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8) 見えない相手 − 前編 −

昨日事が嘘のように思える程、清々しい朝だった。時計を見るまでもなく窓からは明るい日差しが差し込んで、部屋の中を温めていた。普段は琳が『腹減った』と言って乱暴に起こしにくるのに、今日は珍しく来なかった。朝は大の苦手な僕を無理矢理起こしにくる彼に不平を言いながら朝食の支度をするのが僕の日課のようなものだ。

ただし、僕は不平を言いながらもそれを楽しんでいる。『今日はなにを作ろうか?』と考えを巡らすことが楽しかった。しかし、だからといって彼が僕の作った料理を必ずしも誉めてくれるとは限らない。ただ、黙って食べるだけだ。
『うまい!』などと言う時には何かしら下心があるので要注意発言である。今日は僕の左隣りにはまだシーツに包まっている琳が寝ていた。
 彼は昨日の晩の出来事に興奮していたのか、なかなか寝つかれなかったようだ。僕がベットに入ってからも居間で一人テレビを見ている様だった。先に床に就いてしまった僕は彼がいつ頃眠ったかは記憶にない。
 彼はよく僕のベットの横に寝ることがある。
彼と僕の寝室は別々にあるのだか、彼は自分の寝室を殆どと言っていいほど使用しないのだ。 
 彼のベットはセミダブルのイーセンアーレン社製のものだが、気に入って買った割りには使用はしてはいないのだ。
僕のベットは僕が選んだものではなく(大体、僕に選択権はない)彼が選んだもので、ルーフ社製のクイーンサイズだ。彼はこのドイツのメーカーがお気に入りで(だったら、自分のものもそうすればいいものを……)彼は僕のベッドで眠るようになった。

 小さい頃は家が狭かったせいか彼とは荷物のたくさん詰まった六畳の和室で、寄り添う様に眠っていたものだ。
 しかし、今は自分の寝室がある家に住んでいるのだし、肩を寄せ合って眠らなくてもいい環境にいるにも関わらず、
毎夜こういう事態になっている。僕は時々、彼の傍に居る事を意識しすぎて寝つかれない事が度々ある。彼は僕を意識していないのだろうか?

べージュ色の射光カーテンの隙間から光が洩れ、床に一筋の光の矢が走っていた。僕の左側で未だ微睡んでいる彼を起こさないように気を使いながら、ゆっくりとベットから抜け出た。 
とりあえず、彼に触れないように気を使いながらゆっくりと身体を起こし、足を床に降ろした。ひんやりとした冷たさが足の裏から感じられた。
 音を立てないように気を配りながら下りて床に立ち、ドアを開けて静かに閉めた。リビングの床の冷たさを感じた僕はスリッパを履き忘れてしまっていたが、裸足のまま歩きだし、クローゼットのある部屋へ行き、長袖のシャツと綿パンに着替えて、キッチンへ向かった。冷たいフローリングの床をヒタヒタと音を発てながら歩き出した。

 ケトルに水を入れレンジの上に置き、コックを捻る。どれぐらいの時が流れたのか時間の概念が失われつつあった頃、ふとあの怪しく光る青白い炎の中に、緑色に光る何かを見つけた。あの物体が何であるかが、無性に気になり暫くの間
僕は取り付かれた様に勢い良く噴き出す青白い炎をじっと見つめていた。まるで、青白い炎の中に潜んでいる何か得たいの知れないものを、自分の記憶の中から探り出すように……。
『なんだろう?』僕を誘って止まない緑色の光は、それは、僕のもう半分の自分の僕の右腕を意識に抗うように動き出した。
止めようとする意識のある中、知りたいという欲求が僕を搗き動かすようだった。
 左手の指がもう少しで届きそうになった時、かすかな物音が聞こえ、反射的に指を引っ込めてしまった。重なり合った呪縛が解かれたように僕は身体を弾かせ、音のするほうへと見上げた。僕は、今だ閉められているであろう寝室のドアを眺めながら、朝食の用意に取りかかることにした。
眠たそうな琳が僕の寝室から出てきてこちらへ向かってくるところだった。

僕は激しく波打つ心臓を押さえながら『おはよう』と彼に声をかけ、震える右手で釣り棚からカップを取り出して必要な食器を並べていった。
「……おはゅおぅ……いまぁ、くぅ〜」
琳の“おはよう”は聞き取れたのだが、あとは欠伸をしながら喋っていたので聞き取れなかった。

自分のお尻のあたりをボリボリと掻きながら居間にある昨日の新聞を取りに行った。
「コーヒーにする? それとも」
彼は返事にやや間が合ってから、
「……紅茶。……に、ミルク。トースト2枚にソーセージ、スクランブルエッグ2個でいいよ」
僕は彼に聞こえるように言う風でもなく、「はい、はい。何でも仰って下さい。注文通りに作りましょう」などと、
軽く言いソーセージをボイルする為に鍋に湯を沸かして、冷蔵庫から卵を4つ取り出した。居間から新聞を読みながらやってきた彼は、キッチンの近くにあるダイニングテーブルのイスに腰をおろしてテーブルの上にあるものを手探りでなで回していた。
「……」
彼の不可思議な行動を見ていたが、ハタと思い当たり、
「リモコンなら、出窓の所だよ」と、窓のほうへ顎をシャクリ上げた。
「……昨夜からあそこにあった?」と、言いながら読んでいた新聞を手放してリモコンを取りにいった。
「……僕は決まった場所にしか置かないよ。誰かさんの仕業だと思うけどね」
彼は少々照れくさそうに笑いながら、
「お前と俺しかいねぇんだから、俺だな」 
リモコンを持つと直ぐにスイッチを押した。曲が不意に僕達のいる部屋に充満した。
“ all of you ”だと思う。
僕は音楽には詳しくないが、彼の傍にいると結構物知りになるものだ。
この曲は多くの人たちが歌っているが琳は、チェット・ベッカーの歌う(僕には和尚さんが読経している様にしか聞こえないのだが)ものが大のお気に入りだ。

 陽光の差し込むダイニングにまだ夜の気怠さを残すようなチェットの歌声が静かに流れ、出来上がったスクランブルエッグを皿に分けようとしたとき、軽い電子音がプルプルと鳴った。僕は皿の上に盛り分けながら、コードレスホンを右手で取り上げると、左肩に置き顎で挟み料理の続きをしながら返事をした。

「はい、藤村ですが……」
『あのう、藤村さんのお宅でしょうか?』
そう言った主は若く不安で一杯のようで、それでいて好奇心を押さえられないといった声で喋った。
「そうです、失礼ですが何方様でしょうか?」
『僕は私立S高校の苅田と申します。実は折り入ってお話したいことが……』
僕は声の主の言葉を最後まで聞かず、まるで打ち消すように素早く言った。
「暫くお待ち下さい、替わります」そう言うと、保留ボタンを押して彼に言った。

僕の心の中はざわめきで一杯だったが、僕の両手は感動的にも何の感情にも動じることなく淡々と料理を作り上げ、
前のカウンターに並べていった。
「……琳、電話。苅田って奴から」
彼はポカンとした表情をこちらに向けて、目線を合わせた。
「……誰って?」
彼は知っているのに知らんふりをしているのか? 本当に知らないのかは定かではない。二人分の料理を盛った皿や
カップを携えてキッチンを出て彼のいるテーブルに向かった。
「S高校の苅田って言ったよ」

テーブルクロスをお互いの前に引きながら、脇に抱えて持ってきた電話を彼に手渡した。少しの沈黙の後、新聞を持ったまま考え込んでいた彼は、少しずらして掛けている眼鏡越しに、
「知らねぇなぁ、俺とお前と間違ってないか?」と言った。
 以前からよくあることだか、彼は僕に成済まして人を騙したりする。(他愛もない悪戯に過ぎないのだか)事情を知り尽くした2年や3年は騙されたりすることはないが、1年が入学したての頃は、声が似ていることを利用して電話でしょっちゅうだった。彼のせいで何人の美術部員を失った事か。彼は悪戯の話を僕に愉快そうに話すが、話す頃はもう何もかも終わった頃で、事後承諾になるのだ。

「また、僕の名前で悪戯してんだろ?ナンパした相手がデートの申し込みにでも、テルしてきたんじゃない?」
「……それ、どう言う意味?」
急に彼の声の調子が変わったので、ハッとして彼の顔を見た。明らかに不快な表情をして僕を見つめていた。

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