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14) すれ違い

 早く帰るつもりで出かけたが、伊織田との一件が思ってもみない方向へ流れていってしまい彼と過ごす時間が、長くなってしまった。公園での彼との会話、画材店での事、二人で映画を見た時間は自分が感じていたよりも、経っていたのだ。

自宅に戻ると、琳が以外に早く帰っていた。
僕の感じでは、彼はもう少し遅く戻ると踏んでいたのだ。僕はつとめて明るい調子で彼に挨拶をした。
「ただいま、早かったね。遅くなると思ったんだけど…夕飯、すました?未だだったら、つくるけど…」彼に背を向けキッチンへ向かい、冷蔵庫を開けて夕食の材料をステンレスの台の上に並べ始めた。何気なさを装い、それとなく彼の反応を見た。

  起きたてのようなボサボサのすいていない髪をし、ヨレヨレで薄汚れたTシャツ着て、長くスラリとした片足をソファ上で窮屈そうに折り曲げていた。座っている革張りのソファの皺が艶かしくよっていた。
だんまりは『いつもの事』と判っていたが今日は事情が違って、やけに彼が僕に絡んできた。

「……絵の具、買いに行くのにハワイまで行ってきたのかよ?!
……ひとり? それとも、誰かと一緒?」
彼の態度はその話題には『興味なし』といった感じだった。しかし、裏腹に琳の投げかけた質問は、言葉に刺がいっぱい刺さっていた。僕は彼の言葉を無視することに決め込んだ。僕は僕の知らない彼の友達(本当のところ彼の友達かどうかは疑わしいが)の電話の内容が気になって、しかたがなかったが、正面を切って彼に問い質す勇気がなかった。それに、自分自身、思ってもみなかった方向へ伊織田との関係が成り立ってしまった事への後ろめたさもあった。

本当は伊織田とデートをした事を彼に言ってやろうと思っていたのが、逆に言えない事になってしまうなんて思いもしなかった。(彼は僕と伊織田が二人きりになるのを酷く嫌がっているのだ。ただ、それについて僕は彼の意見を聞いたことがない)僕はその事を承知の上で、彼の電話の主に対抗しようとしていたのだ。

「……おい、聞いてんのかよ?」
震える手を流し台から出さず、彼の眼に止まらぬように心がけた。
僕は彼の視線に耐えられなくなって、ボツボツと喋り出した。
「……琳が出かけてから、伊織田から電話があって ……出かけるついでがあるから、『よかったら、一緒に出かけないか?』って言ったんだよ」
僕は至極当たり前のような口調で、普段となんら変わらぬ態度をしていた。
「……お前が、誘ったのか?それとも、真留の奴が先に誘ったのか?」
彼の声は冷静ではあったが、詰問調になっていた。
そして、僕は彼の顔を一度も見なかった。
「……さぁ、お互い暇だったからな」彼は黙ったまま僕の明確な答えを辛抱強く待っているように見えた。しかし、少しの沈黙に耐え切れなくなったのは僕だった。
「……誘ったのは、僕だよ」
『僕だよ』その言葉だけが、僕の頭の中をかけ巡っていた。

僕は彼への行き場のない思いに、誤った行動を起こしていた事を知ってはいたが、これ程実に愚かで、情けない行為にも関わらずつらい事だとは思ってもみなかった。しかし、それの言葉に対してもなんの反応もなく、彼は静かに本を読んでいるだけだった。

 彼はソファからゆっくりとした動作で立ち上がり、小さく『ふ〜ん』と言い、読みかけの本と眼鏡を、出窓のところへ取りに行った。そして、又、同じ位置にとってかえり、今度はソファに寝そべり本を読みだした。
本は僕のベッドに置いてあるものの中の一つだった。モスグリーンの表紙は手垢や古さで剥げかけてはいたが、昔の装丁なのでしっかりしていた。

子供の頃母が、古本屋で買ってくれた本だ。母は本が好きでよく読んでいた。それはその時買ってくれた、西条八十の童謡全集だった。しかし、最近では生活に終われ、読む姿をあまり見なくなった。僕の家は経済的に裕福な家庭ではなかったので、母は唯一の楽しみの本を古本屋でよく購入していたのだ。母は自分の本と僕の為の本とをいつも2冊購入し、僕に与えてくれた。アシモフの“月のピラミッド”などのSF作品やワイルドの“幸福の王子”などの名作シリーズなど、多種多様にわたった。

しかし、今も母から買って貰った西条八十のこの本が一番好きだ。この本の中に繰り返して何度も何度も読んでいる詩がある。『はがき』といういう詩がそうだ。僕はこの詩のところにしおりを挟んでいる。(本当のところ、本も見ずに言えるくらいになってるのが…)彼は何故か僕のこの一番のお気に入りの本を持ち出して、真摯な瞳で読んでいる彼の意図がわからなかった。

僕はスパゲッティを茹で、冷凍にしてあったミートソスを解凍した。
「……できた、そっちへ持っていくよ」
「……」彼からの返事は何もなかった。

何か、自分だけが取り残された様な疎外感を感じ、彼を見た。
相変わらず、ソファに座って本を読んでいた。
テーブルに食器が並べ始めると、彼は読むのをやめ、リモコンでテレビをつけてから、僕を手伝い始めた。相変わらずこちらは会話もなく、僅かに触れあう食器の音だけが、静かな部屋の中に響いていた。

カチャカチャと食器がテーブルの上に並べられ、僕と彼は向かい合わせで食事の席に着いた。テレビからキャスターの無感情な声が流れ、その日に起きた事件の数々を淡々と読み上げていた。
 食事を済ませると、彼は台所に立ち、食器を洗い始めたので、僕も彼の右隣に、立って彼の洗い終わった食器を拭いていた。僕はそれっきり喋らなくなってしまった琳が気になりだして、余計なことを口走っていた。

「……ごめん、遅くなるつもりはなかったんだけど、映画の時間がうまく合わなくて、遅くなっちゃったんだ」
「何してたんだ?」
「えっ? ……あ、映画。映画を見た」僕はどこか、おどおどした態度で返事をした。   
「ふ〜ん、だから携帯通じなかったのか…伊織田と、何の映画見た?」
琳の突然の質問は、僕を狼狽えさせるのに充分のものだった。
「えっ?」                 
「……二人で、映画をみたんだろ? ……見たんだったら、題名、言えるよな?」 
「うっ、うん、…たしか“キャットピープル”っていう古い映画だったと思う」
僕は思い当たる限り、絞り出して伝えた。
「…なんで、覚えてねぇんだよ? 伊織田の隣で、緊張してたのか?」
  彼はそれから、ガチャガチャとなる食器を、次から次へと洗い終わり、要領の悪い僕の前に並べられていた。 僕がいくら伊織田の事をフォロー(実際、フォローではなく、誤解だ)を試みても彼は耳を貸さず、振り向いてもくれなかった。僕は業と、彼の最後に言った言葉を聞かなかった事にし、彼に返事をした。

結局、洗いものが片づく間、またもや僕達は終始無言だった。
「……途中で気分が悪くなって、席をたったんだ…気分が良くなるまでっと思ってロビーにいたんだけど、結局、最後までロビーだったから、内容なんて覚えていないんだ」
言い終えるとすぐに彼は僕の方へ振り向き、
「気分が悪くなった?…発作か、大丈夫かよ?」
そう、言ってまだ濡れた手をシャツの裾で拭くと僕の両肩を向き直させ、顔を覗き込んだ。
「ちょっ……大丈夫だよ。大したことないし、ちゃんと帰ってきてるんだから…」
「ここまで一人で帰ってきたのか?」
「そうだよ、当たり前じゃないか?!」
『…あの野郎!』彼の低く呟いた声が耳に届いた。
「本当に、大したことないんだ。気分が悪くなっただけで、発作じゃないし……」
僕は彼が先程チラリと垣間見せた瞳が恐ろしく、僕を躊躇させた。

彼は洗いものが終わるとそそくさとソファに向かい、ドサッと腰を下ろして、又、本を読み始めた。僕は居心地が悪くて、画室に退散することに決めた。

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