんっ!」と鼻息荒く前置きしながら「そんなんだから、彼女ができないんですよ? もっと女心を知らなくっちゃいけません。箱崎係長は結構二の線いってんですから、もちっと勉強すればダンディになりますっ! …いいですか、箱崎係長。彼女をデートに誘うときは『ついでは、ダメです』一番に考えた結果の名古屋ならOKですが、ついでの名古屋はダメですっ! …いいですねっ」
「……はい」
―――『…なんだかなぁ、子供に説教タレられたよ…』
それからの箱崎は『ついで、はダメです』と言った松井の言葉に縛られていた。
『大阪の出稽古のついでに旅行?』どう考えてもついでの域は越えられない。
―――『大阪はついでになるんだろうなぁ…』

自分では、いいアイデアだと思ったのだが、松井の一言は少々浮かれた箱崎に釘をさした形になってしまっていたので、問題を解決する為に思いついた旅行はいっそう暗礁に乗り上げてしまったようだった。

二人の旅行と不審な小野の態度を理解するには一番いい方法だと思っていた箱崎にとって、今の小野が発している「どうして俺をさそってくれないんですか?」光線を汲み取る余裕などなかった。

                   ********************

一方、小野はとぐろを巻いた状態で、モンモンとした日々を送っていた。
小野が一番嫌な大阪へ箱崎が行くというのだ。
いや、大阪という土地が問題なのではなく、正確には大阪に必ずいるであろう「志野木」という男の元へかわいいはるかを向かわせることが嫌なのだ。
 しかし、小野はそれを口に出して言ってはいない。
何度か話をしようと思っていたが、あの無償の笑顔で微笑まれると、そのことを口に出すのも憚れた。
それはまるで醜い男の嫉妬のように思えて他ならないからだ。
『醜くてもいい、泣いて縋って、自分の元にさえいてくれるなら何でもする』そんなことは、以前の小野だったらありえないことだ。
しかし、今はそれほどまでにしてはるかを欲している自分がいる。
なのに、縋りつけない自分がいる。
はるかの前ではかっこよく思われたいという虚栄心からだということは十分知っている。
しかし、兎に角良く思われたいのだ。彼には自分は常にかっこよくて、頼れる男でありたいのだ。

きっと彼は泣き笑いのような笑顔を浮かべて「バカだなぁ」と言ってくれるだろう。小野は箱崎の腕の中で優しく諌めてもらいたいと思う反面、自分を欲しいと言って貪るように自分の胸に懐かれてくれないかとも思っていた。
相反する感情に時々、自分が情けなくもあり頭を冷やすためにも「津田の店」に逃げ込んでいたのだったが、それもここに来て効果が薄くなりつつあるのを肌で感じていた。

―――『甘えたいのだろうか』

小野は以前には考えられなかった痛みがある。
それは一人でいると酷く孤独が重く圧し掛かるようで、要らぬ憶測で心が痛むことだった。
「愛している」と言葉で伝えても、箱崎からの得られるものは確たるものではなくとても曖昧なものだった。
箱崎が自分を愛していないとは思えない。だか、愛しているかといえば、それはもっとわからないことだった。

何度、言葉で表しても、どんなに深く身体を繋げても、心の不安は取れなかった。
それは、己の引け目ゆえの結果なのだろうかと。
「愛している」という気配は窺える。
しかし、距離があった。
どんなことをしても、それは決して埋まることのない大きな溝のようで、自分を拒否しているようで、それが、無性に哀しかった。それは決して交わることないレールのようで、一生寄り添えない関係のように思えた。
小野はそんなことを考えてはため息をついて、箱崎を眺めるのが日課のようになってしまったと、
気弱な自分を笑っていた。

―――『手に入れたと驕ったのはつかの間だった。今は失うことを酷く恐れている自分がいる。いつも付き纏う不安に苛まれている』
そう、箱崎に伝えると、きっと彼は笑って俺を抱きしめてくれるだろうか?
『自分と同じぐらい愛してる』と確信が欲しい小野は、鼻腔を押し広げて箱崎の匂いを胸いっぱいに吸い込み、沸き立つような血管の流れを撫で動く手の平に感じていた。

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