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15)再会するにはあまりにも遅く

あの後、僕は自分を取り戻し、真史のことを聞く為に彼の弟の元へ訪ねて行った。あの時の弟の顔は驚いているのがありありと判り、僕は迷惑も顧みず押しかけた。必死だったのだ。
今更何をと思われただろう。
しかし、僕にとって失った真史の一部でもせめて取り戻そうと、縋るような思いだったのだ。

 真史との関係が終息し、僕が積極的に生きる事を止めてしまったあの日から、
僕は世間と隔絶して自分の世界に引きこもり、社会から背を向けた。
それからは何のことにも執着がなく興味が無かった。
自分を責めることも出来ず、ましてや罰する事も出来ず、ダラダラと無意味な生を生き長らえていたのだ。
 家のことは妻が取り仕切ったこともあって、僕はただただ、日がな一日離れの部屋に篭り、来客は限られた編集者と妻と子供たちだけだった。
移り変わる季節はただ、張り替えられる絵のようで、僕にとっては月日が変わった目安にすぎないのだ。

 世間で起こることも何一つ知りたくなかったし、ましてや真史のことを知るのも嫌だった。真史が結婚して子供をもうけ、家族と睦み会っている姿など見たくも無かった。まさに、自分の事を棚に上げてそう考えていたのだ。
その現実を突き尽きられるのが怖かった。

しかし、真史は結婚はしなかった。
生涯、独身だった。
真史の家は結局、弟が後を継ぎ、真史は職人として働いていたそうだ。
ただ、騒ぎを起こした張本人として店にも出れず、裏方としてひっそりと暮らしていたそうだ。そして、真史は肺炎を拗らせてあっけなくこの世を去ってしまった。入院中、見舞い客もない病室で苦しんでいたと、あの真史より大柄な弟が口惜しそうに言った。その時に私への祝いを頼まれたそうだ。
「どうしても、渡して欲しい」と強く願ったそうだ。

何も望まなかった真史が、ベッドの上で頭を垂れて弟に頼み込んだ姿を想像して僕は胸が詰まった。
約束を、ただの戯言と切ってしまえる会話の中に真史は何を思ったのだろうか?

―――ここは、寒い。
日本海の風が頬を叩くように吹き付ける。
時折、冷たく激しい風が巻き起こり、何もかもを根こそぎ浚ってゆくような感覚が襲う。
真史の弟が差し出した紙片に書かれた住所には、確かにここを指してはいるものの、そこは訪れる人も殆どいないような寂れた墓場だった。そこの一角に真史は埋葬されていた。
しかし谷垣家の墓ではなかった。

きっと、件の事で彼は家の墓に入れてはもらえなかったのだろう。
彼の墓は朽ちた卒塔婆が倒れている粗末なものだった。
―――真史、真史? そこにいるのかい?
僕は倒れた卒塔婆におずおず腕を差し出して、声を掛けた。
―――久しぶりだね、僕がわかるかい?
今にも崩れ落ちそうな卒塔婆を撫でながら僕は囁いた。
―――祝いの品を貰ったよ、君が作った万年筆だ。
返事はない。…僕に話をするのも嫌なのだろう。
当たり前の事が、判らなくなってくる。
―――返事を、くれないか? 君の声が聞きたいんだ。
僕は目に涙をいっぱい貯めながら揺れて見えにくい卒塔婆を見つめていた。
僕は辛抱強く、彼からの返事を待った。
ある、きっとあると…思い込みたかった。
あぁ、真史。
君が身罷ったその時に君の傍にいなかった僕を許してくれ。
君が埋葬されるその時に傍にいなかった僕を許してくれ。
君の眠るその顔を、見る事が出来なかった僕を許してくれ。
僕は、君に謝らなければならいことばかりだ。
そんな僕をどうか許してくれ。

―――凌二さん

声が聞きたい。
僕の名を呼ぶ真史の声が聞きたい。

―――凌二さん

真史の声が今も聞こえるようだ、空耳と判ってはいるけれど。
大きな風が一瞬に駆け抜けた。
何度も何度も、僕を取り巻くように風が吹き抜ける。
僕を引き倒すように強く吹きつける。
それはまるで、許しを乞えと叩きつけるかのようだった。

僕は目の前にあった朽ち果てた卒塔婆を抱き締めて、大声で泣いた。

僕はそれからというもの、体の不調も、家族の訝しげな目線にも一切無視を決め込みこの場所に通いつづけた。
使用人たちからは「とうとう気が狂ってしまった」と陰口を叩かれた。
本当は、今の方が至極まともなのに。
 昔の僕の方が、彼岸に近い存在だったのにと思うと、自然に口元に笑みが浮かぶ。

不摂生の代償は、やはり身体に負担が大きく、思うように動かない。
他の者達を引き込むのは憚れたし、ましてや真史を誰にも会わせたくないと言う下心があった。。彼が死して尚も己の嫉妬心を煽る存在には変わりはなかった。墓ですら誰にも見せたくなかったのだ。

―――浅ましきとはこのことか。
時折、心配した目をして覗き込む一人息子は、僕に似ず素直な子供だった。
しかし、愛しているのかといわれれば、どうなのだろうか?
可愛いと思う気持ちは水溜りにはっている薄い氷のようだ。息子の無邪気な笑顔を見ても何の感情も沸いてこない胸の内は、自分に慙愧に涙する心など何一つもちあわせてはいないことを思い知る。

―――自分こそが、鬼だ。…鬼だと思う。
今日も息子と連れ連れ立ってこの墓の前にやって来た。
息子が今日も問う。
―――おとうさんはここがすき?
僕は笑って同じ答えを繰り返す。
―――あぁ、勿論だよ。
そして、その純真な魂のまま、僕に返答する。
―――ぼくもすきだよ、おとうさん。
いつしか息子の声は僕の耳にはこう聞こえる。
―――『僕も好きだよ、凌二さん』

真史に良く似た笑顔を浮かべる息子の手を握り、冷たい風に身を縮めながらこの場所に来る。
青白い顔でフラフラと歩くこの僕をまるで介護して助けるように寄り添う我が子に微笑みながら僕は真史のいるこの場所に来るのだ。ここは、真史に一番近い場所。
息子の顔が真史に見えたとき、彼が傍まで来ている事を実感する。
彼はいつもこの場所に立ち、僕を待っているのだ。
大丈夫だ、もうそろそろ時が近い。
君を待たせてしまった僕を許してくれるだろうか。
会って、一番最初に何と言うべきか。
そうだ、待たせてしまった詫びに君に贈る詞花を考えよう。
そして、僕は跪いて許しを乞う。
君がその手を差し伸べてくれるまで。

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