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5) 不滅の花

「最近、いいものが見つかりましたか?」琳は綾に向かって言った。
「えぇ、千七百年代もののミレフィオリのペーパーウェイトがありましたのよ」
「ホワイトフライアーズ?」綾は満面に微笑みを湛え、
「そうなの、そうなのよ」
綾の唯一とも言える趣味がクリスタル製品のコレクションだが、特にペーパーウェイトのコレクションである。コレクターともいえる彼女の収集品は、素晴らしく、数も半端なものではなかった。

 しかし、お金がかかる趣味であった訳で、その点が慶二郎に言わせれば非建設的で道楽に過ぎない、と手厳しかった。
だが、慶二郎と彼女との間でこのことが争いの種にはならなかった。彼女はコレクターとして資金を注ぎ込み、彼は愛人と会社に注ぎ込むということで妥協は出来ていたのだ。             
彼女の工芸品へののめり込み方は、腹いせのような形相をみせていた。当然、彼と彼女にこの種に関しての会話がある訳でなく、彼女自身飢えていた。彼女は、趣味の話をすることで自分を認めてほしかった。
自分の存在意義を確かめたかったからだ。
好きでもない相手と結婚をし、彼の“夫人”としての役割を演じ続け、仕事以外の話もしない夫の傍にいることへストレスを感じ続けているのだろう。彼女は、自分のことに興味を持ってくれている、或いは、聞いてくれる琳に夢中になり始めていた。

「私が今までに手に入れたものの中で一番のお気に入りになるわ。生花は直ぐに枯れて腐って惨めな姿を曝すけど、ミレフィオリは永遠に美しいままなのよ。例え私が死んで灰になっても、私の傍で美しく咲き誇るのよ。時には慎ましやかに…永遠にね」
 彼女は酔ったように恍惚となり、目の焦点が空中を彷徨っていた。彼女の工芸品に対する思い入れは、並々ならぬものだと言うことは理解できる。我を忘れて夢中になる彼女の姿が哀れであった。人にはそれぞれ夢中になるものがある。
 しかし、彼女のそれは又違った意味での熱中の仕方だ。まるで、何かから逃れたい、目を背けようとするために、だ。
僕は彼女の姿を見て哀れと感じるより、何かに憑かれてしまった彼女の目に、冷たいものを感じていた。

「……花は生きている。僕達の時間ではホンの一瞬だけど、生きているから美しいんだよ。永遠なんて、存在しない。永遠なんて言葉だけの存在だ。生きとし生けるものには全て限りがあり、その限りのために苦しみがある。しかし、苦しんだ見返りは必ずある、喜びがね。そして、愛を得る。生きることが何よりも尊いんだ。……不老不死など有りはしない。
どうしても、なりたいんだったら仙人にでもなるんだね……仙骨(※1)が有ればの話だけど」

今まで辛辣で嫌味な事ばかりを言っていた彼にしては、少々真面な事を言った様に思う。
ただ、彼女にとっては甘い自分自身の作り上げた架空の世界から、現実の動かしがたい世界へと引き戻すのに十分な言葉の数であった。唯一の世界を琳はやんわりとではあるが否定したのだ。
「……僕は敢えてあなたに忠告や意見を進言したりしない。無理強いは趣味じゃないからね。それに人に意見を押しつける様な事は、誰かと違って、ねェ。……ただ、思っていることを内に秘めておくのは苦手なんだ。……解かってくれるよね」

 綾は先程とは打って変わって、暗い表情から一転して明るい表情を見せた。万華鏡の様にくるくると変化させ、琳の言葉に踊らされているようだ。(彼は心から彼女に忠告をしているのか?
それとも、父親への嫌がらせの為にしている行為なのか? 僕には到底、判断のつかない事だけど、今の僕には飴と鞭の使い方を心得ている詐欺師に思えてくる)今まで、僕はただの傍観者(これからもだが)に過ぎず、この場の登場人物は琳と綾の二人だけであった。 
この寒い舞台に最初の口火を切ったのは彼の父親の慶二郎であった。

「下らん道楽の話は終わったのかね? 琳も利口になったようだな。お前でもあの学校で得るものが有ったようだ。楽しいお話の途中で心苦しいんだが、私も忙しい身、こちらの用件を先に済ましてくれないか?」 
喋った内容よりも抑揚の無い声に僕は一瞬にして凍りつき、琳までもが張り付いたように動かなかった。琳のかけている縁なし眼鏡が、心なしか光ったように見えた。
「…申し訳ございません。つい、うっかりして他愛もない話に花を咲かせてしまいました。あなたに相応しいお話を用意できない、私の不徳の致すところでございます」
琳の言葉に彼の父親はなんら反応するでもなく、ほんの数秒沈黙しただけだった。
「……これからの事だが、毎月会うというのも仕事の都合上、難しくなってきた。少しの時間も惜しくてな。無理を言って悪いんだが、生活費は密の銀行口座に毎月振り込んでおく。金額は不足の事態の為に増額してある。……琳に渡すと先が見えるんでな。お前に渡すのが確実という訳だ。使用明細は一切不問だ。……お前達の好きに使うがいい」
彼はそう言い終えると、後ろに陰のように控えていた稲垣を呼び、一通の茶封筒を僕に渡した。
「その中に、銀行通帳と印鑑、カード、それから貸金庫の鍵がある。……好きに使うがいい」

「…では、これからはお会いすることは無くなるのですか?」
カラカラに乾いた喉から搾り出すように喋った。
「そうだ。悪いと思っているよ。こちらから言い出した提案を、こちらら破棄しようといるのだから。まぁ、会いたければ、稲垣に連絡をすればいい。うまく取り計らうだろう。……ここのところ、忙しくてな。時間の都合がつきにくい」
琳は不満気な綾を目で制止し、父親に向き直って言った。

「……今までそのことに気がつかなかったとは迂闊でした。あなたにしては名案です。
……ほんとうに卒の無いやり方です」
「……で、賛成してくれるのかね?」
「ご自由に」
「……琳」              
(この親子は、本当に血のつながりが有るのだろうか? 所詮、血のつながりなど水より薄いのだろうか? 
同じ遺伝子を持った人間とは何だろう。他人と親子の違いは?  父親として彼を愛しているのだろうか?)        
僕はこのレストランで戦争が始まらないようにと願いながら、琳を連れて早くこの場から離れたかった。

「……初めて耳にしますわ。今のこと、私には何も仰らない。何でも、ご自分と稲垣とでお決めになるのね。
……今に始まった事では無いけれど、不愉快ですわ」
彼女にしては珍しく、不満を露骨に表わして秘書の稲垣を一瞥した。
稲垣はガッチリとした体格を小さく折り屈めて、頭を垂れるだけであった。

 秘書の稲垣俊介は、彼、藤村 慶二郎が藤村製薬の社長になる前からの彼の付き人でる。常に傍を離れず、秘書としての力量を余すことなく発揮し彼に仕えた。稲垣に寄せる慶二郎の信望は大変なものがあり、妻の綾からは『藤村製薬の正妻は仕事であり、愛人は稲垣、恋人は亡くなった琳の母の龍水笙子。そして、金のかかる同居人こと、生きる屍で、少なからず利用価値の残されている私よ!』と、酔いも手伝っての心情を吐露した事があった。戯言のように思いもしたが、今にして解かったような気がした。

「…では、商談成立だな。これくらい私の仕事もスムーズに運ぶと、問題などないのだがな。……なぁ、稲垣」
「お仰る通りでございます。しかし、これは商談ではございません。もう少し……」
「……? 何だ、稲垣。言いたいことが有るのなら言ってみろ」   
「……いえ、何でもございません」 
「おかしな奴だ、らしくもない。言い渋るとはな……」

『もう少し優しい言葉を息子に掛けてやれ』とでも、稲垣さんは言いたかったのだろう。僕には彼の言い出せなかった言葉が推測しきれなかったが、気持ちは察する事が可能であった。
「今、何時だ?」
「八時四十五分を少しばかり過ぎたところですが、この後、協会メンバーの方々との懇親会がございます。場所はここからお車で二十分程のホテルで行なわれる予定でございますので、お時間に余裕がございませんが……」
「直ぐに行く、車を回しておけ」
稲垣は持っていた携帯電話を掛けながらキャッシャーへと足早に向かった。
「密、頼んだぞ。何か有ったら遠慮なく会社に電話をかけなさい。稲垣にもよく言っておく。綾、行くぞ。君が居なくては始まらん。名残りは惜しいが、君と琳はいつでも会えるだろう?」
意味有りげな彼の父の言動は綾の顔を曇らせるのに十分すぎた。
綾は先程とは打って変わって、態度に自信が無くなり、何かしらびくついた様になった。

綾と彼の父は同時に席をたち稲垣のいる方へ歩いていった。
「綾! 今度会おう……二人きりでね」
琳は悪戯をした子供のように、笑顔を見せ、手を振るった。会話中に運ばれてきたワインを一気に飲み干すと深いため息をついた。先程までは楽しそうに(見た目だけではあるが)会話を繰り広げていた人物とは思えないほど真摯な表情となり、冷たく張り付いたようだ。

(※1) 仙骨:仙道においては仙骨が出ていることが仙人にはなれる条件だと言われている。

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