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9) 見えない相手 − 後編 −

「あっいや、ごめん、ごめん。…冗談だよ、男になんか声を掛けたりなんかしないよね」
僕は彼の意外な反応に戸惑ってしまい、フォローの言葉も思いつかないまま、ただ照れ笑いをしてその場を凌いだ。
「…男に声を掛けられたことはある。しかし、掛けたりはしない」きっぱりとしかも力強く彼が否定した。
ただ、他に何か言いたそうにこちらを見ていたのが気にかかった。

彼は遂に受け取っていた受話器のボタンを押して話し始めた。
「…もしもし? …何方様?」
『あっ、藤村さんですか? 苅田と言います』
「…間違いじゃないのか?」
『突然お電話なんかして申し訳ないと思ったんですが、細井君をご存じですか?』
「…どこの、細井?」
『“オリエンタル・スカル”のギタリスト、細井さんです』
「“元”だろ? …で、何?」
『その細井さんから聞いたんですが、あなたが“割りのいいバイトを探してる”って聞きまして、それで…』
「……」
『実は、今度O市で開かれるフェスティバルでロックバンドのコンテストがあるんです。もう、エントリーは済ませちゃってるんですがヴォーカルが急に抜けちゃいまして。穴埋めって言っちゃ悪いんですが、代理を頼めないかと思い、細井さんに相談したんです』 
「…相談した相手が悪かったな」
『本当に困ってるんです。それで相談にのってはもらえないかと…』
「俺は困ってない」
『えぇもちろん、そうです。話だけでも聞いてはもらえませんか? お願いします』
「…俺なんかより、他にマシなのがいるだろ? そいつらに頼めよ」
『ちょっとした事情がありまして…頼れる人が他にいないんです』
「…ヤバイのは御免だ」
『…悪い話じゃないと思います。出来れば、会って話だけでも…』
「悪い話しじゃないんだろ? 他に頼めよ。朝っぱらから、変な電話よこすんじゃねぇ!」
『まっ、待ってください! お願いです、話しだけでも聞いてもらえませんか? 他に頼れる人がいないんです。
それに、あなたでないと出来ない事だと思うんです』
「……“センターライン”っていうライブハウスを知ってるか?」
『えっ?! ”センターライン”ですか?』
「そこに12時に行く、話はそれからだ」
『わかりました、”センターライン”ですね?』
「…あぁ、じゃぁな」
まだ話し声のする受話器を無造作に切り、テーブルに置いた。

 僕は話し終える彼を待ってから、お湯をポットにいれカバーを掛けた。温めてあったミルクをコップの傍に置き、
自分のコーヒーを飲んだ。琳はトーストされた食パンにバターを塗りだし、サクサクと小さな音を立てていた。
「マーマーレードは?」
「…あるよ、冷蔵庫の中」
塗り終わったトーストを口に含みながらと、飲み込まないうちに喋り出した。                        
 彼の紅茶が程よい頃だと思い、カバーをとってカップに半分程注ぎ、暖めてあった牛乳をもう半分注ぎ足した。
冷蔵庫の中からマーマーレードを取りに行ってきた彼は椅子に座り直して又、眼鏡を掛け新聞を読み直した。
琳は新聞を読みながら、入れたばかりの紅茶を飲んでいる。
僕はコーヒーを飲み干し、彼は空色の冷蔵庫を指差しながら言った。  
「…あの冷蔵庫の左側の空色の所、ちょっと剥げてるぞ」
琳の表情は新聞に邪魔されて、読み取れなかった。
「左側の所だろ? 知ってるよ。今日は特別することもないから、塗り直しをしようと思っていたんだけど」
「…そう?」               

 空の模様を描いた空色の冷蔵庫。元々は白いただの冷蔵庫だ。古き良きアメリカの映画によく出てきたように思う。
大きくて厚みのあるドアがあり、家族の写真や母から子へメッセージの書いたメモ、学校の授業で描いたであろうクレヨン画などの日常の細々したものがドアの部分に張り付けてあったりする。

 金髪の髪を肩の辺りでカールさせ、レースの付いたエプロンを身に付けた女性。彼女に似合うキッチンは陽光の差し込む、開いた窓があり、広くて大きな流司の下には、オーブンがついていてディッシュウォッシャーまである。
そんな、彼女がいつも取り出す食品の仕舞ってある冷蔵庫が、僕達の家にある冷蔵庫だ。レトロ調ではあるが、最新式のモーターを組み込み音も静かなものだ。よく、見た映画の中に出てくる冷蔵庫が僕は気になって仕方がなかった。
僕はその冷蔵庫を見たときからドアの部分に絵を描きたかった。
まるで何処までも無限に広がっているように見える空の様に見えたからかも知れない。

その冷蔵庫を琳が買った時(正確には、彼が欲しいと言って義母に買ってもらったものだ)彼は『言いたいことがあるんだろ? だったら遠慮せずに言えよ』言ってくれているのだが…。
 結局、僕は白い大きな冷蔵庫に思った通り青い空と白い入道雲を描いた。
自分が思い描いたものより数段良い、出来映えとなり、彼も気に入ってくれた。

 僕は彼の承諾が、いや、同意が欲しかったのかもしれない。『このドアの部分に絵を描いてみたいんだ』この時、彼は少し、悲しげな表情を浮かべながら『もう、いい加減俺の顔色を伺うなんて事はやめてくれ…前は、そんな風じゃなかったよ』
確かに、小さい頃はそうではなかったかもしれない。その頃は僕も琳もあまりにも無知だったからだと思う。社会という状況など知らなくてもよい事柄だったからだ。

僕は心のどこかに彼への遠慮があった。
この遠慮はしばしば僕の行動を支配し、言動を操っている。彼はこのことに気付いていたのだろうか? 彼の父の対する僕の心の遠慮は外れることはなかった。但し、耳元で常に囁き続ける琳の声は『もっと、自由になれ』と僕を突っついていた。
 僕がいつまでも煮え切らない態度をしていると『頭で考えてばかりじゃぁ前に進まない事だってあるんだ』と、言い『思うだけじゃな、言葉にして欲しいって思うこともあるんだよ』と言った。
その冷蔵庫の左側部分はやはり、開ける時に一番手に触れる部分で絵の具が剥がれかけているのだった。
前にも一度気がついて塗り直したのだが、又剥がれかけているのだろう。近々塗り直そうとは思っていたところだ。

「今日、塗り直す予定だった? 他は?」
彼には珍しく人の予定を気にしてくれた。
(予定は僕が決められない事が多い。なぜなら彼が勝手に予定を決めてしまう事の方が多いからだ)
「別に…文化祭用の絵の仕上げでもしようかと思ってただけで、特にない。琳は、昼から出かけるんだろ?」
僕は出来るだけ冷静に、何気なさを装って言った。
「あぁ、ここを片づけたら行くよ。遅くはならないつもり。それと、もし、アラタから電話あったら“センターライン”に行ったって言って。俺、携帯持っていかないから…」
「うん、いいけど…あのぉ、ちょっといいかなぁ…大事な話だよ」
彼は読んでいた新聞を降ろし、いままで食べていたトーストをゴクリと飲み込んで言った。 
「…なんだよ、急に」
僕はさっきから気になって、苛ついている事があった。彼は不安そうな顔を僕に向けジッと僕の眼を見つめた。
「前から言ってるじゃないか、食事の時、新聞や雑誌は読まないでって、母さんからも言われてただろ?」
僕は至って真面目に言ったつもりだったのに、彼は僕に担がれたような顔をして、真赤になっていった。
「バカも大概にしろ!改まって言うようなことかぁ? …ほ、ほかの事だと思ったじゃないか…ったく」

彼は急に烈火のごとく怒りだし、今まで使用していた皿やコップをガチャガチャと大きな音をたてながら集めて流司へと持っていった。
ブツブツと文句を言いながら(幸いにも、僕には彼の喋っている内容は聞こえなかったが)エプロンの変わりに脱ぎっぱなしにしてあったトレーナーを腰に巻き付け洗い物をしだした。
「密、机の上のもの早くもってこい!!」
「何も怒ることないだろ?! 食事の時、新聞は読まないって約束したし、母さんからもしょっちゅう言われてたじゃないか?!」
僕も彼に怒られたのが腹立たしく、使用して汚れた食器類を集めて流司に持っていった。
 彼と並んで台所に立ち、彼の洗った食器を乾いた布巾で拭き食器棚に直していった。   
彼は不満顔をたたえながら、終始無言だった。
洗い物を洗い終えると彼は自分の寝室に行き、着替えを山のように抱えて戻ってきた。二、三度リビングと寝室を往復してからバスルームへと消えていった。
そんな彼を横目で見やりながら、リビングのソファに座り新聞を読んでいた。実際は読んでいるフリだ。僕はかかってきた声の主の事が気になっていたのだが、僕が気にする事ではないとわかっていても、気にかかる。
『琳とどんな会話を交したのだろうか?』

あれやこれやと憶測し、読んでいるわけでもない新聞をめくっていた。しばらくすると彼がバスルームから上半身裸のまま現れて、ダイニングテーブルの上に洋服を置いて着替え出した。
「…アラタから電話がなかったらそれでもいいの?」        
彼は長くスラリと伸びた手足を器用に折り曲げながら、ジーンズとシャツを次々と着替えていった。
「今日、かけてくることになってる。昼頃っていってたかな?バンドの事でかかってくると思うから聞いといて…」
「…オーケー…」と、気の無い返事をした。彼はそんな僕の返事を聞いて、
「お前、何処か行くのか?」
「う〜ん、絵の具を買いに出かけようと思ってたんだけど…」
「そう」琳は別段気にする風でもなく、ジャラジャラと小銭を無造作にポケットに突っ込んだ。
僕はつい先程の会話を頭で巡らしながら、忙しく動き回る彼を見つめていた。
「お〜いってばぁ、聞こえてるのか?」
僕はボーっとして彼が呼んでるのに気がつかなった。
その頃、テープの曲は“you be so nice to come home to”が流れていた。

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