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13)秘色(ひそく)の空に佇む双鶴

「亡くなった兄からの遺言です。これを貴方に渡すように、と」
そう無表情に真史の弟は僕に言った。
―――何を今更、あるというのか?

気が狂うほど永く時を数えて今ではもう、数えることすら止めてしまったある日、僕を訪ねて中年の男がやって来た。
小奇麗な身なりをしていたが、ゴツゴツとした節々の大きな手を持った男だった。

忘れていた胸の痛みが数十年の時を越えて又、僕の身体を覆い尽くした。
胸の真中の辺りがチクチクと針を刺すように痛む。
蒸し返された錆びた想いが酷く自分の身体を苛んでいるよな感覚だった。
「……」
僕は無言のまま差し出されたものを凝視していた。
正絹の小風呂敷に包まれたものを手に取ろうとせず、ただじっとまるで敵にでも遭ったかのごとく、凝視していた。

「…生前、兄から自分に何かあったらそれを貴方に渡すようにと預ったものです」
真史の弟を名乗る痩せ気味の男が、搾り出すように掠れ気味の声で言うのを僕は苛つきを隠せない表情で見ていると、今度は堰きをきったように話し始めた。

「…兄は…その小風呂敷も貴方にと、特別注文して作らせたそうです。 貴方が……賞を取ったお祝いだからと。俺は…兄から預ったまま今日まで渡すlことができませんでした。…貴方に渡したくなかったからです!」
真史の弟は語気を荒げて僕に言った。

―――何を今更 “祝い” なのだ?
僕は机に置かれた小風呂敷に包まれた物におずおずと手を伸ばして包みを開けた。絹の小風呂敷は魔法が解けたようにサラリと解けて中からやや大きめの桐箱が姿をあらわした。

開け放たれた小風呂敷は秘色(ひそく)の地色が美しく、隅にはひっそりと佇む二匹の鶴がいた。
―――双鶴…。
―――『貴方のお祝いには、僕が作った万年筆を贈ります』
―――『…君が?』
―――『お祝いの小風呂敷も特別のものを注文しましょう』
―――『…入賞なんてしないよ、無駄になる』
―――『いいえ、必ず受賞します。小風呂敷の柄は……そうだ “双鶴” がいい』
―――『双鶴、どうして?』
―――そして、頬を染めながら真史は『……貴方と僕だから』と言った。

その顔を思い出して、僕は魅入られたようにその鶴を見つめた。
甦った会話に冷や汗を流して、伸ばす手の震えを止める事は出来なかった。仲むつまじく見つめあう二匹の鶴がとても美しかった。だが、同時に憎いとも思った。その存在すら忘れかけていた真史が、その弟が、僕を責めるように言葉を並べた。

「俺は貴方の、アンタの親を、そしてアンタ自身を…一生許せない。アンタ達がしたことを忘れたなんて言わせない! 
兄を馬鹿にして…蔑んで…アンタ達親子のしたことを俺は、一生許すつもりなんかないんだ! だから、いままで…黙っていたんだ。 ……けど、兄の望んだことを……俺がなっかった事にするにはあまりにも、兄が不憫だ。アンタ達がした仕打ちを俺は一生許す事が出来ない。……でも、兄の望んだことを、叶えてやるのが俺のできる事だと思ったから…。やっと、そう思える時が来たと思ったん、だよ。…受け取って欲しい」

苦渋に満ちた表情で小風呂敷を見つめる真史の弟の手が微かに震えているのを僕はじっと見つめた。
―――真史の手とは似ても似つかない指をしている。
真史の手は節がありそれでいて長い指先をしていた。
短く切りそろえた爪が、自分の身体に這い回る感覚を久しぶりに思い出した。

眉間に皺を寄せて、僕は桐箱を開けた。
真史からの短い手紙は、僕を一瞬にしてあのお堂での誓いの時間に引き戻した。

黄ばんだ半紙に書かれたお祝い文は、何のへんてつもなく、ただ、受け取って欲しいと書かれた懐かしい真史の字だった。
僕は、何を期待していたんだろうか? 懐かしく、愛しい真史の字を何度読み返しても、それ以上の意味は見出せなかった。

桐箱の中身を見やると、そこには真史がつくったという万年筆がひっそ りと収められていた。
真史のつくった万年筆は鈍い光沢を放った蒔絵で作られていた。
蒔絵の柄は、花だろうか?
僕には判らない。
あぁ、真史だったら何と説明をしてくれるんだろうか?
僕は真史の声を思い出そうとして記憶を巡らせる。
彼が僕を呼ぶ声が、聞こえる。
もう、すっかり忘れたと思った声なのに…。

僕は真史の万年筆を手に取り、しげしげと眺めた。
ふと、桐箱の底にある和紙が、不自然に浮いているのを見つけた。
そういえば、と思うことがある。
万年筆の入った桐箱は、入れられた中身よりも大きくて不自然な感じがしていたのだ。

僕は万年筆を机に置くと、桐箱を持ち上げて、底を探ってみた。
すると、きっちりと填まっているはずの底が僅かに持ちあがって隙間をつくりだした。何気なく指を差し入れて引き抜いてみた。すると、そこには薄い紙が重ねられて収まっていた。
僕の心臓が高鳴っていて、これからおこるであろう出来事に耐えることができるのか、と問い掛けているように思えた。
僕は、破れないように注意を払いながら薄い紙を広げた。

そこには紛れも無い、懐かしく愛しい真史の字があった。

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