>> 真夜中のオシレータ > 01 / 02 / 03 / 04 / 05 / 06 / 07 / 08 / 09 / 10 / 11 / 12 / 13 / 14 / 15 / 16 / 17 / 18 / 19 / 20 / 21 / 22 / 23 / 24 / 25 / 26 / 27 > site index

BACK INDEX NEXT

6)ロンドン・コーリング

嵯峨と初めて関係した次の日、ついに高熱が出てダウンしてしまった。 会社に欠勤の電話を入れた後、飲まず食わずで昼過ぎまで布団の中でうなされていた。夕方には熱もかなり下がってきたので、大量にかいた汗をシャワーで流そうと風呂場に立った。鏡を見て、この時初めて唇が腫れてしまっていることに気づいた。体のあちこちでも筋肉痛がおきている。昨夜……普段することのないような体勢で嵯峨に組み敷かれ、執拗に唇を舐めまわされ吸われた記憶がよみがえり、熱が下がったばかりなのに顔がかっと熱くなった。嵯峨が言うところの「初めて使ったお尻」は、未だ何かが入っているような不自然な感覚が残っている。ヒリヒリする入り口周辺は切れてしまっているのだろう。ついに自分も「受け」としての人生のデビューを果たしてしまったのだ。

軽くシャワーを浴び、髪を乾かし、先日買ったドリンク剤を飲んでいると、電話が鳴った。同期の鈴木からだった。
「おい、周防美、生きてるかぁ? 今仕事終わったところなんだけど、見舞いに行くよ。何か買っていくモンある?」
「じゃあ、ミネラルウォーターと何かプリンみたいなのがいいな」
「了解。じゃあ30分位でそっち行くから」

しまった。この唇を見られるわけにはいかない。風邪で休んでいるのにこんなに唇を腫らせていたら、いくら鈍感なタイプの鈴木でも変に思うだろう。タイミング良く風邪薬におまけで付いていたマスクをつけて待っていると、鈴木がやってきた。

「大丈夫か? 買ってきたぞ、プリンと水、それとあと何か適当に持ってきた」
「ありがとう、助かるよ。ごめんね、あのデータ、昨夜できてたんだけど体調悪くなっちゃって。
発送する準備までできなくて……」
「ああ、あれくらいならお安いご用で。ところでお前、昨夜、嵯峨さんに会ったの?」
「えっ?!」
「嵯峨さん、今朝空港からお前あてに電話かけてきたんだよ。今日は休んでますって言ったら、昨夜お前が調子悪かったから車で家まで送って行ってくれたんだって? それで『仕事途中みたいだったから、鈴木君あと宜しく頼むよ』だって。なんか意外な一面を見たような」
「嵯峨さんがそんな事を…でも空港って?」
「急に出張が決まって、今朝発ったらしい。またロスなのかな」
「ふうん……。凄いスケジュールだね。昨夜も夜中まで会議してたって言ってたし」
「お前だって凄くない? 残業し過ぎたらまた組合からクレームがくるぜ。」
「だってうちはそれくらいしなきゃ終わんないもん。お前のチームが羨ましいよ」
「今度倒れそうな時は事前に言ってくれよ、手伝うからさ。じゃあ、あんまり長居しちゃ悪いから帰るわ。お大事に」
「恩にきるよ。月曜日までには復活しておくから」

鈴木が帰り、息苦しかったマスクを取った。鈴木が持ってきたコンビニ袋には、頼んだもの以外にお菓子とバナナが入っていた。シールが貼られた立派なバナナを見て、嵯峨を思い浮かべてしまった。情事の後、半ば放心状態でぐったりしている自分を片手で抱きながら、部屋の備品のティッシュで手際良く後始末をしていた嵯峨。嵯峨の高級そうなスラックスを汚してしまった自分。初めて乗った嵯峨の車。別れ際に手渡された携帯の番号。あの人はこういう事に慣れているのだろうか。出張から帰ってきたらどんな顔をして会えばいいのだろう。あれは一夜の行きずりなのか、それともまた真夜中にあの場所で密会を重ねることになるのだろうか…

「ロスって今何時なんだろう。この週末は奥さんと子供さんに会ったりするのかな……」

妻子持ちの上司とのほろ苦い不倫の後味は、プリンの甘さでも消すことはできなかった。電話番号が書かれたメモを、キャンドルホルダーに入れて燃やした。ゆらゆらと揺れる炎を見つめながら、涙の味でしょっぱくなったプリンを口に運んだ。

                * * * * * * *

次の週もいつも通り忙しく、1日中機械に向かっては帰って寝るだけの生活が続いた。おかげで嵯峨の事を考えて落ち込んだりせずに済んだ。金曜日になり、今日くらいは絶対に定時で帰ろうなどと思っていたものの、機械の調子が悪く、仕事が片付いた時には12時を過ぎてしまっていた。1人取り残された部屋の機械の電源を落として帰る用意をしていると、突然電話が鳴った。嵯峨からだった。

「周防美さん? 今、他に誰かいる?」
「いえ、僕だけです」
「良かった! イチかバチか賭けてみたんだよ。実に良いタイミングだなあ」
「そうですね、今戸締りして帰ろうとしてたところなんですよ」
「相変わらず遅くまで頑張ってるんだね。あの次の日、会社に電話したら休んでるっていうじゃない。大丈夫?」
「ええ、風邪で熱がでたんですけど、次の日には下がりました。すみません、ご心配かけて」
「あんな場所でやったから、体が冷えちゃったのかもしれないねえ。本当に申し訳ない」
「いえ、その前から風邪気味でしたから…」
「私もいろいろあってストレスが溜まってて、自制がきかなかったんだなあ、恥ずかしいよ。それで君に謝りたくて、電話番号聞こうと思ったんだけど、鈴木君には聞き出し難くてねえ。でも今日は君と話せて本当にラッキーだったよ」
「僕もお話できて嬉しいです。あの、そちらは今何時ごろなんですか?」
「夕方の4時過ぎだよ。」
「えーと、じゃあ、ロスって日本より8時間遅れなんですね」
「ロス? 私は今ロンドンにいるんだけど」
「ロンドン?」
鈴木から聞いてからずっとアメリカだと思い込んでいた。

「先月立ち上げた会社でトラブルがあって、急遽私が呼ばれたんだよ。で、土曜日から1歩もロンドンを出ていない」
「そうなんですか? 僕はてっきりアメリカで…その、ご家族にお会いになってるのかと……」
「そんな事考えてたの? ジェラシーだったら嬉しいな、ははは。だけど正直言うと、家内と息子とはもう長い間会ってないんだよ」
「アメリカで一緒に住んでたんじゃないんですか?」
「初めの1年くらいはね。話せば長いよ、国際電話でこんな話するのもどうかと思うけど」
「すみません、電話代高いのに」
「いや、君の声が聞けたから良いんだ。私は明日の夕方に成田に着く便で帰るんだけど、迎えに来てくれたら嬉しいな。
予定入ってなければの話だけど」
「予定なんてありません。絶対に行きます」
「良かった。じゃあ、JL○便で帰るから。到着時間は空港に問い合わせてね、到着ゲートで待っててくれる?」
「わかりました。じゃあお気をつけて」
「うん、君も早く寝るんだよ。じゃあ、明日」
電話を切った後、今までの会話を反すうする時間が必要だった。 明日、嵯峨さんに会える…。

明日は忙しくなりそうだ。恒例の同期の飲み会もキャンセルしなければならない。嵯峨さんの言ったように早く寝なければ……。忘れられない一夜を過ごした実験室のブレーカーを落とし、オフィスの鍵を閉めて、家路を急ぐ。1週間かけて嵯峨を忘れようとしていた自分はどこかへ消え、あの笑顔に会えるのが待ちきれない自分がそこにいた。

BACK PAGETOP NEXT

Designed by TENKIYA