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4) 三文芝居

大きく上に広がった空間は、今までとは違った空間を提供するために、造りだされている様に 見えた。広い空間の中に、淡いピンク色の大理石造りのカウンターが有り、その中に黒服を着用したフロントマンが忙しそうに動いている。カウンターの上には、華美な装飾など一つもなく、整然としていた。
 カウンターの前を通り過ぎて、一番奥へ行くと、左右に2基づつのエレベーターがあった。展望レストランへの直通エレベーターが左手の奥にあったので、僕達は乗り込むことにした。

乗客は僕と琳の二人だけであった。   
喫茶店からの帰り道では、割合と楽しそうに喋っていたし、それ程、彼の態度に変化は見られなかった。そう僕には見えたが、刻一刻と彼の両親に会う時間が迫るにつれ、顔の表情が硬くなり、喋る言葉の回数も限られてしまっていた。  
 エレベーター内では、彼の緊張が最高潮に達しているのではないかと思われるぐらい、表情がまるで無くなってしまっていた。余計な事をウダウダ思いつつも、エレベーターは着実に頂上を目指してゆっくりと動いていた。エレベーターがレストランへ到着すると、滑るように音もなくドアが開いた。先に琳が降り、続いて僕が降りた。
展望レストランの入り口は広く、ガラスの自動ドアによって廊下と仕切られていた。ドアを抜けて中に入ると、広くて落ち着いた雰囲気があるレストランがあり、窓の外に漆黒の海が広がって、波間にキラキラと光るネオンの星が見えた。
 見晴しは、何処に座っても良いようにと席の配置が成されていた。
この時間にしては、珍しく客の入りが少ないように見受けられたが、ホテルのレストランということを鑑みれば珍しくもないのかも知れない。
左右どちらに座っても、柱の陰にならぬように置かれたテーブルは、目立たない位置にあった。
このテーブルに座っている人間が、琳の両親で、茶色のスーツの男性は品の良い紳士の様に見え、彼の正面に座っている女性は、彼よりもずいぶん年下に見えた。
 実際、彼女(彼の母)の年齢は、僕達の年齢に近く弱冠二十八歳だった。

琳の言葉を借りて言うならば彼女は人身御供だそうだ。彼女は、三瀬財閥の一人娘で祖父母に育てられた。両親を早くに事故で失ったらしく、一人息子であった父の後を継いで孫娘の彼女が、三瀬の家を継いだそうだが、内情は余り芳しいものではなかったらしい。家名は有名だか、この世の中では余り役に立たなかったらしく、世渡りの下手な先々の当主に食われ続け、没落寸前だったという。

火の車の家計のやりくりは、年老いた祖父母には荷の重い枷であったろう。祖父母の面倒と家名の存続を考えての、彼女の選択のように思われた。
実際、彼女が藤村に嫁いでからは彼女の実家は何とか盛り返し、今では頼らなくても自力でやっていくだけの力を得たという。

実家は分家の男の子を養子という形で引き取り、家名を残したのだという。
琳にとって藤村 綾は、三番目の母親となる。一番目は産みの母の龍水笙子。二番目は父、藤村慶二郎の正妻、藤村雪之(彼女は病弱の為、療養先の病院で亡くなっている)これが、僕の知り得る彼の母親の全てであるが彼の父親慶二郎には、まだまだ隠された愛人が存在するらしい。   
もちろん、綾の承知の事でもある。
 僕にとっては、酷く理解しがたい事柄であるが、琳に言わせればこの藤村家が元々、血筋が良いわけでもないのに、家名と金があるのは女性のお陰なのだという。『閨閥を利用してのし上がっているのだ』とも言った。
あの父親であれば彼の言っている事も本当の様に思えた。

僕と琳は、マネージャーらしき人を見つけ連れが来ている筈だから通してくれ』と頼んだ。
『暫くお待ちください』と言ったきり何処かへ行ってしまって戻ってこなかった。後に残された僕達を、胡散くさそうに見つめるウェイターが一人いた。(そりゃ端から見れば、胡散くさそうに見えるかも知れないけれど、そんなにジロジロ見なくってもいいと思うな。
琳の格好を見ればどう思うんだろう?

 しかし、今回の彼の服装は昼間の彼を想像出来ないくらいかけ離れた格好をしている。長身を淡いブルーグレーのスリーピースに身を包み、薄いピンク色の無地のネクタイを締め、同色のバラの花を胸に差して、白いバックスのオックスフォードの靴を履いている。視力は余り良いほうではないが眼鏡を常時かけるほどの事でない。それなのに、縁なしの銀の柄の眼鏡をかけ、やや明るい栗色に染めた細い髪を後ろに撫でつけている。
彼の今の容貌は実際の年齢をかなり引き上げているように見えた。

僕の方といえば、シャンブレーブルーのボタンダウンシャツにニットタイ。シングルのブレザーとツータックズボン。靴は黒のコインローファーだ。
 『きちんとした服装』というのは、琳がいつも彼ら両親と会う時にとんでもない(理解できないという事だが)格好をするからで、そう言ったにすぎないと思うのだ。なにも、雑誌から抜き出て来たような服装とは言っていないと思うのだが(また、似合ってるもんだから文句も言えないけど)これは彼特有の嫌がらせに違いないと判断したので、僕は彼に付き合うつもりで、目一杯のお洒落をしたつもりだったが、彼には理解してもらえなかったようだ。

彼は出先に、自分の部屋のクローゼットから未だ真新しいカバーのついた服を持ち出し着用するようにと言った。

彼の持ってきた服は普段の僕と、余りにもかけ離れたものだったので辞退した。
しかし、これがいけなかった。
彼は『自分の好みの服を着る君が見たい』などとのたまいだし、強硬手段にでたのだ。つまり、泣き落とし。僕が、彼の泣き落としに弱いのを知っていて使うのだ。
『嘘泣きなんてやめろよ』
『いぃ〜だろ? へるもんじゃなしぃ』
『減るとか減らないとかそんなんじゃない』
『これから、愚痴は言わないって、言ったし、俺のほうがおれたんだぜ。それにせっかく買ったんだ……』
だが、クローゼットから持ち出した服は新品のゴルチェだ。バイトで買える程安くはないはずだ。生活費をくすねることは、不可能だし(理由は、僕が管理しているから)僕は金の出所が急に気にかかってきた。
しかし、彼は平然と言ってのけた『働いた、貰った、買った』シーザーじゃないんだぞ。
強奪したとは言わないが、服を買うためにバイトしたのかァ?
あれだけ注意したにもかかわらず、だ。
『バイトなんかしなくったって、服ぐらい買えるだろう?そんなに足らないのか?』  

『……まぁな、これは腐りはしないから仕舞っておくとするか。
でも、いつかはきっと、着せてみせるからなっ!』
彼の強気な言葉づかいにドキドキしながらも、取りあえずは僕の意見が通った事に安堵した。                 
 結局、彼も僕も両親の思惑どおりに小綺麗な出で立ちと相成った。

「あそこにみえるが、本能寺。敵は本能寺ぞ! 準備はよいか?」
「……へぇ」
「……ん? へぇとはなんだ? もっと気合いを入れんかぁ!」
「御意」      
(本当に緊張してるのかなぁ?)     

先ほどいたマネージャーやウェイターを後目にして、僕達は彼の両親の待っている席へ向かって行った。
「……遅くなりまして、お待ちになられましたか?」
琳は父親の背後に立ち、いつもそうであるようにゆっくりと落ち着いた喋り方をした。
「琳さん、密さん、お久しぶりね。今日はまた、随分遅刻なさってどうしたのか心配しましてよ。さぁ、どうぞ、お席に着いてくださいな」
彼の年若い母親がその風貌に似ず、低い声で言った。琳はニッコリと笑みを浮かべて、彼女のいる隣の席へ座った。
僕と言えば、仕方なく彼の父親の隣の席に座った。奇しくも琳と向かい合わせの席になってしまった。彼女はパールピンクのマニュキュアの塗った柔らかそうな指を少し上げ、ボーイを呼んだ。

「いつものワインと、それからその後に食事を戴くわ。……それでよろしい?」                                                               
彼の父親は、表情すら変えず、
「食事などしている暇はないな。終われば会社に帰らなくてはならん。したければ三人でするがいい」
この言葉がまた琳の神経を逆なでする事のように思われた。
「少々、遅刻したようですね。……心から心配してくれているのはあなただけですよ」
綾のボーイを呼ぶために上げた手を、両手で握り締めながら、ゆっくりと自分の唇に近づけキスをした。彼のその行動はまるで、彼の父親を挑発すかのようなものに見えた。

キスをした後も手は離さなかったが、妖しい彼の双眸は彼女を見ているのではなく、覗き見るように、彼の父親の様子を伺っているようであった。
僕は不安だった。
何故だかわからないが、何か得体の知れないものに怯えている自分がそこにいた。
彼女は夫に同意を求めたが、当の本人は彼女の顔を見ようとはせず、黙ったまま正面にいる彼の息子をじっと見据えていた。    
「…琳。お前又、何かしでかしたのか?」彼の父親が相も変わらず冷静に言った。
「『何かしでかした』ですか? 別に何もしていませんよ。『私が何かした』と、お仰るのでか? ……心外ですね」
「……」

彼の父親は何も語らず、少し離れた場所に立っていた彼の腹心の部下である秘書の稲垣 俊介を呼んだ。
稲垣は彼の父親の小さな耳打ちに相槌をうち、そそくさとその場を離れレストランのマネージャーの所へ行き何やら話をしていた。きっと、琳の行為に対してのフォローでもしにいったのであろう。
 深く刻まれた苦悩ともいえる皺をもつ彼は同じ顔色ひとつ変えるわけでもなく、静かに時が過ぎるのを待っているようであった。
父親は『不愉快だ』とも言い出さず、
「お前に、名前は無いのかね?何もわからないといった上での行動であればまぁ、どちらにしても私への嫌がらせに過ぎんと言う訳か?」
彼の父親は抑揚のない声で言ったが、その言葉の真意は僕には解からなかった。

「一カ月ぶりですわね、お元気でした? お父様はあなたにお会いするのを、とても楽しみにしていらしたのよ」
「……今、お会いしておりますが拝見したところ、あまり嬉しくは無いように見受けられます」
琳は、ボーイを呼ぶために上げた綾の手を今だ、握り締めながら、彼女と見つめ合っていた。
僕には仲睦まじい親子とは到底見えず、良く言っても品のいいカップル。悪く言えばホストとその客のようだ。彼の義理とはいえ、母親とのラブシーンの様な姿を見るのは、僕にとって苦痛この上無かった。それは一番見たくないないものであり、例えそれが彼の本当の母親であってもだ。

 今、この地上で一番醜い生き物は、嫉妬に狂った自分自身だった。まるで針の筵の上に僕は助けを求め、すがる様に琳を見つめたが、彼は相変わらず綾の手を握り締め、至極美しい微笑みを湛えて、他愛もない会話に終始していた。こんな時に、よく平気で会話が満足にできるものかとも関心し、どんな神経をしているのかと感じもした。

存在するほどに居心地が悪く、茶番を楽しむ余裕すらなく、一刻も早くこの場所から離れたかった。この永遠に噛み合うことの無い不毛な会話に、嫌味な視線の飛び交う席で、言い知れぬ戦きを感じていた。

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