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14)真史からの手紙

―――凌二 様へ

貴方がこの手紙を見つけた、あるいはいつか貴方が読む事ができる日がくればいいと願い、僕はここにありのままを綴ろうと思います。僕は貴方に謝らなくてはいけないと、言わなくてはと、想い続け今に至ってしまっています。
それは、後悔なのでしょうか?
後悔などしないように、自分に言い聞かせておりましたが、最近の自分を鏡で見るにつけ、その後悔の念は日に日に増してゆきます。
貴方に対する僕の仕打ちは到底、許せる物ではありませんね。
貴方が僕を恨んでいることは重々、承知しております。
又、そのように仕向けたのも僕自身なのですから、判りきった答えです。
しかし、それは言いようのない苦痛を僕に与えつづけています。
正直、貴方が僕を見る目が痛くて何度も逃げ出したくなる衝動を抑えなくてはならないか、数える事もできません。
貴方に会いたいとどんなに願っているでしょう。
寂しいとどんなに思っているでしょう。
何度となく、店先で貴方を見つけ、穴のあくほど貴方を見つめ、自身の身体の中にある貴方の手触りを思い出して、幾度身を焦がしたは貴方は知る吉もないでしょう。それほど、僕は貴方を愛していますし、又後悔もしています。
きっと、貴方には想像も出来ない程、僕は貴方を愛しています。
僕はこれほど貴方を欲していたにも関わらず、貴方を遠ざけてしまいました。
もう一度、愛して欲しいと願いながら。
しかし、それは叶わぬ願いであることは身にしみてわかっています。
過ぎた願いと知りつつ、そう、願わずにはおられませんでした。
僕は貴方を裏切らなくてはいけなかったのです。
僕に残された時間は多くはありませんでした。
貴方に対して説明も、ましてや釈明すらできなかったのです。
僕に残されたのは、貴方と過ごした時間の思い出だけでした。
しかし、それすらも白紙に戻されそうでした。
何もかも僕から奪ってしまわれるのが怖かったのです。
せめて、貴方との時間だけは奪われたくは無かったのです。
僕は間違いを犯したのかもしれません。
今、僕が何かをしなければ僕には貴方との思い出すら奪われてしまいそうで怖かったのです。
何もかもが僕の元からすり抜けてしまうという恐怖は僕を鬼に変えたのかも知れません。
ただ何もいらない。
何も欲しくない。
唯一欲しいと願うのは貴方のことだけです。
そう願うことは許されないことだと知りながら。
僕には何も残されません。
貴方の傍にいることも許されず、貴方の持ち物さえ触る事も許されないのです。
僕に残されるものは何もありませんでした。
ですから、僕は貴方との思い出だけに縋ったのです。
それさえあれば生きてゆけるからと。
しかし、それも許されませんでした。
そして、僕へ差し出されたものは貴方の思い出ではく、お金でした。

「それを使い何でも買えるでしょう」と言われ「貴方を買いたい」と反論することは、流石の僕にもできませんでした。
何度となく繰り返されたやり取りに、それでも耐えてこられたのは、貴方が僕を愛していると囁いてくれるその言葉だけ をより所としてこれたからです。
 しかし、あの日、雷が轟き荒れ狂う雨の日「貴方への想いも無かったことにしてくれ」といわれました。
「あの子には未来が待っているから」と。
人ではなくなった僕でも、流石にこれは堪えたました。
今まで代理人を立てて話をしていたのに、あの日は貴方の母上が僕を訪ねて来られたのです。直接貴方の母上に二人の関係を言われた時は、目の前が真っ暗になってしまいました。それに、自分自身が大事なはずの貴方までも、僕が貶めているのだといわれたようで。僕は貴方の未来までも塗りつぶしてしまう存在だったとは今更ながらに思い知ったのです。
 しかし、僕はどうしても貴方を諦める事が出来ませんでした。
ただ、僕は自身に許された唯一の方法で、貴方の心の中に住むことを許されたような気がしました。どんな方法でもいい、
どんな風になってもいい、ただ貴方の中にいたかったのです。
それが例え憎いという感情であってもです。

貴方は、僕を憎んでいたでしょう?
酷い奴だと蔑んでいるでしょう?
僕は貴方にどれほどの痛手を与えたか、今考えても自分が許せなくなります。
酷いことをしたと今でもあのことを思うと、夜も眠れなくて一人で嗚咽をこらえてその日を過ごします。
 しかし、次の日には考えを改めるのです。
貴方が憎んで蔑んで僕を考え、見咎めるその姿を思うと、僕は一人嬉しさに身体が熱くなるのです。それはまるで貴方に愛されているような錯覚さえおこす瞬間なのです。
貴方が僕を憎いと、射るような視線を寄越す時、貴方の中には僕がいるのです。
貴方はきっとそんな僕を許さない、一生、許さないでしょう。
下司と叫んで蔑んで、僕を罵倒し、殴り続け、僕を愛した事を後悔するでしょう。
しかし、僕はそれが嬉しい。
それは唯一、貴方の中に存在する僕を感じる事ができるからです。
例え、それで己自身が傷つく事があってもです。
僕は耐えられる、それが僕への愛の証だと考えれば。
自傷行為だと言われようが、頭がおかしいといわれようが、そんなことはどうでも良かったのです。僕は貴方の中に生きていたかった。
二人で逃げようと誓った晩のことは決して忘れません。
僕にはあの日があったから、世間の目も、貴方からの罵倒も、何も恐れるものなどありはしなかったのですから。
「二人で逃げよう」と僕を選んで語ってくれたあの日は美しく、貴方に愛されていると実感できた特別な日だからです。
僕はあの瞬間を心の拠り所として今も生きているのかもしれません。
僕からあの時を、あの瞬間が奪われない限り、僕は生きてゆけるのです。
ただ、この身が貴方に愛されないことが未練でなりません。

―――真史 より

 手紙から目を移して、机の上に無造作に置かれた万年筆を見ると、
それは密やかな彩りで輝いていた。
まるで真史のように慎ましやかにこちらを覗いていた。
何か言いたげな万年筆に目を凝らし見つめつづけても、何も語ってはくれなかった。あの恥ずかしそうに俯いて小さな声で自分の名を呼んでくれそうな気がして、僕は万年筆を見つづけた。
――あぁ、真史。 今も君はここにいるのか。

 恐る恐る震える指先で万年筆を触ると、ひんやりとした手触りが伝わってきた。
愛しいものに触れるようにそっと、優しく僕は万年筆を撫でた。
呆れたように僕を見つめる真史の弟は、縁側に立ち尽くしていた。
「…ありがとう。よく、ここへ持ってきてくれたね。本当に有難う」
僕は何度も何度も贈られた万年筆を撫でながら礼を言った。
 涙が頬を伝って何度も流れ落ちたが、僕は気にもとめず、ただただ万年筆を撫でつづけた。それは真史に触れているように優しく、そして愛しそうに触れた。

「…アンタたちが与えた兄の苦しみは今も癒されない。兄の事を本当に愛しているのなら、兄に逢って謝ってください。
…兄は今、ここに眠っています。家族にも見捨てられ、一人ここで眠っているのですから」
弟は悲しげな瞳を潤ませて一枚の紙切れを差し出し、僕を置いて出て行ってしまった。
居間に一人残された僕は声を押し殺して、万年筆を握り締めて泣いた。

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