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9)蜜 月

嵯峨と付き合うようになってからも、平日は相変わらず長時間労働で会社と寮とを往復する日々だったが、週末には嵯峨と過ごす甘い時間と激しいセックスが待っていた。出張などで週末に会えない時は、嵯峨が夜遅く寮にやってきた。男同士、職場恋愛、そして不倫。こんな三重苦の恋愛をすることになろうとは考えもしなかった。いくら嵯峨が型破りな人間でも、二人の関係を公にする事はできない。周りに気付かれないよう細心の注意を払いながら、逢瀬を重ねる蜜月の日々が続いた。

秋も深まったある日、嵯峨の同期である田中の送別会があった。嵯峨の過去の話など聞ける事を期待していたが、都合良く初っ端から嵯峨の話題になった。

「嵯峨さんは、オフでは結構気さくでいい人なんだよ。昔は組合の行事にも積極的に参加して、面倒見も良かったし」
「じゃあオンの時とは別人な訳ですね」
日頃、嵯峨からこき使われている鈴木が怪訝そうに言った。
「でもあの人も結構苦労してきてるんだよ。入社当時は、技術職採用の中でも将来の社長候補のトップだと言われてたんだけど、ストレートな物言いが役員に気に入られなくてアメリカに飛ばされたんだよ。向こうでライバル社に引き抜かれる噂があったら、今度はいきなり日本に呼び戻されたし」
「あの人外人みたいだから外国にいた方がよさそうなものなのに。奥さんも外人だし」
「ええっ?!」
自分が一番大声で反応してしまったらしい。
「何で周防美さんがそんなにびっくりするのよ。知らなかった? 嵯峨さんの奥さんアメリカ人なのよ。金髪ですごい美人」
宴会の席で、いつも自分の隣に陣取るお局様が言った。

考えてみれば、自分は嵯峨の事を何も知らない。嵯峨は自分の過去の事を語ろうとはしないし、自分も進んで聞こうともしなかった。仕事で頻繁に使っているソフトの幾つかを作ったのが嵯峨だという事も、付き合い始めた後に人から聞かされて初めて知ったほどだった。

「まあ鈴木さん、厳しくされてるのは見込まれてる証拠だよ。使えなくて切られた人もいるんだから。明日から嵯峨さんのお付きで大阪だっけ?」
「それがラッキーな事に、嵯峨さんが風邪でダウンされたんでキャンセルになったんですよ」
「風邪?!」
「周防美さん、今日はよくびっくりするわね。嵯峨さん一人暮らしだから大変よねぇ、私お見舞いにいってあげようかしら」
冗談とも本気ともつかない口調でお局様が言った。

宴会が終了し、急いで嵯峨に電話をした。
「大丈夫? 今からお見舞いに行こうか?」
「来てくれたら嬉しいけど、今からだったらそっちに帰れなくなっちゃうよ」
いつもの張りのある声が掠れている。
「僕、明日午後から出勤してもいいし……」
「ということは、うちに泊まってくれるのかな、いつも嫌がってるのに?」
「風邪引いて寝込んでるって聞いたら行くよ」
「おお、嬉しいなぁ、平日に裕貴と逢えるなんて」
「じゃあどっかで買い物してから行くね。何か食べたいものある?」
「裕貴のちんちん」
「……それ以外でだよ」
「は、はは。それ以外は要らない、食欲ないんだ。何か果物でも買ってきて」
「じゃあ適当に。駅についたらまた電話するから」
向こうは風邪を引いていても自分を食べる気らしい。そして自分は食べられるために、夜遅く電車に乗って行く。

嵯峨の家に行くのはこれが初めてだ。海外に赴任する前に妻と住んでいたという家に足を踏み入れたくなかったので、今まで行くのを拒んでいたが、一人暮らしの嵯峨が寝込んでいると聞いては、見舞いに行かないわけにはいかない。だがそれだけだろうか。それまで嵯峨の家庭について、お互いに話をしようとはしなかった。この数ヶ月、相手が妻と現在どういう関係でいるのかを知らない状態で愛し合う事は、宙に足が浮いているようで居心地が悪い面もあった。今日は思いきって聞いてみようか? 嵯峨は嫌がらないだろうか?

マンションにたどり着き、ドアホンを鳴らすと、すぐにドアが開いた。今日の宴会の話題の中心だったエリート上司が、いつになくやつれた表情で現れた。ドアを閉めるや否や、強く抱きしめられ、貪るように唇を求められた。持ってきた紙袋が床に落ち、果物が転げ出た。三日前に1日中抱き合って過ごしたばかりなのに、もう互いの体を確かめ合いたがっている。
「……風邪うつっちゃうよ」
「うつされに来たんだろう?」

寝込んでいるどころか、実は仮病じゃないかと思うほど、敵はいつも通りに攻めてきた。しかし、普段ならひんやりと冷たい引き締まった尻や腹筋に触ると、自分の名を呼ぶ吐息と同じくらいに熱かった。
「っあ… 崇、かなり…熱があるんじゃない… こんな事してて、大丈夫?」
「熱があるから、こんな事しないとだめなんだよ。私にとっては、裕貴が一番効くビタミン剤なんだから」
そう言って、玄関に転げ落ちたままにされている果物からでなく、一番食べたかった若い恋人からビタミンを搾り取り、美味しそうにごくりと飲んだ。

自分の方は、2か所の口から嵯峨のビタミンを補給したことになるが、これには脱力感がつきものだった。おまけに今日は酒が入っているので、また先に眠ってしまいそうになった。
「田中さんの送別会で、崇が風邪で休んでるって聞いたんだよ」
「明日の出張がキャンセルになって、鈴木が喜んでただろう」
「崇にシゴかれてるってボヤいてたよ。」
「何でだよ。私は裕貴以外は扱かないぞ」
「ははは。扱き方が違うじゃない」

鈴木と比べれば、嵯峨に猫可愛いがりされている自分は、美味しいところ取りなのかもしれない。会話の上では、トップレベルの技術者の頭脳と豊富な経験が同じ技術者の端くれである自分の知識欲を満たし、ベッドの上でもまた、豊富な経験と人並み外れた情熱でもって若い日の性欲を満たしてくれた。ただ、いつまでもそんな蜜月が続くはずがないという不安が、最初からずっと付きまとっていた。今日嵯峨に問いかけようとしたその事は、両思いでいられるだけで幸せだった幼い自分からの脱却を意味していた。

「今日は田中さんの送別会だったのに、崇の話ばっかりだった」
「おかげでくしゃみが止まらなかったよ。どうせ悪口言ってたんだろう」
「崇の奥さんって、アメリカ人なんだ」
「そうだけど。言ってなかったっけ?」
「聞いてない。アメリカで最初の1年くらいは一緒に暮らしてた、しか聞いてない」
「聞かれてたら答えてたさ。両親は北欧系のアメリカ人だけど、日本で生まれ育ったから、中身は全くの日本人、みたいな人だよ」
「どこで知り合ったの?」
「大学。後輩だったんだ」
「どっちがプロポーズしたの?」
「彼女の方だよ。私の頭脳とルックスが好きだからそのDNAが欲しい、ゲイでも良いからって。私も結婚という隠蓑があればと思ってた。でもね、結婚は、そんな打算でするもんじゃないんだよ。壊れた時に受けるダメージが大き過ぎるから」
ため息混じりにそう言ってタバコを吸い込んだ後、苦しそうに咳き込んだ。

予想に反し、険悪な雰囲気になることもなく、嵯峨はあっさりと妻との話を始めた。もう別居生活も長いことだから、感情的になることもないのだろう。まだまだ聞きたい事はあるものの、見舞いに来ておきながら、テンションの下がる話をさせてしまったことに罪悪感を感じてしまった。
「ねえ、崇。今日はもうこのくらいで勘弁してあげる」
「助かるね」
「だから、風邪引いてるのにタバコ吸うのは止めて、もう寝ようよ」
「なんだ、これからまだ扱いてやろうと思ってたのに」
「扱くなら、会社で鈴木をシゴいてやったら? おやすみ」

先に眠ったことのない男の寝息が聞こえてきた。この男のDNAを手に入れた女の代わりに、今は自分がその腕の中で眠る。かつて夫婦が寄り添い眠ったそのベッドで。

「こういうのを大したタマっていうのかな……」
顔を見上げ、声に出して言ってみた。そう言う自分のタマを握って嵯峨はすやすやと眠っている。
「本当に、心底これが好きなんだねえ、ちんちんが…」
肌寒い夜だったが、いつもより高い嵯峨の体温に包まれて眠りに落ちた。大事なところを握られたまま……。

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