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26) ネコのきもち - 後編 -

阿部の日曜日のスケジュールは、妻がカルチャースクールでバレエ講師として働いている間、5歳の一人娘を英会話とピアノのレッスンに連れて行き、娘を妻の実家に預けてからジムでトレーニングするというものだった。トレーニング場所がジムからラブホテルに変更されるのは、久しぶりのことだった。

そんな男との密会の日、昼間は引越しの準備に費やし、夕方には新宿2丁目にある待ち合わせのカフェに出向いた。北欧風のインテリアが洒落たその店は、特別ゲイ客の割合が高いというわけでもなかったが、隣の席にいる気取った白人ゲイカップルを見て、嵯峨と昔パリの紅茶専門店に行った時の事を思い出したりした。あれは何年前のことだっただろうかなどと考えていると、約束より20分ほど遅れて阿部が現れた。約1年ぶりに会うセフレは、相変わらずイイ男だった。学生時代にアルバイトでファッション誌のモデルをやっていたというだけあって、風合いの良い薄手のシャツとパンツといったごく普通の格好でも非常に洗練されて見えた。周りの客が、男女問わずこの元モデルをチラ見するのが可笑しかった。

「周防美さん、お久しぶり。遅くなってごめんね、奥さんの実家からの帰り道が混んじゃってて。去年よりちょっと痩せた?」
「体重は減ってないけど、最近真面目にジムに通ってるから、締まったんじゃないかな」
「へえ、それはいろいろと楽しみだなぁ。じゃ、この後がっつり頑張るために、ここでエネルギー補給しておきましょうか」
にやりと笑った阿部の目の輝きは、スタイリッシュな服一枚の下は欲望で溢れかえっていることを示していた。

お互いの近況などについて話しながら、この後の全力疾走もののカロリー消費を補うため、パスタやサラダで少し早い夕食をとった。店を出た後は阿部に連れられるまま、二丁目のラブホテルへと歩いていった。出張先で会っていた頃は、お互いが宿泊するビジネスホテルで事に及んでいたが、本来そういう目的で使用する場所ではないので、色んな点で気を遣う。ラブホテルだと気を遣う必要はないのだが、「ゲイカップルお断り」の店もあるので店探しが困難だ。阿部が選んだのはお仲間の間では評判のホテルだった。
モーテル
「ここはちょっとお高いけど、ゲイフレンドリーでクチコミ高得点なんですよ」
この店は初めてだと言いながら、阿部は軽い足取りでさっさと入り口へ向かって行った。
嵯峨とホテルに行くときは必ず車なので、歩いて入り口から入るのは初めてだった。待合室でノンケのカップルと顔を合わせることとか、そのノンケが知り合いだったらどうすれば良いのかなどと考えていたが、ピーク時には少し早かったらしく、受付して直ぐに部屋を案内された。
部屋へ向かうべくエレベータのボタンを押すと、ほどなくエレベータが1階に降り、扉が開くと男性二人組が降りて来た。片方の男がすれ違った後に素早く振り返った気配がした。こういう時に他人の顔などを見たくはないが、つられて振り返ってしまうと、何とその男は部下の春原だった。互いの顔を確認してびっくりした後、すばやく視線を互いの連れに移動し、今度は互いの連れが「男」だということを確認したのだった。こんな所で挨拶するわけもなく、どちらも無言でそのまま通り過ぎた。

職場の人間、しかも一番会いたくなかったかもしれない春原に会ってしまった。ショックで、心拍数が急上昇し、膝に力が入らなくなった。部屋に入ったとたん、閉めたドアを背にもたれ、へなへなと座り込んでしまった。
「あのう、阿部さん、ちょっと僕、急に身体の調子が…」
「何、血の気の引いた顔して? あそこに全部血が集まっちゃったんで脳貧血起こしたとか? ハハハハ」
「実はさっき降りてきたカップルの片方ね、僕の部下なんだよ」
「へえ、世間は狭いもんだねえ。でもさっきのも男同士だったでしょ? バレたのはお互い様だから問題ないんじゃない?」
「ばれるばれないの問題じゃなくて、何ていうか……僕もう、ヤル気が……」 
萎えてしまったので帰りたい、と言おうとすると、阿部は、呆れたようにため息をついてしゃがみ込み、ギラギラした目で顔を近づけて言った。
「休日のイクメン呼び出しといて、まさか一発もヤラせないで帰る気じゃないよね?」
そう言うと、阿部はおもむろに立ち上がり、素早い動作で下半身を剥き出しにした。クローゼットなゲイにとっての最大のピンチを迎えているこの時でも、目の前に逸物を差し出されれば、躊躇せずにそれを咥えてしまうネコの習性は健在だった。そう、今日ここにこの場所にいるのは、この熱い肉の塊が欲しかったから。それ以外の何ものでもないのだ。開き直ると誰にも止められない勢いで、シャワーも浴びず、もつれながら天蓋付きのベッドへとなだれ込んだ。

気まぐれなセフレへのお仕置きのつもりか、はたまた無類の男好きでありながらマイホームパパを演じざるを得ない自身のストレスからか、この日の阿部の攻め方は執拗だった。シックスナインで何度も寸止めされて泣かされた後は、いつにも増して乱暴にバックでガンガン掘られた。
おかげで、性欲が高まってもそれが持続せず不完全燃焼気味だったのが嘘のように、感じまくってしまった。
「あぁぁ、あんっ、あんっ、阿部さん……もうダメぇぇ! は、早くイかせてぇぇぇ……」
「ハァハァハァ、どこが『萎えてる』だよ。全身が……ハァハァ、性感帯になっちゃってるくせに、この淫乱ネコが」

阿部の腹と自分の尻がパンパンとぶつかる音、飛び散る精液とローションがぐちゃぐちゃになった水音。男二人の悩ましいあえぎ声が交錯する空間でみっちり2時間運動した後、シャワールームで互いの汗と体液を流し合った。つい先ほどまで生けるバイブレーターと化していた阿部は、身づくろいをしてもとのイクメンの姿に戻っていた。

「今日は最高にいやらしくて良かったですよ、久々にきれいなお尻も堪能できたし。ほんと嵯峨さんって幸せ者ですねえ」
「阿部さんの奥さんだって幸せ者じゃない、エリートでイケメンでセックス上手な旦那がいるんだから」
「僕はエリートじゃないですよ。うちの奥さんセックス好きじゃないらしくて、子供できてからは殆どセックスレスでねぇ。結婚した一番の理由は子供が欲しかったからだとか言ってるし」
「実は奥さんの方も偽装(結婚)だったりしてね」
「そうだったら僕も罪悪感感じないでハッテンできるんだけどなぁ」
「ノンケパパとバリタチの二重生活か。両方楽しめていいよね」
「両方できるからこその悩みもあるんですよ。隠れ蓑のための結婚でも、夫婦の情ってものもあるし。そこのところは、嵯峨さんだって同じ思いをしたことがあると思うけど」
「悩んだ末に離婚して、選んだ男が内緒でこんなことしてるなんて、崇もどうしようもないよね」
「そうかなぁ、嵯峨さんだってモテモテだし、今だってどうしてるか分からないよ? 私でも一度お願いしたいくらいだし……」
「阿部さんは崇の好みじゃないよ」
「フフ、それって自慢? でも、周防美さんも嵯峨さんも好きモノ同士なのに、なんでレスになるわけ?」
「それはもう、長ーい倦怠期だから……」
「もうお互いに飽きちゃったとか? 結婚してないんだから別れるのだって簡単じゃない」
「ゲイカップルにはゲイカップルの情ってものがあるんですよ」

回を重ねるごとに罪悪感が薄くなり、単なる排泄行為と割り切る阿部とのセックスは、いつも「欲しいのはこれではない」ことを再確認させられて、後でもんもんとする。加えて「嵯峨さんだって今どうしてるかわからない」という阿部の言葉が不安を掻き立てた。阿部とはホテルを別々に出た後、精神的には全く有意義でない過ごし方をした日の締めくくりだけでも有意義にしようと、そのまま二丁目に残ってケンちゃんの店に顔を出すことにした。

嵯峨の馴染みのゲイバーでの思いがけない再会の後、ケンちゃんが「アキコママ」として経営する店には一度しか訪れたことがなかった。25年以上前、自分が好きだったおじさんと3人で擬似家族として過ごした日々をケンちゃんも懐かしく思っていたらしく、再会後は母性本能が蘇ったのか、すっかり母親気取りだった。「たまにはお店に顔を出しなさい」というメールが盛んに送られてきたものの、2丁目によく行くわけではないので空返事を続けていたのだった。

ケンちゃんは、昼間は茶道、華道、日本舞踊の先生として働き、夜は二丁目の店でママとして深夜まで働いていた。日本舞踊の師範だった母親に幼い頃から厳しく芸事を教え込まれたというケンちゃんは、学生時代は母親に反発するようにスポーツに打ち込み、大学卒業後は実家と縁を切って生活していたらしい。大手企業でサラリーマンとして働き、早期退職で得た退職金でこの店を開いたが、数年前に貢いでいた若いホストに逃げられて借金だけが残った。「芸は身を助く」のごとく、皮肉にも縁を切ったはずの芸事のおかげで、何とか店を手放さずに済んでいるのだった。

「あ〜重い。全部買って来たわよ、ママ」
店子がお使いから帰ってきたのかと思って振り返ると、なんとそこには春原がいた。
「あれ? 周防美さん、今日はよく会いますねぇ」
ホテルでの遭遇といい、今日は呪われているのか天罰なのか。
「あら、あんたたち知り合いなの?」
あまりびっくりした様子もなくケンちゃんが言った。
「このイケメンさんはアタシの会社の上司よ、ママが知り合いだったなんてビックリ〜。てか、なんで周防美さんがこんな場末のババアの店に?」
「ババアの店でいつもタダ酒飲んでるのは誰なのよ。買って来た物をさっさとしまいなさい」
嵯峨との関係が春原に知られているのではという不安は、ケンちゃんが「そんなこと言うわけないでしょ!」という目で口を出したことで一応収まった。しかし、カミングアウトする気がなかった相手にどんな対応をすればよいのか分からず、頭の中は引き続き混乱していた。

「あ、俺、このママの甥っ子なんすよ。人使い荒くってねえ、二丁目で遊んでるってわかったら、いつも店手伝わされるんですよ。周防美さんこそ、あれから3時間……フフフ、ちょっと頑張り過ぎたって感じ? 彼氏超格好イイっスねえ」
手慣れた様子で買ってきたものを仕舞いながら喋り続ける春原に、動揺を隠しながら答えた。
「彼氏じゃないよ。健太こそ、彼氏とデート中だったんじゃないの?」
「こっちも彼氏じゃないっすよ。今日暇だったんで、即ヤリ板で見つけた相手」
「即ヤリ…健太がそういう人だとは想像もつかなかったよ……」
「そうですか? 僕は周防美さんはヲネエだって初めから知ってましたよ。ほら、僕が入社した年に組合の合宿があったでしょ? その時、お風呂で周防美さんのお尻に歯型ついてたのを見た時にピンと来たんですよねー。周防美さん、年上の彼女に噛まれたって言ってたけど、女の人が男の尻に噛み付くなんて想像つかないし、ああ、これは年上の『彼氏』に激しく可愛がられてるんだなぁって、超萌えましたよぉ」

一方的に言いたいことだけ言うと春原は、今度は「彼女」とデートがあると言って、さっさと出て行った。自分がカミングアウトしようがしよまいが、この今時のバイを気取った若者には全くどうでもいいことなのだろう。自分のことはどうでもいい、「年上の彼氏」が嵯峨だということさえ知られなければそれでいいのだ。

「その彼女と来年結婚するんですって。今時のヲカマは人生舐めてるわよね」
そういいながらケンちゃんは、冷蔵庫からクリスタルのボウルを取り出した。
「うふふ、あんたが来るっていうから急遽作ったの。何十年ぶりかしら、このミックスまだ売ってたなんて驚きよね」
それは、昔よく作ってくれた大きなプリンだった。
「それはそうと、あの子が言ってたけど、あんた今日ラブホに行ってたの? 嵯峨ちゃん今週は日本にいないんじゃなかったかしら」
「だから崇には言わないで頂けたらありがたいんですが…」
プリンをつつく手が止まり、どう弁明しようかもじもじしてしまった。
「そんな下らない事、誰もチクったりしないわよ」
ケンちゃんがスプーンを取り出し、自分もプリンをつつきながら言った。
「だけどねえ、嵯峨ちゃんって自分は一途な男なのに、付き合うのは『構われるのはイヤ』で、放置されると気を引くためにおイタするような子ばっかりなのよねえ。まるで猫みたいな。アタシ、動物の猫は好きだけど、人間のネコは苦手だわ。何考えてるかさっぱりわからないもの」
「でもケンちゃん、おじさんと別れた時にミーのこと置いていったくせに」
「あら、人聞きの悪いこと言わないでよ。あの猫は自分からあの漫画家の家に残ったのよ」
「漫画家?」
「隣に猫おばさんがいたじゃない。当時結構売れっ子だったらしいんだけど、猫と暮らしたいからってあんなボロアパートに住んでたような女よ。あんた上手いこと話そらすわね」

そらした話は元に戻ることはなく、懐かしい話が延々と続いた。話をしながらも頭の中では、来週帰ってくる嵯峨にどうやって許しを請うべきか、そればかりを考えていた。

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