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2) 怪我の巧妙

 (しかし、今日は遅いなぁ〜)
いつもなら、9時05分にはこの現場の前を通りかかる予定なのに、10時になっても“笑顔のかわいい男”は現れなかった。
『風邪でもひいたのかな?』と考えていると、工事現場から少し離れた場所からザワザワと人の騒ぐ声が聞こえてきた。
『…何かあったのか?』
小野はそう考えて、取りあえずは状況を確認しなければと思い、近くにあった安全ヘルメットを手に持つとドアの方へ歩きかけた途端、土木作業の『おいちゃん』と呼ばれている喧嘩っ早いおやじが慌てて入ってきた。
パトライト
「お〜い、監督さんよぉ、人が落っこっちまったよ〜!」
「ええっ、落ちた?!」
小野は『おいちゃん』の言葉を聞くや否や、現場事務所を飛び出した。
(まさか、コーンバーがなかったってことは…)
小野は嫌な考えから頭の中を払拭しようと考えながら走り、人だかりのするところへと直行した。
「ちょっと! どいてっ!」
大きな声で怒鳴りながら、腕を組みながら野次馬根性まるだしの現場の職人達を掻き分け、浅めに掘られた穴を覗き込んだ。
「監督さ〜ん」
若い職人二人がうつぶせに倒れている男を両脇に抱えるように引き上げていた。
「こっちへ、取りあえず引き上げて…そおっと…」
白いカッターシャツは無残にも赤茶色の泥水のおかげで色がすっかり変色しており、前を向かせるのが躊躇される感じだった。
「だれか-っ! 事務所から毛布持ってきて…????」
そう叫びながら“穴に落ちた男”の顔を見て小野は驚いてしまった。
(…この男…)
小野が引き上げ見下ろした顔はまさに小野自身が、夢にまで見た“笑顔のかわいい男”だったのだ。小野は『偶然にしても、なんていう嬉しい展開なんだ』と傷ついた男を目の前にしているにもかかわらず、嬉しさでニヤケ面を隠せない状況だった。
「…だ、大丈夫ですか?!」
「っつう……」
「車、回してきます、彼を動かさないようにして!!」
小野は怒鳴るように現場にいる職人たちに向かって叫び、自分の車を取りに走った。
(・・・彼、だよな?)

 小野は手早く自分の車に乗り込み、“彼"を迎えるように車を動かし、現場へ向かった。現場では“彼”を毛布で包めて小野の到着を待っているようだった。現場の職人連中が、助手席に“彼”を押し込むのを確認すると、小野はこちらを心配そうに覗き込む職人の一人に声をかけた。
「病院へ連れて行く、後は…」
「早く行ってください、後はちゃんと始末しときますよ」
と、何もかも判ったような口ぶりで小野に笑いかける職人が居た。
「じゃ、たのむっ!」
小野は一言返事をすると車を動かした。

                 ****************************

車中は異様な静けさを伴っていた。
車の中にうな垂れて意識の朦朧とした彼が、助手席に座っているという事を考えただけでも、興奮してくるのがわかった小野だったが、彼の右目の辺りの打ち傷を見ていると、興奮が一挙に冷めていくのが判った。

「大丈夫ですか? 意識有りますか?」
そう『彼』に声をかけてみるも、相手から返事がなく下を向いたままだったので少々不安になり、信号が赤で止まったのを
見計らって、小野は道路脇に車を寄せて止め、彼の顔を顎に手をかけ、車のシートへ寝かせるように倒した。

彼は目を瞑ったまま、上を向かされた事によって唇が半開きになっていて、打ちつけて赤くはれた右目までもが悩ましく見えた。彼は暑かったのかスーツの上着をぬいでいたらしく、白いカッターシャツが、泥水で黄土色に変色していた。
しかし、泥水で濡れたシャツが彼の身体にピッタリと張り付き、図らずも『彼』の肉体が透けて見えるようだった。

小野は彼の着用したストライプのなんの変哲もないネクタイにやおら指をかけ、身体からネクタイを外した。きっちりと閉められたカッターシャツの第一ボタンを、そして、第二ボタンも外した。小野が唾液を飲み込む音が相手を起こすのではないかというぐらい、大きな音を立てたような気がした。

そして、第三ボタンに指を書けようとしたとき、彼が低く唸るように声をあげた。
(…い、いやらしいことじゃないですよ、苦しそうだから……だよな?)
小野は介護しようとしていたのか、それともどうしようとしたのか、自分の行動に自信がもてないほど動揺していた。

「う、うっ…」
「あ、あのうぉ〜、大丈夫ですか?? 気分悪くないですか?」
小野は彼の反応を待った。
「あっ〜? …ここは、ここ、どこですか? …あいててててぇ…」
“彼”は右のわき腹あたりを押さえながら質問してきた。
「あのう〜わかりますか? あなた、工事中の道路の穴におっこっちたんですよ」
「うっっ…俺が、ですか? 『おっこっちたんです』か???」
「はい、深い穴ではありませんでしたが…頭から落ちたみたいだったので…」
「…そんな、気が…」
「えっ?! そんな気って…」
「とにかく、病院へ行きましょう」
「あっ…いや、会社へ…」
「はぁ?? 何言ってんですか?! あなた鏡みてないから、そんな悠長な事言えるんですよ!」
「えっ、鏡ですか?」
「酷いですよ。真っ赤に腫れてますし、左足からも血が出てます」
「顔は…ちがうんですが…えっ?! 血、ですか?? …うぁわ〜、出てるぅ〜」
彼は今更何を驚いているのかというぐらいの遅い反応で、怪我したのは小野ではなかったが、あまりのボケっぷりに逆に焦ってしまった。
「とにかく、病院に行きますねっ!!」
「あっ、はぁ…でも…」
今だ躊躇する彼に小野は、イライラを隠し切れないで、
「ぐだぐだ言わないっ! 病院へ行くんです!!」
「はいっ!」

 小野は隣の席にしかられた子犬のように小さくなっている彼を見ながら病院へと車を走らせた。ただ、時折苦痛に顔を歪める彼の表情は実に悩ましく、それを“彼”に気取られないように盗み見ては、自分の中にある欲望を感じていた。

小野は病院の駐車場に素早く駐車し、一人で降りようとする彼を制して、わざわざ、回り込んで彼側のドアを開けてやり、
彼を抱きかかえるように車から降ろした。
 その間何度も彼は「すみません」と口にして謝り、幾度となくその言葉を聴き続けたが、いい加減その言葉にウンザリしてきた小野は、ついに、言葉尻を荒げて彼に言った。

「いい加減にしてください! 謝らないでいいっていってるでしょう? 俺が好きでやってるんだし、それに仕事です。
あなたは怪我人なんですから、少しは黙っててくださいよっ?!」
そう、言い放った小野に対して驚いたような表情をしていた彼は、すぐにしゅんとなってまたもや小野をうんざりさせる言葉を言った。
「…す、すいません、そんなつもりはなかったんですが…俺の不注意なのに…なんだが申し訳なくなくって…すいません。
あっ! 又、いっちゃった…」
小野は既に諦めモードに入っていて、
「もう、いいですよ。判りましたからおとなしく病院にいきましょう。
…まぁ、ホントに申し訳ないって思ってるんだったら、今度、食事でも奢ってくださいよ」
殆ど、期待しなかった食事の誘いを何気なく口にしてみたが、小野がびっくりするほどの展開が待っていた。

「ええ、もちろん、喜んでご馳走しますよ」
小野は心臓が口から出るのではないかと思うくらいすんなりと受け入れられたことに驚いてしまった。
(…意外に、ストレートに誘った方が、イケるのかな??? いや、かなりの『天然』かもしれない…)

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