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10)クリスマス・ツリー

一度嵯峨の家に泊まってからは、週末は自分が嵯峨の家に通うのが自然の成り行きとなったが、同僚が近所に住む社員寮に嵯峨を迎える事には限界がきていた。嵯峨は自分のマンションで同居する事を望んだが、正式に離婚していない男の家で同棲する気にはなれなかった。

「でも、私はこの年まで一人暮らしをしたことないから、寂しいんだよ」
寂しい……一番似合わなそうな言葉を口にした。
「奥さんと別居してからは一人じゃなかったの?」
「男と住んでたよ」
「なるほどね……で、その人とはどうなったの?」
「帰国が決まったと同時に別れた」
「そんなにすぐに気持ちを切り替えられるものなのかな」
「それを前提に付き合ってたからね。私は裕貴に出会うために帰ってきたんだから、裕貴と暮らしたい」
「じゃあ、僕が崇の近くに引っ越しするから、崇が通ってくれば? 家賃が何倍にもなっちゃうのは痛いけど」
「それは私が負担するじゃないか。私と付き合わなければずっと寮にいたわけだし」
「要らないよそんなの。囲ってもらうみたいじゃない」
「」

引越し先は、会社と嵯峨の家の中間辺りの町で、駅から遠い事以外は好条件の物件だった。ここならベッド以外の場所で格闘する時の騒音に以前ほど気を遣わなくても済むしだろうし、声が大きいからと嵯峨に口を押さえられる必要もない筈だ。どこに住むことになったとしても世間の目は気にしなければならないが、寮ほどは神経を尖らせなくても済むだろう。

このアパートで半同棲の生活を始めてから5年の月日が過ぎ去った。最初は嵯峨のする事を一々恥ずかしがっていた自分もいつしか、自由奔放なゲイライフを謳歌してきたパートナーに相応しいレベルの「受け」として開発されていった。最高な相性のセックスは、多忙を極める仕事のストレスに押し潰されそうな時でも、精神と肉体の両方で生きているという実感とやすらぎを与えてくれた。それは二人の関係において、絶対的で、最も重要な部分だと嵯峨は言い切り、自分もそれに異論はなかった。だが、この関係を揺るがす出来事が、二人を待ち構えていた。

               *******************

毎年11月を過ぎると嵯峨は、自宅にある大きな白いクリスマス・ツリーを飾りたがった。嵯峨家の備品を使うのは気がすすまなかったが、年に一度しか使わないものをわざわざ買う気にもなれなかったので、毎年それを飾っていた。その日は嵯峨が2週間の海外出張から帰る日だった。帰ってきてお気に入りのツリーが飾られていたら喜ぶだろうと思い、朝から嵯峨のマンションまでそれを取りに行った。ツリーをしまってあるウォークイン・クローゼットには、衣装持ちの嵯峨のスーツと並んで、アメリカに住んでいる妻の衣服が整然と掛けられていた。それらからは嵯峨のものとは違う、女性用の甘い香水の匂いが漂っていた。ツリーとオーナメントの箱を抱え帰ろうとしていると、いきなり玄関ドアが開いた。嵯峨が1本早い便で帰ってきたのかと思ったが、姿を現したのは金髪の中年の白人女性だった。面識はなくとも誰なのかは一目瞭然だった。

「まあ、ごめんなさい、誰もいないと思ってたから、黙ってドア開けちゃって」
何年か振りに帰ってきた家に知らない男が上がり込んでた事には微塵も驚く様子はなかった。自分の方は心の準備もなく「本妻」に突然遭遇したショックと、目前にいる「外人」が余りに流暢な日本語を話した違和感がミックスされて、頭の中がぐるぐる回っている。
「ぼっ、僕、嵯峨さんの部下で、周防美と申します。会社でいつもお世話になってます」
「ああ、会社の方なの? こちらこそ主人がお世話になってます。私は、嵯峨の妻でクレアといいます。貴方、崇のボーイフレンドよね?」
「えっ!? あのう…そう、です。でも、今日は荷物を取りに来ただけで、ここに住んだりはしてませんから……」
その名が示すとおり聡明な雰囲気を持つその女性は、まじまじと自分の顏を見つめていたが、やがてプッと噴出すとこう言った。
「フフ、ごめんなさいね、貴方の事を笑ったんじゃないのよ。あの人、相変わらず面食いなんだなあと思って可笑しくなっただけなの。付き合ってるのならここに住んでてもいいじゃない? 私に気を遣う必要はないわ」
そう言った後、自分が抱えていたツリーの箱に目をやった。
「そのツリー…。 なぜか、あの人それが大好きなのよね。オーナメントいっぱい付けたがって、子供みたいに。全然変わってないのね」
明るい空色の瞳が遠い目になっていた。

せっかくだからと昼食に誘われたが、丁重に断って逃げるようにその場を立ち去り、ツリーをバイクに載せて持ち帰った。帰ってすぐ、その箱を開けてみた。去年も、一昨年も開けたはずのそれは、今年は違うものだった。この中には嵯峨とあの女性が夫婦だった頃の思い出が詰まっていたのだ。ずっと前からそうだったのに、今頃気付いた自分が馬鹿に思えた。何だかいたたまれない気分になり、冷蔵庫にストックしていたプリンを食べた。食べても何も変わらなかった。嵯峨と付き合ってからは、こんな気分になったことがなかったので、どう対処したらいいのかも忘れてしまっていた。昔なら…そう、バイクに乗って遠くまで走り、風に当たって頭を冷やしていたっけ……。

すっかり夜遅くなって帰宅すると、嵯峨はもう帰っていて、予想通りツリーを飾っていた。この男は何を想いながらそれを飾っているのだろう。
「遅かったな、裕貴。行き先も言わないで出かけたら心配するじゃないか。ツリーの箱ひっくり返ったままだし。何かあったのか?」
いつもの様に腰に手をまわしてキスしようとしてきた。とてもキスする気にはなれなかったので顔をそむけた。
「何で、何かあったって思うの?」
「プリンを3つもヤケ食いした後がある。お前の行動パターンは本当に分かり易いからなあ」
「今日、崇の奥さんに会ったんだよ」
「クレアに? どこで?」
「崇の家で。ツリー取りに行った時」
「へえ……でも何で?」
「何でって、それはこっちが聞きたいんだけど。奥さんが帰国してるの知ってたんじゃないの?」
「知るわけないだろう。彼女は帰国する時は実家に帰るし、いちいち私に連絡して来ないさ」

険悪な空気の流れをやっと読んだのか、嵯峨はキスするのを諦め、タバコに火をつけた。
「で、あいつに何か言われたのか?」
「別に」
「じゃあ何か嫌がらせでもされたのか?」
「何も。感じの良い人だったし」
「じゃあ問題ないじゃないか。何が気に入らないんだよ?」
「分からない」
「分からない?」
「分からないんだよ、何にも! 奥さんが帰ってきたらどうなるのか、帰ってこなくても、これから先どうなるのかも、今どうしたらいいのかも、もう何も分からなくなっちゃったんだよ」

嵯峨はタバコの煙を目で追いながら暫く考え込んでいたが、やがてわざと落ち着かせるような声で言った。
「なあ、裕貴。私も知らなかったとはいえ、いきなりクレアに遭遇してびっくりさせたのは謝るよ。今は子供の事とか事情があってすぐには離婚できないけど、私達が縁を戻す事は絶対にないんだよ。私にはお前が全てだし、これから先もずっと一緒にいたいと思ってる。言わなくても分かってると思ってたから言わなかったのは間違いだったのかな」
そう言った後、タバコの火を消してこちらに歩み寄り、優しく抱きしめられた。
「どこまで走って来たんだ、体が冷え切ってるじゃないか」
気の向くままに走って来たから覚えていない。
「今日はかなりナーバスになってるようだから、お前のいう通りにするよ。帰れって言うんだったら帰るし……」

家に帰るまでは顏も見たくなかったはずだ。だが、ここで帰してしまったら、この男を永遠に失ってしまうような気がした。自分の事を全てだと言っているこの男を、今更手放すことなんてできない。
「どうする? 冷却期間が必要だって言うんなら…」
「…して」
「え?」
「2週間分して。崇がいないから、僕、溜まってたんだよきっと」
さっきまで神妙な面持ちをしていた嵯峨のテンションが急上昇するのが分かった。
「2週間分でも3週間分でもさせて頂きます。その前に体が冷えてるからお風呂で暖めてあげるよ。私もお風呂は2日ぶりだなあ。」
「じゃあ崇が先に体洗わないと、フェラしてあげないからね」
「わかったよ」
「歯もちゃんと磨いてね」
「はいはい、帰国後は検疫が厳しいですねえ」

嵯峨は2週間のブランクを埋めるように執拗に攻めてきた。それで機嫌が治った振りを出来るほど、自分は成長していた。打算的になったと言うべきだろうか? 街灯の明かりに照らされ青白く浮かび上がるクリスマスツリーを眺めながら、嵯峨の妻の事を考えていた。嵯峨は何も分かっていない。彼女はまだ嵯峨を愛している。この先、彼女と闘う事になるのだろうか…。しかし、闘う相手は他にいた事を、この時はまだ知る由もなかった。

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