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4) “真面目”という服

あれから、かれこれ50分は経過しただろうか?
今だ姿を見せない箱崎を心配していると、手前の部屋に入っていた箱崎が右の一番奥の部屋から出てきた。

赤茶色にそまったカッターシャツを着ているのではなく、小野が購入したTシャツに着替え、右わき腹を押さえなが小野の方向に右足も引き摺るように歩いてくる箱崎を見つけた。
 小野は慌てて箱崎の側へ駆け寄り「長かったですね、何かあったんですか?」と、不安げな面持ちで話し掛けた。

箱崎は相変わらず、恐縮そうな表情をして、
「いえ、いえ、そうじゃないんですが……思いのほか“重傷”だって……いってぇ〜」と、妙に軽いノリで答えた。
小野はこの“天然ボケ”に脱力感を覚えたが「……笑って言えるほど、軽いんですか?!」と、キツイ調子で返事をした。
「あっ、いや……すいません」
『又、謝る……って、この人は……ほんとにぃ』

しかも、箱崎は相変わらず小野に対して敬語を使っていた。
このことに関しても小野は少々気に入らなかった。
「それと、箱崎さん。俺に敬語なんか使わないでくださいよ。俺の方が年下なんだし……なんだったら“ひなた”って呼び捨てでいいんですよ」
小野は、ここで一気に箱崎との距離を縮めておく作戦にでた。

箱崎は照れたように笑い「初対面で、しかも俺を助けてくれた人に失礼なこといえませんよ」と、もじもじしながら言った。
小野はその態度を見ながら、これじゃぁ、結婚はしてないな、と推測した。あまりにも押しが弱すぎる……これじゃぁ、無理かも、ただ、女も押しの強い奴がいるからなぁ。と、更に憶測を広げてニヤついていた。

『だいたい、初対面の奴に呼び捨てでいいっていう男も男だが、それを照れ笑いで返してくる男も男だな』小野は箱崎は天然だが、自分は煮ても焼いても食えない奴だと今更のように思っていた。
小野は首を少し左右に振りながら「取りあえず、此処に座って、呼ばれるまで待ちましょう」と、言って、ゆっくりと箱崎の身体を支えながら安物の革張りの長いすに腰掛けた。

「で、どうだったんですか、ケガの方は?」
「はぁ」
と、大きな溜息をつくと少し凹んだように沈んでいる箱崎が返事をした。
「それがですね……肋骨1本にヒビが入っていまして、全治2、3週間程度てところで……」
「えっ?! ヒビ、ですか?」
「それと、右の方から落ちたようで……右肩は脱臼してました。足もですね……どこかで引っ掛けたようで、切り傷になっちゃてまして……」
「……脱臼って、痛くなかったんですかーっ?!!」
「はぁ、痛かったですけど……動かなかったし〜ぃ」
「動かなかったって、あなたねぇ……『しぃ〜ぃ』ってなんなんですかっ?!」
「……痛がったら、心配するじゃないですか? 貴方も含めて皆が……ちょっと、我慢しすぎでしたけど」(……脱力……)
小野は箱崎がケガの状態を小出しに出してくるのに少々イラつきはじめて、まるで自分が年上のようだと思いながら彼に返事をした。
「で、他に怪我はしてないんですか? 小出しにだしても、ケガはケガですよっ!!」
「うっ、それは……そうなんですが……」
と、箱崎は叱られた子供のように頭を垂れた。

(あぁ〜、なんだかなぁ……これじゃどっちが年上かわからねぇよぉ〜ったくぅ)
「その……顔の、目の辺りの傷はどうだったんですか? 眼科の先生にも見てもらいました?」
 小野はそのためといっては過言ではないが、彼の目の周りにある内出血もかなり気になっていたので、わざわざ総合病院を選んだのだ。
「…………」
「?」
箱崎の返事を待ったが、それに対しては返事をせず黙ったままだった。
何かひっかっかるものを感じずにはいられなかったが「……で、どうなんです?」
と、相変わらずどっちが年上かわからないと言った調子で問うた。
「実は……」
箱崎は今だ話を始めるのに躊躇するので、痺れをきらした小野はとうとう、子供をあやすような口調で彼に言った。
「俺は、アンタをすごく心配してるんですよ、わかりますか? 俺を安心させてくれませんか?」
(この際、タメ口でもいいだろ? なんだが、こっちが年上気分だよ)
箱崎はうなだれてしまったが、とうとう観念したようにボソボソと喋り始めた。
「……話すとすごく長くなるんです……この目の傷なんですが、穴に落ちる前からなんです、それですごく小野さんに、すまなくて……」
小野は彼の口から聴いた言葉が自分の理解の範囲を超えていて彼の言って言うことが日本語なのかどうかも判らなかった。
(なんって言ったんだ?!)

小野と箱崎はお互い、押し黙ったままだった。
「箱崎さん、箱崎 玄さ〜ん」
受付から箱崎を呼ぶ声がした。
小野は箱崎を抱きかかえるように手を貸して、立たせ一緒に受け付けの隣にある清算窓口へ向かった。
受付の看護士は「はるか」と言う名前で女性だと思い込んでた節があり、呼ばれてきたのが男性だったので少々驚いていた。
 小野は清算窓口で箱崎のお願いしていた診断書と処方箋を貰い、清算をしようとした時、急に箱崎が叫んだ。
「あっ! 俺、財布ありません!!」
(そりゃそうだけど、もしかしたら、今気がついたの?)
小野はやっぱり、のんびりしている箱崎がこれでちょっとよさげな商社勤めをしているのかと思うと、コネで就職したのかと疑ってしまった。

「俺、急いでいたもので、あなたの鞄や上着などを一緒に持ってきてないんです。多分、現場事務所の人間が置いておいてくれていると思うんですが……」
「はぁ、そうですよね……心配をお掛けして申しわ……」
「けありません」」
最後の“ありません”という言葉を箱崎が言うであろうと思い、小野は彼の口調に合わせて喋ったら、ハモってしまった。
面食らった箱崎はぽかんと口をあけたまま、小野を見て今度はとびきりの笑顔で小野に笑いかけた。
「大丈夫ですよ、俺が支払います」
小野は箱崎にそう答え、精算窓口の看護士に『いくらになりますか?』と聞いた。
 健康保険証を持っていなかったので預り金までとられて、かなりの金額になってしまったが、今時の病院はクレジットカードが使用できるので小野は内心『助かった』と思った。
処方箋を貰い、調剤薬局で薬を貰う事になっていたが、院内に併設されている薬局に行き、彼の薬を貰った。

小野は座らせて待たせてあった箱崎の元へ行き、声をかけた。
「やっと、落ち着きましたね。会社に電話しますか?」
捨てられた子犬のような目をした箱崎は小野を頼るように「そうでした……でも、電話が……」
『そうか、携帯もないんだった……』
「此処では携帯が使えませんし、車に戻ってからにしましょう」
小野は箱崎にそう伝えると、彼を抱えるようにして側に立ち歩き出した。
病院のエントランスから外に出ると、外はすっかり昼も過ぎていた。
小野は歩きながら「ねぇ、箱崎さん、お腹すきませんか?」
「言われてみれば……お昼まだでした。小野さんは……」と、箱崎が言いかけたところに小野は強制するように言葉を重ねた。
「“ひ・な・た”です」と、強引に言った。

箱崎は特に、馴れ馴れしい奴だなどとは思わずに、最近の若い子って、快活だなぁと寧ろ彼の明るさを気に入っていた。
「ははは、そうでした。……でも、なんだか照れくさいものですね」
箱崎が少し小首を傾げにっこり笑った表情に、小野はカウンターパンチをくらった衝撃を感じた。
(……かわいさ、爆裂ですよ“はるか”さん)
心の中で小野は“はるかさん”と呼んでみた。

程なく、車の駐車場に着き、小野は助手席に箱崎を入れて、自分も運転席に滑り込んだ。
「箱崎さん、苦しくないですか? 少し、シート倒しましょうか?」
小野は、肋骨にヒビの入った箱崎は前のめりになる体勢では負担がかかるのではないかと危惧し言った。
「あっ、いえ大丈夫です」箱崎は少し苦しそうな表示をしたが、直ぐに笑顔をみせ、
「……すみませんが、電話をお借りできますか?」と言った。

小野はポケットに仕舞い込んだ携帯電話を渡し、「どうぞ」といって、一度入った車からドアを開けて車外にでようとした。
「あっ、何処へ行くんですか?」
箱崎は急に出て行こうとする小野を不安げな面持ちで見た。
「……? いや、お電話をなさるんでしたら、お邪魔だろうと……」
小野は本当は彼の側で会社の名前や話の内容などを聞いていたかったが、流石に初対面で、それをする程の図太い神経は持ち合わせていなかった。
「全然、邪魔じゃないですから、座って待っててくれませんか?」
小野はそんな言葉を箱崎から聴こうとは思わなかったので、腰が砕けるかと思うくらいの脱力感を覚えた。
(はるかさん……それ、確信犯だったら凄いですが、あんたの場合、天然だから始末悪すぎですよ?)
小野は苦笑いを浮かべながら「はぁ」などと気のない返事のふりをしてシートへ又、座った。

箱崎は小野から借りた携帯電話に会社の番号を入れて数回のコールがなった後、電話の相手と話を始めた。
「……あぁ、真下さん。管財の箱崎です、すみませんが、管財の三森さんか、松下さんに繋いでくれませんか?」
「えっ、そうなんですか? ……いや、そうじゃないです。病院へ行ってたんです……そうですか……心配かけましたね。
……はい、お願いします」

 小野は箱崎の喋り方聞いていて、『あぁ、なるほど』と思いあたった。彼の喋り方というか、年下に対しても同僚に対しても、彼の物言いは変わらないのだ、ということを。長年の癖なのだろうか、どこか、温和な人柄がにじみ出てくる感じがして好感が持てたが、同時に小野は、自分の事は内面に仕舞い込んでしまうタイプなのではと思い、彼のうわべだけで判断すると、いけないような気がした。

「あぁ、松下さん……えっ?! ……はい、はい……そうです」
「すいません、連絡が遅くなってしまって、今、診察が終ったところなんです……はい、そうです」
箱崎は暫く、何も喋らずに、相手の声を大人しく聞いていた。
携帯電話から洩れ出る相手の声は、何を喋っているのか判断はつかなかったが、箱崎が無断で欠勤したことを責めているような感じではなかった。

「ええ、行きました……はい、それが意外に重傷でして……はぁ、まぁ……えっ?! ……はい……」
「そうですか……ええ、では来週から出勤することに……はい、申し訳ありません」
「明日ですか? ええ、病院へは行きますが……」
「それと、太田さんはいますか? ……お願いします」
「あぁ、太田さん……ええ、有難う。大丈夫です、それと、忙しいのに申し訳ないんですが、各社から工事用のカタログの注文書が僕あてに届くと思いますのでまとめて判るように保管して置いてください。出社したら僕が確認しますから……はい、お願いします」
 小野はぼんやりと箱崎が会社とするやいとリを聞いていて思い出したことがあった。それは、社内でS工業から渡される管材料のカタログの注文日の締め切りが迫っていた事だった。
『まさかなぁ』小野は声に出すわけでもなく呟いた。

「……? 小野さん、疲れましたか?」
「はぁ?」
ボーっとしていたとはいえ病人の箱崎に心配されるほど自分は疲れていないぞと、思い、
「いえ、いえ、腹へっただけですよ」と、答えた。
「って、もう夕方になっちゃいますね」
「有難うございました、携帯助かりました」
「あぁ、全然……」
「あ、あのう“小野くん”これからのことなんですが……」
言いかけた箱崎をまるで、鳩が豆鉄砲をくらったように驚いている小野を箱崎は訝しんでしまい、喋る言葉が先細そんでいた。
『…“さん”から“くん”に一歩前進って感じですか?』
「あっ、はい、なんでしょう?」
「このままでは、家にも帰れないんで、迷惑掛けついでに申し訳ありませんが『俺が落ちた穴』のところへ帰ってくれませんか?」
「……そうでしたね、鞄があそこに……」
「はい、上着もたぶんそこにあると思うし、それに、携帯も……」
「ちょっと待ってください」小野は箱崎から携帯を返してもらうと、自分のいた現場事務所へ連絡をした。
「もしもし、小野です。西川くんいるかなぁ……」
「ああ、西川くん、俺、小野。さっきさ、穴に落ちちゃった人、いるじゃない? そう、その人の持ち物って、そこで保管してる?」
「…うん、そう……鞄と・・・何? ……そうそう、上着と……えっ? 図面ケース? ・・・ちょっと待って」
「箱崎さん、グレーの図面ケースって持ってました?」
「はい、俺のです」
「そうだ、それもだよ。ある? じゃ、今から取りに行きたいんだけどまだ、現場事務所いる?……15分くらいオーバーかな? ……悪いっ! たのむわ」
小野は電話を切ると運転席に向き直り「保管しているそうなんで、今からいきましょうと」と言った。

小野は“箱崎が持っていた図面ケース”に興味があった。
もしかしたら、彼は設計会社に努めているのではないかと思い、しかもひょっとすると、同じ業界の人間ではないかと推測した。
「ここで待っていてください、俺、取ってきますから」
小野は箱崎と車に乗り、現場へ戻ってきたが車は現場事務所の数メートル手前で止め、箱崎を乗せたまま自分ひとりだけで事務所に戻った。
「……はい」
箱崎は何か言いたげな口ぶりだったが二の句は喋らず、ただすまなさそうな表情をしただけっだ。

小野は足早に現場事務所に戻り、その後の現場処理を引き継いだ西川から箱崎の鞄などの荷物一式を預った。
「小野さ〜ん、大丈夫でしたか?」
妙になつくような声で尋ねてくる会社の後輩の西川は、会社から聞かされている事情以外に聞きたいことがあるようで、興味津々といった感じで目を輝かせていた。
「俺? 俺が落ちたわけじゃないから、全然っ大丈夫!」と、小野はおどけたように返事をした。
「西川、荷物ってこれだけ?」
「はい、そうですよ。鞄に、図面ケースに、背広の上着……ですね」
「ふん、じゃぁ預ってくね。後、頼むわ」
「あぁ、それと携帯! ……でも、これ、水の中に入ってましたからダメなんじゃないッスかぁ?」
小野は鞄などの持ち物一式に携帯を貰ったが、泥まみれになった二つ折れの携帯はあからさまに『もう使えません』状態のようだった。
「まったくだな」小野はそう呟くと、さっさと荷物を持って現場事務所を後にしようとした。
「あっ!! 小野さ〜ん」西川が突然、声を掛けた。
「なんだぁ?」
「昨日約束したじゃないスか? 今日ゴチしてくれるって……」
「すまん! 又、今度にして」
「え〜〜〜っ、俺、今月飯代ピンチなんですよ〜まいったなぁ〜」
小野は笑いながら、西川にすまん、すまんと悪びれた様子も無く謝り事務所を出た。
「……遅くなりま…した? 箱崎さん?」
ゆっくり運転席のドアを開けながら小野は箱崎の方を見ると、彼はガラスの窓に寄りかかり眠っているようだった。
(薬が効いてきたのかな? しかし、参ったなぁ……俺、住所覚えてねぇよ)と、呟きまつげの長い箱崎の顔を暫くの間眺めていた。

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