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19)蠍座の男

「いやぁ、周防美さん来てくれて本当に助かりましたよ」
「こちらこそ、お役に立てて良かったです」

この一週間、休憩時間以外は機械の前で座りっぱなしだった。嵯峨が左遷した同僚の仕事が全部自分に回ってきたのは閉口ものだったが、それが榎田と一緒に仕事が出来るきっかけになるとは思いもよらず、逆に嵯峨に感謝したいくらいだった。

「じゃあもうそろそろ帰りましょうか」
時計を見ると、時刻は12時を過ぎていた。
「はい。あっ、でももうこんな時間…ホテルのチェックインに間に合わなくなっちゃった」
「えっ、チェックインまだだったんですか?」
「ええ、9時ごろまでには仕事が終わると思ってたので、後回しにしてたんですよ。すっかり忘れてたなぁ。あのホテル、平日は空きがないと思うので、榎田さん、僕ここで泊まらせて頂いてもいいですか? 守衛さんに絶対ばれないようにしますから」
「とんでもない、うちに出張に来て貰ってるのにこんなところで夜明かしさせるなんて。それに無申請で徹夜がバレたら組合から警告食らっちゃうんですよ。周防美さんさえよかったら、うちに泊まりませんか? ホテルみたいに快適じゃないですけど、実験室よりはずっとマシですよ」
「えっ…榎田さんのお宅にですか?!」
「ええ、ここから徒歩20分ほどです。古びた賃貸マンションなんですけどね」

出会ってから半年余り、こんなに早く榎田の家に上がるチャンスが出来るとは思っていなかったので、テンションが急に上がってしまい、榎田のマンションまでの道すがら、何を話したかもよく覚えていなかった。榎田の自宅は、築年数は古いが室内は掃除が行き届き、物が整然と並べられていた。まともに食事もとっていなかったので、リビングでコンビニで調達した惣菜を食べる事にした。ローソファーに座ると、目前の壁に縦縞のユニフォームを着たプロ野球選手のパネルやサイン入り色紙が飾られているのが目に入った。

「榎田さん、阪神ファンなんですね」
「ええ、ええ、私は生まれた時から虎キチなんですよ。周防美さんはどこのファン?」
「僕、あんまりプロ野球は知らないもので…」
「はは、プロ野球って何かオッサン臭いですもんねぇ。じゃあサッカーとかの方が好き?」
「ええまあ…学生時代はサッカーやってましたから。阪神ファンって僕には関西のイメージがありますけど、榎田さん、関西人じゃないですよね?」
「ええ、私は九州の出身です。地元に事業所があったからこの会社選んだようなものなのに、10年前にそこが閉鎖して大阪勤務になっちゃってね。それまで定時で仕事終わったら、工場のグラウンドで野球の練習して、その後飲みに行って、みたいなのんびりした生活してたんですよ。ここに来てもう10年になるけど、未だにこっちの人の会話や突込みの早さにはついていけないなぁ」
榎田は、懐かしそうな、寂しそうな目をして、缶ビールを飲み干した。

初恋のおじさんも野球が好きだった。公園で一緒にキャッチボールをした後、夕方からはテレビでプロ野球の試合を、ビールを飲みながら観戦していた。おじさんの膝の上は自分のポジションだったが、彼が夜を共にしたのは若い男の恋人だった。あの時自分はまだ子供だったが、今は違う。嵯峨と付き合ってきたおかげで、そこら辺の風俗嬢に負けないくらいのテクニックはある。榎田さえその気なら……。自分はそんな下心でいっぱいなのに、榎田は、缶ビールを2本飲んだだけでテーブルに突っ伏してしまった。
「周防美さん、私ね、お酒弱いんですよぉ……。だ、から、勝手にお風呂入って、寝ちゃってくらさいねぇ……」
と言ったきり、動かなくなった。

自分より小柄とはいえ、この男を隣の寝室まで運ぶのは大変そうだったので、何とか後ろのソファに上げて寝かせた。完全に熟睡しているこの男を自由にできるチャンスだったが、自分から襲う気にはなれなかった。合意の上で、相手の方から襲って欲しい。嵯峨と初めて結ばれた時のように。
本来自分が寝るはずだったソファに榎田を寝かせたので、自分はフロアに寝ることにした。 榎田の寝室から拝借してきた布団に身を包むと、榎田の匂いに包まれた気がした。今、これ以上を望むのは欲張りなのだと自分に言い聞かせながら、眠りについた。

翌月も、同様の仕事の依頼が榎田から入った。日程の調整はメールでもできるが、榎田の声が聞きたかったので電話をした。
「今月は2週目辺りにお伺いしたいんですけど」
「2週目はねえ、私、誕生日で強制的に有休取らされるんで、何日かは不在なんですよ」
「へえ、榎田さん、11月生まれなんですか?」
「ええ。お気の済むまで笑うがいいわ、ってやつで」
「え?」
「はは、美川憲一の『蠍座の女』の歌詞ですよ、そうかぁ、若い人はこれ知らないんだ」
11月は嵯峨の誕生月だ。年齢以外に全く共通点のなさそうな二人の男は星座が同じだった。もっとも自分は星座に詳しくないので、何が共通なのかはわからないが。

2週目に入って大阪に行ったものの、榎田とスケジュールが合わず、一度打ち合わせをした以外は顔を見る事もできなかった。榎田がいる時と余りにテンションが違っていたのか、「周防美さん、今回は榎田さんがいなくて寂しいですねぇ」と、榎田の部下の女子社員にからかわれてしまった。ホテルに帰り、退屈しのぎにネットをしていると、携帯にメールが入った。同じく大阪に出張に来ているらしい阿部からだった。嵯峨は前の週から海外出張に行っており、そろそろ人肌恋しい時だったので、翌日会う事にした。

「大阪で会うの、あの時以来だね」
「そうだっけ? いろんな所で会ってるから覚えてないなぁ」
小洒落たワインバーで食事をした後、阿部が常宿としている大阪駅前のシティホテルに帰った。何気にロビーにたむろしていた一群を見て一瞬目を疑った。その中に嵯峨がいたのだ。
「何で今、ここに、大阪にいるんだよ!?」
思わず阿部の腕を引いて、柱の影に隠れた。訳がわからないが、目の前にいるのは、確かに今アメリカにいるはずの嵯峨だった。

「えっ?! 周防美さんの彼って、嵯峨さんだったの?!」
「知ってるの?」
「当然でしょ、同業者なんだから。僕があの会議に参加した初めの頃は嵯峨さんが議長でしたよ。へえぇ、でもあの人って非の打ち所ないじゃない? きっと、チンコだって大きいでしょ?」
「デカさも剥け具合も外人並みですよ」
「じゃあ、あんな素敵な彼氏いながらが浮気するなんて、周防美さんって、悪い男だなあ」
さっきまでのやる気は一気に萎え、目前の現実に頭がクラクラする。
「まさか周防美さん、怖気づいて帰るとか言うんじゃないよね? 周防美さんの彼氏があの人だって判って僕、俄然ヤル気がわいてきたなあ」
「僕の方は萎え萎えです。想像してみてよ、あの人を怒らせたらどんな事になるか…」
「ばれなきゃいいじゃん」
「絶対ばれるってば、僕すぐ顔に出るんだから」
「何なに? いつもは余裕な態度なのに、急にしおらしくなっちゃって。僕ら今まで何回エッチしてきたって思ってるの?」
「じゃあ聞くけど、阿部さんはこのシチュエーションで奥さんに遭遇したらどうする?」
「何にも。彼女が気付いてなかったらこのまま部屋に行って周防美さんとズコバコやっちゃうよ」

本当は怖気づいているのではない。嵯峨の姿を目前にしたら、阿部よりも嵯峨に抱かれたいと思っただけだ。だからと言って、帰国しても自分に連絡してこなかった嵯峨に連絡する気もしないし、自分が必要な時はいつでも抱いてくれる阿部を放っておくのも悪い気がする。ここは予定通り、阿部と一夜を共にしなければならないだろう、絶対に痕跡を残さないように念を押して。嵯峨に遭遇したことで燃え上がった阿部の、いつもより激しく執拗な愛撫に身を任せ、いつもより大きな声で鳴いた。

翌日も仕事をして、最終の新幹線で東京に戻った。アパートには嵯峨が先に帰っていた。
「お帰り、裕貴。最近大阪出張が多いみたいだな」
「誰かさんが前任者を飛ばしたせいだよ。帰国は来週じゃなかったっけ?」
「いや、急な予定が入って、昨日大阪に着いたんだ」
「大阪に? だったら連絡してくれたらよかったのに」
「連絡してたら会えたのか? お前だって仕事があるだろうから、遠慮したんだよ」
「来週帰ってくると思ってたから、プレゼントまだ買ってないのに」
「プレゼントって、何の?」
「崇の誕生日」
「ああ、そういえばそうだった。よく覚えていてくれてたね」
「今年は高価な時計を買っていただいたので、お返しは奮発しなければいけませんので」
「あれはほんの気持ちなんで、お気遣いなく」
「そんな訳にはいかないよ。何か欲しいものリクエストしてよ、一応」
「そうだねえ、じゃあ、久々にディープスロートでもお願いしようかな」
「そんなので良いの? 安上がりだねえ」
「でも、それはお金では買えないよ。私が欲しいものはお前だけだから」
「今すぐして欲しい?」
「して欲しい」
「もう洗ってあるの?」
「洗ってない」
「じゃあ、洗ってきてよ」

嵯峨は上機嫌でシャワーを浴びに行った。榎田は誰とどんな誕生日を過ごしたのだろう。榎田は恋人にディープスロートをねだったりするのだろうか。そんなことを考えながら嵯峨が散らかした荷物を片付けた。嵯峨はまだシャワーを浴びている。『蠍座の女』を鼻歌で歌いながら。

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