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11) 不純同性交際の勧め − 前編 −

風が僕の両脇を擦り抜けて行く。
二人乗りのせいか、それとも彼が気をつかって、スピードを出さずに走ってくれているせいか、思った程ビュンビュンと風をきる感じではなかった。着ているパーカーの帽子の部分が、風に吹かれて僕の首筋の辺りを擽っている。伊織田は信号で止まる度に、画材店に行く道筋や乗り心地を聞いてきた。

 画材店がある所のワンブロック手前まで来た時に、彼はベスパの速度を落とした。
「このまま繁華街に行くと、止めるとこ無くなるから、この辺でも置いとくか」
そう言って、ベスパを停止させたので、僕も彼の背中から離れ、地面に降りた。地面に降り立つと、乗っている時の、あの妙な浮遊感はなくなっていた。

僕は被っていた窮屈なヘルメットを、やっとの思いで脱ぐと伊織田が僕の行動を笑いながら見ていた。
「ヘルメット、窮屈だった?」
僕はクシャクシャになってしまった髪を、手櫛で整えながら言った。
「…う〜ん、まぁね」
彼は公園の端に並んで止めてある、自転車や単車の列に、自分のベスパも置きながら答えた。
「今度はナナハンの方にのせてやるよ。ベスパじゃなくてさ」
伊織田の顔は輝いていた。
「ありがとう。でも、僕はベスパでいいよ」
「はぁ?」
「いや、深い意味はないんだ。ナナハンの方がスピードが出るだろ? 飛ばされると恐いから、かな?」
「じゃぁ、俺にしっかり捕まればいいだろ? ……あっちの方には誰も乗せたことが無いんだぜ」
「えっ、そぉ? だったら、他の誰か乗せてからにしてよ。経験積んでからで、いい」
「あ〜ぁ、な〜にぃ言ってんだか…。相変わらずだなぁ」

伊織田は頭を抱える格好をしながら、笑っていた。僕達は久しぶりに会ったせいか、中学生時代に戻った様な感覚がした。
彼のベスパを残し、僕達は歩き始めた。
交差点を越えると、大きな坂がある。
坂の右側は、銀杏の木が等間隔に、奇麗に並んで植樹されていた。
割合、急な坂を上がっていくと、左側に公園が見えた。このあたりは規模は小さいが、公園が沢山ある。

 僕が絵の具をよく買いに行くこの道は、通い慣れた道だ。
だけど、僕はこの道が嫌いで仕方なかった。
今日はまだ、僕の隣には伊織田がいる。幾分、心強かったが、心は晴れなかった。

いつも、この道を避けようと試みるのだか、気が付けば足が通い慣れたこの道を選んでいるのだ。坂の途中まで来ると、そこは違う世界が存在していた。ぽっかりと大きく口を開けた、社会の歪みの様な穴だった。
 街路樹の木の根元に、オモチャの人形のベッドが二つ並べてある。
大きさは…そう、六十センチぐらいだろうか。ベッドと呼ぶにはおこがましい感じの、粗末な作りではあったが、ボロボロのマットレスを敷き、枕であろうものまで備え付けてあった。

そして、その上に身長約四十センチぐらの薄汚れたフランス人形がニ体あった。
 ニ体の人形は手垢で汚れているのか、元の肌の色がどんな色だったか見分けることも困難だった。亜麻色の髪であったろう頭髪は、汚れていて、黒くなり、油で固めたように所々、固まっていたり、抜けていたりした。
それでも、一体の人形は瞳を閉じ、眠ってはいた。しかし、もう一体の人形の片目は閉じているのだか、片目は半開きになっていて、空を見上げていた。青いガラスの瞳はその存在を知らしめるかの様に上瞼をこじ開け、空の光を反射して生々しかった。青いガラスの瞳の人形はいずれも肩まで上掛け蒲団を着せられていた。あたかも、呼吸している子供の様に風で蒲団が揺れていた。

僕はその見慣れたはずの風景を見るのが、とても苦痛で、嫌だった。
この風景は冬以外の季節になると、いつも決まった場所にみられる。(この場所でのみ、だが)
一体の人形の半開きになった瞳が、何か言いたそうにこちらを見ているような気がしたし、誰が、どんな思いでここにこうしているのかと考えると、遣り切れない気持ちにさせられたからだ。
 だから、どうという事もない。
僕が理由を考えて、この状況を造り出した彼(彼女?)に同情を寄せたからとて、どうにも出来ないことだし、又、どうにかしてほしいなどとは思って、この様な状況を造り出しているなどとは、到底、思えなかった。
 人形のもつ意味など、僕には理解しがたい事だけど、何故か、心が痛いのだ。

 この理由を知りたいと思うのだが、関わり合いになるのが嫌で、避けようとしていた。
 ニ体の人形が並んで寝ている向かい側に、市の広報が張ってある掲示板があるが、その掲示板を洋服ダンス替わりに、ハンガーに吊るされている服が雑然とあった。
 たった一人の人物が着ている洋服とは思えない品揃えだ。
50代後半の男の人が着そうなツイードのブレザー、派手な花柄のミニスカート、柄もののトランクスや子供のマンガの絵がプリントされた靴下、どこから手に入れたのか、白いウェディングドレスまでかけてあった。
(時代もののせいか、色は黄ばんでいたが) 
靴にいたっては、スパンコールのついたキラキラのハイヒールから、今時珍しい黒い鼻緒の男のゲタまできちんと並べて、置いてあった。
 靴の横には何時、発行されたかわからないい雑誌が山積みしてあり、黄色いロフトのビニール袋や、有名百貨店の手提げ袋など、きちんと折り畳んであった。

家族などいるはずもないのに、あたかもいるような物達が家の中に存在するように、そこにあった。
 いるはずもないと僕は決めつけているが、本当はいるかも知れない。だけど、僕は直感的にそう感じてしまったのだ。
 ここに住む人などいない。
 そして、僕の父ももうこの世にはいない。

しかし、もし、この世にまだ生きていたら、きっと父は、今ここにあるこの大きくて暗い、社会の歪みのような穴の中に、住んでいたに違いない。何故、そう感じるのか自分では分からないが、僕や母に見捨てられてしまったら、きっと父はここにいるに違いない。僕はここに住んでいる(?)人が、自分の父だったらと、ダブらせているからだろうか? 
僕と母が見捨ててしまったらの仮定での話なのに。しかし、僕はそう想像してしまうのだ。
もう、父はいないのに…。
あるべき場所にいるはずの物達は、何故ここにいるのか?
 戻りたくても、戻れないのか?
 反射的に顔を背ける。
見ないよう心がけても、一度見てしまったものは頭から離れることはなかった。
 いつもは一人でこの道を通って画材店に行くが、今日は伊織田と二人だったので事情が少し違っていた。

「おい、……密?」
「……」
「おい!」
僕は並んで歩いていた伊織田に強く腕を引っ張られ、崩れかけるように彼の胸によろめいた。
「い、伊織田?」
伊織田の顔は不安そうな表情で僕を見つめ、顔を覗いた。
「いや、なんでも…大丈夫だ」
「? ……お前、大丈夫って……顔、青いじゃないか!」
 少しどころではない。『酷く、気分が悪い』僕は吐きそうな気分を必死に思い止まるように、自分に言い聞かせるのがやっとだった。
「…ただの、夏バテだよ。最近……気温差が、激しいから」
嘘が彼に通じればいいと願った。
「…そうか…」
彼は呟くように言うと、僕の肩に手を回し、抱える様に歩き始めた。
僕は彼の手を降り解こうと躯をずらしてみた。
「……この辺、オフィス街だからな、休みの日は殆ど、ひとっこ一人見えやしねぇ」 
 たかが、肩を組んだぐらいどうってことないはずなのに、敏感に反応してしまう。
 考え過ぎだと自分に言い聞かせる。
それとも『人がいないら、安心して肩を組んでいい』ということか?
彼は僕の何を知っているのだろうか。
僕が酷く世間体を気にする事を彼は知っているのだろうか?
それは、いったい…。

 僕は伊織田の言葉に動きを止め、肩を組んだまま道を歩き続けた。彼は自分の煙草を取りだし、吸った。紫煙がゆっくりと僕の鼻先をかすめて、躯を取り巻いてゆく。
「……なぁ、俺とつきあわないか?」
僕は彼の言葉を心の中で繰り返しながら呟いてみた。
彼がこの時何故、この様な話を切り出したのか真意が判らなかった。
「僕が? ……伊織田と?」(只の、成り行きに決まっている)
「そう、俺と…だ。俺じゃ、不満ってか?」
「……付き合ってるじゃないか」
今の状況ではない、って事だとは判っているつもりだったが、白を切り通そうと思った。僕は分かり切った問いを彼にしたかも知れない。
それは、どうしても彼の口から聞きたかった答えだからかも知れない。
「そう言う意味のつき合いではない、って事はお前も判っているはずだろ?はっきりと聞きたいのなら言ってやるよ。
俺と“不純同性交際”をしないか?」
 僕は訝しげに、彼の横顔を覗き見た。
しかし、彼は普段と何一つ変わらない様子で、煙草を燻らせていた。
彼が傍にいることが、これほど、安心出来ることだとは思わなかった。

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