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9)5月5日(木曜日 )第3日目

気温三十度。(意外に、暑くない?)

初めて眠れない一夜を過ごした。
(女にフラレても、こんな事はなかったぞォ)
初めての経験ってやつをしたのはよかったが目が重く、体がだるかった。
 龍水は相変わらず涼しげな顔をして、普段と変らない様子だった。
(俺との格差はなんだ……経験ってやつですかい?)
やっぱり昨日の告白が効いたかなぁ…。
ったく、ボディブローを食らったっていうより急所を一発、刺されたって感じかもな。彼がいるのは今日が最後だ、俺はこのことを意識的に忘れようとしたために……どっちでもいいや、考えるのはよそう。
そして、思い悩むのも。
そう思い直すと、気が楽になった。

龍水が先に、シャワーを浴び続いて俺が浴びた。風呂場から戻り台所で、牛乳パックを失敬して、階段を上がり部屋に入ると、龍水は既に身支度を終え、ベッドの端に腰掛けて新聞を読んでいた。
「あれ? そのシャツ……」
俺は龍水が着ていたシャツを指差しながら言った。
「?」
「何時、買った?」
「電話掛けてくるって、言った帰りに見つけた」
「フリマで買った?」
「うん」
「へぇ、いい感じじゃない?」
「赤のシャツよりはいいんでない?」
「すまないね、いい趣味で」
『ふふふ』と、龍水は笑い又、新聞に目を落とした。
 龍水は白いカッターシャツを着ていた。
シャツは地模様の入っている薄い生地の様だった。赤色の派手なシャツも似合っていたが、コレは正にピッタリだった。
俺は、龍水に牛乳を手渡し、自分の身支度に掛かった。グレーのTシャツに着古したブルージーンズを穿いて、又、鍵の束やケータイなど必要最低限の持ち物をポケットへ突っ込んだ。
「用意はいいのか? 出かけるぜ?」
龍水に声を掛け、俺達は家を後にした。

又、暑い一日が始まるのかと思うと少しげんなりした。三日目にもなると手馴れた手つきで、店を出して商品を並べ、サッサと用意を済ませてだらしなく店番を俺は始めた。
龍水は、あれからちょくちょくと姿を消しては戻ってきた。(何処に行ってるんだ?)
質問はしなかった。
聞きたいのは山々だがそんな事をすると、龍水に『小姑か?』と罵られそうな気がしたからだ。俺も案外、人様の評価を気にする性質だったのかと、思いもした。

3時が近づくにつれ、俺のほうがそわそわした落ち着きの態度をしていた。
「……達、なにかあるの?」
「何かって、何が?」
「落ち着きがないよ」
「るせぇ」
俺は赤くなりつつあった顔を彼の視界から外して笑った。
「片付ける?」
「そろそろ、3時か……」
「あぁ」
俺は妙にのろのろとした動作で店をたたみ始めた。龍水はというと、いたって普通の動作で片付けをしていた。

そんな俺達の行動を見ていた三人組の女の子達が、何やら、チラチラとこちらの様子を伺っていた。俺は無視する事にしていたが彼女達が俺達に向かって、意を決したように近づいてきた。(……波乱模様ですかね?)
「あのう……すみません」

龍水は相変わらず無視を決め込み、淡々と片付けをしていた。……で、割を食うのは俺の役目のようで仕方なく俺は彼女達の相手をする事にした。
(龍水、女嫌いなら最初にそう言えよ)
「何か、用ですか?」
「あっ……あのう、そちらの方に、お話したい事があって……それで……あのう……」
「ちょっと、待ってね」
俺は恥ずかしげに喋ってきた女の子の視線を気にしながらも、龍水の傍に歩み寄った。
俺は声を潜めながら、
「おい、龍水。なんか話があるんだとよ」
「……」
龍水は返事もせず黙々と行動していた。
「おい、ってば、聞いてるのか?」
龍水は下を向いていた体をすばやく立て直して、俺に向かって不満をぶちまけた。
「忙しいって、みりゃわかるだろ?」
「あのな、相手は女だぞ。あんなことするってことはだな……告白するって相場は決まってる。いくら鈍感な俺でもわかるぞ」
「……」
龍水は無言で俺を睨み返し、押しのけるようにして彼女達の傍に行った。
何やら、ぐちゃぐちゃと話をしていたが、すぐにこちらへ戻ってきた。
「……」
「おい……どうだった?」
「あんたも、オメデタイ奴だな」
「って、お前なぁ」
「俺は忙しいの、構ってるヒマはありません」
「冷たい奴!」
「ふん、どうとでも。興味、なし!」
そんな龍水を見てから、先程の女の子達の一団を見ると、一人の女の子が泣いていた。
(答えは判っているけどね。)

俺は苦笑いを漏らし、横目で忙しいそうに動き回るあいつを見ていた。
「………」
「達、てめぇも働け!」
ドスっと鈍い感覚が、俺の顔めがけて飛んできた。
(ちょっと休んだだけだろ?)
「ったく、年上を何だと思っているんですかね?……しかも、失恋直後のこの僕を……」
「未だ、言うかぁーっ」
ドスっと、又も鈍い衝撃が俺を襲った。
「判った、判ったよ」
(ちぇっ、何怒ってんだ?)
妙に苛ついた龍水に気を使いながら、着々を片付けをこなし、3日間の「三匹の子豚的店」は跡形もなくなくなった。
俺は少し寂しかった。
「荷物、何処か預けるとこなかったかな?」
「あぁ、入場口近くの所に簡易の預かり所があるけど、7時迄だぞ。それとも、駅のロッカーに入れてしまうか?」
「駅のロッカーがいいな。時間を気にしなくていいし」
「じゃ、そういうことで……」

俺と龍水は荷物を抱え、駅へと向かいコインロッカーに荷物を入れ、マーケットの主催者に店の終了などの事務手続きをした。
荷物もなくなった俺と龍水はぶらついた歩きをしながら、フェスティバルの目玉である、コンテスト会場のあるブースに向かって歩いていた。少し前を歩く龍水は向かって歩いてくる人々を、優雅にかわしながら歩いていた。
俺はそんな龍水を見やりながら、自分を何処に連れて行こうとしているのかを尋ねたい心境に駆られた。
「コンテストって、もう終わってるよな? 別のとこ見に行かないか?」
「……こっちでいいよ。用はここだから」
「……?」

龍水が俺を連れ出し歩き始めてから暫くして、閑散とした場所にくると、なおさら人もいない一角にブルーシートで覆われた小さな場所があった。場所と呼べるかどうかは甚だ疑問では有るが、うらぶれた小屋のような雰囲気がしていた。
「?」
龍水はやや間があってからやおらブルーシートの端を掴み、捲り上げ、なんのためらいも無くその小屋らしきものの中に入っていった。
(何の用だ?)
達は龍水に聞いてみようとしたが、なんとなくためらわれたのでそのまま黙ってついていくことにした。

「そこに椅子があるだろ? 掛けていてよ」
その粗末な小屋は、外から見るべき姿と随分と違っていた。
(とんでもなく、かけ離れている……)
何処か、現実離れした空間の中にいるようだった。
「おい……これ、って?」
(なんで、こんなものがこんなところにあるんだよ?)
俺は押さえきれない疑問を片っ端から龍水に聞きたかったが、声が出なかった。

モニターらしきものが2台地面に置いてあり、マイクスタンドが2本、スピーカーが2台、小さなテーブルに椅子が3つ、オマケに楽譜スタンドまであった。
「ボックスの中にあるもの、勝手に飲んでいいよ」
そういった龍水の指差した方向にはアイスボッスがあり、その中にはいわずと知れたドリンク類が入っているのだろう。
「……」
「……何も、言わないんだな」
マイクスタンドを持ち歩いていた龍水が俺の顔も見ず、言った。
「じゃぁ、聞くよ。『ここはいったい何だ?』」龍水はマイクスタンドを2台のモニターの間に立て、それにもたれながら俺を見返した。
「バイト」
「……何だよ、それが答えか?」
「あぁ、だって、バイトだもん」
俺は酷く不信げな表情を浮かべながら、龍水の目を見た。
「このイベントに来た、本当の目的だよ」(判りきった答えだな……ヒネリはねぇのかよ?)
「で、ここの『このバイト』って、何だよ?」
(答えるもんなら、答えてみな?)
「ヴォーカルの替え玉」
(……)
「ダサい質問に、エグイ答えだな」
(くそ!! 俺は、エロ親父か?!)
「スマートな返事だって言って欲しかったよ」
「替え玉って何だよ?」
(何から何までムカツク野郎だぜぇ……けど……)
「替え玉は替え玉、読んで字のごとくってかな」
俺は、何故かこんな重大問題を平然と言ってのける龍水に嫌悪感が沸いてきた。

「金に成れば何でもするってか?」俺は言ってはならない言葉を吐いていた様だった。
ただ、龍水は最初から、なんら変らぬ態度で俺を見ていた。
「そんな訳はないだろ? ……だが、一部正しい事もあるな」
龍水のどこか、すかして大人びた態度が酷く気に障った。
「お前、自分の言ってる事が判っていってんだろうな?」
「俺は自分の事を世界中の誰よりも知っているさ」
「……」
俺は苛立ちを隠せないまま次の言葉を探した。
「コンテストが終了すると、ステージを30分単位で貸してくれるんだよ。で、バンドは借りたわけだ。それで『ジ・エンド』ってことだったが、コンサートの1ヶ月前にダブルヴォーカルの一人が突然止めてしまった。普通なら、ここで終了。だが、リーダーの奴は続けたかったんだ。それで、俺に依頼があった。断る理由もねぇし……素直に金が欲しかったしね」

涼しげに告白する龍水とは裏腹に俺は逆に熱くなっていくのを感じていた。
「いや、バンドの連中は続けようが、終わろうが知ったことではなかったろう。俺と同じ、ただの見栄だけで集められた人間ばかりだからな」
龍水は俺の知らない言葉で語りかけているように思えた。
「……金の件はすまなかった。俺だって……言い過ぎた、けど『替え玉』ってなんだよ? お前はそれでいいのかよ? 
……ラルフは知ってるのか?」
「いや、ラルフは知らない。このこと知っているのはこのバイトを俺に仲介した奴とあんただ」
(……密も知らない?)
俺は言葉の引き摺る音を胸で何度も聞いた。
「いいのか?」
「何が? ……替え玉をする事? それともステージに立てないって事?」
「別に……お前が納得してるんだったら、俺はなにも言わないさ」
(そうだ、俺がとやかく言う問題じゃない。俺にはその資格がないからな)
「ステージに立つとか、客の前にいるとかってのが問題じゃないんだよ。まぁ、色々な事情があってお金を必要としていることは事実だし、それについては何も弁解はしないよ。俺の思惑と相手の利益が一致しただけの事さ。それに俺にはこれっぽちも、疚しい事なんて無いからな」
「俺はお前にやめろって言う資格なんて無いさ。ただ、無性に腹が立っただけ、お前が……蔑ろにされた様に感じたから……」
「ふふふ……相変わらず優しいね。別に俺はいいさ。それにそんな風に思ってはいないよ」
相変わらず龍水の顔は涼しげな笑顔だった。

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