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25) もう一人の理解者

 僕は岡江に押された背中を心の勇気に変えて、階段を駆け降り、人が少なくなった廊下を走っていた。
(……で、何処にいるんだ?)
僕は、はたと気がついた。……彼の立ち入り先が判らない。

部会があるとは聞いていなかったし、とりあえずは彼のクラスに行ってみることにした。
 実際、歩き出してみると僕の心は意外に穏やかで、朝から苛ついていた気持ちも岡江との会話で吹っ切れていた。
彼もそうだったんだろうか?
 何処かやり場のない気持ちを抱えながら、一日をやり過ごそうと考えていたんだろうか?相手の気持ちを思いやれなかった事を、少し後悔した。

 「藤村、知らない?」僕は彼のクラスメイトに話しかけた。
「さっき、南館の執行部の前で見かけたよ」
「そう、ありがと」(執行部室かぁ……)
僕はため息を吐きそうになった。

 どうも、あの部屋は苦手で、彼がいるとわかっていても近づきたくないところだ。
僕の苦手な人種がいて……苦手と言うより、多分僕の中を見透かされているような感じを受けるためなんだろう。だけど、迷ってはいられないと思い、南館へ歩き出した。午後4時前だろうか、思っているほど校舎の中には学生は残ってはいなくて、疎らで人淋しい雰囲気がした。

やや、緊張した面持ちで僕は教室より一回り程大きいドアの前に立った。
(ここは、何時来ても緊張するんだよな。大体、しないのは琳くらいのものさ)

僕は意を決してドアを軽く叩いた。
「……はい、どうぞ」
ドアの中からやや軽い調子の声が返ってきた。僕はドアを開けずに「失礼します。2年の武上といいますが」と、喋り出すと急に扉が開いた。
「何か、御用?」
短い返事を返した学生が、開いたドアの替わりに立っていた。
 僕と同じ位いの上背をした端正な顔立ちの下級生だった。
僕は、年下である彼の威厳のある態度にやや臆してしまい、小さくなりゆく声に反応するように、身体まで小さくしていった。下級生といえども、執行部に属するものは僕達と違う人種に他ならないからか。

「2年の武上です。お忙しいところ申し訳ありませんが、藤村君はそちらにおりますでしょうか?」
 僕の開き直った態度で開口一番そう告げると、応対に出た下級生は威嚇するようにこちらを見た。
「……ここには……」
と、応対に出た下級生が答えかけて時、彼の背後から抑揚を押さえた声が掛けられた。
「……誰だい?」
「あっ、はい。藤村さんを訪ねて来られた、2年の武上さんです」
僕に向けた態度とは180度違った謙虚な態度と、しおらしい声で彼は僕のほうに身体を向けたまま、後ろにいる人物に声を投げかけた。

「急いでるのかな? ……そうじゃなかったら、中に入らないかい?」
押さえられた声の持ち主が下級生を飛び越えて、僕に話しかけた。
「……は? あっ、はい」
僕は掛けられた声の持ち主が、今だ誰なのか特定できず、それにもまして有無を言わせない強引さのある感じに拒否しずらかった。

内心、琳のことで頭が一杯で寄り道なんかしている暇など無いはずなのにと、不満を漏らしていた。
ドアの替わりの様に立ち憚っていた下級生は、潮が引くように音も立てずに道を開けた。執行部の部屋は薄暗く、窓際を背にして座っている人物が先程の声の主の様に思われた。恐る恐るゆっくりとした足取りで彼の方へ歩み寄ると、突然、左の方から進行を遮るように進んできた人がいた。僕は驚き、呼び咎められた様に歩み止めた。

「君が武上君?」
ドキッとした心を隠しながら、声のする方へ返事を返した。
「はい……」
外から漏れた光で彼の顔や身体かボヤッと暗い部屋に浮かび上がっていた。
「君が“噂”の武上君かぁ」
(“噂”って、?)
「何だ、お前知らなかったの?」
「まぁね」
「情報収集能力が問われるよ」
「……」
(何だ?)
僕の事が噂になっているとかそういったことより、僕抜きで会話だけが先行していることに不満げな顔をした。

「よさないか、彼に失礼だよ」
窓際の主が彼ら会話に割って入り制止した。
「葛西君、すまないがカ−テンを少し開けてくれないか?」
『はい』と、返事をした先程の下級生が窓際に立ち、カ−テンを開けた。
「……」僕は慣れかかった暗闇の中か急に明かりの洪水の中に放り込まれ、思わず顔を伏せてしまった。

窓際の主は僕に声を掛けながら、こちらに向かって歩み寄ってきた。
「……明るいほうがいいと思ったんだが、配慮がたりなかったみただ。すまないね」
そう言って歩み寄ってくる声の主に全くと言っていいほど記憶には無かったが、眩しくて伏せていた目線の先には、記憶にある歩き方をした青年の足が見えた。

片足をやや引き摺るような歩き方をするため、ゆっくりとした足取りで静かに、静かに歩いてくる。
(あぁ、これは、この足取りは……)
僕には記憶があった。
彼は、そう彼は、
「……どうかした?」
「福屋さん……」
僕は床に向けていた視線を目の前に来た彼に合わせた。

「急いでいたんだろう? すまないね、呼び止めたりして」
優しい微笑みを浮かべた線の細い福屋が言った。
「いえ、それ程ではないんですが……」
僕は歯切れが悪く、口ごもった調子で彼に返事をした。
「10分程前まではここにいましたよ。何だか、気の抜けた様子で、心ここに有らずって言った感じでした。……何か有ったんですか?」
「……いえ、何も……」
(なんと、直感の働くことか……それとも、洞察力?)
「へぇ、そんな感じだったかなぁ」
「いつもの、取り付く暇もないっていう感じでしたけど……」
「槍が降ろうが、太陽が落ちてこようが、無関心っていうか……」
僕と福屋の二人を置いて、琳に対しての会話が長々と続いていくように思われた。

「彼はそれほど無関心な人ではありません。むしろ、情熱的ですよ。……誤解を受けやすいタイプではありますがね」
そう言って、僕に笑いかけた。
「情熱的?」
「福屋、君の洞察力は藤村に対しては鈍ってると思うよ」
「信じられないな、藤村さんって“ク−ルビュ−ティ”って言われてるんですよ、知ってました?」
三人三様の意見の狭間で、福屋はただただ優しい微笑みをコントラストの激しい室内で浮かべていた。

「……お邪魔して、すみませんでした。他へあたってみます」
僕はクルリと踵を返して部屋を去ろうとした。
「あっ、送ります、待ってください」
そう言って僕を背中から引き留め、
「少し、出かけきます」
残った三人にそう言って僕の背中を押しながら、執行部を後にした。

行く当てなど無いのに僕は福屋さんを伴って廊下を歩き出した。
福屋さんはすまなそうな表情を浮かべ言った。
「……迷惑でしたね、すみません」
「いえ、とんでも有りません。こちらこそ、突然伺ったりして……大した用事でもないのに」
「……本当に?」
『?』
僕は彼の言葉に疑問を覚えた。
「とても大事なことなんでしょう? 彼の様子が変でしたからねぇ、塞ぎこむっていうか……」
「……」
僕はやや俯き加減に黙って彼の話に耳を傾けていた。
「喧嘩ですか?」

僕は正直言って、触れられたくない事だったのだが彼に相談するべきか躊躇していた。
「私にはとても羨ましいことです」
(羨ましい?)
「……福屋さんが、ですか?」
「えぇ、可笑しいですか?」
「いいえ、そうでは無いのですが……。なんだか、違う様な気がして」

「……彼は、藤村君はあなたに甘えてるんですよ。あなたに、何かを伝えたくて、でもその手段が見いだせなくて、そんな自分がもどかしくて仕方がないんです」
(『僕に甘えている?』……か)
「……でしょうか? 彼ほど稟として、強い人はいませんよ。僕なんかに甘えてなんか……」
僕は歩く速度が遅くなっていくのを感じていた。福屋さんはそんな僕の態度を知ってか、知らずか、僕を制止するように右肩をやんわりと押さえた。
幸いにも廊下には誰もいなかった。
「あなたは賢い人だ。私のような者が言わなくとも、本当の答えは知っている。それを、認めたくないことも……。人は、時として強くもなり得ます。しかし、普段はとても弱いものなのです。強くなるためには様々な何かが必要なのです」
「……」
僕の皮膚は総毛立ち、冷ややかな汗が額から噴き出そうとしていた。
「誰かを支える為に、強くなる人もいるのですよ。ただ、ほんの少しの間、弱い自分が露呈してしまう時が有るのです。その時に、大事な人に側に居て欲しい、と切に願うのです。彼もきっとそうだろうと、私は思います」僕は彼の言葉を全身で聞いていた。

 小刻みに震える手で口元を押さえて、今にも叫び出したい声を止めていた。
「……私は、お節介な人間ですね。あなたにこんな事を言う為に一緒にいるのでは無いはずだったのに……。ただ、判って欲しかったのです。今のあなたは、ついこの間までの私だったのだと」
僕は今にも零れ落ちそうな涙を一杯溜めて、意外な言葉を言った福屋さんをまじまじと見つめた。
「私は、変わったんだと思います」
優しく微笑む福屋さんがいた。
「……高橋のせいですか?」
僕は心に仕舞い込んだはずの”禁忌の事柄”を喋っていた。

「えぇ、そうです。あなたは、彼が私に話した内容を知っていますよね?」
「……はい、彼が『今からあなたに打ち明けるから』と、言っていましたし、その直後、彼が僕を訪ねて来ましたから……」
福屋は穏やかな表情を浮かべ、
「彼の期待する答えになるかどうかは私にも判りません。しかし、私を理解しよう、又無償で愛してくれる人が側に居てくれる事は、正直言ってとても嬉しいと思います」
僕は彼の慈愛に満ちた表情の中に、強い意志の力が見えた。
「『愛している』という彼の一言に、私は自惚れているのかもしれません。その事で私は変わりつつあるのでしょう」

 あれほど、心の中に秘密として保持しょうと決めたのに、彼の存在はいとも簡単に喋ってしまう口の軟らかさに自分自身驚いてしまった。しかし、それと同時に彼への嫉妬がチラリと頭を擡げてきた。
 自分もそうなりたいと思っていたのに、なれない自分を思い、又、いともた易く変化を遂げることが出来る彼の資質に嫉妬したのかも知れない。

「……僕はあなたのように賢い人間ではありません。物事もそれほど柔軟に対処するも……僕は、不器用なんです」
憮然とした態度で彼に意を唱えようとしたのかも知れないが、自信は微塵もなく、彼の顔をまともに見ることも叶わなかった。
「あなたは私ではありませんよ。あなたにはあなたなりの方法があるのです。何も急ぐ必要など無いのですから」
「では、何なんです、僕にどうしろと?」

僕は彼への嫉妬心から傲慢な態度で自分の非力さを隠そうとした。
「私は、あなたに感謝したかったのです」
(感謝?)
「高橋は『あなたがいたから、今まで生きていられた』と、言っていました。彼から、色々ないきさつについて話を聞きました。あなたが何時も笑っていてくれたと、そして優しく、黙って側にいてくれたと言ってしました」
「……僕は……何も、していません」
伏し目がちにそう吐いた。
(そう、何もしていない。僕はただ、偽善的な優しさで自分を擁護したに過ぎないのだから)
「高橋が高橋で有り続けられたのは、あなたの存在が大きいのだということが判ったから、あなたに会って、言いたかった。私という小さな存在に暖かな光を与えてくれた高橋の、側にいてくれたことに感謝します……ありがとう」
「……」
「私と高橋がどんな関係になるか今は未だ判りません。私自身、そんな事を考えたことが無かったからです。しかし、これからの彼の成長が私に何かを与えてくれるかもしれない事へ期待をしています」
 彼の言葉や行動は僕を愚弄しているように思え、愚かな暗い心を肥大させていくように思えた。全くの誤解であるにも関わらず、だ。素直に相手を認める大きな寛容、今ここにあるべき現実を認識する瞳は、僕に憧れと同時に嫉妬をも与える。
チクチクと皮膚が痛んだ。

「もう、僕に構わないで下さい。あなたと居ると僕は益々自分自身を許せなくなる。そして自分が嫌いになる」
 僕は彼の月光の様な柔らかな視線の呪縛から解き放たれようともがいた。
「……友達とまでは言いません。しかし、あなたと話をするぐらいはいいですか? ただの知り合いからの格上げを要求することは無理ですか?」
「友達などというのは体のいい口実ですか? 僕の『悩みの相談相手になってくれ』とでも、高橋に頼まれたんですか?」
僕の心は猜疑心に塗れつつあった。
「……」
「沈黙は答えですか? ……あなたの優しさは残酷すぎる。優しさという馴れ合いには、もう耐えられない」
 僕は何もかもを投げ出して走り出したかった。押しつける事が出来るならそうしたかった。
「失礼しました」
僕は彼の顔を見ず、前に進む事を考え行動した。

 その途端、福屋さんが僕の手首を掴んでいた。福屋さんの手は僕の枷のように絡みついている様に見えた。
「私の存在はあなたに苦痛を与えただけになってしまいました。しかし、あなたなら理解してくれると信じています。私は何時でも待っています。あなたが私といろんな話しが出来るようになることを」
僕は彼の手を振り解き、
「長い時間になるでしょう、でも、そんな時は……永遠に訪れないかもしれません」
(何時まで続ければいいのか? 自分自身を正当化し続ける事が苦痛だと認識にているのに、止められない。誰か、僕を止めて欲しい)
そう言って、福屋さんを置き去りにして僕は歩き出した。

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