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6) お堂での駆け引き

お堂での再会は僕を別人に変えた。
僕にとって彼との逢瀬は何事にも変えがたいものになっていった。

最初は一緒にいるだけで僕の心は満足だった。
同じ空気を吸い、同じ時間を共有し、時折見つめあうことで僕は安らぎを得たからだ。
それは、どこか気が許せる親友のようだし、年の近い兄弟のようだったのかもしれない。
しかし、僕の心はそれ以上の要求を僕に与えた。
彼の全てが欲しかった。
暗い世界でただ一筋の光に取りすがるように、僕は彼に飛びついたのかもしれない。穏やかに微笑みを称えて僕の傍で黙々と風景を写してゆく姿を見るだけだった僕は、次第に彼の全てを望むようになった。

しかし、当初彼は僕と逢う事を極端に恐れた。
―――僕は貴方に吊り合いません。
酷く、平凡でありきたりないいわけだと思った。
―――有名な貴方と一介の職人家に過ぎない僕とでは、生まれも育ちも…何もかもが違いすぎます。
閉鎖的な小さな町での噂話を気にしているのか、それとも己の保身を願っているのか。
それは僕には到底理解できない柵だった。
 
当初、彼は頑なに拒否を示した。
僕は苛々し、自分のものにできない腹立たしさでいっぱいになった。
だから、僕は彼に最後通告を申し渡せねばならないと考えた。

『君が好きだ』
彼は瞳孔を大きく開き真っ黒の瞳をさらに丸くして僕を見つめていた。
理解していないはずが無い。下らないクラスメイトと違い、彼は崇高で美しい。
そんな彼が僕の言っている意味を取り違えるはずが無い。
そう確信していた僕は繰り返し、彼に言った。

『僕は君が好きだ、君は僕が嫌い?』

嫌いのはずがない。
そんなことはわかりきった答えだ。
彼は僕以上に僕を愛していると思う。
それは自惚れだろうか?
ただ、彼は古い因習に拘って人目を気にしているのだ。

『僕のものになって……君が僕のものになったら僕はこれからも生きていける』真史は哀しそうに微笑んでいた。
それは僕の言った言葉に対する返事だった。
けれど、本当のことだ。

今までの僕はただ深い泥の底でじっと息を殺し生きてきた。
君という人間を知らなかったら僕はそのまま朽ち果てていただろう。
しかし、僕は知ってしまったんだ。
君が僕にもたらしてくれる革命は、僕の世界を変え、そして僕までも変えてくれる陽光なのだ、と。
だから、僕が彼を見す見す手放す事などあり得ない。

 彼とお堂で過ごすようになってから2週間ほどが過ぎたころだっただろうか、僕はいつもと雰囲気の違う彼を怪しんでいた。
彼はいつもと変わりない彼であること意識しすぎて、ぎこちない態度になっていることさえ、気付いていないようだった。
直感的に又、学生達から恐喝されていたのではないかと僕は憶測した。
最初に出会った一件にしろ僕は彼から説明を受けたわけではなかった。又、僕のほうからも聞こうとはしなかった。
何れ、彼から話す時が来るだろうと思っていたことでもあった。

僕は傍でスケッチに熱中している彼を見続けていると、彼が前屈みになった瞬間、自身の思考が停止したように固まってしまった。僕の態度の豹変に気がついたのだろうか、彼はスケッチブックから目を背けて笑顔で僕を見上げた。
しかし、彼の笑顔は急激に霧散し、ことの事態の急変に気付いたように、白い顔を更に白くなっていった。

一瞬、出遅れたと思ったのだろうか、真史は僕から離れようと動いた。
しかし、僕はそのほんの前に動いていて、彼を押し倒して馬乗りになっていた。
僕は彼の学生服の襟に指を掛けて引っ張り「この傷はなんだ?」と低い声で言った。
真史は恐怖で声も出ないのだろうか、身体を震わせ、唇を戦慄かせて何かを喋ろうとしていた。
 しかし、僕は怒りで彼の事を思いやる事も出来ずに、ただ恐怖で彼を支配しようとしていた。
「なんでも…ありません」まるで怯えた仔犬のように彼の肩が小刻みに震え、苦しそうに告げた。
なんでもないはずがない、そう大きな声で怒鳴ると、彼は肩を竦めて一層小さくなった。
「…誰にやられた?」
そうやって脅すように低く呟くと、彼の目に強い力が宿り、今までの彼ではないように、僕をしたから見上げて「なんでもないんです。貴方が気に掛けるようなことではありません。…どうか、信じてください」と震える声で言った。

―――何を「信じろ」と言うのだろうか?
彼が脅しに負けていなかったことを、だろうか?
それとも、暴力に屈しなかった、ということだろうか?
彼は僕に何を隠そうとするのだろうか?
ドス黒い何かが覆い尽くしたように、僕の心の何かを変えた一瞬だったように思う。
その形相はまるで、家の中に巣食う『夜叉』のようだったのだろう。

僕は彼の強い光を称えた瞳を覗き込み、すべやかな頬を両手で覆うように包んだ。
「信じるってどういうこと?」
僕は脅しともとれる言葉遣いで、彼を離さないように言葉で縛り付けた。
「なんでもありません。本当に、なんでも…」
彼の恐喝はやむ事はなかったのだろうか?
僕と会っている間も彼は、あの陰湿な空間で耐え忍んでいたのだろうか? 
彼は僕に心配をかけまいとして、事実を隠蔽しようとしていることは直ぐにわかった。
しかし、僕は彼が心を開かず、隠し事を強いる彼に苛つき、僕を蔑ろにしているのではないかと思ってしまった。
「隠さなくてはならないことなのか?」
僕は彼を更に追い詰めて、恐怖に震える彼の目を見ると、視線を合わせない彼の睫毛が小刻みに揺れていた。
その様子に僕の体は一気に逆上せ上がり、彼の全てが欲しくて堪らなくなってしまった。
「…真史」
思いのほか、彼の名前を告げた僕の声は、妙に艶の含んで欲を孕んだ声だった。そう名前の呼ばれた彼は驚愕に瞳を大きく開いて僕を見ていた。僕は彼の顔が触れるかと思われるぐらいの距離まで顔を近づけていくと、彼が徐に口を開いた。

「…キッカケがなんだったのか、それすら今に至っては当事者の僕でも判りません」
やり切れないとでも言いたげな言葉は、大きく光る瞳を長い睫毛で覆い隠して溜息とともに吐き出された

僕は己の欲を先延ばしにして、彼の言葉を風が流れるように聞いていた。

「…高校に入学して暫くして、彼らに目をつけられました。どうしてかなんて、僕にも全く判りません。彼らは、僕を目ざとく見つけると、謂れのない言いがかりで恐喝してきました。…しかし、僕は裕福な家庭の人間ではありません。彼らは何も得る物がないと判ると、言葉の暴力で僕を…苛めてきました。そして、それは時が経つほどにエスカレートして、今では何か気に食わない事があると、僕を呼び出して憂さを晴らそうとするのです」
「誰にも相談してないの?」
僕は不思議と落ち着いたものの言い方をして彼に問うた。
「…はい、誰にも。誰に相談をするのですか? 先生にですか? 親にですか? 誰に相談しても答えは同じです。結局は僕自身の問題です。僕が解決しなければ何も変わらないのですから」
確りとした口調で、誰にも語らなかった現実を語りだした彼の言葉はどこか、淡々としてまるで他人の事のように話をしている錯覚を覚えた。

 僕は彼が時折垣間見せる悟りを啓いた御坊のような、何もかも超越したような表情が嫌いだった。そして、またもや彼はこの時に僕の嫌いな表情をした。
「僕が、何を言っても何も変わらないのです。時が経てば彼らの興味も薄れてゆくでしょう。僕など気にも留めない、彼らの世界に帰ってゆきます。僕は静かに口を塞ぎ、見えないふりをすれば、やがて嵐は収まります」

彼の吐き出す言葉に悪寒を覚えた。
変革を良しとしない彼の考え方は寧ろ己を髣髴とさせ、嫌な感じを覚えた。
それは彼が自分と違う存在で有って欲しいと思う身勝手な僕の理由からだった。

「君が何もしなければ安穏とした世界に戻るとでも言うのか?」
僕は自分の中にある嫌な部分に目を瞑り、彼へ暴言を吐いた。
それはまるで自分に言っているような感じがした。

「…貴方は僕のために怒っているのですか? 僕は貴方に…」
『?』
その時、僕は彼の微かに震える伏せた睫の下に薄っすらと盛り上がる涙を見た。
「もう、いい。もうよそう」
僕はこの言い争いに終わりを見つけることができないと感じてしまい、それならいっその事、僕自身の手で決着を付けれいいことではないかと思った。
恐喝している奴らは、真史の目に怯えているのだろう。
あの何でも知っている、見透かしたようなあの目が怖いのだ。
僕は真史の目の虜になったが、あの目に恐怖するやつらもいるのだ。
それを考えると僕は妙に、おかしくてたまらい気持ちになった。

『くっくっっ…』
僕は冷めた笑いを浮かべて、真史から外した視線を元に戻した。
僕の身体に押し倒されて、奇妙な皺をつくった白いシャツに包まれた真史の顔が不安に揺れているようだった。
そんな、真史の顔を見てしまうと、過ぎ去った欲望が鎌首を持ち上げて、再びその姿を露にしていくようだった。

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