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7) 最短のきっかけは趣味?

結局、小野は箱崎宅で夕食をご馳走になり、おまけに箱崎の携帯番号と(但し壊れた携帯の番号だったが……)自宅の電話番号まで入手し大収穫の一日を得た。あとは、いかに『箱崎とお近づきになるか?』ということだった。
ビールをしこたま飲んで、車を置いて帰って次の会う口実を作っておくのも手だなぁとも思ったが、明日の仕事の事を考えると、車は置いては帰えれないし、ではどう繋がりを持ち続けるかということだった。しかし、それは小野が考えるほど難しい事ではなかった。

 天然の箱崎は、どうも一度信じると疑う事をしないようで小野の事も、このままトントン拍子に事が運ぶのような状態で、なぜか不思議な感じがした。時間の早い時期に軽く缶ビールを2本ほど飲んだだけだったので、あと一時間もすれば酔いも完全に覚めてしまうだろうと、思うと小野は少し、寂しいような気がした。料理などというものが苦手な小野にっとって、片づけほど自分の腕をみせられるものはなかったので、張り切って机の上に並んだ食器類を流しまで運び、洗った。

箱崎は又、恐縮し『自分がやると』言っていたが、流石に肩とわき腹が痛むのか2度の抵抗の後、素直に小野に従った。
「お客さまに、手伝わせるなんて酷い接待だなぁ」
「はははっは、何言ってんですか? 俺がご馳走になったのに、手伝いもしないで帰るほうが、よっぽど酷いですよ」
お互いがお互いを気遣う会話が、久しぶりに心地よいと思う箱崎は、痛さを堪えつつも笑顔が絶えなかった。

どこか、別れ辛さを感じていた箱崎は「まだ、時間は有りますか?  よかったら、コーヒーでも……」といって又、台所へ湯を沸かしに立ち上がった。
「あっ、俺が入れますよ」小野は気を利かして立ち上がりかけたが、箱崎が笑って制し、
「いいじゃないですか、ゆっくりしていってください」といった。
 小野は箱崎の身体を心配しつつも「では、お言葉に甘えて」と言って食事中から気になっていたリビングの主である“オーディオセット”に近づいた。目新しい家具もなければ、オシャレの独身男の部屋というものでもない箱崎の部屋の中で異彩を放っている物、それが“オーディオセット”だった。
ヘッドフォン モノは古かったがよく手入れされていて、大事にされていることが判る手の入れようだった。しかも、オーディオはただのセット品ではなくバラ品を組みたてられたもので、音楽が好きなマニアが作ったような感じが見て取れた。

 鎮座しているだけで“値段が高いぞ”攻撃をくらうプリメインアンプのマークレヴィンソン。いったいどんな音がするのか聞いた事も無いノッティンガムのアナログプレイヤー。パワーアンプとチャンネルバインダーはラックスマン。しかも、陳列ケースからしか拝んだ事がないカートリッジはオルトフォンだった。
『レコード針に、10万だぞ?!』
小野は心の声を危うく口に出しそうになっていた。
なのに、こだわりがあるのか、スピーカーは使いこなされた年代モノのタンノイだった。ただ、配線はしていないのに、部屋の隅に積み上げられたJBLのスピーカーを見た時は、さすがの小野も眩暈を起こしそうだった。

『箱崎さん……こんなとこにお金をつぎ込んでたら、そりゃぁ結婚なんてできないっしょ? それとも、給料いいんッスかね?』
小野は箱崎がここまでこだわりのある音楽趣味人間だとは思わなかったし、現に食事中の会話でもその片鱗すらなかったのだから。通常、モノにこだわりをもつものが、自慢の逸品を前にして自慢話をしないわけはないだろう。
なのに、ないというのはどうゆうことか?
小野の疑問は疑念に変わりつつあった。

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 時間がたつのも忘れて、熱心に見入っていた小野は箱崎が近づいてくる気配を感じて振り返えった。
「よかったら、何か聞きますか?」
箱崎は笑顔で言いながら、マグカップにそそいだコーヒーを手渡した。
「と、いっても“今風”とか“流行モノ”の音楽はないですけどね」そう言って、壁沿いにある膨大なレコードの棚を指差した。

「箱崎さんて……音楽マニアだったんですか?」
小野は、ふと疑問に思ったことを口にしてから、もっと他に気の利いた言い回しが有ったのでないかと、自らの質問の仕方に後悔した。
「あぁ、これですか……俺のじゃないんですよ。俺は、音楽“からっきし”ですから」
箱崎はテレ笑いを浮かべ、ポリポリと後頭部を掻いていた。
「……ご兄弟の、ですか?」
「あ〜、いや……そうじゃないんですが、兄貴といえば兄貴みたいなもんですが……」
箱崎の返事は言いにくそうで、小野に説明するのを躊躇っているようだった。
小野の胸がチクリと痛んだ。
「あっ、いや、無理に説明して……」
 小野は困り果てたような顔をした箱崎を見てしまうと、もっと苛めたくなる半面、心の奥底でズキリとした痛みが走るのを感じ、自分自身も嫌な気分だった。
箱崎は、妙に明るい笑いを漏らして、レコード棚の前にして話し始めた。
「あ〜、なんだかお気を使わしたみたいですねぇ。ちょっと、どう説明していいのか咄嗟に思いつかなかったんで、つい、口篭もってしまって……後ろめたいって言っちゃぁそうなんですが……」
箱崎は、やわらかい笑顔で小野を見てそれから“オーディオセット”について話しをし始めた。

「実は……俺、子供の頃から“弓道”をしてましてね」
「ゆみの“弓道”ですか?」
オーディオといったいどんな関係があるのか判らなかったが、この男の性格を鑑みれば、最初から話さないと気がすまないということだろうと、思った。
「ええ、そうです。俺の母方の爺さんなんですが、大阪で弓道場を開いているんですよ」
「へぇ〜、今も弓道をやってるんですね?」
「ええ、小学校に上がる前から今もです。見えませんか? ははは……」
「いえ、いえ、意外だなぁと……」
「子供のころからなんですよ、ヘタな横好きってやつです」

 それから、箱崎は自分の弓道歴を小野に話し出した。祖父は関西でも有名な弓道場の師範代で、彼は子供の頃からそこで弓をしていて、中学、高校も弓のために親元から離れて祖父の家で暮らし、弓道をしていたが大学は親元へ帰って通ったことまで話した。話を聞いている間、箱崎の新たな一面を聞けて嬉しいと思うが、肝心な“オーディオセット”についての話が未だだった。

「……それで、爺さんの内弟子に志野木という男がいるんですが、実はこれ……彼のモノなんです」
小野は箱崎の言葉を聞いて絶句してしまいそうだった。ショックといえばそうなのだが、普通に聞けばどうということはないことだろうが、小野には正に“告白された”ような言葉だったからだ。
彼の言い回しを替えてみれば『彼氏の大事な物が、遠くはなれた恋人の元にある』ってことじゃないのか? と。
 小野は『告白する前に、撃沈したなんて……初めてだ』と思い、悪酔いした気分だった。

箱崎といえば、話せば話すほど、表情が曇ってくる小野を訝しり、段々と不安になってきていた。『自分の話は面白くないのだろうか』とか『やっぱり、弓道なんて地味なモノが趣味だなんて』と思われているのだろうか?  と、考え出すと心が不安になり表情も話す言葉も鈍りがちになっていった。

「音楽マニアって程ではないんですが、彼は『嫁さん』にばれないように、処分したふりをして、俺に渡していたんですよ」
『えっ? ……なんですとぉ?』小野は妙な展開になってきたと思い、
「その、志野木さんのいらないものを貰っただけなんですか?」
「??? ええ、そうです。彼、買うのはいいんですが、処分もせずに買うので『嫁さん』に怒鳴られることが多くて、捨てたふりして、俺のとこへもってきていたんです。俺に渡せば、いつでも聞くことはで きるじゃないですか?  まぁ、俺もタダですし、部屋もまぁ、置くものもないので調度いいかなって感じで……そしたら、急に『嫁さん』と離婚しちゃって、今じゃ誰も止める人がいないので買いたい放題。で、俺の家に隠してあったこのオーディオも隠す必要もなくなったので『やる』の一言で貰いました」
『“嫁さん”いたのに“離婚”かよ?!』小野は急転直下の話にクラクラした。

「それに、このオーディオっていいやつみたいですし、大学の弓道部の後輩連中が家へ来ると喜んじゃって、レコードなんかを持って聞きに来るんですよ。そしたら、なんだが、自分のものじゃないのに、ドンドン増えていちゃって……今じゃ、壁になりつつあるんです」
「へぇ〜、そうだったんですか?」
箱崎は小野の顔が妙に明るい顔になったように思え、子供のように喜んで安堵した。
『でも、俺なんで安心してるんだろ?』
「自慢じゃないですが、俺が買ったものなんて一つもないですからね」そういって、レコードを引っ張り出していた。
「それに、俺、ジャズなんて全然ですし、第一、音楽なんて“からっきし”ですから」
そういえば、レコードは全てではないだろうが、どうも「ジャズ系」のもののように思われた。
「箱崎さんは“音楽”は全然?」
「ええ、自信持って言えますよっ?!」箱崎は妙に愉快そうに笑った。
「後輩は“ぶたに真珠”とか“宝の持ち腐れ”とか言いますけどねっ」
『おおっ、正にご名答!』小野はあまりの言いように思わず、吹き出して笑った。
 箱崎は小野の笑った顔を見て、少し安心した。彼の時折見せる、暗い表情が箱崎を不安にさせていた。自分でもそれがなにかは判らなかったが、小野の見せる子供のような笑いと、自分にはない“男の安心感”とも言うべきものを持っていることに少し、憧れにもにた劣等感を感じずにいられなかったからかもしれない。

 『優しい男』というレッテルを貼られているような気がしている箱崎は、それは『違う』といいたいのだが、声に出して言えずにいるし、又そんな男を演じている自分を知っている。一度張られたレッテルは剥がそうとしても、剥がれるものではなかったし、又変えれるものでもなかった。
 しかも、ひょっとしたら『誰かが現れて自分を変えてくれるのではないか』というあらぬ期待を乙女のように抱いている自分が情けなかった。今では強くありたいと願えば願うほど遠ざかるような気もしていた。

「小野くんこそどうなんです? 俺と違ってバリバリの運動部でしょう? 上背もあっていい体格してるから……バスケとかですか?」
「俺ですか? よく言われるんですが俺も違うんですよ。実は、軽音楽部」
「軽音楽部?」
「いい響きの方は、です。実は『ロックバンド』です」
「へぇ〜、じゃぁ楽器が弾けるんですね?」
「一応、ギターでした」小野は目をキラキラさせて話を食い入るように聴いてくる箱崎に笑みがこばれた。
「すごいですね〜、ギター弾けるってだけモテたでしょう?」
「そうですか? あんまりかわんなかったと、思いますが……」
「時代が違いましたか? 俺の時代は楽器が弾ける、しかもギターっていっちゃぁ、モテる男の代表でしたよ?」
「いや、そうでもないです」
実際、モテたといえば、そこそこはモテてはいたのかと小野は思い返していた。お互い、言う方も答える方も気恥ずかしいのか、笑いのトーンが徐々に大きくなっていった。

「……ロックのレコードってあったっけ?」箱崎はコーヒーを一気に飲み干すと、棚を隅のほうからゴソゴソと探し出した。
「すいませんね〜、俺の家にあるのに何があるなかさっぱりなんて、ヘンな感じですね。後輩連中なら、自分の家のように泊まりにくるんで、何処にあるかは、 俺より知ってるんですが…ははは」

 箱崎の話では、大学でも「弓道部」があったのでそこで弓をやりながら、今に至っているらしかった。今では彼の性格もあってか大学時代の弓道部の友達や後輩連中がよく泊まりに来るらしく、ほとんど合宿状態と下宿宿状態と化しているらしかった。
 小野は彼の断りきれぬ態度が災いしているのか、その優しい性格に付けこんで皆が甘えているのだと、思ったがその事実を甘んじて受け入れている箱崎に少しばかり歯がゆい思いがしていた。自分が彼の元についていたのならそんなことはさせなかったのにという思いが胸の中に芽生えていた。

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