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12) 悪童、策に溺れる

「あぁ、そうだけど……君は?」
小野は、目の前に立つ不遜な来訪者を訝しりながらも答えた。ただ、小野の心中は穏やかなるものではなく、濡れた髪の雫が内から湧き出る冷や汗なのかは判断できないものが、頭から頬を伝って流れてゆくのを感じていた。

「蒼太??」
箱崎の声が廊下から飛んできて、蒼太と呼ばれた少年は振り向きざま不平を漏らした。
「ここ、はるかんちやんな?」
箱崎は小走りにドアへ駆け寄り、ドアの前に半裸で佇む小野を見て、真っ赤な顔をして慌てて、蒼太と小野を部屋の奥に押しやり、自分も入った。
「お前、くるって……連絡は?」
箱崎は蒼太に向かって話し掛けると、蒼太と呼ばれた少年は、からかう様な眼を箱崎に流しながら言った。
「ふぅ〜ん、えらい言われようや。俺が来たら何か都合わるいん? それに、来るって昨日メール送ったで。はるかが見てへんのとちがう?」
「メールって……どこに?」
蒼太は嫌そうな目を箱崎に向けながら、
「今時、電報で送る奴おらんと思うけどなぁ? 携帯、ケイタイや。普通、メールっちゅうたら、携帯かパソコンとちゃうか?」といった。

「……そんなん、いわれん(言われなくても)でもわかってる」
箱崎の言葉を聞きながら小野は苦笑いしながら「まぁ……とりあえず、上がって奥で落ち着いて話したらどうです?」と、箱崎の肩に触れた。
箱崎は真っ赤な顔をして小野から顔を背けた。
箱崎は昨日の件以来、小野を意識してしまって自分でもどう対処していいのかわからなかった。ただ、なんとか今まで通りに振舞えないかと思い、朝から心がけていたがやはり、そうは上手くいくものではなかった。

「ふ〜ん。そりゃぁ、ええ考えやと思うけど“半裸の男”に言われたないなぁ」
と、蒼太が答え、小野は自分が半裸状態である事を思い出した。
「……ごもっとも」
小野はやや照れたように顔を伏せながら、バスルームに戻りシャツを着てリビングに戻った。

小野が奥に行って戻ってくると黙ったままの二人がいた。
「別に、来たらあかん(だめ)なんてゆうてへんやろ? ……なんかあったんかって、きいてんねんや」
小野は困ったような表情をして、腕を組みソファにリラックスしたように座る蒼太を見下ろしていた。
「別に……なんかなかったら、はるかんとこ来たらあかんのかー? それとも、きたら都合の悪いことでもあるんか?」
蒼太は曰く有げにチラリと小野の方を見た。

しかし、そんな蒼太の行動より言動に敏感に反応したのは箱崎だった。
「そ、そんこと……ないけど……」
「せやろ(そうだろう)〜」
「せやろ〜って……なにが『せやろ〜』や?!」
「別〜にぃ〜……騒いでんのは、はるかだけやん?」
 小野はどうも部外者のようで内心面白くは無かったが、蒼太と呼ばれた少年が何者なのか気になっていた。嫌な静けさを伴った空気が突然、ブルブルと振るえたような感じがした。
咄嗟に、蒼太が『誰か、携帯なっとる』と先ず小野の顔を見た。

「はるかさん、携帯なってますよ」
小野は自分の携帯の振動が尻の部分から感じなかったので、自分ではないと思い箱崎に言った。
「俺?」
小野は軽く頷いて、箱崎を見た。
箱崎は不思議そうな顔をしたが、携帯が何処にあるのか判らなくて、あたりを見回していた。
「……陽平もそうやけど、はるかも似たようなもんやなぁ」と、蒼太がはるかを見ながら言った。
「……はるかさん、ベットの、う、え」
小野は昨晩、箱崎がポケットに入れていた携帯を邪魔扱いして、ベットの上に放り投げたのを見ていたので、指でベットを指し示して言った。すると箱崎はベットのある部屋へ行き「あった、あった」と嬉しそうに携帯を取って来た。小野はその顔をみて、笑い返した。

「はい、箱崎……」
『おう、おそいやないか、はるか。何、しとんねん?』
「陽平か? ……『何、しとんねん』って、俺も結構忙しいんや。ところで“蒼太”のことか?」
箱崎が喋りながら蒼太を見ると、ソファに座っていた蒼太は、バツの悪そうな顔をして手元にある荷物やら、ソファを触ったりしていた。
『なんや、いきなり直球かい? 偶には“久しぶりやなぁ”とか“会いたいなぁ”とか、可愛いげのある言葉、喋れんか? 
まぁ、おうてるけど(合ってる)……』
「アホくさ……朝っぱらから何、寝言ゆうとんねん? 脱走常習犯の蒼太なら、ここにおる」
箱崎は片目だけを吊り上げて蒼太に目線を移した。
蒼太は頭を掻きながら「いや〜、なんや居心地悪いなぁ」などと引きつった笑いをして腰を浮かしていた。
そんな蒼太を察知した箱崎は蒼太の襟首を掴んで、引っ張り戻した。
蒼太は助けを求めるように、小野へ目線を移し、
「はるかは、いつからこんなに冷たい仕打ちをするようになったんやー」と、力なく笑っていた。

小野は笑いを殺しながら、台所へ向かい人数分のコーヒーを入れるため湯を沸かしだした。
(陽平……蒼太は志野木さんの息子か……)
小野はまだ火に掛けたばかりのヤカンを見ながら呟いた。
小野は3人分のコーヒーを入れ、2つを持ってリビングに行った。
電話で話終えた箱崎の表情は凶悪な面構えとなっていて、流石の“悪童”もここにきて事の重大さを十分認識しているようだった。

「コーヒーがはいりましたよ、どうぞ」
小野は二人にそれぞれ差し出し、手渡した。
「へぇ、よう気が利くなぁ」と、蒼太が一言行った途端、小野が頭を平手で軽く殴り、
「あほっ! 子供が何ゆうとんねん! “ありがとうございます”やっ!」
殴られた、蒼太は大袈裟に頭に手をやり「ありがとうございます」と、情けない表情を浮かべ小野に言った。
小野はそんな二人の様子を見ながら、笑いを堪えるのに必死だった。

(ふ〜ん……はるかさんって、関西弁でるんだ)
小野は普段、聞きなれない箱崎の言葉の調子に嬉しそうな顔をしていた。

「で、蒼太……脱走したって、“めぐみさん”のとこからか?」
「誰がゆうてたん(言ってたのか)?」蒼太は不服そうに頬を膨らませていた。
「はぁ……陽平の他に、俺は誰と喋ってたんや?」
「なんや、それやったらそうと、言うてくれなわからへん。“陽平”が言うてたんやったら、そうやろ?」
蒼太はバツが悪かったのか、やや捻くれたものの言い方をして箱崎に答えた。すると、箱崎は今までの動作が信じられないくらいの早業で、又、蒼太の頭を叩いた。
「“陽平”って呼び捨てはなんや? ゆうてええことと、悪いことがある。お前は親に向かってその言い草はなんや?」
「俺は……アメリカ人やから名前で呼んだだけやっ!」
どうも、蒼太は箱崎がココまで怒っているとは想像していなかったようで、蒼太に対する旗色は益々悪くなるばかりだった。
「お前はいつから、アメリカ人になったんや? 頭の先から足の先まで日本人! しかも、コテコテの大阪人や、鏡みん(見なくても)でもわかるっ!!」

怒り心頭の箱崎をよそに、小野は煙草を吸うために、キッチンの換気扇の下にいた。換気扇は余り勢いの強くない“弱”モードにしていたが、やはり五月蝿く、二人の会話の半分も聞き取れなかった。

小野は煙草を吸い終わり、箱崎の怒りの現場へ向かってみると、更に険悪な状態が部屋を取り巻いていた。
(うわぁ〜、はるかさん! まだ、怒ってるぅ)
「今日ぐらい泊めてくれたってええやん! 直ぐ来て、直ぐ帰るのもなんやと思わへんか?」
「思わへん」
「そんな言い方せんでも、まるで他人行儀な……」
「……血は繋がってへんぞ」
「もう、またまた……そんなん言うてぇ」
そうたは手を振りながら笑っていたが、ニコリとも笑わない箱崎を見て自身の笑いがフェードアウトしていくように声を潜めた。
それから二人は黙ったまま、気まずい時間が流れた。
小野は所在なさげに近くのテーブルの椅子に座り、箱崎と蒼太のやり取りを眺める事にした。

二人の間には流れた気まずさは、流石の蒼太もその重い沈黙に耐えられなくなってしまい、箱崎に渋々と口を開いた。
「……茶碗のこと……聞かへんの?」
おずおずと様子を伺うように蒼太が話し出した。
「聞いてどうすんねんや? おじさんとこの茶碗ってゆうたら、きっと高いもんに決まってる。そんなもん俺がどうにでもできるもんやないし、それとも何か? 俺が何とかしてくれるとでも思たんか?  お前が割ったんやろ? お前がなんとかせなあかんのとちがうんか? ……それとも、陽平に泣きつくんか?」
「お、おやじに……言うつもりなんか、はな(はじめから)からないっ!」蒼太は吐き捨てるように言うと、箱崎から顔を背けた。
「……おじさん、怒ってないって言うてたって。……お前が、そんなこともわからへん訳わけないやろ?」
「……」
蒼太は黙ったまま視線を部屋中に泳がせ、落ち着かない態度をしているようだった。
「……せやから、俺、おやじと一緒に住みたいってゆったんや(言ったんだ)……おやじは、嫌な顔しとったけどな」

「おじさん、反対してんのか?」
「……わからん。けど、俺は『母親のところに居るのが一番や』ってゆうて、なんもゆうてくれへん。助けてもくれへんのや! おやじもおやじで、俺がおらんほうが独身ライフを満喫できるってゆうて、取り合ってもくれへん。……皆、俺がおったら……」
「蒼太っ!」箱崎は大声を上げて蒼太の言葉を遮った。
「陽平が、いつお前に出て行けってゆったんや?」
「……ゆうてへん(言ってない)」蒼太の声は消え入りそうなぐらい小さなものだった。
「せやけど……」
「お母さんには、ちゃんとお前の意思、伝えたんか?」
「……ゆうてへん、ゆうても無駄や」
「最初からなん(何)もしてへんのに、“無駄”とかゆうなっ!」
「したって、おんなじやんか? 何がかわんねや!」
「蒼太……逃げても、なんにも変わらへんのやで? 言わな、気持ちは伝わらへんのやで? ……簡単なことやけど、一番難しいことかもしれん。せやけど、お前やったらできるやろ? お母さんに、先ずお前の気持ちを伝えて、三人で話し合おうって、蒼太からゆうてみたらどうや?」
「……」蒼太は下を向いたまま手をきつく握り締めていた。
「蒼太? ……今日はとりあえず、昼飯食ったら大阪へ帰るんや」
「……はるかも俺がおったら、邪魔なんか?」拗ねたような声色で蒼太が言った。
「俺が、いつ邪魔やなんてゆったんや?」箱崎の声は何時に無く優しかった。

蒼太は黙ったまま返事を返さなかった。
「明日、学校とちがうんか? 今日泊まったら明日、休まなあかんやろ」
「……いちんち(一日)ぐらい、ええやん」
「陽平が……こないだ電話あった時になぁ、あいつ、嬉しそうにお前の事話してたぞ?」
「えっ?」驚いた表情をした蒼太が顔を上げて、箱崎を見つめた。
「今度サッカー部の試合に出れそうやってゆうてた」
「先発ちゃうもん、ベンチスタートや……」
少年特有の明るい色で頬を染め、照れたように話すた蒼太がいた。
「サッカーには交替があるやろ、チャンスはある。但し、実力の世界やけどなぁ」箱崎の優しい笑顔が蒼太を見ていた。

小野はやや離れたテーブルから二人の情景をじっと見つめていた。
(はぁ、あんな風に俺にも笑いかけてくれたらなぁ……)
などと、あらぬ妄想に耽りながらも蒼太という少年に嫉妬する自分に溜息をついた。
「……なぁ、今度のさぁ、土曜日の晩にこっちに来て泊まってもええ(いいか)? 日曜に帰るからさぁ……」
まるでそれが特権であるかのように大きなガタイを小さくして、甘えた声で蒼太は箱崎を見た。

「うっ〜ん……来週は、なぁ……仕事がなぁ……」
「ええっ……あかんの〜ぉ」
不服そうに蒼太は答えたが、箱崎はその声を聞いても今だ考えている風だった。
「せやけど……来月の頭の三連休、俺、大阪にかえるで」
「えっ、くるの?」
「あぁ、じいさんに呼ばれてるし……」
「ふ〜ん……せやったら、俺が大阪案内したるわ」
「なんでやねん! 案内されんでも、蟻の道まで、知っとるっ!」
蒼太は箱崎が返した返事に誘われるように笑い出し、その笑顔を見ていた箱崎の顔にも笑顔が戻った。

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