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2) 複雑な家庭事情

琳は僕が落ち込んでいるにも関わらず、コーヒーやケーキを飲んだり、食べたりに一生懸命の様だ。食べている様子は、まるで幼子供である。
「……やっぱ、まずいか? 行かないってのは……」
先程とは打って変わった物静かな口調で琳が話の口火を切った。 

「いや、いいよ。さっき聞いた時は相当嫌がっていたけど、えらい豹変ぶりだ。僕だって、毎回、君と喧嘩で……神経の細い僕にとっては、堪らなく苦痛だよ。……君と違ってね」
琳はケーキを頬張りながら、クスリと笑い、愉快そうに肩を上下に揺らした。
「俺は別に苦痛じゃない。おまえが……密が、奴の話をするのが嫌なだけ。顔もなにもかもがいけ好かない奴の話を、さ」
「僕が? 又、そんなこと言って……僕の前なら良いけど僕以外の前ではよせよ。問題が大きくなるばかりだ」
「……あぁ」
彼は不満そうな言葉づかいで答えた。
あいつのことになると、押さえられないんでね……どうすることもできないさ。……金がなければ生活は出来ないな」
「…………」僕は無言で頷いた。             
「いつもの所に、8時か? ……おい? ……密? 聞いてんのかよ?」
「なに?」
色々な思いを巡らし過ぎて、僕は彼の話の半分も聞いてはいなかった。
そんな彼は僕に不満げな双眸を向けていた。
「そうだよ。稲垣さんから連絡があって、Pホテルの最上階レストランに8時だそうだ。……あぁ、それから服装に気をつけて、って言ってた」

僕は冷めてしまったコーヒーにミルクを注ぎながら僕が今言った言葉に対して、彼が腹を立てているのではないかと思い、少々身構えて返事を待ったが、以外にも彼の口調は穏やかで普段と変わらない様に思われ驚いてしまった。
「『服装に気をつけて』なんて、嫌みか? どうせ親父の世間体のためだろ? ……クソッタレめっ!」
琳は美しい顔を少々歪めてみせ、手をつけていない僕のケーキに手を出した。
「ケーキ、食わないの、俺食うぜ?」
僕の返事など待つことなく(僕が拒否することはないと知った上での行動だ)彼のフォークはケーキへズブリと刺さっていた。
「……はぁ」
 僕は彼の父親への気持ちが、複雑なものだと言うことは理解しているつもりだったが、誰かれ構わず嫌悪感を示すのは、
彼の立場をより一層悪くするのではないかという不安があり、僕は彼を事あるごとに戒めてきたつもりだった。しかし、それが裏目にでているとは思ってもみなかった。
最初は彼の言っている事が理解できずにいたが、何となく彼の言っていることが解かり初め少し不安になった。

「……だからって言って、あいつが利用価値のない人間だなんていってやしなぜ。人にはそれぞれ、取り柄ってものが、何かしらあるものさ」
子供が他愛もない悪戯をした時のように目輝かせながら言った。
「取り柄?」僕は彼の言ったことの意味がよく呑み込めずただ彼の言葉を、おうむ返しのように繰り返した。
「あぁ、取り柄って言ってもいいものさ。俺にはないが、あいつには腐るほどあるものだよ」
「……それって……もしかして……」 
「もしかして? ……じゃないよ。……わからない?」
彼の声が急に低くなって「金さ」と言い『やっぱり』と僕は心の中で呟いた。
「金がなきゃ何も出来ない。判り切ったことだ。……タダでくれるって言うんだから文句を言う方が間違ってるんだろうな。
……唸って、腐っている金なんだ、俺が使ってやるよ。毎月一回会えば振り込まれる、行こうじゃないか。俺は晴耕雨読な生活が信条だからね」
 僕は彼の言った言葉に対して不機嫌になってしまった。双眸は妖しく光り、猫のような強かさが漂っている。
その時程、彼が美しいと思ったことがなかったが、心は魅かれる一方、酷く嫌だった。
「嫌そうな顔をしてるな」
「別に……そう? 何でもない」     
「いいんだぜ。奴の金、断っても……でも、金がなきゃ生活できないから、必要不可欠だよな? …バイトはしないとな」
「……バイト、バイトって……?」
「バイトはバイトだろ? 他に何があるんだよ?」
僕は人を馬鹿にしたような様な琳の言い方に腹を立てながらも、自分の心の中を見透かされているような言葉に戸惑ってしまった。

「バイトって何のバイトだよ?!」
僕はやや怒り気味に、彼を詰問するような言葉づかいになってしまった。
「決まってるだろう? 密の嫌いなバイト。時給いいんだぜ」 
琳はさも楽しげに両腕を組み、ニヤリと笑ってみせた。僕は体の中から何か熱いものが込み上げてきて、顔を火照らせ始めたのを知った。
端から見れば、顔中が赤みを帯びてくるのがわかってしまうであろう。
「僕の嫌がるバイト、って、一つ、いや、二つはあるぞ」琳はニヤニヤ笑いを止めようとはしなかった。
彼はどうしても僕の口から答えを引き出したいのか、僕がいつ答えるのかを、ワクワクしながら待っているようだ。
「一つ、ホストクラブ。二つ、ゲイバー。……間違ってるか?」
「まさにご名答! 偉いねぇ」
琳は愉快そうに笑い、体を揺すっていた。

僕は、まだニヤニヤ笑いを続けている、彼を見つめ、冷えたコーヒーを一気に飲み干すと、大きな音をたてカップを皿の上においた。音はクラッシックの響く店内へ波紋のように広がったが、他の客は自分達の会話が妨げられ、ハッとしたように音のする方に、注意を向けたが、又、すぐ自分達の世界へ戻っていた。
「……興奮すんなよ、見られてるぜ」
辺りに気を配りながら、僕を責めるように琳が注意をしてきた。
「バイトが、いや、バイトをするのを止めろ、っていってんじゃない、してもいい。いや、違う、バイトはしてもいい。だけど、ホストクラブやゲイバイーは駄目だ……絶対だ!  それに、未成年だろ?! 店にも迷惑がかかるってわかってんのか? 
……こんな事が、君のお父さんに知れたら僕はただじゃ済まないよ」

僕の言葉は、多少なりとも彼に伝わった様だった。
「……別に、あいつにばれたからって、お前が心配することじゃない。とって食われる訳じゃなし、お前に責任はない。……こんな馬鹿なことをするのはお前であるはずがないんだ……俺だと知っていることさ。……あいつは、お前を気に入っている」
 言葉や内容は茶化しているようだが、別に悪気はないのだろう。しかし、僕にとって琳の父親のお気に入り、などと言われるのは気になる内容だ。

 彼自身、親などと言ってはいるが親だとは思ってもいないだろう。産みの母親が亡くなったのは『父親の責任だ』とまでは彼は言わなかったが、彼の母が病気で亡くなったという事実は、彼の父親である藤村氏に少なからず関わっているだし。僕は彼の母の死について、彼から直接聞いたことはない。しかし、彼も僕が何となく彼の母についてっているのを、薄々感じ取っているらしく、知っているだろうという仮定で話しをしてくるのだ。

彼は父親の存在自体を否定しているのか?
『親がいなければ俺は存在しない』と話していたことがあるが、他人に見せる捻た態度以上に、父親へ見せる嫌悪感を彼はどう説明するのか。
「……彼、君の父親が、僕の事を好きとか、嫌いとか、そんなことじゃない。君があんまり馬鹿な事ばかり言って困らせるから、なにかと比べたりするだけさ、他意はないよ。……実の子供を嫌ったりするもんか」

 彼に身寄りといえる親戚は皆無に等しく、高校時代に親友であり、郷里が同じだった僕の母が彼を引き取ったのだ。彼の母の葬式の時、藤村氏からは連絡一つなく訪れる人もほとんどいなかったそうだ。それから、僕達と彼の(楽しい?)生活が始まるが、暫くして『彼を引き取りたい』と藤村氏から連絡があり彼が藤村の家へと帰って行ったのだ。

 藤村家での生活の様子を彼はほとんど口にしない。(彼の性格を考え知れば、色々な事件が起こったであろう)二年程、彼は藤村の家で暮らしてはいたが、急に僕達の元へ帰ってきた。
これだけは、理由を聞いても教えてはくれず『帰ってきたんだからいいだろ』としか言ってはくれなかった。彼には、義理ではあるが兄弟姉妹がいる。彼らとの関係は、父親との関係と違い上手くいっているという。
『彼らと啀み合う理由は俺には無いし、向こうもそう思っている』と。
藤村氏は本妻である藤村雪子と結婚してから、彼の母と出会ったそうだ。
そして、彼が生まれてから別れた。
彼は『それで良かった』『そのままであればどんなに良かったか』と。
 しかし、藤村氏が何年か経ってからまた寄りを戻そうとしたらしい。
彼の母は、その頃から精神的に追い詰められていき、ついには、藤村氏が訪ねてきた時に、包丁を振りかざして襲いかかったそうだ。そして病院へ、入院と退院とを繰り返し、結局、風邪を拗らせ肺炎を併発して亡くなってしまったそうだ。
 ただ、内心、父親への思慕の念にも似たものが彼の中に生まれていて、その事実への否定の為に、あれだけの“父親嫌い”を示しているのだろうか?
彼の父親への言動はその葛藤の現れかもしれない。          
父親の存在自体が、疎ましいと思っている事は確かだが、彼の中で何かが変わろうとしているのだろうか?

『いくら自分が嫌っても、世間では奴が父親として認められている。危ういが地位も名誉もある。(もちろん良きにつけ悪しきにつけだ)自分といえば、たかが、青くさいガキにすぎない。もちろん金もないし、何にもない。だからといって、頭をさげ、猫撫で声を使い、かわいこぶりっこしてまで、あいつを喜ばそうなんて思わない。ただ、例外はある。奴でもお前にとってはいい金蔓るだ。お前の役にたつんなら多少の嫌なことでも目を瞑るつもりだ』と、言う。

僕は彼が、そう言ってくれたのがとても嬉しかった、なにより嬉しかったのだ。 ……少し気恥ずかしい気もするけれど。
僕のためと考えてくれている事が例え様もなく嬉しい事だが、彼の口から僕と彼の父が仲がいいと言われるのは嫌だった。
 実際、良くもないし、僕は彼の父親といっても『彼の』と、つくからであって、邪険に扱わないだけ、それ以外の何者でもないのだ。そのことを、彼に伝えようと思ってはみるが、僕は未だに伝えられないでいる。きっと彼は、彼の言葉に反応しない、ましてや、反論すら試みない僕へ不満を募らせているだろう。僕のことを、彼の父親のイエスマンとでも思っているだろう。
……いや、違う。
僕は彼にそう思ってほしいと願っているのであって、彼は決してそんな、つまらない考えはしない。
……そんな事はわかっているのに。
いつの間にか彼から笑いが消えていた。
「……だから、一人暮しがしたいと言い出した時、二つ返事でO・Kしたのも、俺の顔を見たくなかったからさ。 ……馬鹿馬鹿しい!」 
「……」 
僕はもどかしさに苛々を募らせた。
狼狽える自分自身が歯がゆく、怒りとして表現するしか解からない幼稚さに、彼にさえ腹を立ててしまっていた。
「俺にとっての家は藤村じゃない。俺と母を捨てたとか、そんな事を責めているんじゃないんだ。……そのまま、せめて、そのままにしておいて欲しかった。なぜ、今更、父親ずらして俺達の前に現れた?忘れてしまえばよかったものを……」
「……」                   
「毎月、ご丁寧に金までくれるのは、嫌な奴から文句は言わせないって事で、金。金だぜェ? ……面を金で叩くっていうやつさ。……そんな奴を利用して何が悪い?」
「……」僕は彼の言葉に何も言い返さなかった。ただ、じっと聞いていた。
「……これからは、あいつの言われた通りにしてやるさ。それでいいんだろ? 会えばただで金をくれるってんだから、我慢するさ。……なっ? だがな、俺がバイトをするのは家の金の為じゃない『俺が稼いだ金』ってのに意味があるんだ。……だから、お前が嫌がるバイトはしない、約束する。……俺を信じろよ」

 僕は彼のバイトで稼いだ金の行方については、一度も聞いたことはなかった。貯金をしているのか、それとも、時々買う高価な服の為に消えているのか、僕には聞く勇気がなかった。多分聞けば彼は答えてくれるだろう。しかし、僕は彼の答えが自分の思ってもいない答えだった時の事を思うと、恐くて聞けなかったのだ。

彼が両親の話をする時、悲しい目をする。
少なくとも僕にはそう映るのだ。       
彼の父親は彼の目を見ようとはしない。
怯えているのか? 『何故、怯えるのか』
彼と彼の母親を捨てたことに対して、後ろめたい事が存在するからか?
それとも、もっと他に理由が存在するからか?
彼の目を見て怯える人間は、父親以外にも沢山いる。
しかし、心魅かれる者がいることも事実だ。
人は彼の瞳に何を見るのか? 酷く汚れ隠されている自分自身か?
それとも、救われたいと願い、愛し愛されたいと思う心か?
そして、僕はどっちだ?

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