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10) オレンジの髪の男

 「あっ、何?」
僕は腰を浮かして彼がいる玄関に向かった。
「聞いてねぇな」             
「ごめん、で?」
「出かけるんだったらアラタの電話は、留守電でいいからさ。それと、鍵しめてよ」
「あぁ、わかった。鍵は持ってるんだろ?」
「持ってる」と、琳は言いながらブーツのチャックを上げ終わって立ち上がった。
「行ってくる」            
振り向きもせず彼はそう言うとエレベーターホールに向かって歩いて行った。僕はそんな彼の背中をみながら、ゆっくりとドアを閉めた。すると、リビングから電話の呼び出し音が聞こえてきた。

『よう、元気?』
聞き慣れた声が僕の元へ届いた。
「……伊織田? 久しぶり、元気だった? 琳なら今し方出かけたとこだよ。伝言、聞いとこうか?」
『いや、琳に特別用かあるわけじゃない。ジジイとババァが旅行に出かけて、喧嘩相手も居ないし暇だったもんでね、お前は?』      
『お前は?』と問われても即座に返答は難しかった。ただ、彼の声はイライラしていた僕の気持ちを不思議と落ち着かせてくれた。
「……琳が出かけるまでに色々あったんでね、くたびれて一服してたとこ」
『色々? ……喧嘩でもした?』
「ん〜まぁねぇ」僕は言葉を濁し、曖昧な返事をした。
『……琳は相変わらず?』
「最近、会ってないのかい?」
『ん〜まぁな、ちょっと意思の疎通ってやつかな』
「喧嘩したんだ」
『……そうとも言う』
「彼、夕方には帰ると思うよ。居るときに電話したほうがいいんじゃない? 相変わらず、携帯は不携帯だけど……」
『ははははは……『ポケットに入れるのがそんなに嫌なら鞄を持て』って言っとけ。けど、俺が電話したのは琳にに連絡する為じゃないよ』
「えっ? ……そうなの、仲直りの電話じゃないの?」
『……俺が? まさかぁ、そんなことしねぇよ。大体、あいつが変な事を口走るから俺も意地になって……もう、どうでもいいよそんなこと』
二人の間に何が起こっていたのか、僕は全く知らなかった。

僕が首を突っ込む事ではない。
ただ、僕は伊織田との会話が進につれ、琳はあの電話の子とどんな話をしていたのか又、気になり出した。そして、僕は卑怯にも伊織田を利用しようと考えていた。(本当に利用しようなんて思っちゃいないのだが、結果的にはそういう形をとってしまったのだ) 

「……今、暇なのか?」(僕は何を喋っている?)
『暇だから、電話したんだ』
「そう、じゃぁさ、今から一緒に出かけないか? ……特別これって言う所はないんだけど、画材屋に絵の具を買いに行こうと思ってたんだ」 
僕は伊織田の返事など聞かなくてもわかっていた。彼の返事は“イエス”だ。
イエスと判っているに僕は彼を誘ったのだ。
彼が僕に誘われて断ることなど有りえないと知っていて……。
『えっ?! 一緒にか?』
伊織田は僕からこんな話を持ちかけられるなんて思ってもみなかったようで、驚いた声を上げていた。

「……僕は誰と話をしてるんだい?」
『あっあぁ、そうだな……俺だ。何処へ行きたい? 何処でもいいよ。何時に待ち合わせする?』
「僕は画材屋にさえ寄ってくれれば、あとは何処でもいいよ。……何時にする?」
『今すぐ!!』喜びで溢れた声で返事が返ってきた。彼の返事の仕方は何処か子供じみていた。
「じゃぁさ、1時頃地下鉄の……」僕が待ち合わせ場所を指定しようとしたときに彼は僕の声を遮り、こう言った。
『遅いよ、それじゃぁ。10分後にお前のマンションの下で、ってのはどう?』
「……マンションの下に10分後って、どう言う事さ?」
『実を言うと、今、下にいるんだ』
「はぁ〜?」
『愛車でさ、この近くまで来たから何となく電話してみたんだよ。だから、マンションの下の前に公園があるだろ? そこの大きな木の下にいるんだ、携帯で電話してる』
彼は何処か恥ずかしそうにそう言った。
「……早くそれを言えばいいじゃないか? 支度してないから、なるべく早く下に行くから待ってて」
(僕は彼に何を期待しているんだろう)
『あぁ、じゃぁ、なるべく早くな』

 僕は気乗りのしない心を引き摺りながら、支度に取りかかった。自分の蒔いた種なのに、僕は自分で刈ることが出来なくなっていた。思った方向と違う、いや、望んだ方向に行ってはいる。
……が、しかし、本当に望んだことだろうか?
僕は取り返しのつかない事をしでかしている様な気がした。白いシャツの上から紺色のボーダー柄のパーカーを着て、ベージュ色のストリートパンツに履き替えた。財布と携帯を尻のポケットに突っ込み、手早く家の中を見渡して玄関へ向かった。

玄関には琳が脱ぎぱなしにしてあるスポーツシューズが散らかしてあった。
僕は彼の靴を靴箱に直し、自分のニューバランスのバスケシューズを取り出した。玄関の電気を点けてゆっくりとした調子でドアを閉めた。エントランスホールを抜け出ると明るい日差しが僕を包んだ。(サングラス持ってくるんだったな)
 あまりの眩しさに目を背けながら手を翳してすぐ前にある公園の真中にある木を目指して歩いた。公園の真中にある大きな金木犀の木の下にはやや細めの影が陽炎の様に揺らいでいた。

「遅い」黒い影が紫煙を吐きながら僕を見つけ、文句を言った。
「20分で来たよ」
僕はそう言いながら伊織田に近づいた。伊織田は愛車のベスパを木の脇にもたれて、木漏れ日の下に立っていた。
 伊織田は短く切った髪を手櫛で掻き上げて立たせ、藍色のガラスの入った弦の細いサングラスから覗くように僕を見た。
「……髪の毛の色が又、違ってるけど」
僕は伊織田のオレンジ色に染まった髪を指差しなら、ポケットから煙草を取り出して火を点けた。
伊織田は笑いながら「結構、似合ってるだろ?」と、言い頭を擦った。
「学校の方は?」
「俺の頭がたとえオレンジ色でも、女生徒のソックスが紺色のルーズソックスでも自由な校風で許されるんだよ。成績と品行さえしっかりしてればね」
「……詰襟にオレンジの髪は、どうかと思うけど」僕は首を傾げてみせながら、彼に言った。
「K高は伝統的にも、自由な校風さ」
 口元は穏やかに微笑みであふれていた。スラリとした体躯は顔の厳しい表情を和ませるように細く、ともすれば優男に見えた。ナイキのマークを胸の真中辺りにあしらったTシャツを着て、ワンサイズ大きめのズボンを履き、同じナイキのバスケットシューズを履いていた。伊織田は左手に持っていたケータイを後ろのズボンのポケットに仕舞って僕へ近づいてきた。
「ところで、身長伸びた?」
伊織田は僕の頭の上に手を翳して計るような仕種をした。
「嫌なこと聞くなぁ、伸びてないよ。それでなくても、知り合いの中じゃぁ小さい部類なのに……」
僕はクサるように言って、足下を見た。金木犀の木の根元には彼が僕を待っていた間、手持ち無沙汰を解消するために吸っていた沢山の吸殻が落ちていた。
彼は又、ポケットから煙草を取り出すと一本抜き取り火を付けた。下を見ていた僕には伊織田の表情は見えなかったが、優しい笑いを浮かべていた様に思われた。
「フフフ……いいじゃないか、問題ないさ特に俺達がデカすぎるだけさ、なっ?」
下を向いていた僕を覗き込むようにして笑いかけてきた。

「……バスケは続けてるの?」
特に気にかかった質問でもなかったし、何気ないふと感じた事を口にしただけだった。僕は彼を見つめ、言った。伊織田は眉間に皺を寄せ、僕から目を逸らした。彼の左耳にはいったいいくつの穴が開いているのか数えたくなる位のピアスがぶら下がっていた。
バスケゴール
「……遊びなら、な。クラブには入ってない」
言葉を吐き捨てるように言うと、踵を返して金木犀の木のもっと深い陰に引き返した。
僕は彼の後をゆっくりと追った。
「嫌なこと聞いた? ……ごめん」
「……いや、いいんだよ」
「……未だ走ることは出来ないんだ。でも、ちゃんとリハビリには行ってるんだぜ……結構、マジに」伊織田は力なく笑った。
バスケットをこよなく愛した伊織田が、やめるなんてことなど考えられなかったが、彼のケガは思ったよりも悪い方向へ向いてしまっているようだった。僕も伊織田も次の言葉を探して沈黙を続けていた。
「……バスケを取ったら俺に何が残る? わからねぇな、俺には。ただ、この辺りが何か寂しくて何かを探してる」
少々歪んだ笑いを浮かべた伊織田は、ナイキのマークのある辺りを指差しながら言った。
「変わりになるもの?」
「あぁ、そうだな例えば『愛』かな?」
「背負ってるなぁ」僕と伊織田はお互いを見つめ笑った。
「『愛』があればバスケが出来るのかい?」
「もちろん『愛』さえあれば、インターハイも間違いなしだぁ」伊織田の触れたくない事実を彼が出した答えで擦り抜けた。

 伊織田はミニバスケ出身で中学生の頃から注目されていた。身長はバスケの中では中位だが、彼は持前のバスケセンスで無名の学校を都大会ベスト16にまでにした。彼の高校進学に対して色々の所から誘いがあったし、実際バスケで有名な高校からの推薦も、あの大会でベスト8までに入ればもらえるはずだった。

しかし、中学3年のあの大会の第二試合の当日、当然出場すべきだった彼はその日、会場には来なかった。僕は彼の応援をする為め嫌がる(行きたいのに嫌がるふりをしていだるだけなのだ)琳を引き連れ、その日会場にいた。が、彼は結局会場に現れず、彼のチームはその日初めての大差で大敗した。前の日の夜、彼は路上で恐喝にあっている学生の仲裁に入り、その学生を庇って逆に暴行された。いくら、喧嘩なれしてるとはいえ大会を控えた彼は暴力を振るうこともなく、ひたすら非暴力に徹し、ただ耐えていた。

 そして、彼に魔の刻が訪れた。
殴られ続けた彼が暴力を避けようとして、身を反転させた時、彼の身体は車道へ放り出され、そこへ通りかかった車に跳ねられた。恐喝にあった被害者の学生は姿を消し、曲がる筈もない方向に曲がってしまった彼の左足だけが彼に起こった出来事を示していた。犯人は判らずじまいで、彼に判った事と言えばまともに歩けない左足だけだった。
何故、あの時彼は見も知らぬ学生を助けたのだろう?
彼の中の正義ゆえの行動?
見過ごせぬ何かが彼を捕えたのか?
彼は何に突き動かされたのか?
今となっては知る手立ては、残されてはいない。
そして、遅すぎたのだ。元々、脳天気な程、明るい性格とはいえなかったが、そんな事があったなんて思われないほど彼の性格は変わってはいなかった。(傍目にはそう見えるのだ)ただ、時々ふと暗い影が彼の顔を横切る事があった。誰にも気付かれないくらいのホンの一瞬の出来事。彼の中では何かが変わっていたに違いない。

まだ、直り切っていない左足の膝の辺りを擦っていた伊織田は自嘲気味に僕に笑いかけ、
「……お前が心配することじゃないさ。そんな、顔すんなよ」
「……僕は、どんな顔してる?」
取り返しのつかない失態は僕自身を苛つかせた。
「……いい顔、俺のタイプってね」
「……バカ言ってる……」僕は伊織田の顔をまともに見られなかった。
彼がバスケをしなくなったのはあの事件があってからだし、迂闊にもその話題を出してしまった僕の軽率さを呪った。
「変なこと考えるんじゃないぞ、お前はいつもそうだからな」
伊織田はそう言って僕へ近づき、右肩の辺りを2度程叩いた。
「そろそろ行こうか?」         
伊織田はそう言ってベスパをおこし、僕にヘルメットを投げてよこした。
「……これ被るのか?」
「当たり前だろ?安全第一じゃねぇか」
「……被りにくいなぁ」        
僕は文句を言いながらもヘルメットを被って彼と公園に出て、彼の後ろに乗った。伊織田が僕に何かを話しかけていたが、僕はヘルメットでよく聞き取れなかったので、彼に大きな声で聞き返した。
「なに? なんて言った?」
彼は笑いながら首を横に振り『何でもない』っと言った様に思えた。

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