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9)ある日の睦言

初めて真史を貪ったお堂での出来事は、僕と真史との間にあった垣根を取り払ったように見えた。それから幾度となく真史と二人でこのお堂へやってきては二人だけで過ごした。

…秘密。
それは甘美な響きだった。

殆ど自分のことは喋らない真史は、お堂でのひと時だけは、ぽつりぽつりとそれは睦言のように喋った。
「…ずっと…ずっと前から貴方を知ってました。中学の頃から、ずっと」
「…?…」
「夕暮れになるとあの岬に立っている姿を時々見つめていました」
「…見てたの?」
「はい…貴方の後をつけてはそっと、見ていました。いつか、貴方と話ができたらいいなぁなどと夢想して、そして貴方を追うように同じ学校に入りました」
「僕を追いかけて?」
「ええ、そうです。あなたと同じ空気を吸う為に僕は追いかけました」
「追いついたね」
「…はい…同じ学校という夢は叶いました。しかし、それだけでした」
「それだけ?」
「貴方を遠くから眺めているだけで、僕は幸せになれたんです。だから、貴方に触れる夢をいつも見ていました…でも夢は夢で…とても哀しかった。だって貴方はいつも…僕ではない、誰かと手を繋いでどこかへ消えてしまうから。僕はただ、涙も流れない目でこっそりと覗き見することしかできませんでした」
真史がそういい終えると今までに見た事もないような哀しい顔で目を伏せた。
「……」
僕は彼の髪を優しく撫でながら「隠れて覗くだけで満足できた?」と聞いた。
我ながら意地悪な質問だと思う。
しかし、聞かずにはいられなかった。
僕なら満足など出来ないから…。
彼はどのように自分を自制したのだろうか?
僕に対する愛情はその程度だったのかという、嫉妬もあっただろう。
なのに彼は楽しげに笑うと「僕は、強欲なんです」と言って首を横に数度振った。

「僕は…貴方に会いたくて、どうしても逢いたくて…貴方の家に度々向かいました」
竹林を抜けた先にある古いお屋敷の土塀の壁にいつも隠れて貴方が出てくるのを…日がな一日…待っている事もありました」
「…えっ、一日中?」
「…はい…怖いですよね。こんな、こんなことをする僕が気味悪いですよね…。 判っていましたが自制する事は出来ませんでした。…いつも足が、心があの場所に向かうのです。一目、一目でいいから貴方を見たら、僕は幸せになれたんです」
さびしそうな微笑みを漏らして俯く真史の顔が僅かに曇ったような気がした。

「寂しかった?」
「えっ?……いえ、寂しくは…なかったです」
「ふ〜ん、じゃぁ…哀しかった?」
僕は彼の口から僕に対する激しい嫉妬心を期待した。
逢えない僕に対する激しい激情を示して欲しかった。
しかし、期待は裏切られ、彼は意外にもクスリと笑いを漏らし、こう言った 。
「…いつか僕を浚いに来てくれると信じていましたから」

―――『…何を言っているんだろう?』
浚われたのは彼ではなく、僕のほうではなかったか?
暗い底から引き上げてくれたのは彼ではなかったのか?

「いつか、貴方は僕を見つけてくれると信じていましたから」
「もし、僕が君を見つけなかったら?」
真史は僕の質問の意味がわからないといった風に少し小首を傾げながら言った。
「…貴方は僕の激情を知りません。…僕がどれほど貴方を愛しているかなんて、貴方には想像もつかないでしょう」
「…僕の愛を疑っているの?」
「いいえ、まさか」柔和に微笑む真史の顔は心臓に悪い程魅力的だった。
「じゃぁ、なに?」僕は高揚感で浮遊した気持ちに浸りながら真史に聞いた。
「僕の中に流れている血の一適も、細胞の一欠けらも、全て貴方のものなんです。僕は生まれ落ちたその日から貴方のものなんです。…そんな僕が貴方に逢わない筈がないのです。きっと、貴方は僕を見つけて僕を貴方のものにしてくれると…そう、信じていましたから」

ギョッとするような微笑だった。
温和に笑う真史の顔が、妖艶に僕を見たような気がした。
しかし、僕は彼のその激情が堪らなく嬉しかった。
僕だけを望み、僕だけを信じて、僕だけが己の全てだと言い切った真史が、僕の目の前にこうして存在していることが愛しかった。囚われたのは真史だったのか、それとも僕だったのか?
僕を雁字搦めにする彼の強い光に満ちた目が僕を捕らえて放さない箍は酷く甘美なものだった。

「僕以外に何もいらない?」
僕は判りきった答えを真史の口から、その声から聞きたかった。
「はい」と真史が言った。
そして真史の強く光る黒い瞳の中には僕だけが映っていた。

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