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11) 鍋パーティー 〜後編〜

小野はふと肩に触る柔らかな感触に気がついた。
(あれ……俺、寝てたのか?)
小野は自分ではそれほど飲んでいるつもりはなかったのだが、何時の間にか眠っていたらしく、薄暗い部屋の中にいる自分に気がついた。回りからはかすかな寝息や大きな歯軋りが聞こえてきて、小野は今自分がいる場所が己の部屋でない事に思いあたった。
(そういや……俺、はるかさんのところへ、来てたんだ)
テーブルに突っ伏した状態で眠っていたせいか、あらぬところが軋むように痛くて、やや顔をゆがめながらあたりを見回した。

すると、台所の電気だけが明るく灯っていて、その中に一人立っている箱崎を見つけた。小野はゆっくりと立ち上がり、箱崎の方へ向かって歩きだした。
「箱崎さん……」
小野は小さな声で背後から声を掛けると箱崎が振り向いた。
「……なんだ、起きちゃったの?」
真っ暗な部屋の中で、ただ一つ電気の灯ったキッチンの中で、箱崎の顔の影がくっきりと輪郭を映し出していた。
「ええ、箱崎さんこそ……」
「俺? 大丈夫だよ。小野くんテーブルの上で突っ伏してたから、動かせなかったけど……あのへんも空いてるし、あそこで寝たら? ……寒い? もう一枚、毛布取ってこうようか?」
「あっ、いや……いいです。それより、手伝いますよ。これ、拭いちゃいましょう」
「いいよ、俺が洗ったら拭くから……」
「いいですって、俺が拭きますから箱崎さんは洗って下さい。二人でした方が早いでしょ?」
「あぁ、まぁ……」
相変わらず、押しの強い小野に押し切られた形になってしまった箱崎だったが、気分の悪い物ではなかった。
箱崎は黙ったまま洗い物をし、小野も黙ったまま箱崎の洗った食器類を受け取り、布巾で拭いていった。部屋には男達の寝息が聞こえたが、蛇口から流れ出る水の音が部屋の中で大きく聞こえた。

「ありがとう、お蔭で早く済んだよ」
回りの静寂を気にするように低い声で言った箱崎は、戸棚に閉まってあったマグカップを出して
「一服するけど、君もどう?」と、もう一つのカップを手にしながら小野を見た。
「コーヒーですか?」
「うん、俺コーヒー中毒だから、寝る前に飲まないと寝れない」
「……普通『寝る前に飲むと寝れない』じゃないですか? まぁ俺も違いますけど……」
小野は笑いながら答えると、
「あんなの思い込みだな〜。俺、寝つきいいほうだから」と、箱崎が言った。
「お付き合いしますよ」
箱崎は小野から気のいい返事が返ってきたので『じゃぁ、いっそのことインスタントからゴージャスに“ドリップ式”で入れよう』と、楽しそうに笑った。

二つのマグカップからは白い湯気が立ち上がって、渋いコーヒーの香りが鼻先に触れるようだった。
箱崎はやや考え込むように間を空けてから静かに小野に話し掛けた。
「……今日、ガサガサとうるさかっただろう? 気になった? ……いつもこんな感じなんだけど」
両手で挟むようにしてカップを持って箱崎がコーヒーを飲んだ。
「あんなもんでしょ? 賑やかで楽しいですよ」
小野はかすかに微笑みながらカップに口を付けた。

とりたてて、意味があるわけでもなかったが、なんとなく気になっていたことを小野は箱崎に聞いてみた。
「……毎回、こんなことを?」
「こんなことって……?」
小首を傾げて不思議そうに箱崎は小野を見た。
「大学の後輩達を呼んで、ご馳走してるんですか?」
「……やっぱり、ヘンかな?」
箱崎は少し寂しそうな表情を浮かべ、両手で握ったカップを見つめていた。
「気を、悪くしたんなら謝ります……特に意味はなかったんですが……」小野は言いよどんで答えた。
「……」
箱崎は少し、躊躇っているようで目線をカップの上におとしていた。
「……俺は、そうは思いませんが、そういわれたことがあるんですね?」
箱崎は更に下を向き、
「……弱っちゃうよなぁ、小野くんには……なんでも判っちゃうんだね」と、苦笑いをした。
「……」
小野は返事をしないまま、暗闇の中でかすかに光る箱崎の指を見た。

「……今日来た学生が1年の頃だったかな? 2年、いや3年ぐらい前か。一人、弓道部の部員が試合中に倒れちゃったことがあるんだ。いや、大事には至らなかったんだけどね……それが……さぁ、"栄養失調”。
今時って思うんだけど……びっくりしたなぁ。そんなこともあるんだって」
箱崎は小野からの返事がないまま話を続けることにした。今はただ誰かに聞いてもらいたかったからだ。それとも、“誰か”ではなく“彼”に聞いてもらいたかったのだろうかと、自身に問い掛けてみた。

「今のこのご時世にだよ? “栄養失調”っていうのがあるんだってことにも驚いたけど、なぜ彼がそうなったのかは判らなかった……何度聞いても答えなかったし。いや、答えられる訳はないか……」
「……その彼は、一人暮らしだったんですか?」
「うん。アパートを借りて自炊していたらしいんだけど、仕送りが半年前から途絶えてしまったそうだ。まぁ、仕送りと言っても金額的には“お小遣い程度”らしかったが。学費は奨学金を受けていたので、当面の問題は生活費だったそうだ。家賃も寮に移ればよかったんだが……このご時世だろう?  希望者多数でダメだったらしい。しかし、唯一の仕送りも親の失業でなくなってしまい、勉強とクラブを続けるために、ギリギリだったみたいだ」
「……彼は食費を切り詰めたんですね?」
「あぁ……切り詰められるモノといえば、それだけだし」
「だから、貴方が助けを?」
長い沈黙のなか、掠れた声で箱崎が言った。
「……どうしても、“弓”をやめたくなかったそうだ」
(あぁ、それで……)
小野は喉につかえた異物の原因が判ったような気がした。
「……だから、『自宅に呼んで食事』を振舞うことを考えたんですか?」
「……うん」
「貴方だけ?」
箱崎は頭を振って否定した。
「いいや、違うよ。OBたちは皆自分ができることをやっている。牧野は俺に付き合って奥さんに差し入れまで作らしているし……他の奴だって、カップラーメンや保存の利く缶詰めなんかをダースで買ってやってるよ。……皆がそれぞれできることをしてる」
言い終わった箱崎は、まだ何か胸につかえているよう眉間に皺を寄せ、少し苦しそうな表情をした。

「……何を迷ってるんです?」
そう、問われた箱崎はびっくりしたように顔を上げ、小野を見た。
「誰からも、褒めてもらえないから? それとも、誰かに認めてもらいたいから? ……違うでしょ? 貴方はそんなことを考えてやしないでしょ?」
箱崎は緩やかに笑う小野を見つめると、心に蟠っていたモノの正体がなんとなく判り始め、縋りつきたい衝動に駆られていた。

「……『弓が好きだから、やめたくなかった』といった彼に、やめて欲しくなかったから……俺ができること、他に思いつかなかったし」
自分の言いたい事を押し殺していた箱崎は、トロトロと自分の心の奥底にあるモノを吐き出そうとしているようだった。
「俺が、もっと気の利く、頭の回る奴だったら他の事も考えられたんだろうけど……他に考えられなく、て。……考えた結果が、これだったわけだけど……やっぱり、誤解されるかな?  こんなこと」
言い終えた箱崎のテーブルの上に置かれた手は、お互いを強く握っている為か、白い指の静脈がやけに蒼く肌を透して見えているような気がした。

小野は徐に、テーブルの上に置かれた箱崎の手の上に、自身の左手を優しく重ね合わせた。
「誤解されるのが、怖いですか?」
箱崎は置かれた手の意味を考えるより、小野の言った言葉の意味が体の中を駆け巡っていた。
「あっ……・」
消え入りそうな声を上げ、やや赤みの差した頬の箱崎は小野の顔を凝視した。

「言いたければ、言わせとけばいいじゃないですか? 貴方のこと、判ってる人だけがわかっていれば……俺も、わかってますよ。それじゃぁダメですか?」
小野は少し驚いている箱崎の頬に右手を伸ばし、優しく触れると、親指の腹で撫でた。
薄暗い明かりの中でも、箱崎の赤く染まった頬が見えた。

(もしかしたら……)
小野は、ひょっとして箱崎は自分と同じ感情を共有しているのではないのかと、思い始めたが不確かな考えに安易に飛びつく程、自分自身が若くないことを知っていた。
 箱崎の柔らかな頬と明らかに男である骨格のはり具合を、小野は手のひらで感じていて、このまま引き寄せて、思いを遂げてしまうことを、うっすらと考えたが、頭の隅では未だ、不安な要素を取り除くまでには至っていないことへの焦りがあった。
小野は離れがたい衝動に駆られながらも、手を引っ込めて誤魔化す様に立ち上がり
「コーヒー、もう一杯貰ってもいいですか?」と言って台所へ向かった。

(今のが、千載一遇のチャンスだったんだろうか?)
小野は相手の心がわからぬ苛立ちと、期待にゆれていた。
『誤解されるのが、怖いですか?』それは俺の方だと小野は呟いた。

箱崎に誤解されることを極端に恐れた。
何度となく箱崎に告白しようと考えたにも関わらず、実行に移さなかったのは、ただただ怖かったから。『会えなくなる』ということは今の小野にとって一番恐れている事だったからだ。

小野は『これではまるで……中坊のガキのようだ』と、今の自分を称して笑っていた。

“勝手知ったる箱崎の家”で、コーヒーぐらいは自分で入れることができた。自分の分を入れて箱崎の元へ戻ると、箱崎は少し、惚けたような様子で、カラのカップを両手に抱えたままだった。
小野は猪崎のコップに手を差し伸べながら言った。
「“はるかさん”もおかわりどうですか?」
「うん、貰うよ」
小野は箱崎のコップを受け取って台所へ向かった後、冷や汗が出てきた。
(何も言わなかったけど……いいんだよな? “はるかさん”って呼んでも……)
小野はこの際、箱崎が嫌がらなければ、なし崩しにしてしまおうと考え、酔った勢いという理由もアリなのではないかと考えた。

 小野は箱崎の分も入れて戻って、恐る恐る箱崎の顔を見たが彼の顔は先ほどよりも幾分明るく見え、笑っているようだった。内心、ホッとした小野は、今度は箍が外れたように喋りだした。設計部で飲み会があった時の話や、車の調子が悪かったので自分で修理した話、兄嫁の家で食事した時の話、など箱崎に次々に話した。小野はきっと、自分は先ほどの行為を隠す為に、取りとめの無い話をして誤魔化そうとしているのかもしれないと、頭の隅で思った。

 小野は、自分のことを話すことが苦手でよく人に誤解されていた。以前まではそれでも良かったと思っていたが、今は、箱崎だけには……彼だけには自分のいろんなことを知って欲しいと思っていた。久しぶりに心の底から、自分のことを理解してほしいと思う相手がいたことが嬉しかった。

話は尽きることもなく明け方まで話をしていた。
こんな日がくるなんて想像もできなった優しい時間があっという間に過ぎていった。

 喋りつかれて眠る小野の横顔を見ると、妙な安心感が生まれるのはなぜだろうと、考えるも答えは一向に出ない。
箱崎は、小野が触れた自分の頬に、自分で触れてみるが、先ほど感じた妙な浮遊感や高揚感は得られなかった。
『……当たり前だな。彼が触れたからだろう……』そんなことは、わかりきった答えだ。
 しかし、その先にある感情を自分が認めるのは勇気がいることを箱崎はわかっていた。

『友達のよう、とは、いかないってことか……な?』
自分で出した答えに驚く風でもなく、だた大きくため息をついてこれ以上、自分の感情が混乱しないでくれるようにと箱崎は考えた。


                  ***************************


小野はふと、気がつくと頬の辺りに明るい日差しが触れているのがわかった。
「うっ、う〜ん」小野は大きな伸びをすると、自身の目の前に茶色の柱が見えた。
(……なんだぁ?)
よ〜く、目を凝らしてみていると、おぼろげながら記憶が蘇ってきて、茶色の柱は、昨日鍋を置いたテーブルの足でと思い当たった。

身体を床から起こして周りを見ると、昨日たくさんいた男たちの存在がなくなっていることに気がついた。
(何で、いないの?)
すると、箱崎が現れて「皆、先に帰ったよ」と眩しい笑顔で言った。
「俺だけですか? 残ってるのって……」
どう見ても、自分以外の人間は見当たらず、昨日まで満杯状態だった部屋は、いやにガランとした感じに思えた。
「寝すぎたみたいですね〜」
箱崎に言ったわけでもなく、照れるような表情をして小野が言った。
「良く寝てたみたいだから、起こさなかったんだけど」
箱崎はすっかり片付いた部屋からバスルームに向かい、『シャワーでよかったら浴びる?』と大きな声を掛けてきた。小野は腫れぼったい目を猫のように擦りながら、立ち上がり『……浴びます』と言った。

箱崎はバスルームで何やらゴソゴソと動いていたが『バスタオルはここにおいとくよ? あとは、適当に使って……』といい小野とは目を合わせずに言うと、玄関にある外套に手をかけた。
「小野くん、前のコンビニに行って来るから……」
小野は、バスルームから上半身裸のまま顔を出して「何買いにいくんですか?」と聞いた。
「んん……パンと牛乳」
「パンと牛乳、ねぇ……」
「他に何かいるものある?」
「あ〜すいませんけど、煙草お願いしてもいいですか?」
「いいよ、何?」
「マルボロのBOX」
「わかった」
「あっ!」
「?」
「お金……」
箱崎は『後で貰うから』と告げると、片手をあげて出て行った。

 小野は、ズボンを脱いで浴室に入ると、勢い良くお湯を出して頭から被った。
『はるかさん、先に入ったのか……髪濡れてたな』そう呟くと髪の毛をゴシゴシと洗い出した。小野はシャワーを浴びると、腫れぼったい目の感じもなくなったようで気分もスッキリとした。
濡れた髪をバスタオルで拭きながら、火照った身体を冷やすように、ジーンズのみを穿いた姿でバスルームを出た。テーブルにあった煙草を触ると、奥のほうから1本だけ現れたので『ラッキー』などとおどけながら、口にくわえて火を点けた。

 すると、玄関のドアの方から、ガチャガチャと鍵の音が聞こえてきたので、立ち上がって進んでドアを押すと、意外なほどドアの重みが無くあっさりと開いた。小野は当然、立っている人物が『箱崎』であると信じて疑わなかったので、ニッコリと微笑み、箱崎に言った。
「はるかさん、早かったです、ね…???」
小野は、開け放たれたドアの前に立つ少年が誰だか判らなかった。
少年は胡散臭そうに小野を見ながら言った。
「あんた、誰? ここ、はるかんちやろ?」
小野は口に咥えた煙草を危うく落としそうになりながら少年を見つめていた。

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