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4) 重なる想い

幾時間が僕の元を過ぎ去ったというのだろうか。
ささくれだった床板に打ちのめされたというのに、不思議と身体に痛みは感じなかった。寧ろ、柔らかなものに庇護されているような感じがした。

暖かな温もりは少し冷えた空気の中では心地よくて、いつまでもこうしていたいと思わせる魅力があった。この安穏とした、たおやかな時間の中にいつまでも浸っていたいと思わせて、生への執着は甘美な魅力で僕を誘うのだろうか。
それは、まだ生きていろという誰かのメッセージなのだろうか?
そんなことをつらつらと考えるのだが、優しい温もりを手放す気にはなれなかった。

僕は目を閉じたまま傍若無人に手を広げ、柔らかな手触りを楽しみ、触りつづけた。
暫くすると小さな声が時々洩れ聞こえた。
「?」
僕はその声に覚醒し、現状を理解しようと試みた。
「あ、あのう…」
弱弱しい声で僕に囁く男の声があった。
僕は、今自分がその男に抱きすくめられて気を失っている事に思い当たった。
柔らかい感触はその男の身体の一部であったものを僕が無意識のうちに撫でまわっていたのだった。
目を開けて僕を抱いている主の顔を見た。
真っ赤に染まった耳が恥ずかしさを表している男だったが、節目がちな長い睫毛が揺れて印象意的な、もう一度逢いたいと願ったあの青年だった。

「助けてくれたの?」
僕は彼に向き直り言った。
今度は顔中真っ赤に染まったその小年は、返事もせず頷くだけだっだ。
僕は彼の赤く染まった頬を手で触れて、
「もう少し、このままで居て」といって彼の首に両手を回して抱きついた。彼の身体は緊張に固まっていて、先ほど感じた柔らかな感触は感じられなかった。『おしいことをした』と僕は思っていたが、それよりも彼の匂いが感じられる事に、少々興奮した。二人とも暫くの間黙ったままだったが、彼が蚊の泣くような声で僕に話し掛けた。
「…寒くないですか?」
「うん、大丈夫。君は?」
「…大丈夫です。…ぼ、僕のことより、佐枝先輩のことが心配です」

正直、僕は驚いた。
彼は僕を佐枝先輩と呼び、僕の身を案じてくれているのだ。
彼は僕を知っていた。
「…僕のこと、知っているの?」
僕はそれでも彼の身体を離さず、抱きしめたまま問うた。
「…先輩は、有名な方ですから」
妙に言いよどんで、暗いものの言い方を彼はしたと思った。
僕は期待した答えを得る事が出来なくて、がっかりしてしまい、急に冷めてしまった心に不快を感じ、助けてくれた青年を突き飛ばしてしまった。
「?」
僕は眉間に皺を寄せ、彼を睨むと何がいけなかったのかと不安げな表情をする少青年がそこにいた。
「君、何年?」
僕は唐突に青年に言った。
どこか落ち着きの無い態度になってしまった青年は又もや小さな声で「…2年です」と節目がちに答えた。
「ふ〜ん、ひとつ下だね」
「…はい」
「名前は?」
「……」
「名前だよ、君の名前」
「…谷垣 真史です」

僕は何故か自分の前を躊躇った青年の名前を心の中で繰り返し呼んだ。
『まさし?…まさし…そうか、まさしと言うのか』
名前は甘美な言葉となって僕の心に染み入った。

「すいません」
真史は本当にすまなさそうに僕に謝った。
「何で謝るの?」僕は訳がわからず彼を凝視した。
「…先輩に、頂いたハンカチを返さなくてはと…そう思って…今まで」
真史はグズグズと言い訳がましく僕のハンカチの話を続けた。
「あれは、君にあげたものだから返してくれなんて言わないよ」
僕は判りきった答えをはっきりと口に出して彼に言った。
「えっ?」
「君、忘れたの? 『僕にください』と言ったよ」
「あっ…」
驚いた表情を僕に向けた真史は本当に意外な答えを聞いたようだった。
「あれは君が持っていればいい」
真史は真っ赤な顔をしていたが嬉しげに口角を上げて笑いを隠せない様子だった。

そんな真史の姿を見ていると、妙に高揚した気分になり、さっきまで味わっていた感情が潮が引いていくように去っていく感じがした。
「今、持っている?」僕は彼の答えを嬉々として待った。
彼は返事もせずにただ、俯いてズボンの右ポケットの辺りを力いっぱい握っていた。

僕はそんな彼を見て嬉しげに顔を緩めて笑い「そこにあるんだね?」と指をさして言った。
更に赤くなった真史が小さく頷く姿がそこにあった。

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