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8) それは恋でしょうか?

 あれから、小野は何かにつけて箱崎と連絡をとるようにしていた。夕食にいたっては、彼と一緒に食べる機会を意識して徐々に増やしていった。小野にしてみれば、 箱崎の仕事は同業の建築関係だったが内勤業務が主な仕事である箱崎を待ち伏せしたり、偶然を装うことは容易かった。
箱崎はその度に嫌な顔もせず喜び、小野に付き合っていた。これだけの日数を小野と過ごしていれば、短期間であれ、いやでも親密度は増してゆき、3ヶ月たった今では旧知の仲であったようにお互いが振舞っていた。

  ただ、小野にして見れば、いつになく慎重になっている自分が信じられかった。彼に対して何をそんなに慎重になっているのか、自分でさえもわからなかったのだ。相手が“ノーマルの男”というのが慎重に慎重を重ねる要因であったにしろ、今までに経験したことがないわけではなかったのだから、今更慎重になるのも不思議で仕方がなかった。
出逢ったその日に、関係ができたこともあったのに、箱崎に対して気を使っている自分がわからないでいた。

 ある晩、箱崎と会うことも無く早く自宅へ帰った日、ふと思い出したように小野は友人である津田のバーに行く事にした。

「よう……」
地下にある津田のバーはこじんまりとした落ち着けるカウンターバーだったが、どこか隠れ家的雰囲気があって、飲みに来る客も静かで長く居座れる場所だった。小野は細工の施された重いドアを押してはいると、薄暗いカウンターでグラスを磨いている男に声をかけた。
「いらっしゃい」
ニッコリと笑った男は小野を見つけると破顔し、小野が座る指定席にコースターを置いた。小野も心得たように指定されたカウンターの席に座り、快く迎えてくれた津田を見た。
「で、今日は何にしますか?」
悪戯っぽく笑う津田はグラスを磨きながら小野から注文を取った。
「……今日は客が少ないね?」
「はははは、いつもより早い奴が何言ってんの?」
「えっ、早い、俺が?」
「あっれぇ〜、よく言うよなぁ。それとも久しぶりに来たんで勘が鈍った?」
「どひゃ〜、久しぶりって……そういや久しぶりか、な?」
 小野はポケットに忍ばせてあった煙草を取り出し「ここは、“時代の先端” を走ってますぅ?」と津田に悪戯っぽく問うと、返事も待たずに火を点けた。
「いえいえ、ここは時代に取り残されたままですよ。いつものやつで?」と言って、津田は素早く小野の近くに灰皿を差し出すと、彼の好きなバーボンをグラスに注いだ。

「……そういや、久しぶりかなぁ、此処に来るのは……」
「そうだよ、何処か他にいいとこでもできた?」
優しく言う津田に小野は、笑いながら「いいや、そんなじゃないさ……」と、深く大きな吐息を吐いた。
「さては、色気のある場所でも見つけたかな?」
津田の言葉を聞いて、本当は悪乗りする位のはしゃぎようで答えたかったが、妙に身体に虚脱感を覚え、高揚とした気持ちも萎んでゆく感じがした。
「ところで、そっちはどうなの? うまくいってる? って野暮だったか……」
小野は元気良く開け放たれたドアの前に立つ若い男を見やりそう言った。
「あっ、いらっしゃい! 小野さん。久しぶりですね、どうしてたんですか、いままで」
ワイシャツ姿の若い男は息を切らしながら走ってきたようで、額に薄っすらと汗を滲ませ、大きな紙袋を抱えて入ってきた。
「悪いな、眞信。荷物は置いて一服してくれ」津田はグラスを拭きながら若い男に向って言った。
「相変わらず、元気いいよね、諸井くんは。でも今日は仕事じゃなかったの?」
「あ〜、俺、今日有給消化したんですよ、だから休みなんで、登志也の仕事の手伝いなんです」
「俺は、無理にしろって、言ってないぞ」
言われた事が不服のように津田は嫌な表情をし、それに対して諸井は舌をだして悪ふざけをして叱られたような子供のような顔をした。
「相変わらず、仲のいいこって……ご馳走様でした」と、笑いながら小野が言った。

 小野は津田とは大学時代に知り合った友人で、今でも付き合いが続いている。いわゆる“同じ穴の狢”だってことが主な要因でもあったのだが。津田には同性の恋人である“諸井 眞信”という年下の恋人がいる。現在二人は同棲はしていないが、既に半同棲の形だ。しかし、なぜか、津田は別居に拘り続け、諸井のたっての希望も今は叶えられていない状況だった。

「あははは……でしょ? 今でもラブラブで〜す!」
諸井は神経質そうな見かけとは違い、開けっぴろげな性格のようで、物事もズケズケと言う男だった。小野はそんな二人を交互に見やりながら大きな溜息をついた。
「どうしたんです?」
見かけと同じくらい静かな男である津田が低いトーンで小野に話し掛けた。
「……いや、特になにも」
小野の返事は津田に答えたものなのか定かではないくらい捕らえどころない感じがしていた。
「大きな溜息ですねぇ」
そう言われて初めて小野は自分が溜息をついていたことに気がついた。
「ははは、そうなのか、全然気がついてなかった」
自嘲気味な笑いを漏らして津田の顔を仰ぎ見ると、そこにはどこか不安げな表情をした津田の顔があった。
そんな二人のやり取りを見た諸井はその場の邪魔にならないようにゆっくりと二人から離れた場所に腰掛けた。

「…以前さ、“気になる男”がいるって言ってただろ?」
「?? ええ、その後、ハッテンしました?」
「うん、まぁいろいろとあってね……。なんとか知り合いっていうか友達ぐらいまでは…これでもかなり進んだ方なんだけど。あちらにすれば“大学のクラブの後輩”程度にしか思ってないんだろうなぁ……」
小野は飲みかけのグラスの縁を指でなぞりながらゆるゆると津田の答えに返事を返していた。
酒瓶
「小野が『まだ、手を握ったこともありません』なんて言うんじゃないだろう?」
「……う〜ん、それに近いような…それ、以下かも」
「……冗談にも程があるんじゃない?」
「俺、今日は至って真面目ですっ!」
「そりゃぁ…」
「『そりょぁ』の後は何よ?」
「……」
津田は小野の言葉の返事は直ぐに返さなかった。そして黙ったまま小野のグラスに飲み干されて無くなったバーボンを注いだ。

「は〜ぁっ…かつてない事態に陥ってしまって、俺自身面食らってるのも確かです。そりゃねぇ〜『サワリタ〜イ』って体が叫んでもよ? ...…心が許さないんだよなぁ。なんだが、壊してしまいそうで……。そんな時の顔も見たいような、見たくないような」
「焦ることないんじゃないですか? それとも焦る理由がある、とか?」
津田は相変わらずグラスを磨きながらそれとなく店内を見回しては視線を小野に向けた。
「そうなんだよねぇ〜、焦る必要は無いんだけど……。心配で、心配で。その人ねぇ、どうしようもなく “天然” なんで、危なっかしいだよ……わかる?」
「はははは……なんとなく、判りますよ。いろんなところから既に紐がついてしまっているんで、いつどこからかお呼びがかかって、行ってしまうかわからないって人でしょう。しかも本人には全然自覚がないってところが、最悪で、ってやつですね」

小野は津田の言葉が正に自分の心配の的を得ていたのでそのままカウンターの上に頭を抱えたまま唸って突っ伏した。
「俺さぁ…最近眠れないんだよ……。もう、悶々としちゃって」
磨かれたカウンターの上で視線を漂わせながら小野が呟くと、既に耳をダンボ状態になっていた諸井が満面の笑みを称え側にやってきた。
「やだなぁ〜、小野さん。自覚無いんでしょ?」
「「自覚ぅ??」」
カウンター内に立っていた津田と小野は声を揃えて聞き返した。
「……ってなんだよ?」
小野は未だ笑顔でいる諸井に顔を向けた。
「小野さんってもしかして初めてなんじゃないですか? “恋” ですよ、“こ・い”っ!」
今にも大声で笑い出しそうなのを押さえるようにして諸井が言った。

「……それ、言えてるかも」
グラスを磨く手を止めていた津田が思い返すように呟いた。
意外な答えに驚いた小野は素っ頓狂な裏返った声で「なんだよ〜それ?!」と叫んだ。
「絶対そうですよ、小野さん。“恋”してますよ。しかも、高校生レベルの“恋”じゃないですか? 『彼の顔を見るだけで息苦しい』って感じでしょ?」
諸井は押さえきれなくなった笑いを口の端から漏らして、両手を重ねて自身の身を捩るようにジェスチャーを加えた。
「…おい、眞信」
津田は“笑ってはいけない”と顎をしゃくって諸井に言った。

暫く『冗談はよせよぉ〜』などといって、大声で笑っていた小野も段々と声のトーンが落ち着きだしていき、終いには力が入らない笑いで誤魔化しているようだった。
「…… “恋” かなぁ……顔見ると、ドキドキするもん」小野は同意を求めるように津田を見上げた。
「……今まで経験したことなかった、とか?」
「う〜ん、ないよなぁ、多分。好きになったら一直線だったし、そんなまだるっこしい回り道なんて、俺、しねぇもん……で、この辺、ドキドキってする?」
そう言って返事をした小野を困ったように津田は見つめ、
「ん〜ん、普通はすると思いますが……。 “初めての恋” ですか……何事も経験って感じですね?」
と話し掛けると、小野は苦笑いしながら言った。
「今更経験したくもねぇよ、そんなもん。ねぇ、この歳になって聞くのもなんだけど、これってやっぱり “恋” なんだろうか?」
津田はなにやら、あさっての方向に向いたまま小野とは目を合わせないようにして、
「なんだか、すごい展開になってきましたね」と、笑いを抑えながら返事をした。

諸井は「いやだなぁ、小野さん。絶対そうですよ、絶対ですっ!」と自分の胸を叩くジェスチャーをし、津田は「これからが、正念場ですよぉ〜」と眉間に皺を寄せながら小野を見た。
小野はまだ自分の中で答えについて納得がいかないようで、しきりに首を振りながら考え込んでいた。
(……俺の“恋”ってどうなんだよ?)
と、心の中で呟く小野がすっかり夜も更けた空間にぼんやり漂っていた。

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