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13)Right Here Waiting

彼の歌った曲の歌詞には聞き覚えがあった。『どこで?』と問われれば、俺が半年前に別れた彼女がその答えだ。
特に、理由も無く付き合いだし、そして、別れた。
別れた理由は言い訳するつもりもないが俺にあるんだと、彼女が言った。しかし、俺は別れた理由がわからなかった。
「本当に、理由がわからないの?」と、彼女は俺に言った。
「目を見たってわからないよ、俺はエスパーじゃないからな。ちゃんと、口で説明してくれよ、言葉で言ってくれ」
俺は特に彼女に執着があったわけでもなかったが、理由もなしに別れを切り出されるのは、俺自身が否定されたようで腹立たしかったからだ。だが、彼女はほんの少し、哀しい顔をしただけで、キツイ口調で答えた。
「人を平気で傷つけるのね」
「どういう意味だよ?! 俺がお前を傷つけたとでも言うのか?」
彼女は何も答えずじっと、俺を睨みつけたままだった。
「好きでもない女に同情でもしたの? ……おやさしいのね」
彼女が吐きすてるように言ったまま、クルッと後ろを向いてしまった。
彼女の背中が言葉とは裏腹に、悲しそうに見えたのは俺の後ろめたさゆえだったのだろうか?
「好きでもない女」といわれたことが結構ショックだった。
そう、俺は彼女が好きではなかったのだろうか?
俺はそのことに自分自身、気が付いていなかったのだ。
彼女に指摘されてはじめて気がついた。

じゃぁ、なぜ付き合ったりしたんだ?
そんなものだろうと、思っていたから……。
女と付き合うのは、そんなものからだろうと思っていたから……。
なんとなく、気があって、偶然だろうが、何度となく目があったりして……。
お互いが気になる存在のような気がしてきて……それは、必然的にやってきたものだと思えたのだ。
特に、自分自身に問うてみたことなんてなかった。自分の心がどう考えていたのかなんてことは……。
しかし彼女はわかっていたんだろう、俺より俺を理解していたんだから。

 彼女に突然、別れを切り出されたとき、彼女の部屋には俺の知らないものが沢山あった。
きっと、俺ではない誰かが彼女のことを思い、彼女へ告白した結果得られた物の数々だろう。
(俺は、彼女に特にモノを渡した記憶がない)
『釣った魚に餌はやらない』主義ではなかったが、誕生日やクリスマス以外にとりたてて渡す物の必要性を考えなかったからだ。(世間一般ではそういう考え方をしないのかもしれないが……)
 その中にあったCDは、きっと俺以外の男に貰ったんだろう。
俺はそう直感して、しばらく彼女との沈黙が続いた時それらを眺めていた。彼女は続く沈黙にたえられなかったのか、答えを出せないでいる俺にイラついたのか、真意は測りかねたが散乱したCDの中から一枚を取り出しプレイヤーにかけた。
そこで聞いた曲が……今、龍水が歌っている曲だった。
俺へのあてつけのような曲を聴くうちに無性に腹が立ってきてしまい、俺は、嫌味な捨て台詞を吐いて彼女の家を出た。

彼女にこの曲を贈った相手は、今歌っている龍水と同じ心境だったのだろうか? 俺は彼女を結果的にではあるが傷つけてしまった、けれどお互いの為には別れてよかったんだと初めて納得した。
 決して、俺自身が否定されたとか、彼女が理不尽な言い訳で俺と別れようとしたとかではなく、俺が俺自身を知らなかったゆえに、彼女を傷つけていたんだということを知ってしまったんだ。
ただ、俺は新たな事実の局面を迎えたわけで、彼女の言っている意味がようやく理解した。
 もし、今度彼女に会うことができたのなら、俺は素直に謝ることができるだろう。彼女を蔑ろにしたのではなく、俺が自身のことについて余りにも無知であったからだ、と。

 夕陽を浴びながら歌う龍水はどこが、現実感が無く影のような空ろさで浮遊しているようだった。伸びやかによく透る声だけが、風のように吹き抜けていった。(なぁ、龍水。密はお前がいつも待っていることを知っているさ。ただ、俺のように、自分の事が判っていないだけだ。……きっといつか、お前が考えているように……なるさ。お前なら、いつまでも待ってられるだろう?  待っていてやれよ、お前ならできるさ)

 切ないラブソングを歌う龍水をそれぞれの思いを胸に見ている観客達は、今はまだ夢の中にいるような感じだった。俺の見たかった龍水の「歌」はとうとう終ってしまい、もう二度と見ることができないだろうと感じていた。
 名残惜しそうにステージを眺める観客もいれば、そそくさと家路を急ぐものもいる、雑然としたこの場所で、ステージに立っていた龍水たちが、機材の片付けをし始めていた。俺は、いまだ椅子から立ち上がることもせず、最後の一本となった煙草に火を点けて紫煙をゆっくりと燻らしていた。
……たった3日間、そう、たった3日間だった。
なぜか俺は龍水ともう二度と逢う事はないように思えて、じっとステージで動きまわる彼を目で追っていた。

 龍水がステージから飛び降りて、小走りにこっちへ向かって走ってきた。
やや、息を切らしながら「ねぇ、どうだった? 結構、よさげだっただろ?」そう、笑いかけた龍水の顔は本来の年齢にあった表情をしていた。
「あぁ、よかったよ」
「なに、それだけ?」
やや不満げな言葉を返す龍水はそれでも、笑顔を浮かべていた。
 正直、俺は自分の心が今にも叫びだしそうになるのを押さえるのに必死で、彼に自分の心の内を知られないようにするのが精一杯だったのだから。
「……こんなとこで、油なんか売ってないで、片付けてこいよ」俺はなけなしの自尊心をかき集め、龍水に言った。
「あぁ……なんか、ヘンだよ? まだ、痛む?」
「いや、大丈夫だ、さぁ、早く行って来い」
「……」
「……なんだ?」
「俺が、片付けてる間にさぁ、どっかいちゃおうとか考えてない?」
(はぁ、なんと感のいい奴なんだろうなぁ)
「……」
「あ〜、その沈黙は、図星だったな!」俺は苦笑いをしながら、
「ほん〜と、感のいい奴だな、お前は」
「なんで、そんなことしようと思ってたんだよ、らしくない」
「う〜ん、なんでかなぁ〜。お前があんまり楽しそうにしてたからかな?」
「あんたを、ほったらかしにしてたから?」
「ははは……そんなことじゃないよ」
「世界が、違うっていうか……。俺は、お前の世界にいない人間だから、な」
「なんだよ、それ」龍水はやや不機嫌な感情を表に出して不満を口にしていた。
「そんなこと……どうでもいいよ。早く、行けよ」
「なんか書くものもってない?」
「書くもの? ……んなもん、もってねぇよ」
サイフと煙草と携帯以外は全てコインロッカーの中にしまって、こちらに舞い戻った事を龍水は忘れているのだろうか?
「そう、だったっけ??」
「そうだよ」
ふと、思いついたように龍水が、「ねぇ、誰か! 書くものもってない? ペンとかーぁ?!」
俺は不思議そうに、叫んでいる龍水を見つめていた。
龍水は機材を片付けていた青年からサインペンを借りて急いで戻ってきた。
俺はただ、じっと様子を見つめていた。
龍水が息を切らしながら、話し掛けてきた。
「まぁ、なんでもいいよ。……腕かしてよ」
「うで??」
「そうそう……動くなよ?」
俺は龍水の言葉が理解できず、ゆっくりと右腕を差し出した。
俺の腕を強引に掴んで引き寄せると、持っていたサインペンのキャップを口で外し、俺の腕に数字をを書いた。
「あっ、こいつ! 何すんだよっ!」
俺は龍水の頭を押しやろうしたが、俺の腕をがっちり抱え込んで外そうとしない龍水は更に力を入れて、書き足した。
「よせよ!」
龍水は遂に書き終えたようで、使用したサインペンのキャップをハメながら、
「これが俺の携帯番号で、こっちが自宅の電話。 ……連絡くれる?」
「……」
(意外なことをしかけてくるのが、こいつらしいというか……)
俺は、微笑みながら、「目立つところに書いてくれて、ありがとよ」といった。
「消す前に、ちゃんと登録しろよ」
「……あぁ」
「世話になったね」
「特に何もしてないが」
「そう?」
「そう……だから、お前が恩に思うことは何もない」
「恩には思ってないよ……けど、感謝してる」
「へぇ〜、感謝か?」龍水はややテレ気味に答えた。
「じゃ、行くよ」真っ直ぐに俺を見て言った。
ステージからは同年代と思われる青年が大きな声で龍水を呼び、龍水も手を上げて答えた。
「あぁ、じゃ、俺は先に帰るよ」
「うん。……帰れる? やっぱり俺が荷物運ぼうか?」
俺は笑いながら「いや、いいって……。大丈夫だ、お前に比べり歳かもしれないが、世間的には若者なんだからなっ!」
俺はあいつの電話番号が大きく書かれた腕を振りながら言った。
龍水も笑いながら「じゃぁ、お言葉に甘えて、機材を片付けるよ」といい「そうしろ、そうしろ」と俺は照れ隠しに返事をした。
龍水は俺を一度見てから、走ってステージに向かっていった。
俺は、二度と逢う事はないだろう龍水の後姿に少し胸が痛んだ。

(さて、俺もそろそろ帰るか……)
そう言って椅子から立ち上がり、出口に向かって歩き出した。
すると突然、龍水が叫んだ。
「トオルー! それ、油性ペンだから消えネェぜー!!」
『げっ?! って、ことは当分このままかーっ? 勘弁してくれよぉ…』
「ざけんじゃねぇ―――っ!!」
龍水の大きな笑い声がもう暗くなりかけた会場内に響き渡った。

数日後、あれから一週間もの間、龍水が書いた電話番号は俺の右腕から消えることはなかった。
(……ったく、ヘタな刺青よりタチが悪いぞぉ、しかも二度書き、なぞりやがんのっ! 消えねェっ……て…)
俺は電話をかけるつもりはなかったがそれでも、その電話番号を新しくかった携帯に登録した。
『シリウス』と名前をいれて。
                                                                    完

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