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10)秘密のバイト

俺はどこか、気恥ずかしくて彼の顔を見ることさえはばかられたように目を合わせる事はしなかった。しかし、そのくせ、彼の視線が気になって仕方が無かった。
「ここで、歌うのか?」
俺は判りきった質問で、自分の態度を誤魔化した。
「……あぁ」
龍水は返事するのが億劫だと言いたげな短い返事をよこした。
しかし、龍水には苛ついた雰囲気は見られず、寧ろ落ち着いているように見受けられた。
「お前、意外に『心臓』じゃねぇ?」俺は思っていた事を、口にして言った。
「……俺に『心臓はない』そうだ」
(……それは、『冗談』なのか?)
俺は笑っていいのか悪いのかの判断も出来ずに、ただ苦笑いをしてみた。
「達、ここは『笑う』ところだ」
「ぬかせ!」
俺は煙草に火を点けて、手じかに有った椅子に腰をおろした。
(ここは、モニターがよく見えるな)
俺は無意識のうちに、龍水が見るべきモニターの近くにいた。
「達、どこに座ってもいいが、あんたがモニターの近くに座っても、しかたないじゃん」

(……そう、なの???)
俺は納得しながらも、抵抗してみた。
「俺は、ここがいいんだ」
「……」
「……なんだよ?」
「何、すねてんの?」
「失礼な奴だな……す、すねてなんかいねぇよっ!」

「モニターは俺が見るべきものだよ。あんたには用がない」
「……で?」
「だから、あんたの場所は……俺がよく見えるここにしてくれよ?」
「……」
(……悪魔め、やっぱり『降参』だーっ!)
「わかったよっ、動けばいいんだろ?」
俺は、いやいや動いているようにみせたが、内実は真逆だった。
言動とは裏腹にきびきびとした動きに、椅子を持って龍水の立っている正面へと移動した。
俺の座っている位置が広場のどの辺りにあるのか、とか龍水がどの辺りに立っているのかは、このブルーシートの中では全く推測がつかなかった。
俺は龍水に言われるがまま、移動し、パイプ椅子にだらしなく座った。
煙草を吸うために用意された灰皿は赤い文字で大きく「煙缶」と書かれたバケツだった。
バケツを自分の右足近くに引き寄せると、薄く張った水がゆらゆらと揺れた。

突然、龍水の背後にあるブルーシートが大きな音をたてて、舞い上がった。
静かに立っている龍水とは対照的に好戦的な目をした若い男が二人、こちらを訝しんで入ってきた。
「……」
「……」
「……」
(なんだかなぁ……浮気現場を見つかった男同士の修羅場って感じだぜぇ)
流れる沈黙に耐えかねた俺が話の口火を切った。
(どうも、沈黙には弱いな)
龍水に向かって俺は「お客さんが来てるぜ」と、顎を杓った。
龍水はそんなことはわかっているとでも言いたげに眉をピクリと動かして、振り返った。
「……」
「龍水さん、この方は?」
『品の良さげな痩せた男』が言った。
ただ、もう一人の若者は俺と龍水を値踏みでもしているのか、黙ったまま俺と龍水と交互に見比べていた。

「……知り合い」
ぶっきらぼうに呟く龍水を見て、俺は龍水が『相手のことを酷く嫌っている』事を感じ取っていた。
「お知り合いの方がお見えになるなんて、伺っておりませんでしたが……」
相手もどう喋っていいのか躊躇しているようだった。
すると、もう一人の『センスのない』若い男が喋った。
「ここのことを、喋ってしまったんですか?」
「……」
龍水は無言のままマイクスタンドを弄繰り回していた。
「……契約違反じゃないですか?」少し苛ついたように言った。
「契約違反?」
龍水の返した返事は明らかに、怒っているようだった。
「あっ、いえ、そんなこじゃ……」
もう一人の男が必死に取り繕うように間に割り込んできたが、既に遅かったようだ。
「契約違反ってどういうことだい?」
「あっ、いえ……」
「男を引き入れてることがだよ」
(……直接的な表現だなぁ……)
「……ここへは誰も連れてくるなとは、あんた達のどちらにも言われなかったことだ、違うかい?」
龍水は相手をじっと見据えたまま言葉を続けた。
「他言無用とは言われたが、彼は他人じゃない。それに、俺が誰彼とも、くっ喋ってここのカラクリをバラすなんて思ってたのか?」
(龍水、何時から俺とお前は『他人』じゃないんだ?……だった、らいいのによっ!)
「いえ、そんなことは有りません!」
「黙れよ、英記。龍水が悪いんだろ? 俺の言うことを聞かない奴は……」
「……いいかげんにしろよ。なんなら、俺はおりたっていいんだぜ? 困るのはあんたたちだ。……俺は一向に困らないぜ」
 嫌な、沈黙が流れた。

再度、『頭は悪そうだが金を持っていそうな男』(……俺の中では、『センスのない男』から数段レベルアップしたな)が喋りだしそうになったのを、もう一人の『賢そうな男』(『品の良さげな痩せた男』も格上げだな)が身を乗り出して止めた。
「待ってくれ、謝るよ。そんなつもりじゃなかったんだ、聞いてくれ」
「……」
「充は本番を控えていて、ナーバスになっているだけなんだ。君を責めたりしていないんだ。ちょっと、気にしすぎただけなんだ、許してくれ」
「……」
「充、君からも謝ってくれよ。彼は君が思っているようなことをするような人じゃないよ。そんなことは君自身が一番判っているだろ? さぁ、早く!」
「……」
「いや、謝らなくてもいいさ。誤解はお互い様だ。彼がここでいることを言わなかったのは、俺が悪い」
「いや、そんなことは……」
(……龍水も最初から『謝る』片鱗も見せないとこが、こいつが『悪魔』たる所以だな)
 この場の雰囲気は一気に、龍水へ傾いていった。そう、すべての気運が彼へ流れていくのが感じられたのだ。
「……」
俺は、ただ黙ったまま煙草を燻らせて、事態の終焉を見届ける事にした。
「……ふん、行くぞ、英記」
『頭は悪そうだが金を持っていそうな男』はそう鼻で毒づくと、大袈裟に仮設のブルーシートを開けて出て行ってしまった。

「すいません……気性が激しいもので。では、ステージの件はくれぐれもお願いします」
そう言って、『品の良さげな痩せた男』は対照的に静かに出て行った。
俺は、彼らが出て行ったブルーシートから、龍水の方へ目をやり、彼の顔を見た。
「パパはご機嫌斜めのようだったぜ?」俺は少々毒づいてみせた。
「そう? 俺は、そうはみえなかったぜ」龍水は猫みたいな笑いをした。

 暫くして、龍水の歌が始まった。
それは、俺が思い描いたような始まりではなかったが、ことは単調に進んでいった。
(何かを期待していたんだろうか?)
俺は、何かを期待して彼の歌声を聞いていた。
観客のいない、ブルーシートの異空間で彼の存在は俺には手の届くようで届かない、星のような存在に思えてならなかった。
側にいるようで、いない。しかし、見上げるといつも頭上で光り輝く大きな星のようだ。

俺は彼がモニターを見ながら、合わせるように歌い、マイクスタンドを握り締める手の甲の筋をいやに艶かしく感じ、彼から目線を外し、煙草を吸った。
(今更……って感じだな)そう、感じつつも、心底見たいと強く欲求している自分に苦笑いを漏らした。本当はもっと、上手く歌えるのに、と感じてしまうのは欲目というやつか? 10分ほどたっただろうか、龍水は徐にモニターを見ながら右のテーブルに設置してあるボタンがいっぱい並んだ基盤のレバーを操作してこちらに近づいてきた。

『おい、いいのかよ?』
「なにが?」
『あ〜っ、声っ!』
「大丈夫だよ、今、音消したから……」
「そうなの?」
「ステージで、今、MCやってるから、いいんだよ」
「へぇ〜」
「……ヒマそう」
「そうかぁ? 結構、楽しいぞぉ」龍水は愉快そうに笑い、
「次の曲さ、一応バラードなんだぜ」
「……だから?」
「ふふふ……スケベっぽく、歌うから『声』だすなよ」
「なんだよ、それ」
龍水は俺の問いには笑っただけで、答えず又、ゴチャゴチャと基盤を操作していた。
そして、ドキドキ(だろうよ、俺の心臓は……)の一曲が始まった。

曲は誰の曲だがさっぱり、わからないが、ラジオから何度か聞いた事があったから、ヒットしたんだろう。その曲をマイクスタンドを握り締めながら、歌いだした。龍水の瞳は俺を真っ直ぐと見据え、捕らえて放さなかった。俺はやや冷静さを失いかけていて本能では、彼を押し倒しているようだった。
(……ったく、そんな目で見るなよ。俺は今、グチャグチャだ)

 そんな俺でも理性は今だ残っていると見えて、やたら、煙草をふかしては、煙を吐き出す仕草を繰り返して落ち着こうと試みているようだった。紫煙が煙る小さな異空間はまるでスモークをたいたように白んだ空間に変わり、やや頬が紅潮した龍水がぼんやりと浮かんでいる感じだった。そして、龍水がゆっくり動きだし、俺の方へ滑るように近づいてきた。カメラのズームボタンを押した時のような柔らかな感じだった。俺は、ただあいつの顔をまじかに見ながらよからぬことを妄想し、このまま暴走するのではないかと、頭の片隅で考えていた。

もちろん、この状況で彼の歌など聞く余裕があるわけもなく、自分自身の股間のあたりが激しくざわつくのを感じているだけだった。そんな俺の動揺を知ってか知らずか、至極上等な微笑で歌う龍水の姿があった。
 龍水は俺にもうこれ以上近づけないと思うぐらい、彼の吐息が脈拍までもが感じられるのではないのかというぐらいの距離にまで迫った時、俺はもう理性を押さえられなくなっていて、自分自身の置かれている立場などクソくらえ! と心で叫びながら、彼を両手で引き寄せ、抱きしめた。

『抱きごこちは悪くない……が、これは俺が望んだことなのか?』と、彼を力いっぱい抱きしめながら思っていた。
その間、龍水は歌を歌っていたんだろうか、俺は自分自身のことでいっぱいだったので彼がどうしていたかはわからなかった。
(ステージは続いているのだから、歌っていたんだろう)
龍水がやおら俺を押しのけるように体の力を入れ俺の顔を覗き込んで言った。
『……ステージが終ったら……』そう言いかけて、又、笑った。
彼の言う『……ステージが終ったら……』とはなんだ?
ステージが終ったら、俺にキスでもしてくれるっていうのか?
(ありえん)
きっと、こうだ。
『さようなら』 ……どうだ?
多分、そうだろう。

 俺は、希望に溢れた明るい未来を想像する事が出きるほど、おめでたい奴ではなかったが、世を儚んで泣き崩れるタイプでもなかったわけで、彼が言った最後の言葉をまともに受け取ってはいなかった。
男に抱きすくめられても冷静さを失わないある意味、ダイヤモンドの心臓を持った奴は(心臓に毛なんか生えてるもんか!
毛が生えるぐらい心が肥沃だとは思わないぜ)相変わらず淡々と何事もなかったように振舞っていた。
(俺もアレぐらい肝っ玉がすわっていられりゃ、どうにかなったかもな)
初めて、自ら望んで男を抱きすくめた俺としては意外に冷静にここへ座っていられるのもあいつが、いつもと変わらない態度だからだと思う。安普請なこの部屋の状況が硬直した時間をやり過ごしていたが、変化の足音が迫っている事を俺は知らなかった。

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