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12)水族館デビュー

「…ほら、はよ行こ?」

完全に自分が機嫌を取られていると判ってしまった小野は、今更良い顔をするのも恥ずかしくて、眉間に強く皺を寄せて正面を凝視していた。そんな小野を妙な気分で眺めながら『かわいいなぁ』などと思う自分の重症さ加減を箱崎が笑っていると小野が気付いたのかそっぽを向いてしまった。
「二人で行く“海遊館”って…なんかえェなぁ」と、箱崎の呟きに更に顔を赤くした小野だった。
―――そういうこと真顔で言うかなぁ。

どこか天然気味な箱崎を横目で見ながら、小野は抜け目なくナビの画面を確認しながら目的地に着いた。箱崎は、さっきの気怠い雰囲気から一転し、今はみじんも感じさせない天真爛漫さを全開に、目指す海遊館を指さしながら小野を案内していった。

「はるかさん、ここへは初めてですか?」ふと、疑問に思ったことを聞いてみた。
「ここの水族館? うん、そう」
特にあっけらかんと答える箱崎を小野は『……この人に会話の裏を読んで、って言ってもムリか?』と思い、それ以上追及はしなかった。
「そうだな、鳥羽の水族館なら遠足の時に行ったような気がするなぁ……」
「じゃぁ初めてなんですね?」
「そうだよ、ここにコレができてから10年ぐらいにはなるのかなぁ。実家に帰ってもそれどころじゃないし、第一、誰も誘ってくれなかったしね」
箱崎の答えは小野の想像とはかけ離れた答えだったが、箱崎らしい答えだと思った。

長い階段を上がりきり海遊館のホールにはいると、小学生の団体が床に並んで点呼を受けていた。小野は箱崎の後について歩いていたら、急に振り向き、長財布から取り出した『海遊館のチケット』を差し出された。
「こっち、こっち」
箱崎のやわらかい笑顔に驚きつつも、手渡されたチケットを自動改札機にいれて入場した。
魚が泳いでいるところを潜り抜けることができるアクアゲートを通り、二人でならんでエスカレーターで8階を目指した。

「ここって縦に長い水族館みたいだな」と、箱崎が言った。
「行きはエスカレーターで上がって、ゆっくり回って降りてくる、みたいな?」と小野が返事をした。
「そうだね、それに……」
「それに?」
「意外に人が少ないね。見る場所によるのかな?」

二人はゆっくり歩いて回っていたが、今、回っている7階のフロアには外国人の観光客が数人と後は家族連れやカップル、
少人数のグループばかりだった。押し合いへし合いの混雑さを想像していた二人にとって意外な感じだった。
「観光コースになっているのかね、外人のグループが多いし……」
「そうみたいですね、大阪の観光スポットじゃないですか? 『大阪城」と並んで」
それには天候も左右されているように思えた。箱崎と車に乗って大阪市内に向かった時には、まだ雨は降ってはいなかった。だが、市内に入って暫くするとポツポツと降り出していたからだ。

魚類ではない『コツメカワウソ』や『オオサンショウウオ』を見てからスロープの順路で下に下って行った。
6階のフロアには真ん中に下の階から大きな水槽が突き抜けていているようで、大型の魚たちが泳いでいる姿が見えた。

「へぇ、サメとか大型がいるねぇ」
箱崎が感心したように大きな水槽を見上げた。その横顔を覗き見た小野は、やや疲れたような顔色を見て取れたので奥まった場所ではあったが、休憩ができるところへ腕を掴んで「ちょっと、休憩しません?」と言った。
箱崎は連れられるまま誰もいない長椅子に腰を掛けた。
それでも正面には大きな水槽があり、小野と箱崎は少しの間イスに腰掛けながら、水槽の中をゆっくりと泳ぐサメを見ていた。

「……本格的デートにしては合格点だろう?」箱崎が得意げな声色で言った。
「ええ、そりゃぁもう。はるかさんがこんなこと計画していたなんて思いませんでした」小野は正直に答えた。
「まぁ俺も色々思うことがあってね。……こういうのもいいかなぁと」
「俺は、時々貴方に驚かされます」クスクスと笑いながら小野は話を続けた。
「まさか、貴方と ”水族館デート” ができるなんて、思っちゃいませんでしたから」
「それは褒められているのかな」
「勿論! 俺は嬉しくって仕方がないです、初めてでしたし……」
まだ話を続けそうな雰囲気なのに、小野は言葉を途中で止めてしまった。

「そんなに喜んでくれるとは思わなかったな、でも……デートできたことあるんだろ?」
箱崎は急に黙ってしまった沈黙にやさしく答えるように言った。
「水族館? ないですよ、一度も」
「そうなんだ、そういうもの?」
箱崎はわからいなという風に首をかしげて答えた。

小野は箱崎との距離を少しおいて座っていたが、両腕を伸ばして体をささえている指を見ると、触りたい衝動にかられてゆっくりと彼の左手指に少しだけ触れるように手をおいて、知らぬふりをした。
箱崎も小野の指が触れるのを感じたが、顔色も変えずじっと水槽の方を向いたままだった。

小野は苦笑いを顔に浮かべながら言った。
「……薄暗いから場所的にはいいんでしょうけど、俺が付き合った連中は行こうなんて誰一人言いませんでした。まぁ、ちょっと勇気のいる場所ってことには変わりありませんから。誰も行こうって言わなかったですね。飲み屋や映画館が多かったし、時にはパチンコ 、ってのもあったし。ビリヤードやダーツバーなんてのもありましたが、流石に水族館はありませんでしたねぇ……。
けど、一人だけ、年下の男が頻繁に言っていました。『水族館に行こう』とか『ディズニーランドに行こう』とか。
その時は、相手が自分より随分年下だから『そういう所へ行きたいものなんだ』と思っていました。年齢差かな、と。
『別に行けない場所』ってことでもないんですが、妙な抵抗感が俺にはあって……結局、そいつと付き合っている時も1度も行きませんでした」
「……」
「そんな相手をいつも『子供だ』って言って俺は、小馬鹿にしていたんです」
「今は、そう思わないんだろ?」
「……こんなに楽しいんだったら、行けばよかったかなぁ、と……きっとあいつも、今の俺並みには喜んだでしょうねぇ、ったく、何に拘っていたんだか」
―――――今更ですが、自分の方が子供だったって気づきました。お恥ずかしいかぎりです。
小野は素直に今の心境を吐露した。

「…そうか、で、どう?」
「? どうって?」
「初めての水族館の感想。それに……」
「それに? なんです?」
箱崎はやや躊躇したが、「俺と初めての水族館デート」とやや体を寄せて小野に囁くと自分で言った言葉に耳まで 赤くなっていた。
その姿を見た小野は「……最高です!」とかすかに触っていた箱崎の指をギュッと握りし めて言った。
「……そりゃどうも。気にいっていただけて」
「勿論、一緒だからってのもありますよ」と、小野はすかさず返事を返した。
「……悪いね、気を使ってもらって」
「俺の気持ちをわかってくれるのは貴方だけです」
小野は抱きしめたい心情を押えつつ、彼の指を更に強く握った。
「はははは……やっぱり、男前だねぇ」
目の前のアクリルの水槽にはぶつかりそうになるくらい腹を見せながら上昇していったマンタを見ながら、箱崎は笑っていた。
「流石に大きいねぇ」
箱崎は水の中を上下に忙しく泳ぐマンタと時折あらわれるウミガメを見ているようだった。
箱崎は立ち上がると、小野に「そろそろ行こうか」と言った。

二人揃って水槽を眺めながら、歩いていると篠崎が妙に真剣な声で小野に話しかけた。
「……陽平のこと、気にするなよ」
その言葉にドキリとした小野だった。
今なら冷静に自分の気持ちを素直に伝えることができるような気がして、胸がドキドキと早鐘のように鳴った。

「気にするも何も……そもそも、志野木さんの態度こそおかしいですよ? 俺は……別に、気になんか」
「陽平とは何でもないよ、今まで一緒にいてもそう思うの? 心配するような関係じゃないって知ってるよね?」
「わかってます、そうです。……けど、どう見たってあの人の態度がおかしいですよ?!  それに何でも知っているみたいな……そりゃぁ、はるかさんとはガキの頃からの付き合いでしょうけど、何もそれをひけらかすようなこと……」
「そんな風に思ったんだ」
箱崎の言葉を聞いた小野はそのやや沈んだ声色から言い過ぎたことを反省した。
「……」
「志野木さんってはるかさんのこと愛していますよ、絶対! ……俺と同じ意味で」
箱崎は大きなため息を吐いてから、
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
箱崎の肩にかけた指に少し力が入ったのが体に伝わった。
「陽平からそんな話をされたこともないし、俺からもない。陽平がどう思っているのかはわからないが、輝多は俺が陽平とどうこうなるって心配してるの?」

「……心配って言うか、不安って言うか……」
「不安って、俺が陽平とどうにかなるって思うから?」
そう言われドキリとした小野だった。
「そうじゃありません……っていうか、これからなりそうだとか……」
「『なりそう』ってなんだい?! 俺が今から浮気するとか、
それとも、もうしているとか言ってるわけ?」
「そ、そんなこと言ってるんじゃありません、それは違います!! 絶対! そう言うことじゃないんです。浮気してるとか、
してないとか……」
少し順路からそれた通路に立ちながら、水槽を凝視する箱崎の肩に手をやって、必死に訴えた。
「じゃぁどう言うこと? 起こってもしないことが心配だとか?」
「そ、それは」
答えなどは、わかりきったことだということは百も承知している箱崎だったが、どうするか今が肝心なのだろうと考える。
「すなまい、別に嫌味を言うつもりじゃなかったんだ。まぁ、ちょっと勘ぐる輝多に苛ついたのは事実だよ。というか、あきれたというか、どうしたもんかと思ったわけだ」
「はぁ……」
気のない返事をしているのはわかっていたが、ここへきてこの話題がでるのかと思うと最初の甘い雰囲気が遠くに追いやられてしまい、残念でならない小野だった。ただ、口を開けば取り返しがつかない事態が引き起こされる予感がして、躊躇われた。

箱崎は、ここで『浮気なんかしない』とか『君だけ愛しているよ』なんて常套文句を並べるつもりなど更々ない。そんなうわべだけの付き合いをしているのではないのだから、それはありえない。そんなことだったら初めから輝多とは付き合わなかっただろう。それだ けの覚悟が箱崎にはあったのだ。
 それを小野はわかっていないのだと思う。そんな俺自身の気持ちや何やらをそれを、たかが子供じみた嫉妬心で有耶無耶にされてたまるもんかと箱崎は思った。

「さて、これからどうするかな?」
「……どうって?」
不思議そうに箱崎の顔を覗き込む小野を無視して篠崎は考えを込んでいた。
この大阪旅行で『陽平の件にケリをつける』ことが今回の目的なりそうだ、と。
表立っては『道場改装の打ち合わせ』なんだけど、と、思いながら決意も新たにする箱崎だった。

「とりあえず、ここを見てからお土産を買いに行こう」
「お土産ですか?」
「……そう、お土産!」
「ほら、大きなジンベイザメの腹も見えたし、マンタの宙返りも見たしね」
「……ええ、まぁ……」
「何、買おうかなぁ」
「……何でもいいんじゃないですか?」
真剣な話題を変えられてしまい、自分たちの問題が「お土産」にするかわる程度のことだったのかと思わせる箱崎を睨み付けて、やや捨て鉢気味に言った言葉が嫌味に聞こえるのは無理もない状況に思えた。が、箱崎にはなぜか立て板に水のようで、小野は先ほどの深刻な態度とは打って変わった陽気な態度を訝しんだ。
そんな小野の睨みに少々怯むも、それよりも大事なことを何とかせねばという思いに駆られていた。

―――――伊達に柵を乗り超えた訳じゃないんだから、男としての矜持とか何やらを捨て去っても手に入れたかったものなんだよ、わかってる?
四十男の本気をなめるなよ?!

鼻息も荒い箱崎だった。

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